第39話『最初の色』
第39話『最初の色』
放課後、四人は本番用の紙を囲んでいた。
薄い鉛筆の線でできた駅前は、前よりずっと形が見えるようになっている。
駅も人も建物も銀色の時計も、それぞれの場所に収まり始めていた。
その横には、これまで何度も見返してきたスケッチや写真が並んでいる。
そして今日は、その隣に絵具が置かれていた。
陽華は紙と絵具を交互に見た。
鉛筆なら薄く消して描き直すことができた。
けれど、色を置くとなると少し違う。
四人ともすぐには手を伸ばさなかった。
「……また止まったね」
「前もこんな感じでしたよね」
「最初の線の時?」
「はい」
遥斗が紙を見ながら答えた。
玲奈が小さく笑う。
「今度は誰から塗る?」
「玲奈さんからでいいんじゃないですか」
「またそれ言う?」
「前も言った気がします」
「言ってたよ」
陽華も笑った。
あの時は、真っ白な紙に一本目の線を引くことが思っていた以上に難しかった。
今はもう真っ白ではない。
陽華は紙全体を一度見てから、絵具へ手を伸ばした。
「じゃあ、少しだけやってみようか」
三人の視線が陽華へ集まる。
「陽華さんから?」
「うん。ずっと見てても始まらないし」
写真とスケッチを見比べながら、陽華は空の一部へ入れる色を作った。
筆に取ってから、もう一度だけ紙を見る。
それから下描きの上へそっと色を置いた。
薄い青が、白かった場所へ広がる。
ほんの少し塗っただけなのに、紙の印象が急に変わった。
「おお」
「玲奈ちゃん、その反応何?」
「だって色ついた」
「それは見れば分かります」
ミオが言う。
玲奈がミオを見る。
「ミオちゃんはもうちょっと感動してよ」
「してます」
「見えないんだけど」
「色が入ると全然違いますね」
遥斗が少し離れたところから紙を見ている。
「うん。急に絵っぽくなった気がする」
「今までも絵ですよ」
「分かってるよ、ミオちゃん」
四人で笑った。
最初の色が入ってしまうと、さっきまでの迷いも少し薄くなった。
陽華が空の続きを塗り、途中で遥斗へ筆を渡す。
遥斗は写真を確認してから、同じ場所の続きを少し広げた。
玲奈は別の筆を取り、木の辺りを見ている。
「ここも少し入れていい?」
「いいんじゃない?」
「ミオちゃん、どう思う?」
「その辺、全部同じ緑じゃなかったです」
ミオがスケッチを開いて指を置いた。
「日が当たってるところはもう少し明るくて、こっちは影になってました」
「ああ、これか」
「写真でも少し分かるね」
陽華も覗き込む。
玲奈はすぐには塗らず、二つを見比べてから色を少し変えた。
今度は木の辺りへ緑が入っていく。
遥斗がその横から紙を見る。
「こっちまで入れると、建物との境目分かりにくくなりません?」
「じゃあ一回ここまでにする?」
「その方がよさそうです」
玲奈が筆を止めた。
誰がどこを塗るかを決めていたわけではない。
空を陽華が始めても、その続きを遥斗が塗る。
玲奈が木へ色を置けば、陽華も横から見て意見を出す。
ミオも見つけた色を伝えながら、自分でも空いている場所へ筆を入れる。
少しずつ、鉛筆の線の間に色が増えていった。
陽華は一度手を止め、銀色の時計を見る。
まだそこには鉛筆の線しかない。
「時計はどうする?」
「銀色ですよね」
「でも、銀色だけじゃなかったよね」
陽華が言うと、ミオが頷いた。
「空の色も映ってました」
「木の色もあったよね」
「人とか建物も少し」
「じゃあ、後の方がいいですかね」
遥斗が紙全体を見る。
「周りの色がある程度できてからの方が分かりやすそうです」
「私もそう思います」
ミオが時計の線を見た。
「周りができたら、映ってる色も置けるので」
「じゃあ時計はまだ残しとこうか」
「うん」
銀色の時計だけは、線のまま残った。
けれど、その周りには空の青や木々の緑が少しずつ増えている。
四人で少し離れて見ると、まだ色のないところの方がずっと多い。
それでも昨日までとは明らかに違った。
線だけだった駅前に、少しずつ景色が戻ってきている。
「今日はこれくらい?」
「乾かした方がいいところもありますしね」
「じゃあ片づけようか」
四人で使ったものを片づけ始める。
陽華が筆をまとめていると、玲奈が遥斗の方を見た。
「そういえば遥斗さん」
「はい?」
「日曜日って予定ある?」
「日曜日ですか?」
遥斗が少し考える。
「特にないですよ。バイトも入ってないです」
「ほんと?」
「はい」
「じゃあ空けといて」
「やっぱり何かするんですね」
「前からするって言ってるでしょ」
「それは知ってますけど」
遥斗が笑う。
「何するんですか?」
「内緒」
「また内緒ですか」
「当日までね」
「この前ほとんどばれてましたけど」
「細かいことはまだばれてないから」
「決まってるんですか?」
「……それは」
玲奈が一瞬止まる。
ミオが横から口を開いた。
「まだ全部は決まってません」
「ミオちゃん」
「やっぱりですか」
遥斗が笑った。
陽華もつられて笑う。
「でも、日曜日は空けといてね」
「分かりました」
「約束だからね」
「はい」
片づけを終え、四人はもう一度本番用の紙を見る。
空の青と木々の緑が、ほんの少しだけ増えていた。
銀色の時計はまだ鉛筆の線のまま、その中に残っている。
完成まではまだ遠い。
それでも、最初の色はもう置かれていた。
四人は紙を残して教室を出る。
廊下を歩きながら、遥斗が玲奈を見る。
「本当に何も教えてくれないんですね」
「日曜日になったら分かるよ」
「じゃあ聞かないでおきます」
「そうして」
玲奈が満足そうに笑った。
陽華とミオもその後ろを歩いていく。
日曜日の予定だけが決まって、四人はいつものように学校をあとにした。




