伝説の男
その日の学園は慌ただしかった。
訓練官や教師、学園職員たちがせかせかと動き、
どうやら補習は午前の分だけで済まされたらしい。
まあ、1学期のテストで全教科満点を取った隼斗には
夏休みの補習など全く無関係な話なのだが。
昼になると大人たちは更に動き回るようになり、
数日前に清掃業者が綺麗に磨き上げた校舎内に
ゴミなどが落ちていないかと入念に確認していた。
中には働かない大人の姿もあった。
1年3組の担任をしている訓練官、津田剛志だ。
彼は全く似合っていない高そうな背広に身を包み、
蝶ネクタイの位置を調整するのに夢中になっていた。
本日の来客と並んで写真を撮るつもりなのだろう。
いつもなら隼斗は夕方頃まで訓練室に入り浸って
鍛錬しているのだが、その日は午前で切り上げた。
そしてシャワーを浴びて制服に着替え、
軽く食事を取ってから装備の確認を行う。
装備といっても武器はグローブとナイフだけであり、
主に包帯や止血剤などの応急手当てに必要な道具が
揃っているかどうかのチェックである。
ダンジョンに潜る予定は無かった。
が、今朝山田から連絡が入り、
急遽本日の来客と活動を共にすることが
勝手に決定されてしまったのだ。
先日の仕返しなのだろう。
山田は電話越しに笑っていた。
来客の到着予定時刻まであと1時間となり、
隼斗は正門前の様子を見に行った。
もう既に半数以上の生徒が集結しており、
彼らは皆、本日の主役の登場を心待ちにしていた。
と、そこへ黒塗りの車が颯爽と現れたものだから
待ち人たちの関心は門の外へと集中し、
車を降りた男に向かって一斉にクラッカーを鳴らし、
盛大な拍手と歓声で出迎えるのだった。
予想外の大歓迎に驚いた男は目を丸くしていたが、
しばらくするとフッと笑い、落ち着いた表情になり
堂々と胸を張って感謝の言葉を述べたのだ。
「やあ、みんな
盛大に出迎えてくれてありがとう
ご存じ、僕が甲斐晃だよ
……と言えば、嘘になるな」
空気が凍る。
「えっ、嘘になる……?」
「ってまさか、あの人……」
「おいおい、どうすんだよ……」
生徒たちがざわめく中、その男は実に涼しい顔のまま
正門を通り抜けて学園の敷地内へと足を踏み入れる。
彼は真夏日だというのにタートルネックのセーターを
着込んでおり、只者ではないのだけは確かであった。
「僕は久我龍一
ここ関東魔法学園を中退した元生徒だよ」
「え、中退したの!?」
「卒業生じゃないんだ!?」
「みんなが心待ちしてるアキラ君とは同期でね、
隣のクラスだったんだ」
「同じクラスでもない!!」
「ちなみにアキラ君とは、
それほど会話したことがないよ」
「友人ですらない!!」
「ただの顔見知りだよこの人!!」
「なんでカッコつけてられるの!?」
「神経図太すぎるだろ!!」
「クラッカー鳴らして損した!!」
この失敗により半数以上のクラッカーが失われた。
誰が最初に鳴らしたのかはわからない。
おそらく最前線で待ち構えていた者の誤射だろう。
その音に釣られて他の者たちも次々と鳴らしてしまい
人違いだと気づいた頃にはもう時既に遅し。
一瞬の出来事であった。
このアクシデントを受け、隼斗は最善手を打つ。
「山田さん
配達していただきたい物があるのですが」
いつでも、どこでも、誰にでも……!
それから10分後、待ち人たちが愚行を繰り返す。
パン、パン、パアァン!とクラッカーの大合唱。
誤射だ。
完全なる人違いである。
現れたのは本郷拳児という中退者であり、
武道家特有の厳格な雰囲気に騙されたのだろう。
「くそっ、また別人かよ!!」
「みんな甲斐晃の写真は見たことあんだろ!?」
「海外の格闘技チャンピオンみたいな奴ね!!」
「この人はどう見ても日本人じゃねえか!!」
「またクラッカーが台無しだぜ!!」
「なんだかよくわからんが、
どうやら俺は歓迎されていないようだ……」
と本郷は寂しそうに帰ろうとしたが、
元同級生の久我に引き留められてその場に残った。
隼斗は呆れ顔でスマホを操作した。
「山田さん
追加で注文頼めますかね?
