第11話『この色』
第11話『この色』
放課後、陽華は鞄へスケッチブックをしまいながら、中に残っている紙を見た。
思っていたより少ない。
次の課題でも使うなら、そろそろ買っておいた方がよさそうだった。
「紙、買って帰ろうかな」
「画材屋ですか」
「うん。榊原さん何かいる?」
「練り消し欲しいですね」
遥斗が筆箱を開いて、中から小さくなった練り消しをつまんだ。
「まだ使えるじゃん」
「これ、どこまでいったら終わりなんですかね」
「なくなったらじゃない?」
「そこまで使ったら絶対どっか行きますよ」
「知らないよ」
陽華が笑う。
近くではミオも帰り支度をしながら、二人の話を聞いていた。
陽華がそちらを見る。
「飯村さんも行く?」
この前は断られた。
一瞬それを思い出したけれど、前ほど気にはならなかった。
ミオは少し考えてから頷く。
「行きます」
「何か買うの?」
「絵具見たいです」
「そっか」
(今日は見たいものあるんだ)
それだけだった。
前は行かなかった。
今日は行く。
今なら、そのくらいに思えた。
「じゃあ三人で行こっか」
「はい」
「俺も忘れないうちに買います」
三人で教室を出た。
◇
画材屋へ入ると、三人はすぐにばらけた。
陽華は紙の棚へ向かい、いつも使っているスケッチブックを探す。
同じように見えても紙の厚さや手触りが少しずつ違う。
何冊か手に取ったあと、結局いつものものを選んだ。
遥斗は文具の棚にいる。
ミオはどこだろうと思って店内を見回すと、絵具の棚の前にいた。
小さなチューブがずらっと並んでいる前で、一つずつ色を見ている。
陽華も何となくそちらへ歩いた。
ミオの手には一本の絵具があった。
「何かあった?」
「これにしようかなと思って」
「どれ?」
陽華はミオの手元を覗き込む。
ラベルに色の名前が書いてある。
見たことはある気がするけれど、自分では選んだことがなかった。
灰色っぽい。
でも、ただの灰色とも少し違う。
「ペインズグレー?」
「はい」
「これ使うんだ」
「使います」
「私、買ったことないかも」
陽華はチューブを眺める。
黒でもない。
青でもない。
何となく中途半端に見える色だった。
「何に使うの?」
「影とかです」
「影?」
ミオは頷く。
「そのまま使うこともありますけど、混ぜることの方が多いです」
「黒じゃ駄目なの?」
「黒でもいいですけど、黒入れると急に暗くなりすぎる時があるので」
「へえ」
「これだと青が残るんです」
「青?」
ミオは手に持っていたチューブを少し持ち上げる。
「影って黒だけじゃないので」
「そうなの?」
「外だと空の色が入ったりしますし、白いものでも影のところは青く見える時あります」
「白なのに?」
「白だから分かりやすいです」
返事がいつもより早い気がした。
ミオは棚から別の一本を取る。
「これ混ぜると、もう少し青くできます」
「ウルトラマリン?」
「はい。でも入れすぎると青すぎるので、ほんの少しです」
「じゃあこっちは?」
陽華が隣の紫っぽい色を見る。
ミオもそちらを見る。
「バイオレットです」
「紫も影に使うの?」
「使います。夕方とか紫に見える時あります」
「あるかな」
「あります」
きっぱり返ってきて、陽華は少し笑った。
「そこ言い切るんだ」
「見たらあります」
ミオは何が面白いのか分からないような顔をしたあと、また絵具の棚へ目を戻す。
「でも晴れてる時と曇ってる時で全然違います」
「そんな違う?」
「違います。曇ってる時は灰色っぽくなるし、晴れてる日は青が強かったりしますし」
「へえ」
「白い壁とか分かりやすいです。光当たってるところも全部同じ白じゃないですし」
「白にも違いあるんだ」
「あります」
ミオの言葉が止まらない。
陽華は最初、ただ相槌を打っていただけだった。
でも聞いているうちに、だんだんミオの方が気になってきた。
棚を見る。
色を取る。
陽華を見る。
また別の色を見る。
話している間、いつもより顔がよく動いている。
「葉っぱも緑だけじゃないです」
「葉っぱ?」
「上と下で違いますし、光が透けてるところは黄色っぽくなるし、重なってるところは暗くなります」
「暗い緑?」
「青っぽい時もあります」
「葉っぱなのに青?」
「あります」
また迷わず返ってくる。
「空も青だけじゃないし、雲も白だけじゃないです」
「雲は白じゃない?」
「白いところもあります」
「じゃあ何色?」
「色々です」
「色々って」
陽華が笑う。
ミオは棚を見たまま続ける。
「灰色もあるし、青もあるし、紫っぽい時もあります。夕方なら黄色とか赤とか」
「うん」
「その間にちょっと緑っぽく見えるところもあります」
「空に緑ある?」
「あります」
「また言い切った」
「ありますから」
