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書きかけの僕ら  作者: 黎明の星
1年目夏

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18/84

第18話『少し溜まった水の』

第18話『少し溜まった水の』


八月も後半に入ったある日、陽華たちは三人で絵画展を見に行った。

学校の課題というわけではなく、夏休みの間にどこか行こうと話していた中で見つけたものだった。

思っていたより展示は多く、会場を出る頃には三人ともそれなりに歩き疲れていた。


「結構あったね」

「思ってたより広かったです」

「飯村さん、最後の方もずっと近くで見てたよね」

「見たかったので」

「疲れなかった?」

「足は疲れました」

「そこは疲れたんだ」

「歩いてるので」


ミオは当たり前のように答えた。


「何か食べて帰る?」

「俺はいいですよ」

「私も大丈夫です」


向かったのは、以前にも三人で来たファミレスだった。

最初に来たのは夏休みに入る少し前だったけれど、それからも何度か三人で寄っている。

自動ドアが開いて中へ入ったところで、陽華は入口の脇に貼られたポスターに目を止めた。


『8月28日(日) 來玲藍市花火大会』


「あ、これ」


陽華が足を止める。

遥斗とミオも同じ方を見た。


「もうすぐじゃん」

「二十八日ですね」

「日曜日です」


前にここへ来た時にも見たポスターだった。

あの時はまだ先の話で、遥斗のバイトの予定も分からなかった。


「今日、予定決めちゃう?」

「いいですよ」

「俺も大丈夫です」


店員に声をかけられ、三人は席へ案内された。

それぞれメニューを広げて注文を決める。

注文を済ませると、ミオが先に立ち上がった。


「飲み物取ってきます」

「もう慣れたね」

「何がですか」

「ファミレス」

「もう何回来たと思ってるんですか」

「最初はメニュー全部見てたのに」

「初めてだったからです」

「俺も取ってきます」

「じゃあ私も」


三人でドリンクバーへ向かい、それぞれ飲み物を持って席へ戻った。

陽華はグラスを置いて二人を見る。


「で、二十八日どう?」


遥斗はスマートフォンで予定を確認した。


「俺、その日はバイト入ってないです」

「私は何もないよ」


ミオも少し考えてから頷く。


「私も大丈夫です」

「じゃあ三人とも行けるじゃん」

「行きます?」

「行こうよ」


前に見た時は、行けたら行きたいねと言っただけだった。

今度は本当に三人で行ける。


「待ち合わせどうする?」

「会場の近くだと人多そうですよね」

「じゃあ駅前?」

「駅前のどこですか」


ミオに聞かれ、陽華は少し考えた。


「あの銀色の時計あるじゃん」

「ああ、大きいやつですね」

「飯村さんも分かる?」

「分かります」

「じゃあそこで」


遥斗がスマートフォンを持ったまま聞く。


「何時にします?」

「花火の前に屋台も見たいな」

「直前より早めの方がよさそうですね」

「五時くらい?」

「それなら大丈夫だと思います」


ミオも頷いた。


「じゃあ五時ね」


遥斗が画面を操作する。


「八月二十八日、午後五時、駅前の銀色の時計前」

「そこまで入れるの?」

「場所忘れたら困るので」

「時計まで忘れる?」

「忘れないと思いますけど、一応です」


陽華は笑った。


「榊原さんらしい」

「忘れてからじゃ遅いですからね」

「その方がいいと思います」

「飯村さんまで」


料理が運ばれてきてからも、話は花火大会のことへ続いた。

屋台には何があるだろう。

どのくらい混むだろう。

何を食べよう。


「飯村さん、屋台見る?」

「見ますよ」

「何食べる?」

「まだ分かりません」

「たこ焼きとか焼きそばとかあるじゃん」

「あるかもしれませんけど、それを食べたいかは見てから決めます」

「正しいですね」

「榊原さん、そっち側?」

「正しいと思ったので」

「私だけ適当みたいじゃん」

「松澤さんは決めてるんですか」

「かき氷は食べたい」

「まだ暑そうですしね」


その言葉に、陽華はミオを見る。


「飯村さん、花火の日も暑いって言いそう」

「暑かったら言いますよ」

