第34話『同じ場所』
第34話『同じ場所』
放課後、四人は学校を出て駅へ向かった。
昨日までなら、そのまま帰るために歩いていた道だった。
今日は違う。
文化祭で描く駅前を、もう一度ちゃんと見るためだった。
「毎日見てるんだけどね」
陽華が言う。
「見るのと描くのは違うんじゃない?」
「玲奈ちゃん、もう描く気満々だね」
「そのために来たんでしょ」
玲奈は鞄を軽く叩いた。
中にはいつもの小さなクロッキー帳が入っている。
「今日は人描くんですか?」
遥斗が聞く。
「見るだけで終わるかもしれないけど、描きたくなったら描く」
「多分描きますよ」
ミオが言った。
「なんで分かるの?」
「玲奈さんだからです」
「どういう意味?」
玲奈が笑う。
陽華もつられて笑いながら歩いた。
◇
駅前へ出ると、銀色の時計がいつもの場所に立っていた。
その周りを何人もの人が通り過ぎていく。
駅から出てくる人。
駅へ向かう人。
少し離れたところで立ち止まっている人。
陽華も何度も見てきた景色だった。
待ち合わせをしたこともある。
通り過ぎたことなら、もっと多い。
けれど今日は足を止めて見る。
「思ってたより色々あるね」
陽華が言った。
「何が?」
「建物とか看板とか、人とか」
「そりゃあるでしょ」
「分かってるけど、絵にすると思うと多いなって」
陽華は駅前をゆっくり見渡した。
時計も入れたい。
駅も分かるようにしたい。
人も入れる。
その周りの建物まで全部描いたら、一枚の中がいっぱいになりそうだった。
「全部入れたらごちゃごちゃしそう」
「じゃあ減らせばいいんじゃない?」
玲奈が言う。
「何を?」
「それを今から見るんでしょ」
「あ、そっか」
玲奈はもう人の方を見ていた。
時計の近くでスマートフォンを見ている人がいる。
少し離れたところには、二人で話している人もいた。
駅から出てきた人が、その横を通り過ぎていく。
「こういうのいいな」
「何?」
「待ってる人と歩いてる人が一緒にいる感じ」
玲奈が鞄から小さなクロッキー帳を出した。
「やっぱり描くんだ」
「ちょっとだけ」
ページを開き、鉛筆を動かし始める。
細かく描くというより、人の立ち方や向きを短い線で拾っていく。
「その人描いてるの?」
「そのままじゃないよ」
玲奈は手を止めずに答えた。
「こういう立ち方の人いたらいいなって思って」
「ああ、そっちか」
「そのまま描く必要ないでしょ」
陽華は玲奈のクロッキー帳と駅前を交互に見る。
すでに何人かの形がページに増えていた。
「早いね」
「ずっと見てたらいなくなっちゃうから」
その横で遥斗は、玲奈とは違う方向を見ていた。
少し後ろへ下がり、駅と時計の位置を確かめている。
「ここからだと、時計が結構真ん中に来ますね」
陽華もそちらを見る。
「昨日のラフと違う?」
「ちょっと違いますね」
遥斗はさらに数歩横へ移動した。
「こっちだと駅も入れやすいかも」
玲奈が顔を上げる。
「遥斗さん、どこ?」
「こっちです」
玲奈はクロッキー帳を持ったまま遥斗の方へ行った。
二人で並び、同じ方向を見る。
「あ、ほんとだ」
「時計も端にできますし」
「こっちの方が昨日のに近いかも」
玲奈は少し考えてから、さらに先を見る。
「遥斗さん、あっちからも見てみない?」
「いいですよ」
二人が少し離れた場所へ移動する。
陽華はその様子を見てから、もう一度駅前へ目を戻した。
どこから見ても同じ場所のはずなのに、立つ位置が変わるだけで時計と駅の重なり方が違う。
「陽華さん」
呼ばれて顔を上げる。
遥斗が少し離れたところからこちらを見ていた。
「こっちからどうです?」
「行く」