ええ、支払いは学園持ちで」
クラッカーの需要が高まる。
その後もゾロゾロと知らない先輩たちが来訪したが、
さすがにもうクラッカーを誤射する者はいなかった。
そもそも在庫がほとんど残っていなかったため、
クラッカーを鳴らそうにも鳴らせなかったのだ。
とりあえず待ち人たちは甲斐晃世代の来訪者を
苦し紛れの校歌斉唱で出迎えるのだった。
来訪者の中に身長2m近いゴツい風貌の男がいたので
待ち人たちは「えっ、まさか」と大慌てしたが、
彼の名は須藤怜二といい、やはり別人であった。
須藤の陰に隠れるようにして歩く人物がいたのだが、
フードとマスクのせいで素顔を確認できず、
まあ須藤先輩の友人なのだろうと納得する。
その謎の人物もかなりの高身長であったが、
猫背気味に歩いていたのでなんだか弱そうに見えた。
段ボール箱を抱えているのが気になるところだが、
もしかしたらただお祝いの品を届けに来ただけの
魔法学園とは無関係な人なのかもしれない。
その謎の人物からは魔力を一切感じられないのだ。
常識的に考えて冒険者ではないはず。
まあ、彼こそが甲斐晃なのだが。
甲斐晃の到着予定時刻まであと10分というところで
1台のワゴン車が正門前に停車する。
「はいどうも〜
モノクル運送から荷物のお届けで〜す」
運送業者の男──山田は営業スマイルを浮かべながら
内心ではさっさとこの場から離れることだけを考え、
キビキビと一切無駄の無い動きで荷物を台車に乗せて
正門の中にご所望の品を運び込んでいった。
「あっ、クラッカーだ!!」
「ナイスタイミング!!」
「ありがとう業者さん!!」
「救世主が現れたよ!!」
ワアッと大歓声が上がる。
そして拍手の嵐が巻き起こり、お調子者の男子たちが
仕事中の山田を胴上げしながら感謝の意を示した。
「ちょ、やめて!?
今仕事中!! 仕事させて!?」
その騒ぎを見学していた来訪者たちは、
胴上げされている人物の名を口々にする。
「あれって山田君だよね?」
「うん、間違いないよ」
「山田も来てくれたんだな!」
「アキラ先輩の愛弟子だもんね!」
そして来訪者たちも一緒になって山田を褒め称え、
本日の主役が彼であるかのような空気が流れる。
「「 や・ま・だ!! や・ま・だ!! 」」
まるで英雄の凱旋である。
「やっぱり来るんじゃなかった!!」
残り5分となり、学園長は重大な事実を知らされた。
電話の主は甲斐晃──本日の真の主役である。
「な、何ぃ!?
もう学園に来ていただと!?
いつ忍び込んだ……いや、それより、
なぜもっと早く知らせなかったんだ!?」
学園長が取り乱す姿は珍しい。
大騒ぎしていた待ち人たちは押し黙り、
スマホ相手に1人叫ぶ学園長の成り行きを見守った。
『学園長、事後報告になって大変申し訳ないのですが
こちらの事情も汲んでいただきたい
俺はマイナス30度の地から帰国したばかりで、
日本の高温多湿な環境にまだ体が適応していません
もし正門で足止めを喰らっていたら、
体調不良を起こして倒れていたかもしれません
なので一足先に屋内へ避難させていただきました』
「しかしなあ……!!
お前は学園の誇り……埼玉の英雄なんだぞ!?
会えるのを楽しみにしていた者が大勢いるんだ!!
もうちょっとどうにかならなかったのか!?」
『そうは言われましても……
あ、皆さんもそんな暑い所にいないで
中に入ってきたらどうですか?
どうせ凱旋パーティーは屋内で行うようですし、
俺は絶対に外へは出たくありませんからね』
「くっ……仕方あるまい、そうさせてもらう!!
本当は俺だって外には出たくなかったからなあ!!
今日はよりにもよって日曜日なんだぞ!!
それで、お前は今どこにいるんだ!?」
『まあ居場所を教えてあげてもいいですが、
せっかくなのでかくれんぼでもしませんか?』
「それ絶対に見つけられないやつだろ!!」
いつも冷静沈着な学園長が振り回されている……。
やはり甲斐晃は只者ではないようだ。
甲斐晃──テレビや雑誌でその姿を知っていても、
間近で実物を目にすると誰しもが息を呑む。
まずは200cmジャストという日本人離れした身長。
先程の須藤先輩のデカさとそう変わらないどころか、
細マッチョなので相対的に小さく見えるはず。
……なのだが、これまた日本人離れした天然の銀髪と
獣の如き鋭い眼光の持ち主なので威圧感が半端ない。
どうやら先祖がヴァイキングという説があるらしく、
隔世遺伝により北欧系の顔立ちをしているそうだ。
様々な胡散臭い武勇伝が広まっている男だが、
実物を目の当たりにした者たちは例外無く
(あの話ってやっぱり本当かも……)と認識を改め、
いかにも興味津々な表情で彼に注目するのだった。
「え〜、関東魔法学園に通う生徒の皆さん
初めまして、甲斐晃です
あまりこういうスピーチには慣れていないので、
拙い部分もあるとは思いますがご容赦ください」
体育館に集まった者たちは改めて拍手で歓迎し、
スマホのカメラを壇上に向けながら歓声を上げる。
そして壁際に立つ来訪者たちも、若人に負けじと
ピーピーと口笛を吹いたり野次を飛ばしたりする。
「なんだよアキラ〜!
