第12話『いつもの三人』
第12話『いつもの三人』
昼休みを知らせるチャイムが鳴ると、教室の空気が一気に緩んだ。
陽華は机の上のノートを閉じ、筆箱を鞄へ入れる。
隣では遥斗も立ち上がっていた。
少し離れた席からミオも財布を手にしてこちらへ来る。
誰も何も言わなかった。
陽華も聞かなかった。
そのまま三人で教室を出ようとした時、近くの席にいた女子が顔を上げた。
「今日も三人でお昼?」
「うん」
陽華は何となく答える。
遥斗も軽く会釈して、ミオもその横を通る。
廊下へ出てからも、いつも通り学生ホールへ向かった。
(今日も、か)
さっきの言葉だけが少し残った。
今日も。
言われてみれば、確かに今日もだった。
昨日も一緒に食べた。
その前も多分一緒だった。
最近は誰かが声をかけることすら減っている。
(最初は私から誘ったんだっけ)
そんなことを考えているうちに、遥斗が学生ホールの奥を指した。
「あそこ空いてますよ」
「ほんとだ」
三人分の席が空いている。
陽華たちはそのままそこへ向かった。
◇
「今日の午後って提出ありましたよね」
パンの袋を開けながら遥斗が言った。
「あるよ。最後に提出って言ってた」
「今日中ですよね」
「授業の最後じゃない?」
「そうでしたっけ」
「多分」
陽華が答えると、遥斗が少し嫌そうな顔をした。
「その多分が怖いんですよ」
「じゃあ先生に聞けばいいじゃん」
「あとで聞きます」
向かいに座るミオが箸を止める。
「提出場所、昨日と同じところだと思います」
「昨日?」
「先生が最後に言ってました」
「飯村さん覚えてるんですか」
「そこは覚えてます」
「助かります」
遥斗がほっとしたように頷く。
陽華は二人を見ながらお茶を飲む。
少し前なら、遥斗とミオが二人で話していると、自分も何か言わないと会話が止まるような気がしていた。
今はそんなこともなかった。
二人が話しているなら、そのまま聞いていればいい。
自分が話したければ入ればいい。
ミオも遥斗も同じようにしている気がする。
「松澤さん今日それだけですか」
ミオが陽華のパンを見る。
「うん。朝あんまり時間なくて」
「足ります?」
「多分」
「また多分」
「榊原さんに言われたくないんだけど」
遥斗が笑う。
「俺は昼ちゃんと買いましたよ」
「量の話じゃないよ」
「量なら勝ってます」
「何に?」
「松澤さんに」
「勝負してないから」
ミオが小さく笑う。
陽華もつられて笑った。
誰かが話して、誰かが返す。
話題がなくなれば黙って食べる。
それでも気まずくはない。
いつからこうなったのかは、よく分からなかった。
◇
午後のPC実習では、授業の最後に課題を提出することになった。
先生が前で手順を説明し、教室のあちこちでマウスを動かす音が続く。
陽華も作業を終え、ファイルを保存する。
少し離れた席では、遥斗が画面を見たまま動かなかった。
提出が終わったのかと思ったが、しばらくしてもう一度同じ場所を開いている。
そのあとファイル名を確認し、また提出画面へ戻る。
(何回見るんだろ)
陽華が自分の提出を終えてからも、遥斗はまだ画面を見ていた。
「榊原さん、まだ終わってない?」
「終わってはいるんですけど」
「じゃあ何してるの?」
「提出できてるか確認してます」
「さっきも見てなかった?」
「見ました」
「じゃあ大丈夫じゃない?」
遥斗は画面から目を離さない。
「でもこれ、提出済みって出てますよね」
「出てるじゃん」
「ですよね」
「うん」
近くにいたミオが画面を覗く。
「さっきも同じところ見てましたよね」
「見てました?」
「はい」
「そんな見てました?」
「三回くらい」
「数えてたの?」
「目に入ったので」
陽華は思わず笑った。
遥斗も苦笑しながら椅子にもたれる。
「いや、出せてませんでしたっていうのが一番嫌なんですよ」
