第3話 17時の戦い
――ガァァァァァンッ!!
異形が一瞬で霧散した衝撃音が、静まり返った住宅街の路地に虚しく響き渡る。
「……はぁ、はぁっ、はぁ……っ!」
俺は壁に背中を打ちつけたまま、必死に酸素を求めて喉を鳴らしていた。
助かった。死なずに済んだ。
安堵のあまり膝の力が抜け、そのまま地面に倒れ込みそうになる。
けれど――世界は、まだ俺を安心させてはくれなかった。
――グルゥゥ……。
――ガアァッ……!
灰色の闇の奥から、一つ、また一つと不気味な唸り声が重なり合っていく。
「……マジかよ」
血の気が引いた。
狭い路地の前後、そして左右の屋根の上。
さっき倒した奴と同等、いや、一回り巨大な黒い影が、四体同時に暗がりから這い出てきたのだ。
赤く光る無数の目が、逃げ場のない俺たちを一斉に捉える。
「チッ……血の匂いにつられて集まってきやがったか。鬱陶しいな」
陸が不機嫌そうに舌打ちをし、右脚に蒼い衝撃波の残光を走らせた。
「風弥。下がって見てろ」
だるそうな声で言い放ったのは、神楽坂先生だった。
缶コーヒーの空き缶を握り潰してポケットに突っ込むと、足元から蠢く影が、まるで意思を持った生き物のようにぐにゃりと伸びる。
「ガアァッ!」
頭上から、二体の異形が同時に襲いかかってきた。鋭い爪が空を裂く。
だが、神楽坂先生は煙草に火をつけながら、視線すら向けない。
「『影縫・縛鎖』」
ボツン、と闇が弾ける音。
地面から這い出した漆黒の影が黒い鎖となり、空中の二体へ複雑に絡みついた。
四肢を完全に縛り上げられた異形が、空中で滑稽に静止する。
「陸、左を落とせ。右は俺がやる」
「チッ、命令すんな!」
爆音とともに陸が地表を蹴り飛ばす――『瞬動』。
目視不可能な速度で踏み込んだ陸は、蒼い威力を纏わせた右拳を、拘束された一対の側頭部へ叩き込んだ。
――ドドンッ!!
『蒼衝』の激しい衝撃波が、異形の頭部を内側から爆破する。
同時に、神楽坂先生が腕を振るった。
「『影縫・一閃』」
足元から伸びた影の先端が、一瞬で鋭利な刃と化して跳ね上がる。
ズバッ!! と、もう一体の巨体が下顎から脳天にかけて真っ二つに断ち切られ、黒い霧となって霧散した。
だが、息つく暇もない。
背後の屋根から飛び降りてきた三体目が、接地したばかりの陸の隙を狙って跳躍する。
「千歳、後ろ――!」
「分かってんだよッ!」
陸は振り向きざま、空中で背転しながら強烈な回し蹴りを放った。
「『裂空』!」
鎌状の蒼い衝撃波が刃となって空を斬り裂く。
迫っていた異形の首が飛ばされ、胴体がアスファルトに転がり落ちた。
「な……んだよ、これ……」
俺は自分の目を疑った。
昼間はいつも職員室で缶コーヒーを飲みながらあくびをしている気だるげな教員と、学校でよく見かける普通の同級生。
その二人が、洗練された連携で「怪物」を次々と屠っていく。
しかし、最後の四体目――他の奴らとは異質な威容を誇る、猛牛ほどの巨体を持つ異形が、地響きを立てて暴れ出した。
そいつは周囲の塀を豪快に噛み砕き、破壊したコンクリートの瓦礫を俺たちに向かって勢いよく弾き飛ばしてくる。
「くっ……!」
「『影縫・漆黒』」
俺の目の前に、影の巨大な盾が立ち上がった。
ズドンッ! と凄まじい衝撃音が響くが、飛来した巨大な瓦礫はすべて影の壁に吸収され、その場に虚しく落下する。
「助かったぜオッサン! だが――」
瓦礫の隙間を縫って、巨体が突進してくる。
圧倒的な質量攻撃。陸が『瞬動』で緊急回避するが、狭い路地で逃げ場を失った神楽坂先生へ一直線に牙が迫る。
恐怖で息が止まる。あんな巨体、正面から受けたら――
「『影縫・渡』」
瞬間。
神楽坂先生の身体が、すっと足元の影の中へ沈み込んだ。
突進した巨大異形は空を切る。
直後、異形の真後ろ――壁の巨大な影から、何事もなかったかのように神楽坂先生が姿を現した。
紫煙をくゆらせながら、先生は冷たい眼光で異形を見下ろす。
その雰囲気が、一瞬で切り替わった。
背筋が凍りつくほどの、圧倒的な「強者」の圧。
追撃しようと振り向く異形に対し、先生は右手の中指と人差し指を静かに立てた。
闇が、深く、重く沈み込んでいく。
ぞくり、と世界の深淵の扉がこじ開けられるような錯覚。
「──冥境開門、千条冥針」