陽華も二人の方へ向かった。
玲奈が指を伸ばす。
「ここだと時計と駅、両方見えるよ」
「ほんとだ」
陽華はその場から駅前を見る。
さっきまでより時計が少し横へ寄り、駅の入口との間に人が行き来する空間が見える。
「こっちの方がいいかも」
「ですよね」
遥斗が言う。
「人も入れやすい」
玲奈も頷いた。
「ミオちゃんは?」
陽華が振り返る。
少し離れたところにミオがいた。
三人とは違う方向を向いて、銀色の時計を見ている。
「……何してるんだろ」
「時計見てますね」
「それは見れば分かるよ」
玲奈が笑った。
三人でミオのところへ戻る。
「ミオちゃん、何見てるの?」
「時計です」
「うん。それは分かる」
ミオは時計から目を離さなかった。
「銀色って、一色じゃないですね」
「銀色なのに?」
「光が当たってるところと、影になってるところで全然違います」
陽華も時計を見る。
正面から見れば銀色に見える。
けれどよく見ると、明るく光っているところもあれば、少し灰色に沈んで見えるところもある。
「あと、こっち少し色映ってません?」
ミオが時計の一部を指す。
陽華は目を細めた。
「どれ?」
「ここです」
「あ、本当だ」
近くの建物や空の色が、薄く表面へ映り込んでいる。
「そんなところ見てたの?」
玲奈が聞く。
「見えてたので」
「私は全然見てなかった」
「私も」
陽華が言うと、遥斗も時計を見る。
「俺も普通に銀色だと思ってました」
「銀色ではありますよ」
「じゃあ合ってるじゃないですか」
「でも一色じゃないです」
「難しいな」
遥斗が笑う。
ミオは今度は時計から周りへ視線を動かした。
「駅前って、思ってたより色ありますね」
「そう?」
「人の服も違うし、看板もあるし、建物も違います」
ミオが空を見る。
「それに今と、もう少し暗くなってからでも変わりそうです」
「光が?」
「はい」
陽華も空を見上げた。
まだ明るいけれど、昼間とは少し違う。
陽が傾き始め、建物の影も伸びている。
「じゃあ時間も決めないとかな」
「絵の?」
「うん。朝なのか昼なのか夕方なのか」
「それはまだ決めなくてもいいんじゃないですか」
ミオが言う。
「色を考える時に決めれば」
「それもそうか」
陽華は少し安心した。
また一つ決めることが増えたと思ったところだった。
◇
四人は時計から少し離れた場所へ移動した。
人の流れを邪魔しないところで、それぞれスケッチブックや紙を出す。
「少し描いてみる?」
陽華が言う。
「もう描いてるけど」
玲奈がクロッキー帳を見せる。
「玲奈ちゃんはね」
「陽華さんも描けばいいじゃん」
「描くよ」
陽華もスケッチブックを開いた。
遥斗とミオもそれぞれ鉛筆を持つ。
同じ駅前を見る。
陽華はまず時計を置く場所を決めた。
その後ろに駅を入れる。
人も必要だと思って小さく置いていく。
けれど描けば描くほど、周りのものも気になってくる。
建物。
看板。
道。
人。
(やっぱり全部は入らないな)
入れるものを増やすより、何を残すかを考える。
時計。
駅。
人。
その三つがあれば、昨日決めたものには近づきそうだった。
隣では遥斗が大きな線から描いている。
駅と時計、その間にある空間を先に取っていた。
少し離れたところでは、玲奈のクロッキー帳に人が増えていく。
ミオの紙には時計の輪郭と、その周りに短い書き込みがいくつかあった。
「ミオちゃん、それ何書いてるの?」
「色です」
「鉛筆なのに?」
「後で分からなくなるので」
陽華が覗く。
時計の横に、明るい、灰色、少し青、と短く書かれている。
「絵より文字多くない?」
「今は覚えるためなので」
「なるほど」
しばらく四人とも黙って手を動かした。
