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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第五章 水無月は、七に守られ、八に導かれて。そして九へと至る

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第195話 真面目組とチーム不真面目

 大真面目な自分の宣言を『最高のエンタメ』として消費されたのが、よほど心外だったのか。葵さんは両手でお盆を胸に抱きしめながら、耳まで真っ赤にして抗議の声を上げた。


「も、もうっ! どうして笑うんですか? 私は至って真面目に答えただけです!」


「『いいえ』のタイミングが、最高すぎたとは思うな」

「そ、蒼くんまで……!」

「とはいえ、自分も九条さんと同じ意見だけどね。やっぱり先生は、先生だよな」

「でしょう!? ……って、また九条さん……」


 最初は我が意を得たりと目を輝かせたものの、すぐに『学校用の呼び方』をされたことに気づき、少しだけ不満げに唇を尖らせる葵さん。

 口ではそんな、場をわきまえた優等生なフォローを入れつつも。

 俺がいま、その胸にぎゅっと押し付けられているお盆になりたいと本気で思っているなんて、想像もつかないんだろうな。

 

「おい蒼。七海さんがいるからといって、そんなあからさまに気をつかうことはないんだぞ? いつも通り呼べばどうだ」

「なっ……今度はこっちを弄るんですか!?」

「あら、ここではなんて呼んでいるの? 葵さん? それとも……まさか、呼び捨て?」

「いやーん、それいいわね。私も聞きたい~!」


 先生の好奇心に満ちた視線が、俺と葵さんの間を往復する。隣に座る酒々井さんに至っては、この上なく愉しげな笑みを浮かべていた。

 ぐっ、とてもまずい状況だ。逃げ場がない。

 誰かフードを注文してくれえ。

 

「先生、残念ながら……蒼くん、ちっとも呼び捨てにはしてくれないのです」

「なっ!? 九条さんまで」

 これ見よがしに、お盆を抱えたまま溜息までついてみせる彼女。

 思わず声を裏返らせた俺を見て、八雲さんがいたずらっ子のような顔で、洗いかけのグラスを置いた。

 

「実は、九条ちゃんがうちに面接に来て、採用が決まった日のことなんだけどね。俺が『これからは葵ちゃんと呼んでもいいかな?』と確認したら、彼女、はっきりとこう言ったんだ」


 店長はそこで一度言葉を切り、葵さんの、あの凛とした、どこか人を寄せ付けないほど美しい立ち姿を真似るようにして言った。……悔しいのが、中々の演技力で、ちょっと似ていること。


「『店長、そう呼んでいいのは──家族と、大切な人だけです』……とね」


「こ、今度は私!? 店長、なんで今それを言うのですか……っ!」

「ん? 特に口止めはされていなかったような気がするが」

「あう……っ」


 ぐうの音も出ないとはこのことか。

 葵さんは顔面を林檎のように真っ赤に染め上げ、お盆で顔を半分隠しながら、今度こそ逃げ出すようにホールへと走っていった。

 じ、自分だけずるい。

 そんな彼女の後ろ姿を、八雲さんは楽しそうに眺め、吉岡先生と酒々井さんに向かって肩をすくめて見せる。


「……どっちも、可愛らしいだろ?」


 まだ続くの? これ。

 茹だった俺を置き去りにして、大人たちは眩しそうに目を細めて頷く。とにかく、早く終わってくれぇ。


「ホントホント。そのうえ二人とも、超が付くほど真面目だもんね。見てるこっちまで、何だか学生時代を思い出して背筋が伸びちゃうわ。……私はもっと、適当だったから」

「はは。やたらと厳しい体育教師がいたのを思い出すよ」

「いたいた! なになに、店長さんも結構叱られたクチ?」

「そりゃあ、もう、たっぷりと」

「わかる~。昔の先生って、変なところで手が早くなかった?」

「ええ、結構殴られましたよ」

 

 酒々井さんは愉快そうに笑いながら、運ばれてきた珈琲を一口すする。

「……美味しい」

「それはよかった」

 

 ホッと息を吐いたその声は、心底この場所を気に入ってくれたようで。

 少し嬉しかった。

 そんな悪い(?)大人二人の楽しげな昔話の横で。現役の教師である吉岡先生は、居心地悪そうに「もう……」と不満げに頬を膨らませている。

 普段の学校での様子からしても、どうやら先生は俺たちと同じ『こっち側』の人間らしい。


「さしずめ、吉岡先生と僕たち二人は真面目組、店長と酒々井さんはチーム問題児って感じですかね?」


 仕返しではないけれど、俺が茶目っ気たっぷりに口を挟んでみると、酒々井さんが目を丸くしてから、カラカラと楽しそうに笑った。

「お、言うわね、水無月くん。あー、でも確かに。ナナも学生時代からずっと真面目だったもんなぁ。確かに私とは違うわ」

「吉岡先生の、学生時代……ですか」


 その単語が俺の口から出た瞬間。さっきまでの逃走も忘れたように、葵さんがホールの中ほどでピタッと足を止め、目を輝かせた。

 どうやら恥ずかしさよりも、知的好奇心が勝ってしまったらしい。

 たぶん俺も、同じような顔をしているんだろうな。

 わかる、こんなの気にならない方がおかしい。二年三組の生徒ならな!


