第40話『27歳』
第40話『27歳』
日曜日の駅前は、平日より少しだけ人の流れがゆっくりしていた。
陽華が銀色の時計へ近づくと、その下にはすでに玲奈とミオがいた。
時計の表面には青い空と駅前の木々がぼんやり映り込んでいる。
「おはよう」
「陽華さん、おはよう」
「おはようございます」
陽華が二人の隣へ並ぶ。
玲奈は何度か駅の方を見ていた。
「まだ時間前だよ」
「分かってるよ」
「さっきからずっと見てます」
「ミオちゃんは言わなくていいの」
陽華が笑う。
少しして、駅の方から遥斗が歩いてきた。
三人に気づくと、遥斗も小さく手を上げる。
「おはようございます」
玲奈が待っていたように一歩前へ出た。
「遥斗さん、誕生日おめでとう!」
「おめでとう、遥斗さん」
「おめでとうございます」
「ありがとうございます」
遥斗が少し照れたように笑う。
「二十七歳ですね」
「ミオちゃん、年齢まで言わなくていいから」
「事実です」
「そこは強調しなくていいです」
遥斗も苦笑した。
その声を聞いた瞬間、ふと別の声が重なった。
『二十七か』
父に言われた言葉だった。
ほんの少しだけ胸の奥に残っていたものが顔を出す。
けれど目の前では、玲奈がミオへ何か言い返していて、陽華が笑っている。
遥斗も三人を見る。
「それで、今日はどこに行くんですか?」
「それはついてきてからのお楽しみ」
「まだ内緒なんですね」
「ここまで来たんだから最後まで内緒」
「もう集合した時点で半分終わってません?」
「細かいこと気にしない」
玲奈が先に歩き出す。
陽華とミオも続き、遥斗もその後ろを歩いた。
◇
玲奈が三人を連れてきたのは、小さなカフェだった。
遥斗は入口を見てから玲奈へ顔を向ける。
「ここですか?」
「うん。私のおじさんのお店」
「玲奈さんのおじさん?」
「拓真おじさん。美幸おばさんもいるよ」
玲奈が扉を開ける。
店の中へ入ると、カウンターの向こうにいた男性がこちらを見た。
「お、来たな」
「拓真おじさん、おはよう」
「おはようございます」
その奥から女性も顔を出す。
「いらっしゃい」
「美幸おばさん、おはよう」
「今日がお誕生日のお友達ね」
遥斗が少し驚きながら頭を下げる。
「榊原遥斗です。今日はお邪魔します」
「拓真です。玲奈から聞いてるよ」
「美幸です。ゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
四人は店の一角にあるテーブルへ座った。
メニューを開こうとした遥斗へ、玲奈が少し得意そうに言う。
「今日はね、メニューにないものでも材料があればある程度作ってくれるって」
「え?」
「好きなの頼んでいいよ」
「それ、逆に難しくないですか?」
「何でもいいじゃん。食べたいもの」
「何でもって言われても……」
遥斗は少し考えた。
三人も黙って答えを待つ。
しばらくして、遥斗がふと思いついたように口を開いた。
「じゃあ……お好み焼きとか」
「……お好み焼き?」
玲奈が聞き返した。
陽華も思わず遥斗を見る。
ミオも一度瞬きをした。
「はい」
「ここ、カフェだよ?」
「だから無理なら全然いいです」
「いや、そうじゃなくて」
「何でもいいって言ったので」
「言ったけど、お好み焼き出てくると思わないじゃん」
カウンターの向こうから拓真が顔を出した。
「お好み焼き?」
「すみません。無理なら普通にメニューから選びます」
「材料があればいけるけどな」
拓真が少し考える。
すると美幸が奥から口を挟んだ。
「お好み焼き粉なら家にあったと思うわよ」
「あるの!?」
玲奈が思わず声を上げた。
「この間使った残りがあったはず」
「じゃあ美幸、取ってきてくれるか?」
「はいはい」
「そこまでしてもらわなくて大丈夫ですよ」
「すぐ裏だから平気よ」
美幸はそう言って店の奥へ消えていった。
遥斗は玲奈を見る。
「ほんとにいいんですか?」
「私に聞かれても分かんない」
「玲奈さんが連れてきた店ですよね?」
「そうだけど、私もお好み焼き出てくるとは思ってなかったから」
陽華が笑う。
「遥斗さん、本当にお好み焼き好きなんだね」
「好きですよ」
「でも誕生日にカフェで最初に出てくるとは思いませんでした」
ミオが言う。
「ミオさんまで」
「私もです」
少しして、美幸がお好み焼き粉を手に戻ってきた。
「あったわよ」
「本当に持ってきた……」
「玲奈ちゃん、なんでそんな顔してるの?」
「美幸おばさんが一番乗り気じゃん」
「せっかくのお誕生日なんだからいいでしょう」
拓真がお好み焼き粉を受け取る。
「じゃあ作るか」
「ありがとうございます」
