第14話『初めてのファミレス』
第14話『初めてのファミレス』
「バイトの予定、出ましたよ」
放課後、帰り支度をしていた遥斗がスマートフォンを見ながら言った。
陽華は鞄へ筆箱を入れかけた手を止める。
「ほんと?」
「はい。八月の前半なら、ここ空いてます」
「どこ?」
「この辺です」
遥斗が画面をこちらへ向ける。
陽華が覗き込むと、いくつかの日付に勤務時間が入っていて、その中に何も書かれていない日があった。
「私もそこなら多分大丈夫」
「飯村さんは?」
少し離れた席で鞄を閉じていたミオが顔を上げる。
「何日ですか」
「ここ」
「あ、多分空いてます」
「じゃあ三人とも空いてるじゃん」
夏休みにどこかへ行こうという話はしていた。
あの時は遥斗の予定が分からなくて、そのままになっていた。
本当に三人の予定が合いそうだと思うと、陽華は少し嬉しくなる。
「で、どこ行く?」
「それを決めてないんですよね」
「どっかで話す?」
「ここでもいいですけど」
「もう帰る空気じゃん」
周りを見ると、教室に残っている生徒は少なかった。
先生ももういない。
陽華は少し考える。
「ファミレスでも行く?」
「いいですね」
遥斗が頷く。
ミオは何も言わなかった。
「飯村さんは?」
「ファミレスって、駅の近くにあるところですか」
「うん」
「あそこですか」
「知ってる?」
「見たことはあります」
ミオが少し間を置く。
「行ったことないですけど」
「え?」
陽華が思わず聞き返す。
遥斗もミオを見た。
「一回も?」
「はい」
「ファミレス?」
「はい」
「何で?」
「行く機会なかったので」
ミオは二人の反応の方が不思議そうだった。
「そんな珍しいですか」
「珍しいっていうか」
「俺も一回もない人は初めて聞きました」
「そうなんですか」
「じゃあ行こう」
陽華が言うと、ミオが瞬きをする。
「今からですか」
「今から」
「何で急に」
「せっかくだし」
「何がせっかくなんですか」
「初めてなんでしょ」
「そうですけど」
遥斗が笑う。
「飯村さん、連れていかれること決まりましたね」
「榊原さんもそっちなんですか」
「俺は普通にお腹空きました」
陽華は鞄を肩へ掛ける。
「ほら、行こ」
「……はい」
ミオも少し諦めたように鞄を持った。
◇
店へ入ると、冷たい空気が一気に肌へ当たった。
「涼しい」
陽華は小さく息を吐いた。
外を歩いてきただけで首元が少し汗ばんでいる。
三人は案内された四人掛けの席へ座った。
陽華とミオが隣に座り、向かいに遥斗が座る。
テーブルに置かれたメニューをミオが開いた。
「多いですね」
「そこから?」
「こんなにあると思ってなかったです」
「何想像してたの?」
「もう少し少ないのかと」
ミオは一枚ずつページをめくっていく。
ハンバーグにパスタ、ドリア、丼物。
デザートのページまで行ったところで、また最初へ戻った。
「決まらない?」
「見てます」
「最初から全部見るんだ」
「選ぶなら見た方がいいじゃないですか」
「正しいけど」
遥斗はもう決めたらしく、メニューを閉じていた。
「ドリンクバーつける?」
「つけます」
「そこは知ってるんだ」
「名前くらい知ってます」
ミオが陽華を見る。
「何も知らないと思ってません?」
「ちょっとだけ」
「ひどいです」
陽華は笑いながらメニューへ目を戻した。
「で、何にするの?」
「まだです」
「まだ?」
「今デザート見てます」
「ご飯より先に?」
「一応全部見てから決めます」
「真面目だなあ」
結局ミオはドリアを選んだ。
陽華はパスタ、遥斗はハンバーグを頼む。
注文を終えると三人でドリンクバーへ向かった。
ミオは並んだ機械の前で少し止まる。
「これ、何杯でもいいんですよね」
「いいよ」
「混ぜても?」
「いいけど」
「何と何をですか」
「そこまで考えてなかった」
遥斗が笑う。
「飯村さん、試します?」
「嫌です」
「即答ですね」
「初めてなので普通に飲みます」
ミオは少し迷ってオレンジジュースを入れた。
陽華はアイスティー。
遥斗は炭酸飲料を持って席へ戻った。
◇
