第25話『空いている席』
第25話『空いている席』
玲奈と放課後の教室で課題を進めた日から、一週間ほどが過ぎた。
ポスターは先日の授業で提出した。
最後まで少し気になるところはあったけれど、今は出せたことにほっとしている。
家へ帰っても、あの紙を広げて文字の位置を考えなくていい。
昼休み、陽華は学生ホールでたまごサンドの包みを開いた。
隣ではミオも昼食を出していて、向かいの遥斗はおにぎりの包みを外している。
一口食べたところで、横から名前を呼ばれた。
「松澤さん」
顔を上げると、玲奈が買い物袋を持って立っていた。
陽華と目が合うと、遥斗の隣の席を指す。
「ここ、一緒にいい?」
陽華は口の中のものを飲み込んで頷いた。
「うん、どうぞ」
「ありがとう」
玲奈が椅子を引く。
遥斗とミオにも挨拶してから座り、袋からパンと飲み物を取り出した。
「ポスター、あれからどうなった?」
飲み物を置きながら聞かれ、陽華は顔を上げた。
「あの時描き直した方で出したよ」
「そっか。あっち、見やすかったもんね」
「家でもう一回並べて、結局そっちにした」
「また迷ったんだ」
「ちょっとだけ」
玲奈が笑う。
陽華も笑ってから聞き返した。
「錦さんは?」
「人の絵、少し小さくした」
「文字が入らなかった?」
「うん。どうやっても無理だったから」
あの日、紙いっぱいに描かれていた後ろ姿を思い出す。
玲奈もあれから何度か描き直したのだろうか。
「でも、何とか出せたね」
「ほんと。出したらちょっと気が抜けた」
「分かる」
陽華は頷いた。
まだほかの課題もあるけれど、ひとまずあの一枚のことを考えなくて済むだけで違う。
「俺、出す前にまた直したくなりました」
遥斗が言った。
「持っていってから?」
「はい。家ではもういいと思ってたんですけど」
「私も見たよ。しまう前に」
「見始めると気になりますよね」
「だから、途中で見るのやめた」
玲奈がそう言ってパンの袋を開ける。
陽華も、それがよかったのかもしれないと思った。
自分のポスターも、返ってきたらまた違うところが気になりそうだった。
「飯村さん、あのカーテンの色はそのまま使ったの?」
玲奈が尋ねると、ミオは飲み物から口を離した。
「少し変えました」
「そうなんだ」
「大きく描いたら、ちょっと違ったので」
「前にそうなるかもって言ってたね」
ミオが頷く。
陽華ももう一度たまごサンドをかじった。
今度は卵の入っているところまでちゃんと届いた。
玲奈が袋から出したパンを見て、陽華は手を止めた。
丸い表面に細かなパン粉がついている。
「それ、カレーパン?」
「うん」
「私もそれと迷ったんだ。辛い?」
玲奈は一口食べてから、少し考えた。
「ちょっとだけ。私は平気」
「そっか」
「辛いの苦手?」
「すごく辛いのは。どれくらいか分からなくて、こっちにした」
「たまごなら辛くないもんね」
陽華は手元のサンドイッチを見た。
これはこれでおいしい。
でも、玲奈のパンの中に見えるカレーも気になった。
「そっちもよかったなあ」
「両方買えばよかったのに」
「もう一個あるから、三つになっちゃう」
陽華が脇の袋を少し開くと、中にはクリームパンが残っていた。
玲奈が覗き込む。
「あ、甘いのも買ってたんだ」
「見てたら食べたくなって」
「それはあとで食べてもいいんじゃない?」
「今も食べたいんだよね」
玲奈が笑った。
「じゃあカレーパンは次だね」
「うん。そうする」
陽華は袋を戻して、残りのサンドイッチを食べた。
少しして遥斗が、空になったおにぎりの包みを畳みながら言う。
「お腹空いてる時に買うと、多くなりません?」
「なる。全部食べられそうな気がする」
「俺も、あと一個くらいって買ってから、やっぱり多かったなって思うことあります」
「榊原さんも?」
玲奈が遥斗を見る。
「ありますよ」
「余ったらどうするの?」
「帰る前に食べたりします。そこまでには、またお腹空くんで」
「じゃあ、ちゃんと食べるんだ」
「せっかく買ったので」
陽華は自分の袋へ目を落とした。
あとで食べる分まで買ったつもりはなかったけれど、クリームパンを帰る前に残しておくのも悪くない。
そう思いながら取り出すと、ミオが横から見た。
「食べるんですね」
「うん」
「あとにするのかと思いました」
「出したら、やっぱり食べたくなった」
「分かります」
あっさり返ってきて、陽華はミオを見た。
「分かってくれるんだ」
「食べたいから買ったんですよね」
「そう。そうなんだよ」
陽華が頷くと、玲奈も笑った。
袋を開けたクリームパンは、思っていたより柔らかかった。
一口かじると端にはまだクリームがなくて、もう少し先まで食べたくなる。
しばらくは、それぞれ食べる方に戻った。
隣のテーブルから笑い声が聞こえ、誰かが引いた椅子が床を擦った。
玲奈が飲み物を飲んでいる間に、遥斗が午後の持ち物をミオへ確かめている。
陽華は二人の話を聞きながら、パンの袋を少し下げた。
「おいしい?」
玲奈に聞かれ、頷く。
「うん。こっちもよかった」
「それならよかったね」
そう言って玲奈も残りのパンを食べた。
陽華はもう一口食べてから飲み物に手を伸ばす。
さっきまで気になっていたカレーのことは、今はいったん忘れていた。
◇
食べ終わって少し話しているうちに、周りの学生が席を立ち始めた。
陽華も時計を見上げる。
まだ話していられると思っていたけれど、教室へ戻る時間だった。
「そろそろ行こっか」
「そうですね」
遥斗が飲み物の蓋を閉める。
四人で食べ終わった袋をまとめ、椅子を戻した。
学生ホールを出たところで、玲奈が足を緩める。
「じゃあ、私こっち」
「うん。またね」
「またね」
遥斗とミオも挨拶して、玲奈はB組の方へ歩いていった。
陽華は二人と一緒に階段へ向かう。
「お腹いっぱいになりました?」
「なったよ」
遥斗に答えてから、陽華は少し笑った。
「三つ買わなくてよかった」
「あとでお腹空くかもしれませんよ」
「そしたら、その時考える」
階段を上がりながら、玲奈が持っていたパンを思い出した。
少しだけ辛いと言っていた。
次に見かけたら、あっちを買ってみよう。
陽華はそう思って、二人と教室へ戻った。




