第29話『少し先の話』
第29話『少し先の話』
朝、教室へ向かう途中で、陽華は掲示板の前に人が集まっているのに気づいた。
いつもなら授業の案内や作品募集の紙が並んでいる場所に、見慣れない大きな紙が貼られている。
何人かが立ち止まっていたので、陽華も歩く速度を落とした。
上の方に大きく書かれた文字が目に入る。
(文化祭)
そういえば入学してから、文化祭のことをほとんど考えたことがなかった。
高校の頃なら秋が近づけば誰かが騒ぎ始めていた気がする。
けれどここでは毎日の授業や課題のことばかり考えていた。
掲示には開催についての案内と、その下にいくつかの募集について書かれていた。
作品展示。
企画参加。
物販。
細かい説明までは読まず、陽華は一度だけ全体を眺めた。
「専門学校でも、ちゃんと文化祭あるんだ」
小さく呟いてから教室へ向かう。
扉を開けると、すでに何人かが同じ話をしていた。
「松澤さん、おはようございます」
遥斗が自分の席から顔を上げる。
「おはよう。榊原さん、文化祭の掲示見た?」
「見ました。なんか急に増えてましたよね」
「ね。朝から人集まってた」
「俺も立ち止まりました」
少し離れた席で荷物を出していたミオもこちらを見た。
「飯村さんも見た?」
「はい」
「こういう学校の文化祭って、何するんだろうね」
「作品は出すんじゃないですか」
「やっぱりそうだよね」
陽華は自分の席へ鞄を置いた。
「高校の時とは全然違いそう」
「松澤さん、高校の文化祭って何やりました?」
「何だったかな。クラスで何かやったのは覚えてるけど」
「忘れてるじゃないですか」
「だいぶ前だから」
「俺もそんなに覚えてないですけど」
遥斗が笑う。
陽華も笑ってから椅子を引いた。
「飯村さんは去年でしょ?」
「はい」
「何やった?」
「クラスでは模擬店でした」
「おお、文化祭っぽい」
「ずっと売ってただけですけど」
「それも文化祭だよ」
ミオは少し考えてから頷いた。
その時、始業を知らせる声が教室の前から聞こえ、三人とも話を切り上げた。
◇
午前の授業が終わりかけた頃、先生が前に置いていた資料を一枚持ち上げた。
「最後に一つ、文化祭について話しておきます」
教室の何人かが顔を上げる。
陽華も鉛筆を置いた。
「朝から掲示が出ているので見た人もいると思いますが、今年も文化祭を行います。一般の方も入れるので、家族や友人を呼んでも構いません」
後ろの方から小さな声が上がった。
「今年も作品展示を行います。授業で制作したものについてはこちらで選ぶものもありますが、それとは別に自主作品を出すこともできます」
先生が資料へ視線を落とす。
「一人で作ったものでもいいですし、複数人で一つのものを作っても構いません。ただし展示場所には限りがあるので、希望する場合は期限までに申請してください」
陽華は前を見ながら少し考えた。
自分の作品を学校の外から来た人が見る。
授業で先生や同じクラスの人に見られるのとは、少し違う気がした。
「それから小作品やグッズなどを販売したい人は別に申し込みがあります。詳しい用紙は後ろに置いておくので、興味がある人は持っていってください」
先生はそこで一度教室を見回した。
「展示する人は、当日の前に自分たちで準備もします。作品を置く場所や高さ、キャプションなんかも考えてもらうので、出せば終わりではありません」
誰かが小さく「大変そう」と言った。
その近くで別の誰かが「でも楽しそう」と返す。
陽華も同じことを思った。
(何か出せるかな)
まだ何も浮かばない。
文化祭のために描くのか、今まで描いたものから選ぶのかも分からない。
ただ朝に掲示を見た時より、少しだけ近い話になった気がした。
◇
昼休み、学生ホールへ行くと玲奈は少し遅れてやってきた。
「ごめん、お待たせ」
「大丈夫。まだ食べ始めたところ」
