第31話『四人で作る』
第31話『四人で作る』
学校が休みの日、陽華は市の文化施設へ向かった。
入口の前まで来ると、玲奈が先に着いていた。
肩から鞄を下げ、スマートフォンを見ている。
陽華が近づくと、玲奈が顔を上げた。
「あ、陽華さん。おはよう」
陽華は一瞬だけ足を止めた。
昨日までなら松澤さんだった。
「おはよう、玲奈ちゃん」
自分で言ってから少しだけ照れくさくなる。
玲奈はすぐに笑った。
「ちゃんと呼んだ」
「昨日言ったの玲奈ちゃんでしょ」
「そうだけど」
「一日で忘れないよ」
二人で笑っていると、少し離れたところから遥斗が歩いてきた。
「おはようございます」
陽華はいつものように返そうとして、ほんの少し迷った。
「おはよう、遥斗さん」
遥斗の足が一瞬止まる。
「……おはようございます、陽華さん」
「なんか変な感じ」
「しますね」
遥斗も笑った。
「遥斗さん、おはよう」
「おはようございます、玲奈さん」
玲奈は満足そうに頷く。
「やっぱりこっちの方がいいかも」
「もう慣れたんですか」
「私は言い出した方だから」
そこへ最後にミオがやってきた。
「おはようございます」
玲奈が先に手を上げる。
「おはよう、ミオちゃん」
「おはようございます、玲奈さん」
ミオは陽華を見る。
「陽華さんも、おはようございます」
「おはよう、ミオちゃん」
次に遥斗へ顔を向ける。
「遥斗さん、おはようございます」
「おはようございます、ミオさん」
四人の間に少しだけ間が空いた。
陽華は三人を順番に見る。
「なんか全員変だね」
「陽華さんもです」
ミオが言った。
「分かってるよ」
「でも、そのうち慣れるでしょ」
玲奈が楽しそうに言う。
「多分ね」
「じゃあ行こっか」
四人は揃って建物の中へ入った。
◇
借りた創作活動室には、大きな机がいくつか並んでいた。
壁際には流しがあり、部屋の隅には椅子が重ねて置かれている。
学校の絵画室ほど道具が揃っているわけではない。
それでも四人で作業するには十分な広さだった。
それぞれ鞄を置き、持ってきた画材やスケッチブックを机へ出していく。
準備が終わると、陽華は机の上を見た。
紙もある。
鉛筆もある。
色をつける道具もある。
けれど肝心なことが一つ決まっていない。
「で、何描く?」
玲奈が言った。
誰もすぐには答えなかった。
「そこからですよね」
遥斗が椅子へ座る。
「昨日、人を入れたいって話はしたけど」
「玲奈ちゃんは人だよね」
「うん。でも四人をそのまま描くのも違う気がする」
「じゃあ何描くの?」
「それを今から考える」
玲奈が笑った。
陽華も椅子を引く。
「一回、それぞれ考えてみる?」
「何をですか?」
ミオが聞く。
「こういうのどうかなって思うのを、とりあえず描いてみるとか」
「何も浮かばなかったら?」
「何かは描こう」
「白紙は駄目ですか」
「それは困る」
ミオが少し笑った。
「じゃあ何か描きます」
四人はそれぞれ紙を一枚取った。
完成させるための絵ではない。
思いついたものを出してみるための紙だった。
陽華も鉛筆を持つ。
四人で一枚。
人。
場所。
同じ画面の中にあるもの。
(難しいな)
小さく四角を描く。
その中へ線を置く。
少し違うと思って消す。
また描く。
隣ではミオの鉛筆がもう動いていた。
玲奈の紙には人らしい形がいくつか増えている。
遥斗は紙全体を見ながら、大きく線を引いていた。
「もう全然違う」
陽華が思わず言う。
「まだ見ないでよ」
「玲奈ちゃんの、人がいるの分かるもん」
「それはいいの」
「何がいいの?」
玲奈が紙を少し隠す。
その向こうで遥斗が笑った。
「始まってまだそんなに経ってないですよ」
「でも違うでしょ」
「俺のまだ線しかないですけど」
「私も似たようなものだよ」
陽華は自分の紙を見る。
一枚の中へ全部を収めようとしているせいか、まだ何も決められていない。
それに比べてミオは、紙の端にいくつか形を描いていた。
一つにつながっているようにも、別々にも見える。
「ミオちゃん、それ何?」