「お、気になる?」

「「気になります」」


 酒々井さんの悪戯っぽい問いかけに。

 葵さんはいつの間にかカウンターのすぐ側まで詰め寄っており、俺たちは示し合わせたように、息ピッタリと前のめりになった。


「圧、強っ!」

「ちょっと、真理! 二人も変なところに食いつかないのっ!」

「今みたいな感じそのままよ。『いい加減にしなさい』とか? よーくお説教されたの今も覚えてるわ、懐かしい~」

「へえ、その辺りは今度ゆっくり聞かせてほしいね」

「お説教て……はぁ、もう帰ろうかしら……」


「あら、帰ってもいいけど、その代わりナナの学生の頃の写真。皆に見せちゃおうかな。スマホの奥に、それはもうたくさん残ってるし」


「ほう。それはぜひ拝見したいものだ」

「や、やめて! 真理! 皆まで乗っからないで!」

「減るもんじゃないし、一枚だけ! ほら、これどう?」

 

 慌てる先生の静止を鮮やかにスルーして、酒々井さんが差し出したスマホの画面。

 俺と、いつの間にか横に並んでいた葵さんは、吸い寄せられるようにその一点を注視する。……もちろん、八雲さんもだ。

 

 そこに写っていたのは、今の『吉岡先生』よりも少しだけ髪が短く、どこか幼さの残る一人の少女だった。

 まぎれもなく先生の面影はある。

 けれど、今のような大人の余裕は欠片もなくて。ただ若い。

「うわ、先生。……可愛い」

「ええ、とても……」

 

 先生の顔が、いよいよ沸騰しそうなほど真っ赤に染まる。

 けれど、俺の視線は画面の中の少女に釘付けだった。

 なんて言えばいいんだろうな。可愛いのはもちろんなんだけど。

「確かに……。美人だけど、うん。やっぱり、真面目そうですね」

 

 俺のその一言に、酒々井さんが「そうでしょ!」と手を叩いて笑う。

 その傍らで。八雲さんは画面を見つめたまま、いつになく真剣な面持ちで口を開いた。

「酒々井さん、その写真、譲ってくれないかな」

「八雲さんっ!」


 八雲さんまで嬉々として参戦してくるから、先生の赤面が止まらない。

 このままでは自分の黒歴史(?)が店長のスマホに永久保存されてしまう。とでも思ったのかな。

 

「この話は、もう終わりッ!」

「あっ、ちょっ」

 凄まじい速度で、酒々井さんの手からスマホを奪い取る先生。


 それから先生は「コホン!」と、授業を始めようとしてもしばらく静かにならない教室で、わざとらしく出すあの一番大きな咳払いをして。

 奪ったスマホを握りしめたまま、あまりにも強引な話題の転換を試みる。

 

「……っ、とにかく! 二人とも本当に真面目で、いい子たちなの。ねえ、八雲さん? バイト中の様子はどうなんです?」


 まさかのこっち!?

 急な矛先の転換に、俺は葵さんと顔を見合わせた。

 

 先生がすがるような視線をカウンターの奥へ向けると、八雲さんは使っていたシルバーのミルクピッチャーをカチャリと置いた。

 そして、逃げ場を失った先生と、呆然とする俺たちを慈しむような穏やかな笑みで見つめる。


「そうですね。……真面目すぎて、時々こちらが心配になるくらいにはね。うちの店には勿体ないくらいの看板娘ですよ。二人とも卒業するまで、いや、社会人になるまでうちで働いて欲しいと本気で願うほどです」


 八雲さんはそこで言葉を区切り、カウンターから少し離れた場所で接客をしている葵さんへと視線を向ける。いつの間にか客のグラスが空になっているのに気づき、お冷のおかわりに向かっていたのだ。

 注がれたお冷に、お客様もとても嬉しそうに微笑んでいる。


「よく働くし、とても気が付く子だ……ま、柔軟性がないのだけが難点ですかね」

「さすが、よく見てるわね」

 先生が感心したように相槌を打つと、知り合ってまだ日が浅いはずの酒々井さんまでが、しみじみと頷いた。

「……何となく、わかる気がするわ」

 

 確かに……。

 俺も内心で深く同意しつつ、たまらず口を挟んでしまった。だってなあ?

「でも、それが良いところでもあるんです」

「はいはい、ごちそうさま」

「し、酒々井さんっ」


 思わず声を張り上げた俺を、大人たちは楽しげにくすくすと笑い合う。

 そんな和やかな空気の中で。八雲さんだけがふと視線をスライドさせて、カウンターの片隅に立つ俺を、真っ直ぐに見据えた。

 

「蒼、お前もだ。何事にも一生懸命で感心する。俺の若い時とは全然違う」


 その眼差しには、単なるバイトへの評価を超えた、肉親に向けるような温かな色が滲んでいて。

 妙に恥ずかしくなる。


「き、急にどうしたんですか。やだな」

 照れ隠しでわざと顔を逸らした俺に、八雲さんはくすりと笑う。

「はは。いつでも褒めてやるって、言ったろ?」


「なんか、そういう男同士の関係も見てていいものね~」

 

 酒々井さんが目を細めて笑う横で、吉岡先生は、

「確かに、私にはできない役割だわ」

 と苦笑しつつ。不意に思い出したように、俺と、ちょうどお冷を注ぎ終えて戻ってきた葵さんの顔を交互に見た。


 居住まいを正したその表情は、ここから逃れられない『教師』としての時間が始まることを告げていた。

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