料理が届く頃には、話は夏休みの予定へ戻っていた。
遥斗がスマートフォンをテーブルの端へ置く。
「じゃあこの日、三人とも空いてるんですよね」
「私は大丈夫」
「私も今のところ大丈夫です」
ミオが答える。
「問題はどこ行くかだね」
「何かあります?」
「うーん」
陽華はフォークを持ったまま考える。
映画。
買い物。
どこかで絵を描く。
どれも悪くはない。
でもせっかく夏休みに会うのなら、少しくらい夏らしいところでもいい気がした。
「海とか?」
「海?」
遥斗が顔を上げる。
ミオの手が止まった。
「暑いです」
「まだ何も決めてないよ」
「海は暑いです」
「それはそうだけど」
陽華が笑う。
「でも海、見るのは好きなんでしょ?」
「見るのは好きです」
「じゃあ見に行こうよ」
「暑いです」
「泳がなくてもいいじゃん」
「え?」
「海行くっていっても、別に海水浴しなくてもいいでしょ」
陽華はフォークを置いた。
「海辺歩いたり、見たりするだけでもいいし」
「暑かったらどっかで休めばいいですしね」
遥斗も続ける。
「飯村さん、海に何か恨みあるんですか」
「ないです」
「じゃあ候補には入れてもいいんじゃないです?」
「榊原さんまで」
ミオはドリアを一口食べる。
「でも、ちゃんと見たことないです」
「海を?」
「はい。見たことはありますけど」
「どっち?」
陽華が笑う。
ミオは少し考えてから答えた。
「車の中からです」
「車?」
「家族で出かけた時に、海沿いを走ったことがあって」
「降りてないの?」
「はい」
「浜辺も?」
「行ったことないです」
「じゃあ本当に窓から見ただけなんだ」
「そうです」
陽華は少し驚いた。
「だったら一回くらい近くで見てみたら?」
「だから暑いんです」
「そこに戻るの?」
「大事です」
「暑かったら休憩しようよ」
「店も探しとけばいいですし」
「場所もちゃんと調べよう」
「誰がですか」
「榊原さん」
「やっぱり俺なんですか」
遥斗が笑う。
「まあ調べますけど」
「ほら」
「何がほらなんですか」
ミオは二人を見てから、少し黙った。
「……ちょっと考えてみます」
「うん」
陽華はそれ以上言わなかった。
考えると言ったなら、考えるんだろう。
今はそれでいい。
遥斗もそれ以上は押さなかった。
「じゃあ飯村さんの返事待ちですね」
「はい」
「一週間くらいかかります?」
「そんなに考えません」
「じゃあ大丈夫です」
「何が大丈夫なんですか」
ミオが少し笑った。
◇
食事を終えても、三人はすぐには席を立たなかった。
陽華は二杯目のアイスティー。
遥斗は炭酸からコーヒーへ変わっている。
ミオもオレンジジュースを飲み終え、今度は紅茶を持ってきた。
「ファミレスどう?」
「普通にご飯食べるところですね」
「感想それ?」
「他に何があるんですか」
「初めてなんだからもっと何かないの?」
「ドリンクバー便利です」
「そこなんだ」
遥斗が笑う。
「結構気に入ってません?」
「涼しいのはいいです」
「やっぱりそこ?」
「夏なので」
話は海から課題へ移り、そこから授業の話へ移った。
途中で誰も話さず、それぞれ飲み物を飲んでいる時間もあった。
陽華はぼんやりテーブルの上を見る。
皿はもう下げてもらって、残っているのは三人のグラスだけだった。
帰ろうと思えば、いつでも帰れる。
でも誰も立たない。
陽華も、別に急いで帰ろうとは思わなかった。
「そろそろ帰ります?」
しばらくしてミオが言った。
「そうだね」
「結構いましたね」
「何時?」
「もうこんな時間ですよ」
遥斗がスマートフォンを見せる。
思っていたより時間が経っていた。
「ファミレスってこうなるんだよ」
「何がですか」
「何となく長くいる」
「そういう場所なんですか」
「多分」
「松澤さんの説明、さっきから多分ばっかりですね」
「いいの」
三人で席を立った。
◇
会計を済ませ、出口へ向かう。
自動ドアの近くまで来たところで、遥斗が足を止めた。
「あれ」
遥斗が見ている壁に、色鮮やかなチラシが一枚貼られていた。
夜空に大きな花火が開いている。
「花火大会だって」
