第35話『最初の線』
第35話『最初の線』
放課後、陽華たち四人は学校で使える紙を何枚か並べて見比べていた。
大きめのものを選ぶつもりではいたけれど、実際に机の上へ広げてみると印象はそれぞれ違った。
四人で囲んだ時に狭すぎないか、真ん中まで無理なく手が届くかを一枚ずつ確かめる。
陽華が端から端まで目で追っていると、玲奈も紙の向こう側から身を乗り出した。
「これくらいなら四人で描いても狭くなさそう」
「うん。大きいけど、大きすぎる感じもしないかな」
遥斗も反対側から紙を見て、それから隣に置いたもう一枚へ目を移した。
「こっちよりは、今の方が描きやすそうですね」
「私もそっちがいいです」
ミオが迷わず言って、玲奈が笑った。
「じゃあ決まり?」
「いいんじゃないかな」
陽華が答えると、遥斗も頷いた。
本番に使う紙が決まった。
それだけなのに、白い面を見た瞬間、さっきまでただの紙だったものが急に大きく見えた。
四人で作った駅前のラフを紙の端へ置く。
駅前で描いた四人それぞれのスケッチも、その周りに並べた。
玲奈は小さなクロッキー帳を開く。
陽華と遥斗と玲奈が撮った写真も、それぞれすぐ見られるようにしておいた。
四人で作ったラフには駅も人も銀色の時計もある。
実際に見てきた時の線も、色のメモも、写真も揃っている。
それなのに、真ん中に広がった白い紙を前にすると、四人の手が一度止まった。
ラフなら何度も描き直せたのに、本番に使う紙だと思うだけで一本目が少し重くなる。
陽華はどこから置けば全体がまとまりやすいか考え、駅と時計と人の位置を頭の中で動かした。
考えているうちに、最初に引こうと思った線まで分からなくなってくる。
「……誰から描く?」
玲奈が紙を見たまま言った。
「誰でもいいと思いますけど」
「それが一番困るやつじゃない?」
「じゃあ、玲奈さんから」
「今それ言った遥斗さんからでしょ」
二人のやり取りを聞きながらも、陽華の目はまだ白いところを行ったり来たりしていた。
するとミオが紙の端へ手を置いた。
「薄く描けばいいんじゃないですか」
「間違えたら消せますし」
「まだ下描きですから」
あまりにも普通のことを言われて、陽華は一度瞬きをした。
その通りだった。
きれいに決めてから描かなければいけないわけではない。
今までだって、四人で線を足しては変えてきた。
「ミオちゃんに言われると、急に簡単に聞こえる」
「簡単かは分かりません」
「そこは簡単って言ってよ」
玲奈が笑い、遥斗も小さく笑った。
陽華の肩からも少しだけ力が抜けた。
「じゃあ、本当に薄くからやりますね」
遥斗が鉛筆を持った。
紙の上へ、駅の大きな位置が分かる程度の線をゆっくり置いていく。
その近くに銀色の時計を置く場所を小さく印して、一度手を止めた。
「このくらいですかね」
「時計、もう少しこっちでもいいかも」
陽華が指を置くと、遥斗は今の印と陽華が示した場所を見比べた。
「少し動かします?」
「うん。その方が周りも使えそう」
「じゃあ、こっちにします」
最初の印を薄く消し、少しずらしたところへ新しい線が入る。
消した跡はわずかに残ったけれど、さっきほど気にならなかった。
むしろ一度違う場所に置いたから、今の位置の方がしっくりくることが分かる。
遥斗が鉛筆を置くと、今度は玲奈が手を伸ばした。
駅の前を行き来する人たちを思い出すように、いくつか小さな形を置いていく。
まだ顔も服もない、立っている位置が分かるだけの薄い形だった。
「ミオちゃん、ここに人いると詰まって見える?」
「ちょっと近いかもしれません」
「時計と?」
「時計ともですけど、こっちの人とも」
ミオが二つの形の間を指でなぞった。
「もう少し空いてた方が、人が動いてる感じがします」
「じゃあ、この人を少しずらす」
玲奈は自分で引いた線を消して、少し離れたところへ描き直した。
その横から陽華も鉛筆を持つ。
全体を見ながら建物の輪郭を薄く足してみると、今度は右側が少し重く見えた。
「玲奈ちゃん、この辺に人を入れるなら、もう少し内側かな」
「見せて」
玲奈が陽華の隣へ回った。
二人で少し離れて紙を見る。
「うん。そこなら駅の前にも見えると思う」
「じゃあ、一回ここに置いてみようか」
陽華が人の位置を小さく取ると、玲奈がその線を見ながら形を少しだけ変えた。
誰が人物を描くか決めていたわけではない。
必要だと思った人が手を伸ばして、その時見えているものを紙へ置いていく。
しばらくすると、遥斗が駅の線を伸ばしたところでミオへ顔を向けた。
「ミオさん、ここまで伸ばすと時計の周り、狭く見えます?」
「少しだけ」
「やっぱりそう見えますか」
「このくらい空いてた方が好きです」
ミオはそう言って、自分で鉛筆を取った。
遥斗が引いた線の端を少し消し、時計との間に空きを残す位置へ短い線を引く。
「こんな感じです」
「ああ、こっちの方が見やすいですね」
「うん。駅と時計も分かれすぎないし」
陽華が言うと、玲奈も紙を覗き込んだ。
「じゃあ、この辺の人も少し動かせそう」
今度は玲奈が人の位置を直し、遥斗がその近くの建物の線を足した。
ミオはスケッチに書き込んだメモと紙を交互に見て、時計の周りへ小さな印を置く。
陽華も全体を見ているだけではなく、空いているところへ建物の輪郭を足し、さっき自分で置いた人の位置を少し消した。
誰かが引いた線の続きを別の誰かが触ることが、少しずつ普通になっていく。
最初に四人のラフを一枚へまとめた時は、それぞれの線をどう残すか考えていた。
今は、誰の線だったかを確かめる前に、必要なら消して、必要なら足せる。
それでも嫌な感じはしなかった。
むしろ四人で同じ紙を見ていることの方が、線を引いた人の名前より分かりやすかった。
「一回、離れて見ませんか」
遥斗に言われて、四人とも机から少し離れた。
白いところはまだたくさん残っている。
駅も時計も人も建物も、どれも薄い線で場所が見え始めた程度だった。
色はまだ一つも入っていない。
完成した形にはほど遠い。
それでも、最初に広げた時とはもう違って見えた。
「さっきより、駅前っぽい」
「さっきは真っ白だったからね」
「それと比べたら何でも進んで見えます」
「ミオちゃん、たまに厳しいよね」
また四人で笑った。
陽華はもう一度、少し離れたところから紙を見る。
消した線も、描き直した線も残っている。
遥斗が始めた場所へ玲奈の線がつながり、その横をミオが直し、陽華も別のところへ線を足した。
どこからどこまでが誰の線なのか、少し見ただけではもう分からないところもある。
白い紙は、まだ白い部分の方がずっと多かった。
けれど、もう真っ白ではない。
四人で描く一枚が、ようやく本当に始まった気がした。