「ほら、本日の特別メニュー」
「本当に特別になりましたね」
遥斗が笑った。
◇
しばらくして、四人の前へ料理が運ばれてきた。
遥斗の前には、拓真が作ったお好み焼きが置かれる。
湯気の立つ一枚を見て、遥斗が少し嬉しそうに笑った。
「すごい。本当に出てきた」
「頼んだ本人が一番驚いてどうするの」
「ここまでしてもらえると思ってなかったので」
玲奈がお好み焼きをじっと見る。
「……これ、丸いよね」
「お好み焼きですからね」
「ケーキも丸いじゃん」
「嫌な予感しかしないんですけど」
「ロウソク立てる?」
「お好み焼きにですか?」
「誕生日だし」
「二十七本ですか?」
ミオが聞く。
「多い多い!」
「一本じゃないんですか?」
「なんで急に現実的になるの」
「ロウソクならあるわよ」
美幸が何でもないことのように言った。
玲奈が振り返る。
「あるの!?」
「カフェなんだから、それくらいあるわよ」
「いや、立てなくて大丈夫ですから」
遥斗が慌てて止める。
陽華も笑いながらお好み焼きを見る。
「でもちょっと見てみたいかも」
「陽華さんまで?」
「一本くらいなら」
「立てる流れになってません?」
拓真がカウンターの向こうから笑う。
「食う前に冷めるぞ」
「それは困ります」
「そこなんですね」
玲奈が笑った。
結局ロウソクは立てず、遥斗は箸を入れた。
一口食べると少しだけ目を見開き、すぐにもう一口分を切った。
「……うまいです」
「ほんと?」
「はい。おいしいです」
カウンターの方を見て遥斗が声を上げる。
「拓真さん、すごくおいしいです」
「そりゃどうも」
拓真が笑って返す。
「ほんとに好きなんだね」
玲奈が言う。
「好きですよ。なんでそんな意外そうなんですか?」
「いや、カフェで何でも頼んでいいって言われて、お好み焼き出す人初めて見たから」
「俺も初めて頼みましたよ」
「でしょうね」
「でもおいしそうです」
ミオがお好み焼きを見ている。
「一口食べます?」
「いいんですか?」
「どうぞ」
「私もいい?」
「陽華さんもどうぞ」
「じゃあ私も」
「玲奈さんまで?」
遥斗がお好み焼きを少しずつ分ける。
陽華も一口食べた。
「ほんとだ。おいしい」
「でしょ?」
「なんで遥斗さんが得意そうなの」
「俺が頼んだので」
「作ったの拓真おじさんだからね」
四人で笑った。
それぞれの料理を食べながら、話題は学校のことへ移っていく。
文化祭作品に初めて色を置いた時のことも自然に出てきた。
「少し色が入っただけで全然違ったよね」
「空が入るだけでも結構変わりましたね」
「木もまだ途中だけどね」
「時計は最後の方になりそうです」
ミオが自分の料理を食べてから言う。
「周りの色が増えてからの方がいいです」
「昨日も言ってたね」
「実際に見た時、いろんな色が映ってましたから」
「完成した時どうなるか楽しみだな」
玲奈が言うと、遥斗も頷いた。
「四人で描いてる感じ、前より出てきましたよね」
「最初なんて一本線引くのにも止まってたのに」
「それは言わないで」
「陽華さんから昨日は塗り始めましたけどね」
「そうそう。あれはちょっと驚いた」
「そんなに?」
「前だったら一番最後まで考えてそうだったから」
「玲奈ちゃん、それ褒めてる?」
「褒めてるよ」
陽華も笑いながら料理を口へ運ぶ。
時々誰かが食べる手を止め、話して、また食べる。
四人の皿は少しずつ空になっていった。
◇
食事を終えると、美幸が四人のテーブルへ来た。
「デザートはどうする?」
「ほら、遥斗さん」
玲奈がメニューを遥斗へ渡す。
「まだ食べるんですか?」
「誕生日だから」
「その理屈、万能ですね」
「今日は使っていいの」
遥斗は笑いながらデザートのページを開いた。
写真の並んだページを何度か眺めてから、一つを指す。
「せっかくだから、普段食べないパフェにしようかな」
「いいじゃん」
「誕生日っぽいね」
「じゃあそれですね」
玲奈が満足そうに頷く。
「今日は遠慮しないでよ」
「分かりました」
遥斗が注文を伝える。
美幸が離れていったところで、玲奈がさらっと言った。
「お返しは倍でお願いします」
「何のお返しですか?」
「誕生日」
「倍って何を基準に?」
「そこは遥斗さんが考えて」
「無茶言いますね」
「倍なら二回分ですか?」
ミオが聞く。
玲奈がすぐに振り向いた。
「そういう計算じゃないから!」
「じゃあ何が倍なんですか?」
「だから、それは遥斗さんが考えるの」
「俺に投げましたね」
「誕生日なんだからそれくらいいいでしょ」
「今日祝われる側なんですけど」
陽華は二人のやり取りを聞きながら笑った。
少しして、遥斗が頼んだパフェが運ばれてきた。
