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九条葵は償いたい ~その献身には理由がある~  作者: 神崎水花
第五章 水無月は、七に守られ、八に導かれて。そして九へと至る

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第194話 特大、中(やや大)、小

『も、もう……八雲さん、やめてよ……っ!』

 

 頬を仄かに染めて、メニューの影に隠れてしまった先生。

 そんな友人の様子を、隣に座る酒々井さんは楽しそうに目を細めて眺めていたし、俺も気になって仕方が無いから、ついつい調理の手を動かしながらも視線を向けてしまう。

 

 すると、先生はメニューの上端から、顔を半分だけひょこっと覗かせて、焦った様子で八雲さんに向き直った。


「あ、あっ、彼女は私の親友で、学生の頃からの付き合いなんです……!」

「あらら〜、ナナったら。すっかりペース乱されちゃって。……初めまして、店長さん。吉岡 七海の友人で、酒々井 真理と言います。……なるほど、なるほど〜へえ?」


 酒々井さんは、まるで面白い品評会でも始めるかのように、八雲さんを上から下までじっくりと眺めまわし、最後に小さく口角を上げた。

 その視線は、親友がどうしてここまで骨抜きにされているのか、その『原因』をすっかり理解したと言わんばかりに物語る。


「酒々井さん、ですね。店長の和泉(いずみ) 八雲です。こちらこそ初めまして。七海さんからは、よくあなたのことを伺っていますよ」


 八雲さんは、そんな相手の品定めするような視線すら、さらりと受け流して微笑むから凄い。百戦錬磨の『お姉さん感』ある酒々井さんを前にしても、全く動じていないのだ。大人の色香を前にして、少しも狼狽える様子がない。

 俺や健太なんて、タジタジだったのに。


「あら、店長さん。ナナが私のことを? どんな風に話してたのか、とっても気になるんだけど~」

「昔からの友人で、とてもスタイルがよい方だと伺っていますよ」

「へえ~、そうなんだ。……でも」

 酒々井さんは少しだけ身を乗り出し、八雲さんの反応を試すように、じっとその瞳を覗き込んだ。

「店長さんは、私にはアルバイトの声を掛けてくれないのね。ふぅん、ちょっと残念だわ」

「ちょ、ちょっと真理、いい加減に……!」


 親友のあまりに直球な揶揄(からか)いに、吉岡先生が今日一番の悲鳴を上げる。

 だが、八雲さんは眉一つ動かさず、穏やかな微笑を保ったまま言葉を返してみせた。


「いえ、あなたも、とても素敵だなとは思うんですよ。……ただね」


 店長は、その言葉の意味をあらかじめ伝えるかのように、酒々井さんの『圧倒的』な部分へと、意図的に、けれど驚くほど潔い視線を向けた。

 いやらしさの欠片も無い視線を戻し、彼は穏やかにこう言ってのける。


「当店の制服には、あなたに合うサイズがない」

「…………っ」

 

 はあああ!?

 ガッシャン!

 あまりにスマートな、けれどあまりに強烈なその返しに。俺の手から滑り落ちたお玉が、ステンレスのシンクに激突して派手な音を立てた。

 あんな返し方、ありなのか!?

 それとも、なんだ。イケオジは何を言っても許されるのか?

 理不尽ッ!?

 ……この人。この店長は。なんてことを、なんて涼しい顔で言ってのけるんだ。

 

 暗に「君のプロポーションは規格外だ」と最大級の賛辞を贈りつつ、吉岡先生とは明確に線を引いてみせる。

 いやらしい下心を一切感じさせず、相手の女性としての魅力を完璧に肯定して、なおかつ自分の守りたい領域はキッチリ死守する。凄すぎて、同じ男として溜息しか出ない。


 ふと、その傍らに目をやれば。

 カウンターの端で、葵さんが自分の胸元へ視線を落とし、少しだけ頬を膨らませていた。酒々井さんの『特大』を目の当たりにした後で、自分のサイズを再確認し、

『私は、制服に収まってしまうのね……』

 と、何だか面白くなさそうに、ささやかな不満を漏らしているように見える。


 ──いや、葵さん、君は十分大きいから!

 そんな何とも言えない、対抗意識を燃やしたような顔をしないでくれ!


 たった二度ほど……その、触れただけでもわかる。それに、嫌っていうほど目に焼き付けられたからな。

 あの、灰色の()()()()姿()だけは……!