「夜でも?」

「夜でも暑かったら暑いです」

「海の時も最後まで言ってましたよね」


遥斗が言うと、ミオは少しだけ眉を寄せた。


「暑かったので」

「でも一番帰りたがらなかったの飯村さんだったよ」

「帰りたがらなかったわけじゃないです」

「もう少し見たいって言ってたじゃん」

「見たかったので」

「それを帰りたがらなかったって言うんじゃない?」

「違います」

「何が違うの?」

「暑いのは嫌でした」

「そこは別なんですね」

「別です」


真面目な顔で答えるミオを見て、陽華と遥斗は笑った。


◇


店を出ると、昼間より雲が増えていた。

日が沈むにはまだ早いのに、少し空が暗く見える。


「じゃあ私こっちだから」

「俺もそっちです」

「私はあっちです」


ミオは二人とは反対側を指した。


「あ、そっか」

「じゃあまたね」

「はい。また」

「二十八日、五時ですね」

「分かってるって」

「銀色の時計の前です」

「それも分かってる」

「松澤さん、本当に大丈夫ですか」

「何で二人とも私だけ心配するの?」

「榊原さんは予定入れてましたから」

「ちゃんと覚えてるよ」

「じゃあまた」


ミオが小さく手を振った。


「またね」

「また」


そこで三人は二つに分かれた。

駅までは歩いてそれほどかからない。

陽華と遥斗はそのまま並んで歩き始めた。


「飯村さん、本当に花火の日も暑いって言いそう」

「言うでしょうね」

「かき氷食べてる間だけ静かだったりして」

「食べ終わったらまた言いますよ」

「それはありそう」


二人になっても、話していることはさっきまでとほとんど変わらなかった。

少し歩いたところで、陽華は空を見上げる。

さっきより暗い。


「何か、やばくない?」


遥斗も見上げた。


「降りそうですね」

「傘持ってる?」

「持ってないです」

「私も」


駅はもうそれほど遠くない。


「駅まで持つかな」

「持ってほしいですね」


その直後、陽華の腕に冷たいものが当たった。


「あ」


もう一粒が頬に落ちる。


「来ましたね」

「ちょっと待って」


道路に大きな雨粒の跡が一つ、二つと増えていく。

次の瞬間には、その数を追えなくなった。


「うわっ」

「走りましょう」


二人で駅の方へ走り出す。

けれど数歩進んだだけで、髪にも服にも雨が当たり始めた。


「無理無理!」


遥斗が道沿いの建物を指した。


「こっち!」


屋根の張り出した場所まで駆け込み、二人はようやく足を止めた。

その頃には目の前が白く霞むほど雨が降っていた。


「最悪……」


陽華は濡れた髪の毛先をつまむ。


「結構濡れましたね」

「榊原さんもじゃん」

「間に合わなかったです」

「駅もうちょっとなのに」

「この雨で行ったらもっと濡れますよ」

「だよね」


遥斗がスマートフォンを取り出した。

しばらく画面を見てから、少し眉を寄せる。


「しばらく無理そうです」

「えー」

「この辺、まだ雨雲かかってますね」

「タイミング悪すぎ」


陽華は外を見る。

さっきまで乾いていた道路に、もう水が流れ始めている。

車が通るたびに大きく水を跳ね上げていた。


「待つしかないか」

「ですね」


二人はそのまま屋根の下に残った。


◇


最初のうちは話していた。

遥斗の次のバイトのこと。

夏休みの課題のこと。

花火の日は駅もかなり混みそうだということ。

話が途切れそうになると、どちらからともなく別の話が出た。


「飯村さん、海でキャンバス持ってくれば良かったって言ってましたよね」

「言ってたね」

「あれ、本当に描きたかったんでしょうね」

「たぶん」


陽華は帰る直前まで海を見ていたミオを思い出した。

暗くなった海を見たまま、ぽつりと言った言葉だった。


「次行ったら持ってきそう」

「でも荷物増えるって言いそうです」

「言うかな」

「言いません?」

「暑いとは言う」

「それは言いますね」


二人で笑った。

それから少しして、会話がなくなった。

屋根を叩く雨の音だけが続いている。

道路へ落ちる音。

車が水を切って走っていく音。

陽華は何となく隣を見る。

遥斗は普通に外を眺めていた。

スマートフォンを見るでもなく、何か話そうとするでもない。


(何か話した方がいいかな)