思っていたより高さがあり、遥斗が少しだけ目を丸くする。
「結構ありますね」
「お好み焼き食べたあとにそれいける?」
「頼んだ時はもう少し小さいと思ってました」
「写真より大きいですね」
「ミオちゃんもそこ見るんだ」
遥斗がスプーンを持つ。
「じゃあ、いただきます」
「どう?」
「まだ食べてないですよ」
玲奈に言われ、遥斗が笑った。
一口食べてから頷く。
「おいしいです」
「よかった」
「普段食べないんですか?」
ミオが聞く。
「こういうのはあんまり頼まないですね」
「じゃあ今日は特別ですね」
「そうですね」
玲奈が笑う。
「二十七歳になった記念ってことで」
「また年齢言うんですか」
「私はいいの」
「基準が分からないです」
遥斗は笑いながら、もう一口食べた。
「二十七歳になって、何か変わった?」
玲奈が聞く。
「一日で変わらないですよ」
「なんかないの?」
「朝起きたら急に大人になってるとか?」
「もう十分大人じゃん」
「玲奈さんに言われると微妙ですね」
「どういう意味?」
陽華とミオが笑う。
遥斗も笑いながら玲奈を見る。
けれど、二十七という数字を聞いて、またほんの一瞬だけ父の言葉が浮かんだ。
卒業する頃には二十八。
今回が最後。
駄目だった時のことも考えておけ。
遥斗はスプーンを置きかけて、すぐにまた持ち直した。
「遥斗さん?」
陽華に呼ばれて顔を上げる。
「どうしました?」
「いや、ちょっとぼーっとしてたから」
「何でもないです」
陽華は少しだけ遥斗を見たが、それ以上は聞かなかった。
玲奈が別の話を始め、ミオがそこへ口を挟む。
遥斗もすぐにその会話へ戻った。
◇
パフェも食べ終えた頃、玲奈が鞄の中を探り始めた。
陽華には何を出そうとしているのか分かっている。
ミオも玲奈の手元を見ていた。
玲奈は一度取り出しかけて、なぜかまた鞄へ戻す。
「玲奈ちゃん?」
「ちょっと待って」
「何で戻したんですか?」
「ミオちゃん静かにして」
「渡さないんですか?」
「渡すよ」
遥斗が三人を見る。
「何ですか?」
「もう、ミオちゃんのせいで出しにくくなったじゃん」
「私のせいですか?」
「そうだよ」
玲奈はもう一度鞄へ手を入れ、小さな封筒を取り出した。
それを遥斗へ差し出す。
「はい」
「これ、俺に?」
「他に誰がいるの」
「ありがとうございます」
遥斗が封筒を受け取る。
中に入っていたのは、一枚の誕生日カードだった。
開くと、三人それぞれの短い言葉と小さな絵が入っている。
遥斗は一つずつ目で追った。
「これ、三人で作ったんですか?」
「まあ、一応」
「玲奈さんが一番張り切ってました」
「ミオちゃん!」
「本当ですよ」
「今言わなくていいの!」
陽華は笑いながら二人を見る。
遥斗も笑ったあと、もう一度カードへ視線を落とした。
「ありがとうございます」
「大事にします」
玲奈が少しだけ照れたように顔をそらす。
遥斗はカードを封筒へ戻した。
そのまま鞄へ入れようとして、一度手を止める。
中を確認し、折れたり曲がったりしそうなものを少し動かしてから、カードを入れた。
陽華はその様子を見ていた。
何を渡せば喜んでもらえるのか、三人とも最後までよく分からなかった。
それでも、渡してよかったのだと思った。
◇
店を出る時、遥斗は拓真と美幸にも頭を下げた。
「今日はありがとうございました。お好み焼きも本当においしかったです」
「また食いたくなったら来ればいい」
「次はメニューにあるものも食べてね」
美幸が笑う。
「はい」
四人で店を出て、駅前へ戻る。
昼間とは違う光が銀色の時計の表面へ映り込み、空や木々の色も少し変わって見えた。
それぞれが帰る前に、遥斗が三人へ向き直る。
「今日は本当にありがとうございました」
「どういたしまして」
「来年はもっとちゃんと好きなもの聞き出すから」
「今日、お好み焼きが好きなの分かったじゃないですか」
「一個だけじゃん」
「今から聞いておけばいいです」
ミオが言う。
「それじゃ内緒にならないよ」
陽華が笑う。
「でも一年あれば、さすがにもっと分かるんじゃない?」
「それは玲奈さん次第じゃないですか」
「何で私だけなの?」
「一番聞いてましたから」
「遥斗さんまで!」
四人で笑った。
少しして、それぞれ帰る方向へ分かれる。
遥斗は歩きながら、肩に掛けた鞄へ一度だけ目を落とした。
その中には三人からもらったカードが入っている。
父に言われた二十七という年齢も、今日三人から祝われた二十七という年齢も、どちらも変わらない。
遥斗は前を向いた。
二十七歳になった最初の日は、そんなふうに過ぎていった。




