HERO(10)
そして俺はまた夢を見る。
月夜の晩だった。俺はまた森の中に立っていた。
前も俺はこんな風に、夢の中に立っていたことがあったはずだ。そのときと同様で、俺はどこに行けばいいか分からなかったが、自分が迷子になっているという感覚はなかった。歩いていれば進むべき場所にたどり着くということを理解していた。
やがて、俺はいつかと同じように一頭の熊と出会った。長い年月は経過しているものの、二度目ということもあり、俺はやはりビビることなく馬鹿デカい熊に向かって話しかけた。
「やぁ、久しぶり」「お前、また来たのか?前来た時はまだガキだったのに、ずいぶん老けたな。でも中身はまだガキだ」「放っとけって」「はは、仕方がない奴だ。で、今度はどこに行きたいんだ?」「うーん、俺もどうしてまたここに来ちゃったか分からないんだよね。結構ピンチだった気がするから、ほんとはこんなことしてる場合じゃないんだけど」「本当に仕方がない奴だな。世の中には、時間をかけた方が上手くいくことの方が多いんだぞ。とりあえずまた、この前のトンネルに行ってみなよ。いくら時間が経ったといっても、場所くらい覚えてるだろう?何かヒントくらい見つかるかもしれない」「ああ……そうしてみようかな。ありがとね」と言って歩き出そうとする俺の肩に、熊はその大きな手を置いて俺のことを引き上めた。
思えば、俺はその毛深い手を見たことがあった。その大きな手は俺のよく知った手であり、俺のよく知った腕だった。
「分かってると思うけど、トンネルの奥に入っちゃいけないぞ。お前の大切なものはきっとそこにないから」
「分かってるよ、久しぶりに覗いてみるだけだって」
熊と別れてしばらく歩いていると、すぐにトンネルが現れた。
前に来たのがいつだったか思い出せないが、やはり長い時間が経ったのだろう。トンネルは入り口の下部分が人間が一人入れるくらいにえぐれて空洞化してしまっていて、まるでそこからもう一つのトンネルが地下に続いているような有様だった。
空洞に気を付けつつトンネルの中を覗くと、そこは相変わらず深く、暗く、静かで、一度でもこのトンネルに足を踏み入れたかと思うと俺はゾッとしてしまう。
そういえばここをしばらく歩いていたら、蛍光灯が全部消えちゃったんだよな――。
すでに消えてしまっている蛍光灯を見ながらそんなことを考えていると、急にトンネルが音を立てて崩れ始める。俺はなぜか、とっさに、このトンネルを壊すべきではないと直感した。絶対に壊したくはないと思った。なぜならこのトンネルは、いつか俺が目指た最強の男へと続く道だからだった。
俺は走って空洞化したトンネルの下部分に潜ると、トンネルの通路を下から支えた。
両腕に相当量の負荷がかかった。天井を支えながら左右を見渡すが、助けを呼べそうな人間は一人もいなかった。
段々と俺の太い腕にも疲れが見えはじめる。トンネルの底は少しずつ傾き始めていた。
ヤバい、と俺は思うが、どうしようもない。俺はさらに足を踏ん張って腕に力を込めた。腕の血管は浮き上がり、今にも血が吹き出しそうだった。
そのままぎりぎりのところで耐えつつ、時間だけが経過していった。辺りは真っ暗になっており、俺は段々と心細くなってくる。
(誰か、誰か助けてくれ……)
俺の口からそんな言葉が漏れかけるが、咄嗟に呑み込んだ。辺りに誰もいないにも関わらず、俺は咳払いひとつして取り繕う。
そんなことをしている間にも俺の腕に掛かる負担は大きくなっていき、踏ん張っている俺の足は段々と地面にめり込みだしていた。
トンネルの下でどのくらいそうしていただろうか、いつからか俺の顔の前に、崩れかけたトンネルから滑り落ちてきたものがあった。それは公衆電話だった。
なんだこれ?と思った次の瞬間にその公衆電話はリリリリリリ!とけたたましく鳴り始めるので、俺は真剣にビビって片手を離してしまう。
さらに傾くトンネルを片手と背中で支え、俺は受話器をむしり取った。
「もしもし?」
「悠介なの?あなた、どこからかけてるの?飛行機に乗ってたら、電源を切っていたはずなのに、急に公衆電話から電話がかかってきて……」
「あれ、ひょっとして母さん?」
俺はどういうメカニズムで掛かってるんだ?なんて野暮なことは思いつきもせず、ただ、その声を聞けただけでホッとする。安心する。すべて上手くいくと確信する。
「なんかね、俺にもよく分からないんだけど、トンネルが崩れそうだから支えてるんだ。ヒーローになるためにはさ、犠牲が必要だし。例え俺がヒーローになれなかったとしても、俺の犠牲によって誰かがヒーローになってヒカルを助けてくれたらなって、今じゃそう思えるようになったんだよ。だから、俺はここにいなくちゃいけなくて」
「駄目よ、そんなこと!私は女だから、難しいことは分からないけど、ヒーローなんて人を助けたいっていう気持ちがそれでいいんじゃないの?犠牲を払うなんてこと、映画やドラマの中の人たちに任せておけばいいじゃない。私たちには私たちの生活があるんだから。その小さな生活を守れて、もし余裕があれば、目の前の困った人に手を差し伸べれるような人こそ、本当のヒーローだと私は思うわ」
「そうなの?そんな簡単なことでいいの?」
「本当のことなんて、きっと簡単なことなのよ。あなた、今すぐそこから出て、朝になったら人を呼んで、トンネルは皆でまた作り直せばいいじゃない。テレビドラマみたいなヒーローなんかいなくても、私たちはそうやって上手くやっていけるんだから。あなたはよくやったから、もうこれ以上は一人でカッコつけなくていいのよ」
母さんは岩岡家で誰よりも強く、正しかった。母さんの言葉を無視することなんて、思いつきもしなかった。俺は母さんの言葉を信じた。
「じゃあすぐここから出るよ。母さんは?もう日本に帰ってくるんでしょ?」
「明日には家に着くと思うわ。連絡しなかったから、父さんビックリするでしょうね。リリィは先に帰ったから、そろそろそっちに着くんじゃないかしら」
「そうなの、じゃあまた明日ね~」
「ええ、また明日」
電話を切ると、俺は両腕の力を抜き、トンネルの下から抜け出した。トンネルは俺の後ろでがらがらと音を立てて崩れ落ちてしまった。
俺はまた森の中に入ると、小道を見つけ、今度は人を探して道に沿って歩き始めた。
朝日に包まれた町を見つけ、そこにいた人に手を振った瞬間、俺は夢から覚めた。
目の前には泣き疲れて眠ったヒカルの横顔があった。俺は俺にしかなれないヒーローになって、ヒカルを助けようと決めた。母さんの言うことはいつだって正しい。俺はもう、自分を傷つけてまで闘ったりしない。でも、俺だってやっぱりちょっとはカッコつけたいと思うのだ。