「まだ分からないです」
「描いてる本人が?」
「描きながら考えてます」
「相変わらずだね」
「陽華さんは考えてから描きすぎなんじゃないですか」
「それ先生にも言われたことある」
ミオが少し笑う。
名前で呼ばれたことに、さっきほど違和感はなかった。
◇
しばらくして、四枚の紙が机の中央へ並んだ。
どれもラフと呼ぶのも少し早いくらいだった。
玲奈の紙には何人かの人物がいる。
遥斗の紙は画面を大きく使い、何かの場所を作ろうとしているように見える。
ミオの紙には小さな形や線がいくつも散らばっていた。
陽華の紙は、四角の中をいくつかに分けたような構図になっている。
「本当に全部違うね」
陽華が言った。
「同じ話してたのに」
玲奈も四枚を見比べる。
「でも、玲奈さんの人は入れられそうですね」
遥斗が玲奈の紙を指した。
「ほんと?」
「俺のだと場所ばっかりなんで、人がいた方が分かりやすいかも」
「じゃあ人入れようよ」
「まだ決定じゃないですよ」
ミオが言う。
「ミオちゃん厳しい」
「昨日も決めないまま申し込み書いたじゃないですか」
「それはそうだけど」
陽華は四枚を眺める。
どれか一枚を選べば簡単なのかもしれない。
でも、それでは選ばれなかった三人が、その一枚へ入っていくだけになる。
「全部から取るのは?」
三人が陽華を見る。
「全部?」
「うん。玲奈ちゃんの人とか、遥斗さんの全体の感じとか、ミオちゃんの……これは何だろう」
「分からないです」
「そこはまだ分からないけど」
ミオが自分の紙を見る。
「線とか?」
「そう。それぞれ使えそうなところを取って、一枚にできないかな」
遥斗が四枚を順番に見る。
「四人で描くんだから、その方が共同制作っぽいですね」
「でしょ?」
「でもまとまりますかね」
「それを考えるんじゃない?」
玲奈が新しい紙を一枚出した。
「じゃあこれにやってみようよ」
四人が同じ一枚を見る。
誰が最初に描くのか、また少しだけ止まった。
「陽華さんから?」
玲奈が言う。
「また私?」
「申込用紙も最初だったし」
「関係ないでしょ」
「一番上だから」
遥斗が言った。
陽華はすぐにそちらを見る。
「遥斗さん」
「冗談です」
昨日と同じことを言って、遥斗が笑う。
陽華も少しだけ睨んでから笑った。
「じゃあ遥斗さんから」
「俺ですか」
「言った罰」
「そんな罰あります?」
遥斗が鉛筆を持った。
◇
昼を過ぎる頃には、一枚の紙に何本もの線が増えていた。
完成にはほど遠い。
人らしい形もあれば、場所を決めるための線もある。
途中で消した跡も残っている。
四人で同じ紙を囲んでいたせいで、誰がどこを描いたのか分からなくなっているところもあった。
「お腹空いた」
玲奈が鉛筆を置いた。
「もうこんな時間か」
陽華も時計を見る。
四人はいったん画材を片づけ、施設の休憩スペースへ移動した。
それぞれ持ってきた昼食をテーブルへ広げる。
「名前呼び、もう普通になってきたね」
玲奈がパンの袋を開けながら言った。
「玲奈ちゃんは最初から普通だったじゃん」
「陽華さんも結構普通じゃない?」
「そうかな」
「朝より全然」
遥斗が飲み物を開ける。
「俺はまだ時々、呼ぶ前に考えますけどね」
「遥斗さん、真面目だから」
玲奈が言う。
「呼び方に真面目とかあります?」
「あるんじゃない?」
「ないと思います」
ミオが答えた。
「ミオちゃんに切られた」
「ないものはないです」
陽華が笑う。
「でも遥斗さんって呼ぶと、ちょっと同い年っぽく聞こえるかも」
「二つ下ですけどね」
「分かってるよ」
「しかも、もうすぐ一つ増えますよ」
遥斗がそう言って、陽華を見る。
「え?」
「俺、十月九日誕生日なんで」
陽華が口を開くより先に、玲奈が顔を上げた。
「えっ、十月九日!?」
遥斗が少し目を瞬く。
「はい」
「もうすぐじゃん!」
「まあ、二週間くらいですね」
「何するの?」
「何するって?」
「誕生日」
「いや、別に何もしないですよ」
「なんで?」
「なんでって言われても」
