第54話『冬、冷えゆく日々』
第54話『冬、冷えゆく日々』
朝の空気は、秋の終わりよりもずっと冷たくなっていた。
陽華はコートの前を押さえながら、学校へ向かう道を歩いていた。
駅へ続く通りには、いつの間にかイルミネーションの飾りが増えている。
街路樹には細い電飾が巻かれ、店先にも星や雪の形をした飾りが下がっていた。
朝の今はまだ灯っていない。
冷たい風の中で見ると、それらも少し寂しく見えた。
陽華は白くなった息を吐く。
季節が変わったことは、もう疑いようがなかった。
最近は、一人で学校へ向かうことも増えた。
以前なら途中で遥斗やミオと一緒になることもあった。
昼も放課後も、自然に三人でいることが多かった。
玲奈が加わってからは四人になった。
けれど今は、四人どころか三人でいる時間まで減っている。
玲奈は、あれから食堂へ来ていない。
遥斗も毎日一緒にいるわけではなくなった。
話しかければ普通に返してくれる。
避けられているとは言い切れない。
それでも、前より少し遠い。
冷たい風が頬に当たり、陽華は顔を少し伏せた。
(私、何かしたのかな)
何度か浮かんでは消えなかった考えだった。
玲奈にも。
遥斗にも。
自分では気づかないところで、何か嫌なことを言ったのかもしれない。
文化祭の前後を思い返しても、これだと思えるものは見つからない。
玲奈とは普通に話していた。
遥斗とも、いつも通りだったはずだ。
だから余計に分からなかった。
(考えても分からないんだけどな)
陽華は顔を上げる。
学校へ続く道の先に、人の姿が見えた。
見覚えのある髪が揺れる。
少し歩く速度を上げると、向こうもこちらに気づいた。
「陽華さん」
ミオだった。
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます」
ミオが少しだけ歩みを緩める。
陽華が隣に並ぶと、また二人で歩き始めた。
「寒くなったね」
「はい」
「朝つらくない?」
「少し」
「私は布団から出るまでが長くなった」
「陽華さん、前もそんなこと言ってませんでした?」
「言ったかも」
陽華が笑う。
ミオも少し笑った。
冷えていた空気の中で、そのやり取りだけは以前と変わらなかった。
陽華の肩から少し力が抜ける。
最近、ミオと二人でいることが増えた。
以前も二人になることはあった。
けれど今は、誰かが途中から加わることを待っているような時間が長い。
そのまま誰も来ないことも増えた。
陽華はそれを寂しいと思う。
それでも、ミオが変わらず話しかけてくれることには少し救われていた。
◇
昼休みが近づく頃、ミオは時計を見た。
授業が終わると、教室の中が少しずつ騒がしくなる。
陽華も机の上を片付け始めた。
ミオは少し迷ってから声を掛ける。
「陽華さん」
「ん?」
「今日も食堂行きますか?」
「うん、そのつもり」
陽華が鞄へ手を伸ばす。
「ミオちゃんも行く?」
「はい」
返事をしながら、ミオは少し安心した。
以前なら聞くまでもなく一緒に向かっていた。
今は、確認しておきたかった。
陽華が今日は一人で食べると言うかもしれない。
誰かと別の場所へ行くかもしれない。
そんなことまで考える自分に、ミオ自身も少し戸惑っている。
食堂へ向かう途中、陽華が教室の出口で一度振り返った。
遥斗の姿を探したように見えた。
けれど遥斗は別の生徒と話していて、こちらへ来る様子はない。
「遥斗さん、今日は来ないかな」
「……どうでしょう」
「最近、来たり来なかったりだよね」
「はい」
陽華はそれ以上言わず、廊下へ出た。
ミオも隣を歩く。
玲奈が来なくなった。
遥斗も以前ほど一緒にいなくなった。
四人だった時間が、少しずつほどけていく。
ミオは前を歩く陽華を見る。
この人までいなくなったら。
そこまで考えただけで、胸の奥がひやりとした。
(陽華さんまで離れたら、嫌だ)
以前は四人のままでいたかった。
今はもう、その四人が戻ってこない。
だからせめて、陽華だけは。
ミオはその先を考えるのをやめた。
◇
食堂のテーブルには、二人だけが座っていた。
陽華は向かいの空いた席を見る。
玲奈が座っていた椅子。
その隣も空いている。
遥斗が座ることの多かった場所だった。
「今日は二人だね」
「はい」
陽華は苦笑する。
「前は三人で、途中から四人になって」
「はい」
「今度は二人か」
冗談っぽく言ったつもりだった。
けれど口にすると、思っていたより寂しく聞こえた。
ミオも何も言わない。
陽華は箸を持ったまま、少し視線を落とす。
「なんかさ」
「はい」
「最近、みんな忙しいのかな」
ミオは陽華を見る。
「玲奈ちゃんも来ないし、遥斗さんも前より一緒にいないし」
「……そうですね」
「私、何かしたのかな」
ミオの手が止まった。
「え?」
「いや、別に思い当たることないんだけど」
陽華は笑おうとする。
「二人とも文化祭のあとからちょっと変わった気がして」
「陽華さんは何もしてないと思います」
「そうかな」
「はい」
ミオの返事は思ったより早かった。
陽華が少し驚いて顔を上げる。
ミオ自身も、自分の声が強くなったことに気づいた。
「少なくとも、私はそう思います」
陽華はしばらくミオを見る。
それから小さく笑った。
「ありがとう」
「……はい」
その一言だけで、ミオの胸の奥に残っていた冷たいものが少しだけ和らぐ。
陽華は自分の言葉を受け取ってくれた。
まだ、ここにいる。
◇
放課後。
陽華が鞄を持って立ち上がるのを見て、ミオも荷物をまとめた。
少しだけ迷ってから、声を掛ける。
「陽華さん」
「ん?」
「今日、一緒に帰れますか?」
陽華が目を瞬かせる。
「うん、帰ろう」
「はい」
その返事を聞いて、ミオはほっとした。
陽華はそんなミオの様子に気づかず、コートを手に取る。
二人で校舎を出る。
朝よりも空気は冷たくなっていた。
空も少し暗くなり始めている。
学校から駅へ向かう道を歩くと、朝は消えていた街路樹の電飾が一つずつ灯り始めていた。
「あ」
陽華が足を少し緩める。
「朝は点いてなかったのに」
「もう点いてますね」
「冬って感じする」
白や黄色の小さな光が、道の先まで続いている。
店先の星も、雪の形をした飾りも光っていた。
冷たい空気の中で、その光だけがやけにあたたかく見える。
「きれいですね」
「うん」
陽華は少しだけ笑った。
その横顔を見て、ミオも前を向く。
玲奈はいない。
遥斗もいない。
少し前なら、四人でこの道を歩くこともあったかもしれない。
今は二人だった。
ミオはそれを寂しいと思う。
それでも、隣に陽華がいる。
(今日は、一緒に帰れる)
それだけで安心する自分がいた。
陽華も、隣を歩くミオを見る。
玲奈のことはまだ分からない。
遥斗がどうして少し遠くなったのかも分からない。
自分が何かしたのかという考えも、完全には消えていない。
それでもミオは、今日も隣にいる。
「ミオちゃん」
「はい?」
「明日も寒そうだね」
「そうですね」
「また朝会ったら一緒に行こうか」
「はい」
ミオの返事が少しだけ明るくなる。
陽華は前を向いた。
吐いた息が白くなり、すぐに夜の空気へ消えていく。
街には光が増えていた。
二人はその光の続く道を、並んで歩いていった。




