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書きかけの僕ら  作者: 黎明の星
1年目秋

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第22話『同じ人を見る』

第22話『同じ人を見る』


翌朝、陽華が大きいデッサン室へ入ると、すでに何人もの学生が集まっていた。

壁際にはイーゼルが寄せられ、その隣に丸椅子が並んでいる。

同じクラスの顔に混じって、廊下で見かけるだけの学生もいた。

陽華は入口から室内を見渡し、窓側にいた遥斗へ近づいた。


「おはよう」

「おはようございます」

「ちゃんと場所覚えてたよ」

「昨日あれだけ話しましたからね」

「忘れると思ってた?」

「来る途中で教えた方がいいかなとは思いました」

「信用ないなあ」


遥斗が笑った。

その隣へ鞄を置いていると、少ししてミオもやって来た。


「おはようございます」

「おはよう。今日は人多いね」

「二クラス分ですからね」


ミオも鞄からクロッキーブックを取り出した。

陽華が鉛筆を用意している間にも学生が入ってきて、部屋のあちこちに顔見知り同士の小さな集まりができていく。

やがて前に立った講師が声をかけた。


「今日は四人一組で人物クロッキーをやるぞ。一人がモデルになって、残りの三人が描く。まずは座った姿を五分ずつな」


周りの話し声が小さくなった。


「全員が一度はモデルをやるように交代してくれ。じゃあ組を作って」


陽華は遥斗とミオを見る。

二人もこちらを向いていた。


「一人足りないね」

「そうですね」


遥斗が辺りを見回した。

陽華も同じクラスの学生たちへ目を向ける。

誰かまだ決まっていないだろうかと思っていると、横から声がした。


「そこ三人?」


振り向くと、髪を後ろでまとめた学生がクロッキーブックを抱えて立っていた。

廊下で何度か見たことのある顔だった。


「うん」

「じゃあ入っていい?」

「あ、うん。どうぞ」


陽華が少し横へ寄ると、その人も鞄を置いた。


「B組の錦玲奈です」

「松澤陽華です」


遥斗とミオもそれぞれ名乗った。

玲奈は三人の顔を順に見て、よろしくと笑う。

陽華も小さく頭を下げた。

四人で近くの丸椅子を四脚集め、モデル用の一脚に向けて残りの三脚を並べる。

陽華は鞄を足元へ寄せ、クロッキーブックを膝に置いた。


「誰からやる?」


玲奈に聞かれ、陽華は遥斗とミオを見た。

二人もすぐには答えない。

どうしようかと口を開きかけたところで、玲奈が自分の鞄にクロッキーブックを置いた。


「じゃあ私からでいい?」

「うん、お願い」

「次は俺やります」


遥斗が続ける。


「その次、私でいいです」

「じゃあ私が最後ね」


ミオの後に陽華も言って、順番が決まった。

玲奈はモデル用の椅子へ座り、体を少し斜めに向けた。

膝の上で手を重ね、顔は前へ向けている。

陽華は頭から足元までを見て、紙の向きを縦にした。


「細かいところを描き込む前に、まず全身が入るように見てな。じゃあ始めるぞ」


講師の声で鉛筆を動かす。

頭の位置と足先の位置を薄く決め、肩から胴へつなげていく。

膝を描き始めたところで、上半身を少し長く取りすぎた気がした。

玲奈を見直し、腰の位置へもう一本線を置く。

窓からの光で頬の片側が明るかった。

その辺りも描きたくなったけれど、まだ片方の脚が途中だった。


(先にこっち)