今度はミオも少しだけ笑った。
(こんなに喋るんだ)
陽華は少し驚いていた。
話しかければ普通に答える。
最近は一緒に昼を食べながら笑うことも増えた。
遥斗とも普通に話すようになった。
それでも、こんなふうに次から次へ言葉が出てくるミオは初めてだった。
陽華が何か話さなきゃと思わなくても、まだ続きがある。
「肌も一色じゃないです」
「肌も?」
「赤いところもあるし、青っぽいところもあります」
「青い?」
「手とか見れば分かります」
言われて、陽華は自分の手を見る。
いつもなら肌の色としか思わない。
「どこ?」
「手首の近くとか」
ミオも陽華の手を見る。
「この辺」
「……血管?」
「その周りも少し青く見えません?」
「言われたら見えるかも」
「ですよね」
ミオが少し嬉しそうに笑った。
陽華もつられて笑う。
(色、好きなんだ)
絵が上手いとか。
線の引き方が自分と違うとか。
今まで気になっていたのは、そういうところだった。
でも今目の前にいるミオは、ただ色の話をしている。
聞かれて答えているというより、話したいものが次から次へ出てきているみたいだった。
◇
「何の話してるんですか」
後ろから声がして振り返る。
遥斗が小さな練り消しを手に立っていた。
「色の話」
「すごい数ですね」
遥斗が棚を見る。
それからミオの持っているチューブへ目を向けた。
「それ何色です?」
「ペインズグレーです」
「グレーなんですか」
「グレーですけど、青っぽいです」
「どっちなんですか」
「どっちもです」
遥斗が少し困った顔をする。
陽華はそれを見て笑った。
「私も最初それだった」
「これそのまま使うんですか?」
「そのままの時もありますけど、混ぜます」
「何と?」
「色々です」
「また色々」
陽華が言うと、ミオが少しだけ眉を寄せる。
「本当に色々なので」
「例えば?」
「これとか」
ミオはさっき見せてくれた青を取る。
「これ混ぜると、もう少し青い影になります」
「影に青使うんですね」
「使います」
「俺、普通に黒入れてました」
「黒でもいいと思います」
「いいんですか」
「見えてるなら」
「見えてるならって難しくないですか」
遥斗が絵具を眺める。
「俺、そこまで色分からないですよ」
「見えてると思います」
「気づいてないだけ?」
「多分」
「飯村さんの多分、結構信用できるんですよね」
「何でですか」
「松澤さんのパソコン直したから」
「あれは関係なくない?」
陽華が笑う。
ミオも小さく笑った。
そのあと遥斗が別の色を指す。
「じゃあこれは?」
「それは――」
ミオはすぐに答え始めた。
陽華は二人の横で聞いている。
遥斗が聞けば、ミオは答える。
そこからまた一つ色の話が増える。
学校で三人で話している時とは少し違う。
でも変な感じはしなかった。
むしろ、こういうミオも普通にそこにいるんだと思った。
◇
しばらくして、ミオが急に黙った。
さっきまで棚へ伸びていた手も止まる。
陽華が顔を見ると、ミオは手に持っている絵具へ視線を落としていた。
「……すみません」
「何が?」
「ちょっと喋りすぎました」
陽華は一瞬、何を謝られたのか分からなかった。
「別にいいじゃん」
「でも」
「聞いたの私だし」
「俺も聞きました」
「……そうですけど」
ミオはまだ少し気まずそうにしている。
陽華はミオの手元の絵具を見る。
「面白かったよ」
「本当ですか」
「うん。私、そんな細かく色見てなかったし」
「色は見てると思います」
「またそれ?」
「見えてるので」
陽華は笑った。
ミオも少しだけ笑う。
手に持っていた何本かの絵具を棚へ戻して、最初のペインズグレーだけを残した。
「それ買うんだ」
「はい」
「今度使ってるとこ見てみたい」
「いいですよ」
返事は短かった。
いつものミオに戻ったみたいだった。
でも陽華には、さっきまで止まらず色の話をしていたミオも同じ人なんだと分かる。
知らなかっただけだった。
◇
会計を済ませ、三人で店を出た。
陽華はスケッチブックの入った袋を持つ。
遥斗は買った練り消しをさっそく筆箱へ入れている。
ミオの袋には、一本の絵具が入っていた。
駅へ向かって三人で歩く。
店を出てからのミオは、もういつもの調子だった。
遥斗が次の課題の話をして、陽華が返す。
ミオが時々そこへ入る。
陽華は歩きながら、隣にいるミオをちらっと見る。
(色のことになると、あんなに喋るんだ)
少しおかしかった。
でも、それより嬉しかった。
また一つ、知らなかったところを見つけた気がする。
静かな人。
変わった線を描く人。
一緒に昼を食べるようになった人。
それだけじゃなかった。
(色が好きなんだ)
ミオの持つ袋が、歩くたびに小さく揺れている。
陽華はそれを見て、少しだけ笑った。




