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HERO(11)

 目を覚ます。倒れこんだまま、脂汗でぐっしょりになった俺は首を上げ、割れた窓から空を見上げた。

 まだ真っ暗のように見えるが、ほんの少し、明るくなりかけている気がしなくもない。見張り役の斎藤の方を見ると阿呆みたいな顔をしてまだ眠り込んでいた。

 俺にはこれからどうするべきか、もう分かっていた。

 体はぼろぼろで左足の感覚は麻痺し、しばらく立ち上がれそうにもなかったが、まだ声だけは出せそうだった。それも馬鹿みたいにデカい声が。


「誰か!監禁されてるんだ!助けてくれ!誰でもいい!リリィ。ここだ、リリィ!」


 割れた窓から外に向かって、俺は叫んだ。もはや俺にできることはこれだけだった。ボクサー男たちが戻ってきたらゲームオーバーだ。それまで何をされようと、ここで叫び続けてやる。


「助けてくれ!俺たちはここにいるぞ!」


 斎藤はすぐに目を覚まし、まだ寝ぼけた顔で何事かと辺りを見回し、声の出どころが俺だと知ると転がった俺の腹の辺りを蹴り始めた。「黙れ!黙れよクソ野郎!」

 それでも俺は叫ぶのを止めなかった。


「リリィ、ここだリリィ!」

「やめろオラァ」つま先を使った鋭い蹴りが俺のみぞおちにヒットする。熱いものが喉に込み上げてくる。

「こ……グフッ!ここだ!誰か……!」

「やめて、岩岡さんやめて!」


 プレハブ小屋の中にそんな複数の声と、斎藤が俺の腹を蹴りつける鈍い音がしばらく響いた。だがそんな音も、まだ始発電車も来ていない、人気のない高架下では誰も下にも届かないようだった。誰も俺たちの元へやって来ることはなかった。

 目の前の光景が擦れていき、意識が遠くなっていくのが分かった。だが、俺は世界で一番かっこ悪いヒーローとして、死んでも叫ぶのを止めるつもりはなかった。


「誰か……!リリィ……!」


 次の瞬間だった。

 バキョッ!と、どこかにヒビが入るような音がした。安っぽいプレハブ小屋が左右にゆれ、一瞬、その場から音が消えた。

 部屋の中にいた全員が、音がしたドアの方に注目した。

 もう一度ドアから轟音が響き、「ひッ!」とヒカルが叫び声を漏らした。「誰だッ!」と叫ぶ斉藤の声も少し震えている。

 まさか――、俺はそのドアの向こうにいる人間が誰か、分かるような気がした。あまりに予定調和的にやってきた男は、俺が待ち望んだもう一人のヒーローに間違いなかった。

 最後に、施錠されていたドアがぶっ壊れるバカデカい音がしたかと思ったら、ドア自体が内側に吹っ飛んできて、直線上に立っていた斎藤の体が俺の目の前から一瞬にして消えた。斉藤はドアと共に反対側の壁にぶつかり動かなくなった。全治数ヶ月は固いだろう。

 ぬっと、数秒前にはドアがあった空間から入ってきた男の姿を見ても、まだ自分が夢を見ているような気がするばかりだった。

 短く刈り込んだ金髪と二メートルに届くかという巨体に似合わない、フリルのついたスカートを履いてはいたが、俺にとってそれはまさにテレビや映画のヒーロー登場のシーンのようだったのだ。


「本当にリリィ……なのか?」

「お兄ちゃん!」


 そんなオカマ声を聞いて、初めて俺はそれが本物のリリィであると理解した。

 今度は外人の仲間がやって来たとでも思ったのか、ヒカルは脅えた表情でリリィのことを見つめていた。


「お前、どうして……ここに……?」ひどく驚いていたが、自分で思っている以上に傷ついていたようで、俺はそれだけを言うのがやっとだった。

「飛行機で昨夜日本に着いて、今朝、久々に家に帰ったらお兄ちゃんがいないじゃない。お父さんに聞いたら、最近物騒な事件に関わっているようだっていう話だったから探しに来たのよ。でも、無事みたいで本当に良かったわ」

「お前にはこの姿が無事に見えるのかよ」格闘技の本場のアメリカと日本とでは、どうやら根本から感覚が違うらしい。だが、そんな軽口が言えるくらいには、自分の中に力が戻っているのが分かる。

