第120話『並んだ表紙』
第120話『並んだ表紙』
月曜日の朝、遥斗はスケッチブックを鞄から取り出した。
先週の金曜日に描いた、低い塀と曲がり角のラフが挟まっている。
広げた紙には、道の先まで描いたものと、手前の塀を大きく残したものが並んでいた。
今日はイラストレーションⅡの続きだ。
まだどちらを使うか決めていないが、遥斗は後者の紙を手元へ引き寄せた。
「おはようございます、遥斗さん」
声のした方を見ると、ミオが画材の入った鞄を持って立っていた。
「おはようございます。ミオさんも、今日は前の続きですか?」
「はい。もう少し形を試してみようと思って」
「僕もです。まだ気になるところがあって」
ミオは頷いて自分の席へ向かった。
しばらくして陽華と玲奈もやって来て、いつもの挨拶が交わされる。
授業が始まると、遥斗は曲がり角の手前にある塀の高さを少し変えてみた。
塀を低くすると、向こう側の建物が見えすぎる。
高くすると、道そのものが狭く感じられた。
手前の線を何本か引き直し、紙を机から少し離してみる。
曲がった先を描かなくても、そこへ道が続いていることは分かる気がする。
けれど、まだこれでいいとは言い切れない。
遥斗は変えたところを小さく書き留め、午前の残りの時間も別の紙と見比べながら過ごした。
◇
昼食を終えた遥斗たちは、午後のデザイン応用の教室へ入った。
今度、鞄から取り出すのは縦長の枠を描いた紙だ。
先週から取り組んでいる、架空の小説『雨上がりの手紙』の表紙。
遥斗のラフには、濡れた道と建物の輪郭が描かれている。
その上に仮の題名と著者名も入れてはいたが、絵に場所を取られて文字は小さくなっていた。
授業が始まると、教員は学生たちの机を見渡した。
「今日は続きを描く前に、今あるラフを少し離れて見てみましょう」
「離れて、ですか?」
どこかの席から聞き返す声が上がった。
「はい。近くで描いている時と、見え方が違うことがありますから。机の上に並べて、周りからも見えるようにしてください。途中のもので構いません」
教室のあちこちで紙を動かす音がした。
遥斗も自分のラフを机の端に置き、風でめくれないよう筆箱で隅を押さえる。
隣の机では、別の学生が二枚の紙を並べていた。
片方は文字が大きく、もう片方は封筒の絵がほとんどを占めている。
遥斗は少し驚いた。
同じ人が描いたものでも、こんなに印象が変わるのか。
通路へ出ると、ほかの机にもさまざまな表紙が並んでいた。
封をした手紙を真ん中に置いたもの。
雨粒の残る窓を大きく描いたもの。
人物の後ろ姿だけを端に寄せたもの。
題名が紙の半分ほどを占め、絵は下に小さく添えられているものもあった。
どれもまだ鉛筆の線が残るラフだったが、道を中心に描いた自分のものとは違って見えた。
「遥斗さん、これ見ました?」
陽華が少し先の机から声をかけてきた。
近づくと、そこには明るい色の窓と、その内側に置かれた封筒が描かれていた。
題名は窓枠に沿うように配置されている。
「文字、ここに入るんですね」
「うん。私、つい絵を描いてから場所を探しちゃうから」
「僕も同じです。これなら最初から一緒に考えられそうですね」
「でも、こういうのも難しそうだよね」
陽華は窓枠に沿った文字を見て笑った。
遥斗も頷いた。
きれいに収まって見えても、自分で描くとなると話は別だろう。
隣では玲奈が、文字だけを大きく置いた一枚を眺めていた。
「ねえ、これ、絵がほとんどないのに本の表紙って感じするね」
「ほんとですね。題名が目に入ります」
「私、手紙を持ってる人から描き始めたから、こういうの思いつかなかったなあ」
玲奈は自分のスケッチブックを抱え直した。
その後ろでミオが別の机の紙に顔を近づけている。
淡い黄色と灰色が重なったような色の試し塗りがあった。
「雨上がりなのに、あまり青くないですね」
「ミオさんのは青がありましたよね」
「はい。でも、こっちの色もきれいです」
ミオは少し離れてから、もう一度その紙を見た。
遥斗は周囲を見回す。
玲奈は人物よりも文字の大きさを見ているし、ミオは色が気になっている。
陽華は別の机で、窓の形を確かめるように首を傾けていた。
同じあらすじを読んでも、最初に思い浮かべるものが違う。
それだけでなく、ほかの人の表紙を見る時も、目が行くところはそれぞれ違うらしい。
自分の机へ戻る途中、遥斗は少し足を止めた。
廊下側から見ると、机に置いた自分の紙が見える。
濡れた道の線は分かる。
建物の間へ視線が向かうところも、思っていたほど悪くない。
けれど、題名は遠目にはほとんど読めなかった。
近くで描いている間は、ちゃんと文字を入れたつもりでいた。
少し離れただけで、こんなに目立たなくなるとは思わなかった。
遥斗は席に戻り、最初のラフの横に新しい枠を描いた。
道の線を入れる前に、上の方へ題名を大きく書いてみる。
著者名を下に置いてから、空いているところに道を延ばした。
すると今度は、建物を入れる場所が足りない。
文字を少し右へ寄せると、道の奥が窮屈になった。
あれこれ動かしているうちに、鉛筆で薄く描いた枠の中は線だらけになっていた。
「なかなか収まりませんね……」
つぶやいて紙を持ち上げる。
横から玲奈が覗き込んだ。
「今度はタイトル大きくしたんだ?」
「はい。でも、道が狭くなっちゃって」
「両方目立たせようとすると、難しいね」
「そうなんですよね」
玲奈は軽く頷き、自分の席へ戻っていった。
遥斗はもう一度紙を机へ置く。
さっき見た表紙の中には、建物を細かく描かず、窓だけで場所を感じさせるものもあった。
だからといって、自分の道を窓に変えたいわけではない。
道を描くなら、何を残しておきたいのか。
遥斗は最初の紙と二枚目を並べた。
一枚目では、道が先に目に入る。
二枚目では、題名を読んでから道を見る。
同じ線を使っても、見る順番が変わっていた。
どちらがいいかは、まだ分からない。
ただ、絵を小さくして余白を作る以外にも、考えられることがありそうだった。
授業の終わりが近づくと、学生たちは机に広げたラフをそれぞれ片づけ始めた。
教室の奥では、文字だけの表紙を描いていた学生が紙を重ねている。
その隣では、大きな封筒を描いた学生が消しゴムのかすを払っていた。
同じ『雨上がりの手紙』のはずなのに、どの机にも違うものが残っている。
遥斗は二枚の紙を重ね、いちばん上に二枚目を置いた。
次に広げる時は、少し離れた場所からも見てみよう。
そう思いながら、折れないようスケッチブックに挟んだ。