人の声や足音が周りを流れていく。
駅から電車が着いたのか、人が一気に増える時もあった。
少しするとまた減る。
同じ場所なのに、ずっと同じ景色ではなかった。
「こんなもんかな」
陽華が鉛筆を置いた。
それをきっかけに遥斗も手を止める。
玲奈とミオも近くへ寄ってきた。
「見せる?」
「いいよ」
四人のスケッチを並べる。
陽華は思わず笑った。
「また全然違う」
玲奈の紙には人が多い。
時計や駅もあるけれど、目に入るのは立っている人や歩いている人だった。
遥斗のスケッチは駅と時計の位置が分かりやすく、周りの空間も広く取られている。
ミオの紙には光の向きや色についての書き込みが多い。
陽華のものは、駅前全体を一つの枠へ収めようとしていた。
「同じ場所見てたんだよね?」
陽華が言う。
「見てたよ」
「俺も駅前描きましたよ」
「私もです」
「でも全然違う」
陽華は四枚を見比べる。
土曜日にも同じことがあった。
あの時は、四枚の違うラフを前にどうすれば一枚になるのか考えた。
でも今は、その時ほど困らなかった。
「これ、全部使えるんじゃない?」
玲奈が言った。
「人は玲奈ちゃんの見ればいいし」
「全体は遥斗さんの分かりやすいですね」
ミオが言う。
「色はミオちゃんのでしょ」
「まだ色塗ってないですけど」
「書いてあるから分かるよ」
陽華が笑う。
「陽華さんのも全体入ってるじゃないですか」
遥斗が陽華のスケッチを見る。
「でも入れすぎな気がする」
「じゃあ減らせばいいんじゃない?」
玲奈が言った。
陽華は一瞬止まってから笑った。
「さっきもそれ言ったね」
「だって同じじゃん」
「確かに」
四枚のうち、どれか一つを選ぶ必要はなかった。
それぞれ見ていたものを持ち帰ればいい。
そのことが、土曜日よりずっと普通に思えた。
◇
スケッチをしまう頃には、駅前へ来た時より陽が傾いていた。
陽華は鞄へスケッチブックを入れながら、もう一度銀色の時計を見る。
さっきより表面の明るい場所が変わっている気がした。
「ミオちゃん」
「はい?」
「時計、さっきと違う?」
ミオも時計を見る。
「違いますね」
「やっぱり?」
「光の当たり方変わってます」
玲奈も時計を見る。
「私には普通に時計だけど」
「私も言われなかったら分からないよ」
「俺もです」
遥斗が言った。
「でも、描く時は分かった方がいいんでしょ?」
玲奈が聞く。
「知らなくても描けますけど、知ってた方が選べると思います」
「選ぶ?」
「どの色にするかとか」
ミオが答える。
陽華はもう一度駅前を見る。
玲奈が見ていた人。
遥斗が見ていた駅と時計の位置。
ミオが見ていた光と色。
自分が気にしていた全体のまとまり。
四人とも同じ場所にいた。
けれど、見ていたものは少しずつ違っていた。
「じゃあ、持って帰るものいっぱいあるね」
陽華が言った。
「スケッチ四枚」
「玲奈ちゃんのは一枚じゃないでしょ」
「バレた?」
玲奈がクロッキー帳を閉じる。
「写真も少し撮っときます?」
遥斗がスマートフォンを出した。
「撮っとこう」
「時計だけじゃなくて全体もお願いします」
「分かってますよ」
遥斗が駅前へスマートフォンを向ける。
玲奈も別の方向を撮り始める。
陽華も一枚だけ写真を撮った。
画面の中には駅と人、その少し横に銀色の時計がある。
昨日まで頭の中にしかなかった景色が、少しずつ材料になっていく。
「これなら、前より描けそう」
陽華が言った。
「次は本番?」
「紙決めてからね」
「そこまだだった」
「忘れないでよ」
四人で笑った。
駅へ向かう人たちの間で、銀色の時計が夕方の光を受けていた。