 思い出しただけで変な汗が出てくる。

 

「コホン」

 俺はわざとらしく咳払いを一つして、この場に漂う毒気にも似た甘い空気を強引に切り裂いていく。

「葵さん。三番テーブル様、ナポリタンお待たせ」

「あ……っ、はい! 今行きます」


 俺の声に、葵さんは慌てて顔を上げた。

 さっきまでの複雑な表情は一瞬で消え、そこにあるのはどこか安心したような、穏やかな瞳だけ。

 彼女は慌てた様子で料理を受け取ると、逃げるように三番テーブルへの配膳に向かっていった。

 

 さて。

 料理を出し終えてしまった以上、俺にはもう、この厨房の奥に隠れ続けている理由は残っていない。

 俺は覚悟を決め、いよいよ戦場であるカウンターの前へと足を踏み出す。

 

「いらっしゃいませ。……吉岡先生。それに酒々井さんも。お久しぶりです」

 

 俺の挨拶に、寂しそうに自らの胸元の『ささやかな膨らみ』を見つめていた先生が、慌てて顔を上げた。

 女性ってのは、やはりああいうところが気になるもんなんだな。

 ……まあ、わからんでもないか。俺たちだって、男同士で風呂にでも入れば、自然とそういう比較や会話になるもんだ。

 

 ──と、そこで俺はハタと気づく。

 

 待てよ。見事すぎるカウンターだと思ったあの八雲さんの『サイズがない』という返し。これ、乙女心的には大失敗だったんじゃないか?

 だってほら、どうみても。

 傍らにいる中サイズ(やや大)の葵さんと、小サイズの先生にとって、特大の流れ弾として直撃しているよな、あれ。

 まさかのフレンドリーファイア!?

 格差社会ッ!?

 

「あ、あら……水無月くん。お疲れ様、元気そうでよかったわ」

「やほ~水無月くん。元気にしてた? やだ、制服凄く似合ってるじゃない。また少し、いい男になった?」

「変わらないと思いますけど……」


 相変わらずの酒々井さん流の揶揄いに、俺は苦笑いしかできない。 

 一方で、先生はちらりと店長の方を盗み見てから、俺と、もう間もなくここへ戻ってくるであろう葵さんに、困ったような視線を向け始める。


「……あの、ね。二人とも。今日はその……完全にオフでしょ。他のお客さんもいるなかで『先生』って呼ばれるのも、少し……不自然というか、ねえ」

「先生以外で、呼べということですか?」


 俺が率直に尋ねると、先生の視線がまた泳ぎ、ちらちらと八雲さんの方を伺い始めた。

 

 んん? どういうことだ?

 あー、なるほど。もしかして、店長から『七海さん』と呼ばれたことを、必死に取り繕おうとしているのかな。

 俺たちにも名前で呼ばせることで、「私はみんなとフランクに付き合っているだけですよ」ってことに、しておきたいとか?

 

 ……うわ、面倒くせえ。

 大人って、なんでこうも素直になれないんだ。

 

「はぁ~。もう面倒くさいから、ナナちゃんって呼べばいいんじゃない? キャンプでもそう呼ばれてたじゃない」

「ナ、ナナちゃんは友達みたいでしょうが! 却下、絶対却下!」


 酒々井さんの、この『空気を一瞬で読み取って、一番弄りやすいところに落とし込む』能力。

 ……恐ろしいものがあるよな、この人。

 そして、それを真っ赤になって食い気味に否定する先生。


 まさにそんなタイミングで。

 ナポリタンの配膳を終えた葵さんが、音もなく俺の隣へと戻ってきた。

 大人の「あざとい願い」などどこ吹く風。

 彼女はまるで秩序の守護者のような、一切の妥協を許さない瞳で先生を見つめて言う。

 

「いいえ。私にとって先生は恩師であり、その事実は場所や時間が変わっても揺らぐことはありません。たとえ学校の外であっても、私は『先生』と呼ばせていただきます」


 一分の隙もない、鉄壁の境界線。


 あーあ。

 せっかくの先生の「防衛策」も、この生真面目すぎる才媛様には通用しなかったらしい。


 ……とはいえ、俺だって彼女と同意見だ。

 先生なりの事情や、照れ隠しのような『大人の都合』があったとしても、安易にその呼称を捨てる気にはなれない。

 俺にとっても、吉岡 七海という人は。

 親しみを持って名前で呼ぶには、あまりに多くのものを与えてくれ、可愛がって貰い過ぎた。


 たぶん、俺は大人になっても、彼女のことを『先生』って呼んでいる気がする。


 そんな俺たちの、融通の利かない生真面目さが、この場の空気を塗り替えたとき。


「──ぷっ、あはははは! いやあ、さすが九条ちゃんだ。期待を裏切らん!」

「て、店長っ!?」


 それまで黙ってやり取りを眺めていた八雲さんが、ついに耐えきれなくなったように爆笑した。

 カウンターに手を置き、背中を曲げて笑うその姿は、いつものダンディな余裕をかなぐり捨てた、心底楽しそうな悪い大人の顔をしていた。

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