第108話『二年目の教室』
第108話『二年目の教室』
四月になった。
朝の空気はまだ少し冷たかったけれど、陽華が歩く道には春休み前より明るい色が増えていた。
学校へ向かうのは久しぶりだ。
休みの間も絵は描いていたし、遥斗たちとも会った。
それでも、鞄に筆記具やノートを詰めて家を出ると、自然と背筋が伸びる。
校門が見えてきたところで、陽華は歩く速さを少し緩めた。
去年の春、ここを初めてくぐった時は、周りの人がみんな自分より落ち着いて見えた気がする。
今はすれ違う学生の何人かに見覚えがある。
その中の一人が陽華に気づいて、軽く手を上げた。
「松澤さん、おはよう」
「おはよう。久しぶりだね」
「ね。クラス、もう見た?」
「ううん、まだ」
「入口のところに出てたよ」
「ありがとう。見てくるね」
少し話して別れる。
そのまま校舎に入ろうとして、陽華は自分がさっき普通に声を返せたことに気づいた。
特別なことではないのかもしれない。
でも、去年の今頃なら挨拶のあとに何を言えばいいのか、そればかり考えていたと思う。
◇
昇降口の近くには、新しいクラスを知らせる紙が掲示されていた。
何人かの学生が立ち止まり、名前を探している。
陽華も空いたところから覗き込んだ。
二年A組。
自分の名前を見つけてから、ついほかの名前も目で追ってしまう。
榊原遥斗。
飯村ミオ。
それから少し下に、錦玲奈の名前があった。
「……あ」
思わず小さな声が出た。
春休みには四人で会ったけれど、学校では玲奈だけ別のクラスだった。
今度は同じ教室になるらしい。
嬉しくなって、もう一度名前を確かめた。
その横から、見慣れた顔が紙を覗く。
「陽華さん、おはようございます」
「あ、遥斗さん。おはよう」
「もう見ました?」
「うん。遥斗さんもミオちゃんも同じクラスだよ」
「そうなんですね。よかった」
「あとね、玲奈ちゃんも」
「えっ、そうなんですか?」
「ほら、ここ」
遥斗が掲示に目を寄せた。
「本当だ。今度は同じ教室ですね」
「うん。何だか不思議な感じ」
「合同授業では一緒でしたけどね」
「そうだね。でも毎日となると、また違いそう」
そこへ、後ろから声がした。
「二人とも、おはようございます」
「ミオちゃん、おはよう」
「ミオさん、おはようございます」
「私、A組でした。二人は?」
「私たちもA組だよ」
「よかったです。教室、どこでしょう」
「この紙の下に書いてありますよ」
「あ、本当だ」
ミオは掲示の下の方を見て、小さく頷いた。
三人で歩き始めようとした時、廊下の向こうから玲奈の声が聞こえた。
誰かと笑いながら話している。
玲奈は陽華たちに気づくと、隣にいた学生へ一言声をかけてから近づいてきた。
「おはよう、みんな!」
「玲奈ちゃん、おはよう」
「クラス見た? 私、A組になったんだけど」
「見たよ。私たちも一緒」
「ほんと? やった!」
「玲奈さん、今までB組でしたよね」
「そうなの。さっきまで去年のクラスの子と話してたんだけど、結構ばらばらになっちゃったみたい」
「そっか。ちょっと寂しいね」
「うん。でも、休み時間には会えるしね」
玲奈が笑うと、ミオも笑った。
陽華は、玲奈がさっき話していた子の方をちらりと見る。
向こうも玲奈に手を振っていて、玲奈は大きく振り返していた。
去年は違う教室で過ごしていた時間が、玲奈にはある。
同じクラスになれて嬉しいけれど、それを忘れてはいけない気がした。
「じゃ、教室行こうか」
「うん。場所、分かる?」
「大丈夫。ミオさんがさっき確認してましたから」
「え、私ですか?」
「この紙の下だって、見てましたよね」
「ああ、そうでした」
玲奈が吹き出し、陽華もつられて笑った。
◇
二年A組の教室には、もう何人かが来ていた。
去年同じクラスだった人もいれば、合同授業で顔を見かけたことのある人もいる。
入口で玲奈が知り合いに呼び止められ、少し立ち話を始めた。
陽華も近くの席にいた学生と挨拶を交わしてから、空いている席に鞄を置く。
窓の外には、いつもと違う角度で校舎の一部が見えていた。
隣の席に座ったミオが、その窓を見て言う。
「この教室、午後は光が入りそうですね」
「そうかな?」
「窓の向きが前の教室と違いますから」
「言われてみれば、そうかも」
遥斗は少し離れた席に座り、鞄からノートを出している。
玲奈も話を終えて教室へ入ってきた。
そのまま陽華たちの方へ来て、窓の外を覗き込む。
「何見てるの?」
「午後の光がどうなるかなって」
「えっ、もう絵の話?」
「ミオちゃんが気づいたんだよ」
「なるほど。じゃあ午後に確認しなきゃね」
「そうですね」
玲奈の返事に、ミオは真面目に頷いた。
その様子がおかしくて、陽華は笑いをこらえた。
やがて教員が入ってきて、教室の話し声が少しずつ収まる。
新しい学年の説明が始まった。
授業で扱うことや、これからの制作についての案内が続く。
一年生の時に学んだことを土台に、自分で考えて形にする機会が増えていくという。
その中で、卒業制作や進路についても言葉が出た。
陽華は手元のノートに短く書き留めた。
卒業。
あと一年ほどで、この学校に通う日々も終わる。
そう考えると、少しだけ鉛筆が止まった。
家で父と将来の話をした時も、まだはっきりした答えは出せなかった。
今日も同じだ。
けれど、何も考えていないわけではない。
陽華はノートの次の行へ目を戻した。
今はまず、説明を聞こう。
◇
一通りの案内が終わると、教室はまた賑やかになった。
机の上の資料を片づけながら、遥斗がこちらへ顔を向ける。
「二年生になると、作るものも増えそうですね」
「うん。ちょっと大変そう」
「でも、楽しみです」
ミオは配られた案内をまだ読んでいた。
「ミオちゃん、もう気になる授業あった?」
「いくつかあります。使う画材も、もっと試してみたいです」
「私は人物を描く時間が増えたら嬉しいな」
「玲奈ちゃんらしいね」
「陽華さんは?」
「私?」
陽華は少し考えた。
春休みに描いた屋根の絵や、みんなで見せ合ったスケッチが浮かぶ。
「……何を描くか、自分でもいろいろ探してみたいかな」
「いいですね」
「うん。まだ決まってないことばっかりだけど」
「それは私もだよ」
玲奈があっさり言うので、陽華は少し笑った。
遥斗も頷き、ミオはようやく資料から顔を上げた。
教室のあちこちで、去年はあまり話さなかった学生同士の声も聞こえてくる。
陽華は机に置いた新しいノートを開いた。
白いページには、さっき書いた説明の言葉がまだ少ししか並んでいない。
これから何が増えるんだろう。
そう思いながら、陽華は次に書くことのために、ページの下を少し空けておいた。