「そういえば、どうしてこの場所が分かったんだ?」

「そりゃ、愛の力に決まってるでしょ。それにお兄ちゃんの大声、駅前まで聞こえてきたし」


 俺たちの会話についてこれないらしいヒカルが、「この人、仲間なの?」と怪訝そうな顔をして聞く。

 俺が「弟だ」と答えと、「妹よ」とリリィはドスのきいた声で反論する。


「それより、もうすぐそこでノビてる男の仲間が戻ってくる。とりあえず俺たちを縛ってるガムテープを解いてくれ。そしてここから逃げよう」

「分かったわ」と答えると、リリィはなぜか俺の頬にキスをしてから、二人を縛ったテープを解き始めた。


 ライバル意識でも燃やしているのか、ヒカルのテープを解く間、リリィはずっとヒカルにガンを飛ばしていた。

 手足が自由になっても、足がひどく痛んで、俺は立ち上ることができなかった。予想していたより遥かに、俺の足のダメージはデカいらしい。まぁ、ほとんど自分でやったことなんだけどね。

 気が付けば空は白み始めていた。俺は妹に背負われたまま外に出た。

 最悪のタイミングだった。俺たちがプレハブ小屋を抜け出して駅前でタクシーでも拾おうと駅の方に足を向けると、高架下に停まったワゴンから出てからこちらに向かってくる水曜日プラネットの連中と鉢合わせた。

 巧妙に隠してはいるが、全員がどこかに武器を隠しているのが俺には分かった。


「リリィ、あいつらだ」と俺が指差した瞬間には向こうもこちらに気付いたようで、罵声を上げながらこちらに走ってきた。高架下にはまだ他の人間の姿はない。

「お兄ちゃん、しっかり捕まってて」

「お、おい」俺がつぶやいた瞬間、周囲の景色が二百七十度ほど回転し、脳が揺れたと思った瞬間にボクサー男が吹っ飛んでいた。男は一度地面にバウンドすると高架下の傾斜を下った所を流れている細いドブ川まで落ちていってしまった。

「お、おい、殺すなよ」相手も素人ではないとはいえ、本気の廻し蹴りをかますリリィに俺は言うが、聞いているか怪しいものだった。


 リリィの背中でリリィが踊るダンスの鼓動を感じるうちに、数分も待たずに決着はついた。最後にぶっ飛ばされたのは俺の腹に蹴りを入れた髪の薄い男で、道端に倒れたままピクリとも動かなかった。

 結局、リリィは無傷で六人全員をKOしてしまった。しばらく会わないうちに、俺とリリィとでは格が違ってしまったらしい。

 俺たちは慌ててその場から逃げ出し、人通りの多くなった駅前に出ると、匿名で警察と救急車に連絡した。プレハブ小屋のどこかに奴らが水曜日プラネットだという証拠品があったか覚えてないが、あとは日本の優秀な警察に任せておけばいいだろう。

 俺たちは朝の光に包まれながらタクシーに乗り込んだ。ヒカルを家に送り届け、俺は病院へ向かわなければならない。

 よほど疲れたのか、タクシーに乗って何台かのパトカーや救急車とすれ違う頃にはヒカルは爆睡しており、俺はその寝顔を見ながら今回の一件の一連の流れを思い出して自分のカッコ悪さを思い返して苦笑してしまう。

 だがそれでいいのだ、俺は思う。

 ヒーローというのは人間臭くて、実はカッコ悪いものなのだ。それでも、そんなどうしようもない人間だからこそ、人のことを助けたいと思えたならヒーローになれるのだ。お金持ちでもかっこ良いわけでもなく、ましてや大した強さもないくせに他人のことを助けたいと思える人間は、それだけでヒーローなのだ。

 助手席から外の流れる景色を眺め、そんなことを考えながら、同時に俺は気付いてもいる。本物のHEROというのものがやっぱり存在して、そいつらは大した苦労もなしに俺らの出来ないような無茶をやって人を助けてしまう。悔しいけど、世界はそういう風にできてしまっているのだ。


「そういえば、さすが俺の弟だよな。勘だけであんな場所に監禁されてる俺たちを助けに来ちまうなんて」


 タクシーに揺られながら、俺は感心して言う。リリィ――俺たちのHEROの助けが無ければ、今ごろ俺たちはどうなっていたか……。


「なんだ、やっぱり信じちゃってた?こういうこともあるかと思って、お兄ちゃんの携帯の位置、GPSで分かるようにしておいたのよ。だって、いつもいつも危険な目にばかり遭うんだから」


 そんなリリィの言葉を聞いて、俺はホッとしたような、少し残念なような気持ちになる。


「それでも、おかげで助かったよ、リリィ。お前は俺のHEROだ、ありがとうな」

「なにそれ。水臭くて体が痒くなっちゃう」


 リリィが狭いタクシーの中でその巨体をくねくねさせ始め、足を引き摺る俺を見ても顔色ひとつ変えなかったタクシーの運転手も若干引いている。

 こんなのがHEROだなんて、まったく世も末だ。

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