「そんな気にする?」
「しますよ」
「意外」
陽華が言うと、遥斗がこちらを見る。
「意外ですか」
「榊原さん、もっと適当なところあるじゃん」
「適当って」
「絵描く時とか、とりあえず大きく取るって言ってたし」
「あれとこれは別です」
遥斗はもう一度画面を見る。
提出済みの表示は変わっていない。
「出せてなかったら、後からどうにもならないことあるじゃないですか」
「まあ、あるけど」
「だったら確認しといた方がいいです」
言い方はいつも通りだった。
でも陽華には、思っていたよりずっと真面目に気にしているように見えた。
遥斗はもう一度だけ画面を見てから、ようやくウィンドウを閉じる。
「これで終わり」
「四回目」
「飯村さん数えなくていいですって」
「今のは分かりやすかったので」
ミオが平然と答える。
遥斗が困ったように笑った。
(こういうの、結構気にするんだ)
陽華が知っている遥斗は、年が近くて話しやすい人だった。
落ち着いていて、変に気を遣わなくていい。
絵を描く時は迷うより先に手を動かす。
でも、全部がそういう人というわけではないらしい。
知らないところは、まだ普通にある。
ミオの色のことを知らなかったのと同じだった。
◇
授業が終わり、陽華は先に帰り支度を済ませた。
遥斗も鞄を肩へ掛けている。
ミオだけがまだ机の上でプリントをまとめていた。
陽華は何となくその場に立ったまま待つ。
遥斗も帰ろうとはせず、スマートフォンを見ながら近くにいた。
しばらくしてミオが顔を上げる。
「すみません。お待たせしました」
「別に待ってないよ」
「待ってましたよ」
「榊原さん」
「いや、待ってたじゃないですか」
「そうだけど」
「じゃあ待ってますよ」
ミオが二人を見る。
「先に行っててもよかったのに」
「なんか今さら一人で行くのも変じゃない?」
陽華が言ってから、自分で少し引っかかった。
何が変なのかは分からない。
ただ二人で先に出るより、三人揃ってから出る方が自然な気がした。
遥斗も特に気にした様子はない。
「行きますか」
「うん」
「はい」
三人で教室を出る。
階段を下りながら、遥斗がミオへ言う。
「飯村さん、ほんとに三回数えてたんですか」
「数えてないです」
「じゃあ何で三回って分かったんです?」
「見たので」
「それ数えてません?」
「違います」
「何が違うの?」
「松澤さんまでそっちなんですか」
陽華が笑う。
三人の声が階段に少し響いた。
◇
校舎を出ると、昼間より空気が暖かくなっていた。
陽華は歩きながら、昼休みに言われた言葉を思い出す。
今日も三人でお昼?
(今日も、なんだよね)
最初は遥斗と話すことの方が多かった。
ミオの絵が気になった。
捨てた絵を拾った。
隣で描いた。
一緒に昼を食べた。
画材屋へ誘って断られた日もあった。
そのあとも普通に昼を食べて、今度は三人で画材屋へ行った。
一つずつなら、どれも大したことではない気がする。
どこから三人になったのかと聞かれても、陽華には答えられそうになかった。
(いつからだっけ)
前を歩く遥斗が何か言う。
ミオがそれに答える。
陽華は少し遅れて二人の横へ並んだ。
それでいつもの位置になった。
道沿いの木々は、いつの間にか春の薄い色を抜けていた。
陽華はその緑を見上げる。
「もう暑くなってきたね」
「今日結構暑いですよ」
「夏近いですね」
「まだ梅雨もあるけど」
「それ嫌ですね」
「榊原さん雨嫌い?」
「傘が面倒です」
「そこなんだ」
ミオが笑う。
陽華も笑った。
いつから三人になったのかは、やっぱり分からない。
でも分からないままでも、別に困らなかった。
三人はいつものように並んで歩いていく。
春は少しずつ遠ざかっていた。
そして、その先にはもう夏が待っていた。




