第44話『日常』
第44話『日常』
「もうちょっと右」
玲奈の声に合わせて、遥斗と陽華が絵を少し動かす。
「このくらい?」
「行きすぎたかも」
「玲奈さん、さっきから細かくないですか?」
「だってここで見るんだよ?」
遥斗が苦笑する。
ミオは少し離れたところから絵を見ていた。
「今くらいでいいと思います」
「ミオちゃんがそう言うならここかな」
「俺たちの意見は?」
「聞いてるよ」
「採用されてないだけですね」
陽華が笑う。
四人が完成させた絵は、文化祭へ向けて自分たちに割り当てられた展示場所へ運ばれていた。
描いている間は何度も近くから見て、離れて見てを繰り返した一枚だったのに、こうして展示する位置に置くと少し違って見える。
「高さはどう?」
陽華も少し離れる。
「私はこれくらいで見やすいと思う」
「上すぎない?」
「大丈夫だと思います」
ミオが絵の前を何歩か移動しながら見る。
玲奈もその隣へ並んだ。
「じゃあ、これでいこうか」
「やっと決まりましたね」
「遥斗さんが文句言うから」
「俺、ほとんど言ってないですよ」
位置が決まると、四人は改めて絵の前へ並んだ。
駅前の景色の中に人がいて、木々があり、その間に銀色の時計が立っている。
教室で完成を確認した時と同じ絵のはずなのに、今は少しだけ自分たちのものではなくなったように見えた。
「なんか急に作品っぽくなった」
玲奈が言う。
「完成してましたけどね」
「分かってるって」
「でも、ちょっと分かるかも」
陽華も絵を見る。
「描き終わった時とは違う感じする」
「見る側になったからじゃないですか?」
ミオが言う。
「見る側?」
「今までは描くために見てたので」
「ああ、なるほど」
遥斗が少し離れて絵を見る。
「確かに、完成した時より完成した感じしますね」
「それ私が言いたかったやつ」
「先に言えばよかったじゃないですか」
「今言おうとしてたの」
玲奈が遥斗を軽く睨み、すぐに笑った。
◇
展示する位置が決まり、残っている準備を確認していた時だった。
玲奈がキャプションへ目を落として動きを止める。
「……あれ?」
「どうしたの?」
陽華が覗き込む。
玲奈が指した先には、作品名を書くところがあった。
「タイトル決めてない」
「あ」
遥斗も声を漏らす。
「そういえば決めてなかったですね」
「ずっと描くことしか考えてなかった」
「どうします?」
ミオに聞かれ、四人でもう一度絵を見る。
玲奈が腕を組む。
「駅前だから……駅前?」
「そのまますぎません?」
「じゃあ遥斗さん考えて」
「急に振りますね」
遥斗も少し考える。
「街とか」
「それも広くない?」
「玲奈さんに言われたくないです」
「私は最初に案出したから」
陽華は二人のやり取りを聞きながら、絵を見た。
駅がある。
時計がある。
人が歩いている。
木々や花があって、建物が並んでいる。
特別な日を描いたわけではない。
四人で実際に見に行った、いつもの駅前だった。
「『日常』とかでいいんじゃない?」
三人が陽華を見る。
「日常?」
「うん。普通の駅前だし」
「……シンプルですね」
遥斗がもう一度絵を見る。
「でも合ってるかも」
「私もいいと思います」
ミオが言う。
玲奈も絵と陽華を交互に見た。
「うん。いいんじゃない?」
「じゃあ決まり?」
「決まりでしょ」
玲奈が笑う。
「『日常』ね」
作品名のところへ、その二文字が入る。
陽華は文字と、その上にある絵を見比べた。
さっきまで名前のなかった一枚に、短い名前が付いた。
◇
準備が一通り終わる頃には、周りにも展示を整えている学生が増えていた。
少し離れたところで作品の位置を確かめる人や、キャプションを見直している人もいる。
陽華たちも最後にもう一度、自分たちの展示を見ることにした。
「曲がってないよね?」
「大丈夫です」
「ほんと?」
「玲奈ちゃん何回目?」
「だって気になるじゃん」
陽華が笑う。
遥斗も少し離れて確認する。
「大丈夫ですよ」
「二人が言うならいいか」
玲奈がようやく納得する。
その隣で、ミオは黙って絵を見ていた。
「ミオちゃん?」
陽華が声をかける。
ミオは少し遅れてこちらを見る。
「はい」
「どうしたの?」
「……明日から、知らない人も見るんですよね」
「うん」
一般公開になれば、学校の学生だけではなくいろいろな人が作品を見る。
陽華自身もそう考えると少し落ち着かない。
ミオはもう一度『日常』へ視線を戻した。
「緊張する?」
「少し」
ミオは短く答えた。
それから少しだけ間を置く。
「でも、一人の絵じゃないので」
「そっか」
陽華はそれ以上聞かなかった。
玲奈がミオの隣へ来る。
「変なこと言う人いたら私が怒るよ」
「玲奈さんが先に怒るんですか?」
「四人のなんだから当然でしょ」
「それだと玲奈さんの絵でもあります」
「だから怒っていいじゃん」
「そういうことですか?」
ミオが少し笑う。
遥斗もそのやり取りを聞いて笑っていた。
「まあ、せっかく作ったんだし、いっぱい見てもらえた方がいいですよね」
「そうだね」
「明日、人いっぱい来るかな」
「一般公開ですし、来るんじゃないですか」
「楽しみになってきた」
玲奈が展示された絵を見る。
陽華も同じ方向へ目を向けた。
駅前の景色の下には、さっきまでなかった作品名がある。
『日常』
四人で作った一枚は、もう描くための場所にはなかった。
明日から誰かが見る場所に置かれている。
陽華は少しだけ名残惜しいような、不思議な気持ちで絵を見た。
それから三人と一緒に、その場を離れた。




