第59話『この街を描く』
第59話『この街を描く』
十一月も半ばを少し過ぎた頃。
朝夕の冷え込みは日に日に強くなり、校舎の窓から見える木々にも冬の気配が増えていた。
その日の授業が終わりに近づいた頃、講師が何枚かの紙を手に取った。
「最後に一つ、市から美術コンクールの案内が来てる」
前の席から順番に紙が回ってくる。
「学校の課題じゃないから参加は自由だ」
「テーマは『來玲藍市の風景を使った作品』」
「締め切りは一月末だから、興味がある人は募集要項を読んでおいてくれ」
陽華のところにも一枚の紙が回ってきた。
上には市主催の美術コンクールと書かれ、その下にテーマが大きく載っている。
(市のコンクールか)
指で紙の端を押さえながら、その文字を見る。
高校の頃、一度だけコンクールに入選したことがあった。
あの時は、それをきっかけに絵の道を考えた。
結局は別の大学へ進み、そこも途中で辞めてしまった。
ずいぶん昔のことのように感じる。
陽華はもう一度、募集要項へ目を落とした。
参加するかどうかを考えるより先に、市のどこを描くだろうと考えている自分がいた。
(何描こう)
そう思ってから、少しだけおかしくなる。
まだ出すとも決めていないのに、もう題材を探し始めていた。
◇
昼休み。
陽華が食堂へ行くと、ミオが先に席を取っていた。
「ミオちゃん、これ見た?」
陽華は鞄から募集要項を出す。
「見ました」
ミオも同じ紙を持っていた。
少しして遥斗もやってくる。
「お疲れさまです」
「お疲れさま」
「こんにちは」
遥斗は空いている椅子へ座った。
最近はまた三人で昼を食べることが増えている。
以前とまったく同じではない。
それでも、遥斗が来るかどうかを気にしていた頃よりは落ち着いていた。
四人で使っていたテーブルには、今日も一つだけ空いた椅子がある。
陽華は募集要項をテーブルの真ん中へ置いた。
「これ、どうする?」
「コンクールですか?」
「うん」
遥斗も自分の紙を取り出す。
「締め切り、一月末なんですね」
「まだ二か月くらいあるね」
「でも何描くか考えたら、そんなに長くないかもしれませんね」
「確かに」
陽華はテーマの文字を指でなぞる。
「來玲藍市の風景って言っても、結構広いよね」
「駅前とかですか」
「駅前は一回みんなで描いたね」
「川もあります」
ミオが言う。
「ああ、川もあるね」
「いつも通ってる道でもいいんですよね」
「風景を使った作品って書いてあるから、たぶん場所はいろいろ考えられそう」
三人とも募集要項を見る。
同じ街に通っているのに、いざ描く場所を考えるとすぐには決まらない。
「遥斗さんは何描く?」
陽華が聞くと、遥斗が顔を上げた。
「え、俺ですか?」
「うん」
「……俺ですよね」
「遥斗さんに聞いたんだけど」
「ですよね」
陽華は思わず笑った。
「遥斗さん、まだちょっと変だね」
「……自覚はあります」
「あるんだ」
「あります」
遥斗も困ったように笑う。
少し前なら、そのまま視線を逸らしていたかもしれない。
今はぎこちないながらも、そこに座っている。
「それで、何描くの?」
「まだ何も決めてないです」
「そっか」
陽華はミオを見る。
「ミオちゃんは?」
「私もまだです」
「何か思いついてる?」
「思いついてないです」
ミオは募集要項へ目を落としたまま答える。
「いつも見てるところって、言われると逆に分からないです」
「それ分かる」
陽華は頷いた。
毎日歩いている道も、駅前も、学校の近くも、普段はわざわざ風景として見ていない。
「とりあえず探してみようかな」
「何をですか?」
「描きたい場所」
「出るんですか?」
遥斗に聞かれ、陽華は少し考えた。
「まだ決めてないけど」
募集要項を見る。
「ちょっと出してみたいかも」
口にしてみると、思っていたより自然だった。
昔の入選を思い出しても、今は結果より先に描くものを考えている。
遥斗が小さく頷く。
「俺も考えてみます」
「私も」
ミオも短く答えた。
誰も参加するとまでは決めなかった。
それでも三人の間には、一月末という新しい日付が置かれた。
◇
放課後、三人で駅へ向かう。
冷たい風が道を抜け、陽華はコートの前を少し押さえた。
昼にコンクールの話をしたせいか、いつもの街が少し違って見える。
道路沿いの建物。
店先に並ぶもの。
行き交う人。
冬の空。
何度も歩いてきた道なのに、絵にするならどこを見るだろうと考えてしまう。
駅が近づき、銀色の時計が見えてくる。
文化祭のために何度も観察した場所だった。
あの頃とは空の色も、木々の色も違っている。
「こうやって見ると、描けそうなところ結構あるね」
陽華が言う。
「探すつもりで見ると違いますね」
「いつも見てるのに」
ミオが駅前を見回す。
陽華も足を止めずに周りを見る。
まだ描く場所は決まっていない。
出すと決めたわけでもない。
それでも、さっきまでただの帰り道だった街の中に、いくつもの候補が見え始めていた。
三人はそれぞれ違うところを見ながら、駅へ向かって歩いていった。




