第115話『画面と紙のあいだ』
第115話『画面と紙のあいだ』
木曜日の朝、ミオはPC実習室の席に着くと、鞄からノートを取り出した。
机にはパソコンが並び、少し離れたところから起動を知らせる音が聞こえてくる。
画面が明るくなるのを待ちながら、ミオは窓の方を見た。
外はよく晴れているのに、机の周りはカーテンの影で少し暗い。
同じ白でも、窓際の紙と机に置いたノートでは違って見えそうだった。
「ミオちゃん、おはよう」
「陽華さん、おはようございます」
「今日はパソコンだね」
「はい。何を作るんでしょう」
陽華が隣の席に鞄を置き、少し遅れて遥斗と玲奈も入ってきた。
玲奈は画面を覗き込みながら椅子に座る。
「おはよー。今日、何か印刷するって聞いた?」
「印刷ですか?」
「うん。さっき廊下でそんな話してる人がいたから」
「そうなんだ。何だろうね」
陽華が言ったところで、教員が前に立った。
今日はデジタル制作Ⅱで、作ったものを画面だけでなく紙でも確かめるらしい。
配られたデータには、建物と歩道、街路樹の輪郭が描かれていた。
窓も道路も白いままで、色は何も置かれていない。
「同じ線画に、それぞれ色を付けてもらいます。ひとまず配色を作ったら、一度印刷して見比べてみましょう」
ミオは画面を拡大した。
街路樹の葉は、丸いかたまりに何本かの線が入った簡単な形だ。
葉を一枚ずつ描くのではなく、まず大きな面として色を置くことにした。
明るい緑を選んでみる。
悪くはないけれど、道路や建物より先に木だけが目に入ってしまう。
少しくすませると、今度は建物の壁と近くなった。
(こっちの緑、もう少し青くてもいいかな)
色を変え、画面を少し離れて眺めた。
葉の重なったところには少し暗い緑を置いた。
木の色が落ち着いた分、歩道の白さが気になる。
そこへ薄い灰色を置き、少しだけ青を混ぜたような色に調整する。
建物の壁は暖かみのある淡い色にして、窓の中はまだ白く残した。
同じ線画でも、色を置き始めると少しずつ違う景色になる。
ミオはそれが面白くて、つい木と歩道を行き来してしまった。
「ミオさん、もう結構進んでますね」
声をかけてきた遥斗が、自分の画面を少し傾けた。
遥斗の街角は、建物に濃い色が使われていて、道の向こうへ目が行く。
「遥斗さんの、奥が見やすいですね」
「そうですか? 道を明るくしたら、建物が気になって」
「私は木ばっかり見てました」
「確かに、木の色が細かいですね」
「まだ決め切れてないんですけど」
ミオは笑って、自分の画面に戻った。
色を変えられるのは便利だ。
でも、変えた分だけ別のところが気になる。
紙に絵の具を置く時とは違う迷い方をしている気がした。
それでも、今はもう少し試してみたい。
一限の終わりが近づき、教員から途中のデータを保存するよう声がかかった。
ミオは色を付けた画面をもう一度確かめた。
木の葉には少し青みのある緑。
歩道には青灰色、建物には薄い黄色がかった色。
決めたつもりの色も、明日見たら変えたくなるかもしれない。
まずは、この組み合わせで紙にしてみよう。
◇
短い休み時間のあと、二限は印刷の準備から始まった。
教員が画面で設定の確認方法を示し、学生たちは順番に共用のプリンターへデータを送る。
紙の大きさや向きを確かめ、ミオも印刷の操作をした。
しばらくすると、プリンターの方から紙の出てくる音が聞こえた。
先に刷り終えた学生たちが、席へ戻りながら紙を覗き込んでいる。
「画面より暗くなった」
「こっちは思ったより落ち着いてるな」
そんな声が聞こえてくる。
ミオも自分の印刷物を受け取り、席へ戻った。
紙の端を持って、まず全体を眺める。
「……あれ?」
変な色になっているわけではない。
建物も歩道も、ちゃんと自分が選んだ色だと分かる。
でも、街路樹の緑が思っていたより重たい。
画面では、葉の明るい部分と影の部分がもう少し離れて見えたはずだった。
紙では、その二つが近くなっている。
歩道に置いた青灰色も、少し暗く感じた。
ミオは紙を机に置き、画面を見上げた。
そしてまた紙を見る。
見比べるたびに、違うところが見つかる。
「ミオちゃん、どうしたの?」
「ここの緑です。画面ではもう少し軽く見えてたんですけど」
「どれどれ」
