第26話『帰りの買い物』
第26話『帰りの買い物』
それから数日後の昼休み、陽華は学生ホールで空になったパンの袋を畳んでいた。
今日は玲奈も同じテーブルに座っている。
午前中に使ったスケッチブックを思い出し、陽華は手を止めた。
もう紙が数枚しか残っていなかった。
「今日、紙買って帰ろうかな」
「画材屋寄るんですか」
「うん。そろそろなくなりそうで」
「じゃあ、俺も一緒に行っていいですか」
遥斗に聞かれ、陽華は頷いた。
「もちろん。何か買うの?」
「特にはないですけど、少し見たいので」
「飯村さんもどう?」
「今日は帰ります」
「そっか」
陽華は畳んだ袋をまとめてから、玲奈を見る。
「錦さんは? よかったら一緒に行かない?」
「いいね。私も見たい」
「今日、B組も四限まで?」
「うん」
「じゃあ、終わったら入口で待ち合わせよう」
「分かった」
玲奈が頷いた。
陽華も飲み物の蓋を閉め、財布を鞄へ戻した。
◇
午後の授業が終わり、陽華が筆箱をしまっていると、ミオが鞄を肩へ掛けた。
「お疲れさまです」
「うん。また明日ね」
遥斗とも挨拶を交わし、ミオは教室を出ていった。
陽華も残っていた紙をしまって立ち上がる。
遥斗と入口へ向かい、少し待っていると、廊下の向こうから玲奈が歩いてきた。
「お待たせ」
「ううん。行こっか」
三人で校舎を出る。
日なたを歩くとまだ少し暑かった。
陽華が鞄の紐を肩へ掛け直したところで、玲奈が遥斗を見る。
「榊原さん、今日はバイトないの?」
「はい。今日は入ってないです」
「そっか。じゃあ、ゆっくり見られるね」
「そうですね」
遥斗が頷く。
陽華も二人の方を見た。
「見てると、買うもの増えちゃうかもね」
「松澤さんもでしょう」
「私は紙だけだよ」
そう言ったものの、店へ入ればほかにも気になるものがありそうだった。
財布の中身は、昼に確かめたばかりだった。
◇
画材屋へ入ると、陽華は紙の棚へ向かった。
見慣れた表紙を見つけ、いつも使っているスケッチブックを一冊取る。
「それにするの?」
隣から玲奈が覗いた。
「うん。今使ってるのと同じ」
「決まるの早いね」
「今日はね。違うのも気になるけど、慣れてる方が使いやすくて」
玲奈が頷き、少し下の棚へ目を移した。
そこから取り出したのは、陽華のものよりずっと小さなクロッキー帳だった。
「これ、持ち歩くのによさそう」
「外で人を描く時?」
「うん。今の、ちょっと大きいんだよね」
遥斗も横から手元を見る。
「いつも持ってるんですか」
「だいたい。持っていくだけで終わる日もあるけど」
「描かないの?」
「描こうと思って出してたら、その人が立っちゃったりするから」
「ああ」
「せっかく出したのにってなる」
「待って、とも言えないもんね」
「うん」
玲奈が笑った。
スケッチブックを開いた途端に立ち上がられたら、陽華ならそこで諦めてしまいそうだった。
「そういう時は、別の人を描くの?」
「いたらね。いなかったらしまう」
「しまうんだ」
「誰もいなかったらしょうがないし」
確かにそうだった。
陽華が笑うと、玲奈も笑ってから棚へ目を戻した。
「あ、こっちもある」
ひと回り大きいものを取り出し、手に持っていた一冊と並べる。
陽華も棚の値札を見た。
大きさは違うのに、値段は思っていたほど変わらなかった。
「あんまり変わらないんだね」
「これなら、大きい方にしたくなりますね」
遥斗が言うと、玲奈も頷いた。
「いっぱい描けそうだし」
「でも、持って歩くんだよね」
「そう。だから小さいのが欲しかったんだ」
玲奈は小さい方をもう一度眺め、大きい方を棚へ戻した。
「こっちにしよ」
「大きいのはもうあるもんね」
「うん。少しでも鞄を軽くしたい」
陽華は自分のスケッチブックを持ち直した。
買うものはすぐに決まったのに、一緒になって選んでいた。
玲奈が取った小さな一冊も、見ているうちに少し欲しくなる。
ただ、自分が何に使うのかはまだ思いつかなかった。
「松澤さんも欲しくなりました?」
手元を覗き込んでいたのに気づいたのか、遥斗が聞いた。
「ちょっと。でも今日はこっちでいい」
「紙だけですもんね」
「そう。覚えてたんだ」
「さっき聞いたばかりなので」
玲奈が小さく笑う。
「榊原さんは、何か見つかった?」
「まだですね」
「私だけ増えちゃった」
「見つかったならよかったじゃないですか」
「うん。それはそう」
玲奈は選んだ一冊を胸元へ寄せた。
「ほかに見るところある?」
聞かれて、陽華は通路の向こうへ目をやった。
色のついたペンが並んでいる。
黒の隣に並ぶ茶色が、少し気になった。
「あっち、ちょっと見てもいい?」
「うん、私も見たい」
「紙だけじゃなかったんですか」
「買うのはね」
遥斗に答えてから、陽華はペンの棚へ向かった。
二人もついてくる。
近くで見ると、茶色にも何種類かあって、思っていたより赤みの強いものもあった。
陽華は一本を手に取り、隣に立った玲奈へ見せた。
◇
会計を済ませて店を出ると、陽華の袋には予定どおりスケッチブックだけが入っていた。
玲奈は小さなクロッキー帳を買い、遥斗は結局何も買わなかった。
「付き合ってくれてありがとう」
陽華が言うと、玲奈は手に持った袋を少し上げた。
「私も買えたし。誘ってくれてよかった」
「そっか」
「でも、あのペンもちょっと迷った」
「茶色の?」
「うん。松澤さんが見てたやつ」
「私も。買おうかなって思ったんだけど」
もう一度財布を開くところまではいかなかった。
家にあるペンも、まだ使い切っていない。
「松澤さん、結構長く見てましたよね」
「そんなに?」
「錦さんと色比べてたじゃないですか」
「ああ、うん」
そういえば、玲奈が別の一本を取ってきて、どっちがいいかと話していた。
そのあと二人でほかの色も見たのだった。
「見てたら楽しくなっちゃって」
「分かる。私も、もう一本くらいって思った」
玲奈が言う。
陽華は笑いながらスケッチブックの袋を鞄へ入れた。
「紙だけなら、もっと早く帰れてたね」
「俺も見てたので、ちょうどよかったです」
「榊原さん、何見てたの?」
「筆です」
「え、どこの?」
気づかなかった。
玲奈も遥斗の方を向いた。
店を出たところで立ち話をしていた三人は、通りを歩く人を避けて端へ寄る。
それから歩き出しても、遥斗は店の奥にあった筆の話を続けた。
陽華は玲奈と並び、その話を聞きながら鞄の紐を持ち直した。




