第110話『新しい昼休み』
第110話『新しい昼休み』
制作室を出ると、廊下には午前の授業を終えた学生たちが集まっていた。
陽華は鞄の肩紐を直しながら、少し前を歩く玲奈たちに追いついた。
「お腹すいたあ。午前中ずっと描いてると、結構疲れるね」
「玲奈ちゃん、最後まで何か描いてたもんね」
「そうなの。もう一枚試したかったんだけど、時間が足りなくて」
「次の授業でも続けられますよね」
「うん。だから今日はここまで」
玲奈はスケッチブックの入った鞄を軽く叩いた。
遥斗も隣で頷く。
「僕もまだ決まってないですし、次までに少し考えておきたいですね」
「私も。三枚描いたけど、どれがいいのか分からなくなっちゃった」
「陽華さん、最初の二枚と最後の一枚で結構違いましたよね」
「そうなんだよね。描いてるうちに変わっちゃって」
そんな話をしていると、廊下の向こうから玲奈を呼ぶ声がした。
「あ、玲奈!」
振り向くと、二人の女子学生がこちらへ歩いてきていた。
玲奈もすぐに気づいて手を上げる。
「お疲れ! そっちも午前終わった?」
「うん。今からお昼。玲奈は?」
「私たちも。これから学生ホールに行くところ」
「そっか。二年になってから、まだあんまり会わないね」
「教室変わっちゃったもんね」
三人は笑いながら、午前の授業のことを少し話していた。
陽華はその様子を見ながら、隣のミオと顔を見合わせる。
「私たち、先に行ってたほうがいいかな」
「どうでしょう。玲奈さん、すぐ戻ってきそうですけど」
ちょうどその時、玲奈が振り返った。
「ごめん、ちょっと待ってて。すぐ行くから」
「うん、大丈夫だよ」
玲奈はまた二人の方を向いた。
楽しそうに話している姿を見ていると、去年は別の教室で過ごしていたのだということを改めて感じる。
しばらくして話が終わり、玲奈が小走りで戻ってきた。
「お待たせ!」
「久しぶりだった?」
「うん。春休み中も連絡はしてたけど、学校で会うのは久しぶりだったから」
「そっか」
「二人とも今からお昼だって。またあとで会うかもしれないね」
玲奈はそう言って笑った。
四人は階段を下り、学生ホールへ向かった。
◇
昼休みの学生ホールは、すでにたくさんの学生で賑わっていた。
食事を買いに並ぶ人もいれば、テーブルで弁当を広げている人もいる。
陽華たちは奥の方に空いている席を見つけた。
「ここ、空いてるね」
「四人座れそうです」
「じゃあ、ここにしようか」
鞄を置いてから、それぞれ昼食を用意する。
陽華は持ってきたパンを取り出し、ミオは買ってきたおにぎりを机に並べた。
玲奈がその手元を覗き込む。
「ミオちゃん、二個とも違う味?」
「はい。どちらにしようか迷ったので」
「それで両方買ったの?」
「お昼ですから、二個くらい食べますよ」
「いや、そこじゃなくて」
玲奈が笑うと、ミオは不思議そうに首を傾げた。
「玲奈さんは何にしたんですか?」
「私はサンドイッチ。あと、飲み物」
「それだけですか?」
「あとで足りなかったら何か買おうかなって」
「それなら最初から買っておけばいいのに」
「ミオちゃんに言われた!」
陽華も思わず笑ってしまった。
遥斗は二人のやり取りを聞きながら、弁当の蓋を開けている。
「遥斗さんはお弁当なんだね」
「はい。今日は家で用意してきました」
「いいなあ。私、朝ちょっと迷ってパンにしちゃった」
「パンもいいじゃないですか」
「うん。好きなんだけどね」
陽華は袋を開け、パンを一口食べた。
午前中ずっと鉛筆を動かしていたせいか、いつもよりお腹がすいていた。
「そういえば、午後ってデザイン応用だよね」
玲奈が飲み物を置きながら言う。
「そうだね。月曜日の午後はそれだったと思う」
「何やるんだろう。やっぱりポスターとか?」
「ありそうですね」
遥斗が答える。
「一年の時もやりましたけど、今度はもう少し難しくなるんでしょうか」
「私、文字の配置を考えるのが苦手だったなあ」
「陽華さん、そんなこと言ってましたね」
「うん。絵の場所は決められるのに、文字を入れると急に分からなくなっちゃって」
「分かる! 私も絵を大きくしたくなるんだよね」
玲奈が大きく頷いた。
ミオはおにぎりを持ったまま、少し考えている。
「私は色を決めるほうが先になりそうです」
「ミオちゃんらしいね」
「でも、文字が読めなくなったら困りますよね」
「そうなんだよねえ。好きな色を使えばいいってわけじゃないし」
陽華は去年取り組んだポスターのことを思い出した。
絵として気に入っていた部分も、文字との組み合わせを考えると変えなければならなかった。
あの時は難しいと思ったけれど、今なら違う置き方も試してみたくなる。
「今度はどんな課題が出るんだろうね」
「午後になれば分かりますよ」
「それはそうなんだけど」
遥斗の返事に玲奈が笑った。
その時、近くを通りかかった男子学生が足を止めた。
「あ、榊原さん」
声をかけてきたのは吉永咲真だった。
隣には別の学生がいて、二人とも昼食を持っている。
「吉永、お疲れさまです」