陽華も近づく。
チラシには大きな文字で日付が書かれていた。
『8月28日 來玲藍市花火大会』
「八月二十八日」
「結構先ですね」
ミオがチラシを見る。
「夏休みの終わりの方だね」
「俺のシフト、そこまでまだ出てないです」
「そりゃそうか」
陽華はチラシの花火を見る。
「これも行けたら行きたいね」
「いいですね」
「飯村さんは?」
「花火は暑いですか」
「夜だから海よりはましじゃない?」
「人多そうです」
「そっち?」
「そっちも気になります」
遥斗が笑う。
「まあ、まだ先ですし」
「うん。近くなったら決めよっか」
「はい」
三人は店を出た。
外にはまだ昼間の熱が残っている。
「暑っ」
「やっぱり戻りません?」
「早いよ」
「涼しかったので」
「初ファミレス気に入ってるじゃん」
「涼しいところが好きなだけです」
三人で笑いながら駅へ向かった。
◇
夕食と風呂を済ませたあと、ミオは自分の部屋でスケッチブックを開いていた。
鉛筆を持ってはいるけれど、まだ何も描いていない。
「海かぁ」
昼間の話を思い出す。
暑いのは嫌だった。
人が多いところもあまり得意ではない。
だから海へ行こうと言われた時も、最初に浮かんだのはその二つだった。
でも、車の中から見た海のことも覚えている。
窓の向こうに突然広がった海。
道が曲がると見えなくなって、また少しすると建物の間から見えた。
あの時はただ眺めているうちに通り過ぎてしまった。
ミオは鉛筆を机へ置いた。
(近くで見たら、どんな色なんだろう)
遠くから見えた海は青かった。
でも本当に一つの青だったのかは分からない。
空だって、同じ青には見えない。
上と下でも違うし、光が変われば見え方も変わる。
なら海も、近くで見れば違うのかもしれない。
波が動くたびに光も動く。
浅いところと遠くでも、きっと違う。
(色々な青がありそう)
そう考えると、少し楽しくなった。
車の中から通り過ぎるのではなくて、立ち止まって見てみたい。
近くで波も見てみたい。
空と海が一緒に見えたら、どれくらい違うんだろう。
想像しているうちに、さっきまで気になっていた暑さが少しだけ遠くなった。
(ちゃんと見てみたいな)
今まで自分から海へ行きたいと思ったことはなかった。
でも今は、少し気になる。
陽華と遥斗と一緒なら、それも悪くない気がした。
(行ってみてもいいのかも)
ミオは開いたスケッチブックへ目を戻した。
何か描こうと思って開いたはずなのに、頭の中にはまだ見たことのない海ばかり浮かんでいた。
◇
翌日の昼休み。
陽華が財布を持って立ち上がると、遥斗も席を立った。
ミオが二人のところへ来る。
そのまま三人で教室を出ようとしたところで、ミオが口を開いた。
「昨日の海の話なんですけど」
「うん?」
陽華が振り返る。
ミオは少しだけ間を置いた。
「行ってもいいですよ」
「え?」
遥斗も足を止める。
「海?」
「はい」
「昨日考えるって言ってたよね」
「考えました」
「もう?」
「一晩考えました」
「ちゃんと考えてたんだ」
陽華が笑う。
ミオは少し不満そうに見る。
「考えるって言ったので」
「ごめんごめん」
三人はまた廊下を歩き始める。
「何か行きたくなった理由あるんですか?」
遥斗が聞いた。
ミオは少し考える。
「ちゃんと見てみたいなと思って」
「海を?」
「はい」
それから少しだけ声を小さくする。
「車の中からしか見たことないので」
「そっか」
「近くで見たら、どんな感じなのかなって」
陽華はミオを見る。
昨日はあれだけ暑いと言っていたのに、今日は少しだけ楽しみにしているように見えた。
「じゃあ行こっか」
「はい」
「場所は俺が調べますよ」
「榊原さん任せた」
「やっぱり俺なんですか」
「こういうのちゃんと調べそうだから」
「まあ調べますけど」
「ほら」
「だから何がほらなんですか」
ミオが小さく笑った。
陽華も笑う。
学校のない日に、三人で海へ行く。
昨日まで何も決まっていなかった夏休みの予定が、一つだけ形になった。
陽華は少しだけ、その日が来るのを楽しみに思った。