陽華が隣の椅子を引くと、玲奈がそこへ座った。
向かいには遥斗とミオがいる。
玲奈が袋からパンを取り出したところで、陽華は朝から気になっていたことを思い出した。
「錦さんのクラスも文化祭の話あった?」
「あったよ」
「やっぱり同じ?」
「多分。作品出したい人は申し込んでって」
「B組も一緒なんですね」
遥斗が言う。
「うん。合同で何かしてもいいって言ってた」
「合同でもいいんだ」
「クラス違ってても大丈夫みたい」
陽華は少し意外に思った。
A組とB組で授業が分かれていることは多いけれど、文化祭ではそこまで関係ないらしい。
「錦さん、何か出すんですか」
ミオが聞く。
「まだ決めてない。飯村さんは?」
「私もまだです」
「榊原さんは?」
「俺も何も」
「松澤さんは?」
「私も」
玲奈が四人を順番に見た。
「全員決まってないじゃん」
「今日聞いたばっかりだしね」
陽華が笑う。
「共同制作っていうのもあるんですよね」
遥斗がパンの袋を畳みながら言った。
「先生も言ってた。大きいのとか作るのかな」
「一枚の大きい絵とか?」
「それもありそう」
玲奈が遥斗を見る。
「榊原さん、そういうのやってみたい?」
「大きい絵ですか?」
「うん」
「一人だったらちょっと嫌ですけど、何人かなら面白そうですね」
遥斗はそう言ってから陽華の方を見た。
「松澤さん、こういうの好きそうですよね」
「こういうの?」
「みんなで何か作るやつ」
「なんで?」
「なんとなくです」
「なんとなくで決められた」
陽華が笑うと、遥斗も笑った。
「でも、ちょっとやってみたいかも」
「やっぱり」
「そこまで分かってたの?」
「今分かりました」
「後出しじゃん」
二人で笑っていると、玲奈が少しだけ遥斗の方を見ていた。
すぐに手元へ視線を戻し、パンの袋を開く。
「じゃあ四人で何かやったら面白そうだね」
玲奈が言った。
陽華は一度、向かいの二人を見る。
遥斗もミオもすぐには答えなかった。
「四人で?」
「まだ決めるって話じゃなくて。そういうのもできるんでしょ?」
「ああ、そっか」
陽華は先生の説明を思い出した。
複数人で一つのものを作ってもいい。
クラスが違っても問題ないなら、確かに四人でもできる。
「それはちょっと楽しそう」
「ですよね」
遥斗が頷く。
「飯村さんは?」
「何を作るかによります」
「現実的だなあ」
「だって、何も決まってないじゃないですか」
ミオの言う通りだった。
四人でやるとも決めていない。
何を作るのかも分からない。
そもそも全員が文化祭に作品を出すかどうかさえ決めていない。
「じゃあ、考えるだけ考えてみる?」
陽華が言う。
「うん」
「俺はいいですよ」
「私も」
ミオもそう答えた。
それだけで話は一度終わり、四人はそれぞれ昼食へ戻った。
近くの席では別の学生たちも文化祭の話をしている。
何を売るか相談している声や、去年の展示について話している声も聞こえた。
朝までは掲示板に貼られた一枚の紙だった。
今は学校のあちこちで、その話が始まっている。
◇
昼休みが終わり、玲奈と別れて三人で教室へ戻る。
途中の掲示板には、朝と同じ文化祭の案内が貼られていた。
陽華は少しだけ足を緩めた。
「松澤さん?」
先を歩いていた遥斗が振り返る。
「ううん。なんか、ちょっと楽しみになってきた」
「文化祭?」
「うん」
遥斗も掲示を見る。
「俺もです」
隣でミオも足を止めた。
「飯村さんは?」
「まだ何するか分からないですけど」
「それは私たちも同じだよ」
「じゃあ、少しだけ」
ミオが言う。
陽華は笑った。
「少しだけね」
まだ何を出すのかも決まっていない。
四人で本当に何かを作るのかも分からない。
それでも少し先に、今までなかった予定が見え始めていた。
陽華はもう一度掲示を見てから、二人と一緒に教室へ戻った。