「お疲れさまです。皆さんも」
「吉永さん、お疲れさま」
「お疲れさまです」
「どうも」
咲真は軽く頭を下げたあと、遥斗の方を見た。
「もう二年なんですね。時間割見てたら、何か急に忙しくなった気がして」
「分かります。制作の時間、増えましたよね」
「そうなんですよ。嬉しいんですけど、ついていけるかなあって」
「まだ始まったばかりじゃないですか」
「それはそうなんですけどね」
咲真は困ったように笑った。
その様子が去年とあまり変わらなくて、陽華も少し笑う。
「吉永さん、また最初から心配してる」
「いやあ、松澤さん。俺、心配するくらいでちょうどいいんですよ」
「そんなことないと思うけど」
「そうですかねえ」
隣にいた学生が、空いているテーブルを見つけて咲真に声をかけた。
「あ、あっち空いたよ」
「ほんと? じゃあ、行きますね」
「はい。また」
「午後も頑張ってくださいね」
「榊原さんも」
咲真はもう一度頭を下げ、連れの学生と歩いていった。
陽華は二人が席に着くのを何となく目で追った。
「吉永さん、相変わらずだね」
「そうですね。でも、制作の時間が増えるのは楽しみみたいですよ」
「うん。そんな感じだったね」
遥斗が笑い、また弁当に箸を伸ばした。
しばらくして、陽華の近くを通った女子学生が声をかけてきた。
「松澤さん、お疲れさま」
「あ、お疲れさま」
「さっきの授業、結構悩んじゃったよ」
「私も。まだ全然決まってなくて」
「だよね。じゃ、また午後に」
「うん、またね」
相手は友人らしい学生と一緒に、別のテーブルへ向かっていった。
陽華も食事に戻る。
「陽華さん、知り合いですか?」
玲奈が尋ねた。
「うん。去年同じクラスだった子。授業で何度か話したことがあって」
「そっか。私もまだA組の子、全員とは話してないなあ」
「これから少しずつ話すんじゃない?」
「そうだね。名前は知ってるけど、ちゃんと話したことない子もいるし」
玲奈はそう言いながら、最後のサンドイッチを口に運んだ。
周りでは席を移動する学生も増え、知り合いを見つけて手を振る姿があちこちにあった。
昼食を終えて少しすると、玲奈のスマートフォンに連絡が入った。
画面を確認してから顔を上げる。
「あ、さっきの子たち、こっちにいるみたい」
「行ってくる?」
「うん。ちょっとだけ話してくるね」
「いってらっしゃい」
玲奈は鞄を置いたまま、少し離れたテーブルへ向かった。
向こうでもすぐに気づいたらしく、笑いながら手を振っている。
その様子を見ていると、今度は遥斗が別の学生から声をかけられた。
「榊原、午後の教室って分かる?」
「ああ、時間割の下に書いてありましたよ」
「ほんと? 見落としてた」
「一緒に確認します?」
「助かる」
遥斗はスマートフォンの時間割を開き、相手と少し話してから戻ってきた。
「午後の教室、確認できた?」
「はい。場所は大丈夫そうです」
「よかった。私もあとで見ておこう」
ミオは配られた資料を取り出して、静かにページをめくっていた。
「ミオちゃん、何か気になることあった?」
「午後の授業、どんな道具を使うのかなと思って」
「まだ分からないね」
「はい。でも、持ってきたもので足りるといいんですけど」
ミオは資料を閉じ、机の上を片づけ始めた。
玲奈が戻ってきたのは、それから少ししてからだった。
「ただいま。ごめん、結構話しちゃった」
「大丈夫だよ。まだ時間あるし」
「よかった。二人とも授業が違うから、なかなか会えないって言ってた」
「そうなんだ」
「でも、お昼なら会えるからね。また一緒に食べようって話してきた」
玲奈は嬉しそうに笑った。
陽華も頷き、パンの袋を畳んで鞄へしまった。
同じ教室になったからといって、いつも全員が同じ場所にいるわけではない。
遥斗には遥斗の、玲奈には玲奈の知り合いがいる。
自分だって、廊下ですれ違えば挨拶する人が増えた。
さっき声をかけてくれた学生とも、また授業で話すことがあるだろう。
陽華は周りを見渡した。
見慣れた学生ホールの中で、去年とは少し違う顔ぶれが笑っている。
「そろそろ行こうか」
遥斗の声で、陽華は時計を見た。
午後の授業まではまだ少し余裕がある。
「そうだね。教室、移動しなきゃ」
「デザイン応用かあ。楽しみだけど、何やるんだろ」
「玲奈ちゃん、さっきも言ってたよ」
「だって気になるんだもん」
「行けば分かりますよ」
ミオの返事に、玲奈がまた笑った。
四人はそれぞれ鞄を持って学生ホールを出た。
廊下では、別の教室へ向かう学生たちが行き交っている。
少し先を歩く玲奈が知り合いに手を振り、遥斗もすれ違った学生へ挨拶を返していた。
陽華も見覚えのある顔に軽く会釈する。
相手が笑って返してくれたので、陽華も自然に笑った。
「陽華さん、こっちですよ」
遥斗に声をかけられて振り向く。
少し先ではミオと玲奈が待っていた。
「あ、うん。今行く」
陽華は歩く速さを少し上げ、三人に追いついた。
午後の教室へ向かう廊下には、まだ昼休みの賑やかな声が残っていた。