顔へ向かいかけた鉛筆を戻し、足元まで線を引く。

近くでは遥斗とミオも黙って描いていた。

紙をこする音が重なり、ときどき講師が別の組へかける声が聞こえる。

陽華は玲奈の腕と胴の間を見て、肘の位置を少し直した。


「そこまで」


鉛筆を止めた時、膝の上の手はまだ大まかな形のままだった。


「もう五分?」


思わず声に出すと、玲奈が重ねていた手をほどいた。


「座ってる方は結構長かった」

「そうなの?」

「途中から足の置き方が気になってきて」

「動かせないもんね」


玲奈は立ち上がって足を伸ばした。

入れ替わりに遥斗がモデル用の椅子へ向かう。

陽華は描いたばかりの紙を一度眺めてから、次のページを開いた。


◇


遥斗は両手を膝に置き、背筋を伸ばして座った。

普段より少しだけ肩が張って見える。


「榊原さん、そんなに背中伸ばさなくてもいいんじゃない?」

「普通にしてるつもりなんですけど」

「いつもより硬いです」


ミオにも言われ、遥斗は一度息を吐いた。


「これくらいですか」

「うん。その方がいつもっぽい」


玲奈も遥斗を見てから鉛筆を持った。

開始の声がかかると、三人とも描き始める。

陽華はさっきより早く全体の位置を取った。

今度は脚まで入ることを確かめてから、腕や肩の形へ戻る。

遥斗は肩の力を抜いた後も、膝の上の指をきちんと揃えていた。

そこまで揃えなくてもいいのにと思うと、少しおかしかった。

笑ったら動かしてしまいそうで、陽華は口元を引き締めたまま線を足した。

隣では玲奈の鉛筆が紙の上を滑っている。

顔を上げて遥斗を見る時間も短く、すぐに手が動き始める。

陽華ももう一度遥斗へ目を向けた。

人の描き方を見ているうちに、自分の五分が終わってしまいそうだった。

終了を告げられ、遥斗が膝から手を下ろす。


「思ったより疲れますね」

「でしょ」


玲奈が笑った。

膝から少し持ち上げた玲奈の紙が、陽華の目に入る。

線はそれほど多くない。

けれど背中の伸ばし方や膝に置かれた手が、さっきの遥斗によく似ていた。


(もうこんなに描いてる)


自分の紙を見ると、肩の辺りに迷った線が何本も重なっていた。

陽華はそこを指でなぞりかけてやめ、次のページを開いた。

ミオが椅子へ座るところだった。

無理に姿勢を作ることはせず、膝の上へ手を置いて前を向く。

描き始めてから、陽華はミオの肩が思っていたよりなだらかに下がっていることに気づいた。

普段は顔を見て話すことが多い。

こうして腕や肩のつながりまで見ていると、よく知っている相手なのに気づいていなかったところが出てくる。

陽華は肩から肘へ線を引いた。

ミオの向こうを講師が通り、別の組でモデルをしている学生に声をかける。

自分たちの番が終わるまで、陽華は顔と紙の間で何度も視線を往復させた。


「次、松澤さんですよ」


立ち上がったミオに言われ、陽華は鉛筆を止めた。


「もう私か」

「最後って自分で言ってましたよね」

「描いてると早いね」


クロッキーブックを鞄の上へ置き、モデル用の椅子へ向かう。

座ると、三人がこちらを見た。

遥斗とミオにも、普段こんなにじっと見られることはない。

玲奈とは今日初めて話したばかりだった。

誰かの顔を見れば目が合ってしまい、陽華は視線の置き場に困った。


「これ、どこ見てればいいかな」

「後ろの壁でいいんじゃない?」


玲奈が自分たちの背後を指す。


「人の顔見てると気になるよね」

「そう。それ」


陽華は壁に貼られた掲示物の角を見ることにした。

三人の目を見るよりは落ち着く。

講師の声がして、鉛筆の音が始まった。

座っているだけなのに、手を置いた場所が気になる。

脚ももう少し引いた方が楽だったかもしれない。

さっきまでならすぐに終わっていた五分が、なかなか過ぎなかった。


(錦さんが言ってたの、これか)


