第51話『やっぱり』
第51話『やっぱり』
玲奈は少し前を歩きながら、何度か口を開きかけた。
後ろから遥斗の足音がついてくる。
展示のある場所から離れるにつれて、行き交う人の姿は少なくなった。
文化祭のざわめきはまだ聞こえているのに、さっきまでより遠く感じる。
玲奈は人の少ない廊下の端で足を止めた。
遥斗も少し遅れて立ち止まる。
「ここでいいんですか?」
「うん」
振り返ると、遥斗はいつもと変わらない顔でこちらを見ていた。
何を話すのか、本当に分かっていないらしい。
玲奈は一度息を吸った。
二人で展示を回った時のことが浮かぶ。
自分が見つけた肩の向きを遥斗が一緒に見てくれたこと。
遥斗が足元を見つけて、自分にはなかった見方を教えてくれたこと。
小さなクロッキー帳に描いた絵を覚えていてくれたこと。
一緒に笑った。
もう少し回ろうと言ったら、遥斗は頷いてくれた。
今日ずっと、それが嬉しかった。
だから言おうと思った。
それなのに、四人に戻ってから何度か見てしまった。
陽華が話している時の遥斗。
陽華が笑った時、その顔を見ていた遥斗。
さっき『日常』の前でも、二人は顔を見合わせて笑っていた。
玲奈は指先を軽く握った。
(違ったらいいのに)
胸の中に浮かんだ言葉を、そのまま押し込む。
確かめるために呼び出したわけではない。
言わないまま終わる方が嫌だった。
玲奈は遥斗を見る。
「遥斗さん」
「はい」
「私ね」
声が少しだけ止まる。
遥斗は何も言わずに待っていた。
玲奈はもう一度息を吸った。
「遥斗さんのことが好き」
言ってしまうと、思っていたより短かった。
遥斗の目が少し大きくなる。
すぐに返事はなかった。
その沈黙が長く感じて、玲奈は笑おうとした。
「急にごめん」
「いえ……」
遥斗が言葉を探すように視線を落とした。
玲奈はその顔を見ながら待った。
怖かった。
それでも、まだほんの少しだけ期待していた。
今日一緒に回った時間は、自分だけが楽しかったわけではないと思いたかった。
遥斗が顔を上げる。
「今日、玲奈さんと一緒に回ったの、楽しかったです」
「……うん」
「俺だけだったら気づかなかったところもあったし、話しながら見るのも面白かったです」
玲奈の胸の奥が少しだけ熱くなる。
けれど遥斗の言葉は、そこで終わらなかった。
「でも、好きな人がいます」
熱くなったところが、そのまま冷えていく。
分かっていた気がした。
さっき初めて思ったわけではない。
遥斗が陽華を見ることは、前から何となく気になっていた。
それでも今日、二人で回れた。
遥斗も笑っていた。
自分の絵を覚えていてくれた。
だから、もしかしたらと思った。
玲奈は唇を少し噛んでから、遥斗を見る。
「……陽華さん?」
遥斗の表情が止まった。
それだけで、返事を聞く前から分かってしまった。
それでも玲奈は待った。
「……はい」
小さな返事だった。
「そっか」
声はちゃんと出た。
玲奈は笑おうとした。
「やっぱり、そうなんだ」
そこまで言ったところで、視界が滲んだ。
慌てて顔を伏せる。
一滴落ちてから、自分が泣いていることに気づいた。
「玲奈さん」
「ごめん」
手の甲で目元を拭う。
止めようと思ったのに、また涙が出た。
「泣くつもりなかったんだけど」
笑って言いたかったのに、声が少し震えた。
遥斗は何か言おうとして、結局黙った。
玲奈にも、何を言ってほしいのか分からなかった。
好きじゃないなら仕方がない。
遥斗が悪いわけではない。
陽華が悪いわけでもない。
今日一緒に回ったことだって、本当に楽しかった。
だから余計に苦しかった。
玲奈は何度か目元を拭ってから、息を整えた。
「私、今日は帰るね」
「え?」
「ちょっと、このままみんなのところ戻るの無理かも」
遥斗が困ったように玲奈を見る。
「一人で大丈夫ですか?」
「大丈夫」
「でも」
「今は一人で帰りたい」
玲奈がそう言うと、遥斗は口を閉じた。
少しして、小さく頷く。
「……分かりました」
玲奈は自分から言い出したことを思い出す。
「打ち上げ、ごめん」
「それは気にしないでください」
「うん」
また泣きそうになって、玲奈は顔を逸らした。
「じゃあ、またね」
遥斗の返事を待たずに歩き出す。
足を止めたら、また泣いてしまいそうだった。
後ろから追ってくる足音はなかった。
それでよかったと思う。
それなのに、少しだけ寂しかった。
◇
玲奈の姿が見えなくなっても、遥斗はしばらくその場に立っていた。
告白されるとは思っていなかった。
玲奈と一緒に展示を回った時間は本当に楽しかった。
だからこそ、曖昧な返事はできなかった。
陽華が好きだと自分で分かったばかりなのに、その気持ちをなかったことにもできなかった。
それでも、玲奈が泣いた顔は頭から離れなかった。
遥斗は小さく息を吐き、来た道を戻った。
『日常』のところまで戻ると、陽華とミオがまだそこにいた。
先に気づいた陽華が遥斗の後ろを見る。
「玲奈ちゃんは?」
遥斗は一瞬答えに詰まった。
玲奈が自分に告白したことを、本人のいないところで話すわけにはいかない。
少しだけ考えてから口を開く。
「途中で親御さんから連絡があったみたいで、急いで帰りました」
「そうなんだ」
陽華が少し残念そうに玲奈が歩いていった方を見る。
「打ち上げ、四人で行く予定だったのにね」
「……そうですね」
遥斗が答える。
その横で、ミオは何も言わなかった。
ただ、遥斗の顔を見ている。
遥斗はその視線に気づきながらも、何も付け足さなかった。
さっきまで四人で立っていた場所には、今は三人しかいなかった。