玲奈はもう完全に遥斗の方を向いている。
「せっかくだし何かしようよ」
「何かって何ですか」
「それはこれから考える」
「まだ何もないんじゃないですか」
「今知ったんだから当たり前でしょ」
陽華は二人を見ながら笑った。
「玲奈ちゃん、すごい食いつくね」
「だってもうすぐだよ?」
「そうだけど」
「二週間くらいですね」
ミオが言う。
「ほら、ミオちゃんも」
「私は日数を言っただけです」
「冷静」
遥斗が笑った。
そのあと一度だけ陽華を見る。
「陽華さんは、誕生日とか何かします?」
「私?」
「はい」
「最近は別に何も」
「そうなんですね」
玲奈がすぐに続ける。
「でも遥斗さんのはやろうよ」
「まだ続くんですか」
「続くよ」
「本人置いて進めないでください」
「本人も参加するから大丈夫」
「そういう問題ですかね」
また四人で笑った。
何をするのかは決まらないままだった。
ただ、十月九日という日だけは四人の間に残った。
◇
午後になると、午前より会話が減った。
黙っているから気まずいわけではない。
誰かが線を引き、それを見て別の誰かが少し足す。
違うと思えば声をかける。
消すこともある。
その繰り返しだった。
「遥斗さん、これどう思う?」
玲奈が紙の一角を指した。
遥斗が隣から覗き込む。
「ここですか?」
「うん。人、もう少し小さい方がいいかな」
「今だとちょっと目立ちすぎるかもしれないですね」
「やっぱり?」
「でも小さすぎると玲奈さんの良さが消えそうですけど」
「じゃあこのくらい?」
玲奈が描き直す。
遥斗も横から紙を見る。
陽華は二人の向こうから全体を眺めた。
「そのくらいならいいんじゃない?」
「あ、陽華さんもそう思う?」
「うん。そこだけ大きいと、他が見えなくなりそう」
「じゃあこれでいこう」
玲奈が頷く。
ミオは少し離れたところから紙を見ていた。
「でも、ここ空きすぎてません?」
「どこ?」
「こっちです」
ミオが指したところへ四人の視線が集まる。
「あ、ほんとだ」
「何か入れます?」
「入れるより、こっち動かした方がよくない?」
「じゃあ線ずらす?」
また話が始まる。
一人で描いていたら、こんなに何度も止まらないかもしれない。
自分ならそのまま進めるところで、誰かが違うと言う。
逆に自分が迷っているところを、別の誰かが簡単に進める。
面倒なはずなのに、不思議と嫌ではなかった。
陽華は四人の手が行き来する紙を見る。
(こういうのもあるんだ)
自分の絵ではない。
玲奈の絵でも、遥斗の絵でも、ミオの絵でもない。
まだ何になるのかも分からない。
それなのに少しずつ、一枚の中へ四人のものが増えていく。
◇
夕方が近づき、そろそろ片づけようという話になった。
机の上には、朝にはなかった一枚の紙が残っている。
完成品ではない。
本番に使うものでもない。
何度も消して、描いて、その上からまた線を重ねたラフだった。
「一日やったのに、これだけ?」
玲奈が言った。
「これだけって言ったらかわいそうですよ」
遥斗が紙を見る。
「でも本番、全然描いてないよ」
「何描くか決める日だったと思えば」
「最初よりは決まりました」
ミオが言う。
「最初、何描くかすら分からなかったもんね」
「それ考えたら進んでるか」
「進んでますよ」
陽華はもう一度紙を見る。
朝に四枚並べた時とは違う。
どの線が誰のものなのか、ところどころもう分からない。
「なんか、ちゃんとやった気がする」
陽華が言う。
「何も完成してないですけどね」
「ミオちゃん、それ言わなくていいの」
「でも楽しかったです」
ミオがそう言った。
陽華は少し驚いて見る。
ミオは紙を見たままだった。
「私も」
玲奈が言う。
「俺もです」
遥斗も続く。
陽華は三人を見てから、もう一度一枚の紙へ視線を戻した。
四人で描くのは、思っていたより面倒だった。
思っていたより時間もかかる。
それでも。
「じゃあ、またやろう」
陽華が言った。
「うん」
「はい」
「やりましょう」
四人で使った最初の一枚を残して、片づけを始めた。