一瞬だけそう思った。

二人きりで何も話さず立っているのは、変じゃないだろうか。

何か話題を探した方がいいのかもしれない。

けれど遥斗は別に困っているようには見えなかった。

気まずそうでもなかった。

陽華は外へ視線を戻す。


(……別にいいか)


そのまま黙って雨を見る。

濡れた道路は、降る前よりずっと濃い色になっている。

空は灰色なのに、水たまりまで同じ色には見えなかった。

向かいの建物が映っている。

信号の光も細く伸びている。

雨粒が落ちるたび、映っていたものが丸く崩れてまた戻る。

陽華はその様子をしばらく眺めていた。

昼間の海の青。

夕方に混ざった赤。

暗くなっても残っていた青。

あの時も、最初に思った一つの色だけではなかった。

目の前の水も同じだった。

灰色に見える。

でもよく見ると少し青い。

そこへ建物の色や光が混ざっている。


(飯村さんなら、何色って言うんだろ)


そう思ってから、陽華はもう一度見る。

ミオはここにはいない。

それでもさっきより細かく見える。


(……一色じゃないな)


その時、隣から遥斗の声がした。


「……あの色って、何て名前なんでしょうね」


陽華は遥斗を見る。


(えっ)


遥斗は陽華ではなく、道路の向こうを見ていた。


「どの色?」

「水たまりのところです」


遥斗が少し先を指す。

陽華も見る。

灰色の空を映しているのに、灰色だけには見えない。

少し青くて、建物の明かりが混ざり、雨粒で揺れている。

さっきまで陽華が見ていたところだった。


「……私も今、それ考えてた」


今度は遥斗が陽華を見る。


「同じところ見てました?」

「たぶん」


二人でもう一度水たまりを見る。


「何色なんだろうね」

「分からないですね」

「青って言うには暗いし」

「灰色だけでもないですよね」

「うん」


陽華は少しだけ笑った。


「榊原さんもそういうの見るんだ」

「見ますよ」

「何か意外」

「何でですか」

「何でだろ」


自分でも分からなかった。

遥斗はまた水たまりへ目を向ける。


「飯村さんといるからですかね」


陽華も同じところを見る。


「……かもね」


名前の分からない色が、雨の中で揺れていた。


◇


しばらくすると、屋根を叩いていた音が少しずつ弱くなった。

遥斗が外へ手を出す。


「行けそうですね」

「ほんと?」


陽華も屋根の外を見る。

細かい雨はまだ残っているけれど、さっきまでとは比べものにならない。


「駅までなら行けそう」

「行きますか」

「うん」


二人は屋根の下を出た。

雨上がりの空気は、店を出た時より少しだけ涼しかった。

道路にはまだところどころ水が溜まっている。


「そこ深そうですよ」


遥斗に言われ、陽華は出しかけた足を止めた。


「危な」

「靴まで濡れますよ」

「髪も服も濡れてるのに、靴までいったら完全に負けじゃん」

「何にですか」

「雨に」

「もう結構負けてません?」

「それは言わないで」


陽華は水たまりを避ける。

遥斗もその横を歩いた。

駅まではもうすぐだった。

途中で陽華は、もう一度濡れた道路を見る。

強い雨に叩かれていた水面は、今は静かに空を映している。

灰色。

少し青。

街の明かり。

さっき見た時とも、もう違っていた。

名前は分からない。

でも今は、それでいい気がした。


「松澤さん」

「ん?」

「信号変わりますよ」

「あ、ほんとだ」


陽華は顔を上げた。

遥斗と並んで、駅へ続く横断歩道を渡った。

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