陽華が椅子を少し寄せて、紙と画面を見比べた。
「あ、本当だ。紙の方が濃く見えるね」
「はい。影をちょっと暗くしすぎたのかなって」
「でも、こっちも好きだな。街が静かな感じがする」
「静かな感じ……」
ミオはもう一度、紙へ視線を戻した。
確かに、画面の街角より少し落ち着いている。
午後の明るい道を考えていたつもりだったけれど、紙の方は雲が広がっている日のようにも見えた。
嫌いではない。
ただ、木の葉の間に残したかった明るさは、少し見えにくくなっていた。
教員が前から声をかけた。
「画面と印刷物では、色の見え方が同じにならないことがあります。画面は自分で光っていますが、紙は周りの光を受けて見えるものです。プリンターや紙の種類、それを見る場所の明るさでも変わります」
ミオは画面の白い部分と、机に置いた紙の白い部分を見比べた。
さっき窓の方で見ていたノートも、光の当たり方で色が違っていた。
何となく気になっていたことが、ここでも出てきたらしい。
「今回は、どんな違いが出たかを確かめて、調整するならどこか考えてください。全部を直す必要はありません」
ミオは印刷物を持ち上げ、窓からの光が当たる方へ少し傾けてみた。
さっきより葉の色が分かりやすい。
けれど、画面で見ていた明るさと同じではなかった。
今は、どこを変えたいのか先に考えた方がよさそうだ。
ミオは印刷前のデータを残し、別のデータとして色を調整し始めた。
最初に触ったのは街路樹の緑だった。
影の部分だけ少し明るくする。
すると、葉の重なりが前より見えやすくなった。
けれど、画面を縮小すると、今度は木全体が少し平らに見える。
「……うーん」
一段階戻してから、明るくする範囲を小さくした。
それでも、画面で見ている限りは、印刷した時のことまでは分からない。
机の横の紙には、最初に選んだ色が残っている。
ミオはその紙を持ち上げ、もう一度木を見た。
紙になった緑には、画面では気づかなかった落ち着きがある。
全部を明るくしてしまうのは、少し違う気がした。
「まだ緑、直してるの?」
近くを通った玲奈が声をかけてきた。
「はい。でも、最初の色も結構好きなんです」
「あ、分かる。私も印刷したら別の感じになったけど、これはこれでいいかなって」
「玲奈さんは何を変えたんですか?」
「建物の色。人物いないから、窓をちょっと目立たせてみた」
「見てみたいです」
「いいよ。まだ途中だけど」
玲奈の画面では、窓の辺りが少し明るくなっていた。
線画には人が描かれていないのに、誰かがそこにいるような気もする。
ミオには思いつかなかった置き方だった。
「窓の色、きれいですね」
「ありがとう。ミオちゃんの木も好きだよ。あんまり見ない緑だし」
「そうですか?」
「うん。私だったらもっと明るくしちゃうと思う」
「私は今、それをやるか迷ってます」
「じゃあ、もうちょっと迷ってみよう」
玲奈は笑い、席へ戻っていった。
ミオもつられて笑った。
同じ線画から始まっても、誰がどこを気にするかは違う。
印刷してから気になったところだって、それぞれ違うらしい。
ミオはもう一度、最初の紙と画面を見比べた。
変えたいのは、木全体の色ではなかった。
葉の重なったところに、ほんの少し明るさが残ってほしい。
そこだけを調整し、歩道の青灰色はひとまずそのままにした。
別の色に変えたくなったら、また試せばいい。
ただ、何度でも変えられるからといって、全部変える必要はない。
授業の終わりが近づくと、教員が作業の区切りを告げた。
「元のデータと調整したデータは、両方残しておいてください。印刷したものにも、気づいたことを書いておきましょう」
ミオは画面を保存し、机の横に置いた紙の余白へ鉛筆で小さく書いた。
葉の影、歩道の青、紙では少し暗い。
それから、最後に一つ書き足した。
この緑も好き。
紙を持ち上げると、最初に思っていたのとは違う街角がそこにあった。
次に印刷したら、今調整した色はどう見えるのだろう。
元の紙と比べて、やっぱりこっちがいいと思うかもしれない。
それとも、最初の緑の方が好きになるかもしれない。
ミオは余白の文字が折れないように紙をファイルへ挟んだ。
まだ見てみたい色がある。
それが分かっただけで、今日は少し楽しかった。