足を動かしたくなるのを我慢して壁を見続ける。

三人が顔を上げるたび、視線を向けられていることが分かった。

どんなふうに描かれているのだろう。

確かめたくても、こちらからは紙の裏しか見えない。

やがて残り一分と聞こえ、陽華はもう一分あるのかと思った。


◇


「そこまで。一回りしたら、描いたものを見せ合ってみてくれ」


陽華はすぐに息を吐いた。

肩を下げると、思っていたより力が入っていたことが分かる。


「疲れた」

「分かりました?」


遥斗に聞かれ、陽華は頷いた。


「さっき笑ってごめん」

「俺も人のこと言えないですけどね」


玲奈が自分の絵と陽華を見比べた。


「右肩、少し上がってたよ」

「え、そうだった?」

「うん。こんな感じ」


向けられた紙を覗く。

描かれた陽華の右肩は、左より少し高い。

膝に置いた手も指先が曲がっていて、落ち着かなさそうに見えた。

自分では普通に座っていたつもりだった。


「緊張してるみたい」

「してなかった?」

「してた」

「じゃあ合ってるね」


玲奈が笑った。

陽華も笑いながら、もう一度絵を見る。

顔が細かく描かれているわけではないのに、どこを見ていればいいのか迷っていた時の自分を思い出した。


「錦さん、人描くの早いね」

「そう?」

「榊原さん描いてる時もちょっと見えたんだけど、線少ないのにちゃんと分かるから」


玲奈が前のページを開いた。

遥斗も横から覗き込む。

膝に手を揃えて座った姿が出てくると、陽華はまた少し笑ってしまった。


「そうそう、この手」

「そんなに揃えてました?」

「揃えてたよ」

「座ると置き場がないんですよ」


玲奈は脚の辺りを見て首を傾げた。


「でも脚、少し長くしすぎたかも」

「そこはそのままでもいいです」

「直さなくていいんだ」


陽華が言うと、遥斗も笑った。

ミオは玲奈の紙を少し近くから見ていた。


「よく人物描くんですか」

「うん。人描くの好きなんだ」

「だから早いんですね」

「描いてる数は多いかもしれない」


玲奈は自分の紙を戻し、陽華のクロッキーブックへ目を向けた。


「最初の、見せてもらってもいい?」

「あ、うん」


陽華は鞄の上からクロッキーブックを取り、玲奈を描いたページを開いた。

向けようとした途端、迷って重ねた線が急に気になった。

けれど今さら隠すのも変なので、そのまま見せる。


「こんな感じ」

「あ、結んでるところまで見えてたんだ」


玲奈は自分の後ろ髪へ手を伸ばした。


「横からだったから」

「そっか。自分じゃどこまで見えるか分かんないね」


遥斗とミオも玲奈を描いた紙を開いた。

三枚が並ぶと、どれにも椅子に座った玲奈がいる。

ただ陽華の絵にはまとめた髪がよく見え、遥斗の絵は体と椅子の位置がはっきりしていた。

ミオの絵では膝の上の手に目が行く。


「手、結構描いてくれてるね」


玲奈がミオの紙を覗く。


「指を重ねてるところが気になったので」

「こうしてた?」


玲奈がさっきのように手を重ねた。


「もう少し右の指が出てました」

「ああ、こっちか」


動かされた指を見て、陽華も自分の絵へ目を落とした。

手を描こうとしていたのに、どの指が上になっていたかまでは覚えていなかった。


「飯村さん、そこまで見てたんだ」

「描こうと思ったので」


ミオはそう言って紙を少し持ち上げた。


「でもこっちは間に合ってないです」


脚の片側は薄い線のままだった。

陽華も自分の描き残した手を見る。


「私、逆だ」

「私も五分だと全部は描けないよ」


玲奈が言う。


「どこまで入れるか迷うよね」

「迷ってる間に終わるんだよね」


思わず返すと、玲奈がうんうんと頷いた。

さっきはあんなに早く描いていたのに、迷うこともあるらしい。

陽華は自分の紙をもう一度見た。

直したかった線はそのままだったけれど、見せる前ほど気にならなくなっていた。


◇


その後もポーズを変えながらモデルを交代した。

二巡目に玲奈が座ると、今度は陽華も重ねた指の位置へ目が行った。

けれど手ばかり見ていると、別のところが間に合わなくなる。

肩から腰へ大きく形を取り、足元までつなげてから手へ戻った。

講師が組を回り、学生たちの紙を見ながら短く声をかけていく。

部屋の向こうではモデルの学生が足を組み直し、描いていた同級生から笑い交じりに待ってと言われていた。

休憩を挟んだ後は、一枚にかける時間が二分へ短くなった。

陽華は頭の形を直しているうちに終了を告げられ、思わず紙を見下ろした。


「足までいかなかった」

「私も手が途中」


隣の玲奈が自分の紙を見る。


「二分ってこんなに短かったっけ」

「五分でも短いと思ってたのに」

「座ってる方は二分の方がいいです」


モデルを終えたミオが立ち上がった。

陽華も頷く。


「それはそう」

「じゃあ次、松澤さんですね」

「うん」


今度は椅子へ座ってすぐ、さっき見ていた壁へ顔を向けた。

手は膝の上へ無理なく置き、肩の力を少し抜く。

それでも開始の声を聞くと、また少し体が硬くなるのが分かった。

描く番と座る番を繰り返しているうちに、クロッキーブックには何枚も線が増えていった。

授業の最後に、講師が最初の絵と見比べるように言った。

陽華はページを戻していく。

顔の近くにばかり線が集まった絵もあれば、薄い線でも全身がつながった絵もある。

どれも直したくなるところはあった。

それでも並べて見ると、最初とは少し描き始め方が違っていた。

片づけの声がかかり、陽華はクロッキーブックを閉じた。

四人で使った椅子を壁際へ戻し、足元に置いていた鞄を持ち上げる。


「今日はありがとう」


玲奈が鉛筆のケースをしまいながら言った。


「こちらこそ。入ってくれて助かった」

「また合同になったらよろしくね」

「うん」


入口の方から玲奈を呼ぶ声がした。

玲奈はそちらへ手を上げてから、三人へ向き直る。


「じゃあ、またね」

「またね」

「お疲れさまです」


玲奈は鞄を肩へかけ、呼んだ学生のところへ歩いていった。

陽華はその背中を少し見送った。

後ろでまとめた髪が揺れている。

さっき自分が描いた形だった。

手元のクロッキーブックを開くと、膝に手を重ねた玲奈が座っていた。

朝までは顔を見かけたことがあるだけだったのに、今はこの絵を見ると声まで浮かんでくる。


「松澤さん、行きます?」


顔を上げると、遥斗とミオが鞄を持って待っていた。


「うん。お昼行こっか」

「行きましょう」


陽華はクロッキーブックを鞄へしまった。

二人と一緒にデッサン室を出ると、廊下の先で玲奈が振り返った。

目が合ったので小さく手を上げる。

玲奈も片手を上げて、隣の学生との話へ戻っていった。

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