お前もしかして緊張してんのか〜?」
「魔物相手にゃ無敵のお前でも、
人間相手じゃ分が悪いってかあ!?」
「このロリコン野郎!!」
「どんなスピーチには慣れてるんだよ!?」
「あいつ対人スキル低めだったからなあ」
「コソコソ侵入しやがって……
埼玉の英雄が聞いて呆れるぜ!!」
散々な言われようだ。
実際彼は冷や汗を拭いながら話しているので
ガチガチに緊張しているのは明白であり、
いくら有名人だからといって衆目に晒されたり
カメラを向けられる行為には慣れていないようだ。
甲斐晃は友人の結婚式に参列するため帰国しただけで
母校には少し顔を見せる程度のつもりでいたのだが、
他ならぬ山田からの要望を叶えるため予定を変更して
今日1日はこの学園で過ごすとのことだった。
「え〜、皆さんもご存じだとは思いますが、
南極では現在、苛烈な戦いが繰り広げられています
目標は“テラノヴァダンジョン”の攻略──
D7の完全制覇を目的としたプロジェクトの
初期段階という位置付けになります
このミッションが無事成功すれば
また1つ最難関ダンジョンがこの世から消え去り、
人類は勝利へと一歩近づくことになるでしょう」
眼鏡の似合う真面目そうな女子生徒が挙手し、
甲斐晃は彼女が発言するのを許した。
いけない。
それは生徒会長の白鳥飛鳥だ。
「アキラさんは小学生と結婚したって本当ですか?」
「えっ」
会場がざわめく。
英雄的先輩がものすごく真面目な話をしている最中、
その流れをぶった切って低俗な質問が飛び出たのだ。
誰かこの不敬な質問者を注意するべきだったが、
周りの者たちも“甲斐晃ロリコン説”には興味があり、
どんな答えが返ってくるのかと期待しながら待った。
そして、よせばいいものを甲斐晃は律儀に返答する。
「その情報は誤りです
妻が小学校に通い出したのは結婚した後なので」
「おおぅ……」
言葉足らずである。
妻の希望は小学生のような外見をしているが
れっきとした成人女性であり、1児の母でもある。
子供の自主性を伸ばす教育環境を求めた結果、
現在はフィンランドに生活拠点を構えており、
そこで知り合った小学校教師からの提案で
言語習得のため授業に参加してはどうかと誘われ、
教育現場の雰囲気を知るいい機会だと思った彼女は
二つ返事でその提案を快く承諾したのだ。
結果、事情を知らない他の児童や保護者たちからは
本物の小学生だと思われている。
「その奥さんとは一緒に来なかったんですか?」
「いいえ、一緒に来ました
ただし好奇の目で見られるのを大変嫌がるので、
皆さんの前に姿を現すことはないでしょう
今は母子水入らずで各施設を見回っています
もしあとで見かけても、そっとしておいてください
不機嫌にさせてはいけない相手です」
「え、子連れでいらっしゃったんですか?
そんな目立つ客人を見逃すだなんて……」
「箱に入れてきました」
「箱に!?」
「3人は無理でした」
「入りたかったんですか!?」
甲斐晃は大きな猫である。
その後、甲斐晃が真面目な話をしている途中で
その友人たちが真面目ではない話で茶化して脱線し、
本人が話したがっていたであろう南極の状況は
あまり伝わらないままにスピーチが終わった。
そして凱旋パーティーの準備をするべく
集会は一旦お開きとなり、体育館には次々と
テーブルや椅子などが運び込まれてゆく。
その作業は全て学園職員がやってくれるそうなので、
手の空いた生徒たちは各自の方法で時間を潰す。
真っ先に体育館を飛び出していった者たちは、
おそらく甲斐晃の妻を探しに行ったのだろう。
メディアには一切顔出しをしていないばかりか
学園の記録でも顔写真や映像が封印されており、
身体データも非公開なので割と謎多き女である。
甲斐晃本人ではなく、その世代の者たちから
何か面白い話を聞き出そうとする生徒も多かった。
すると大体は例の武勇伝は本当だという話になり、
昔がいかに冒険者にとって冬の時代であったかを語り
現代の若者たちを暗い気分にさせるのだった。
「昔は良かった」ならぬ「昔は悪かった」だ。
甲斐晃を尾行する者たちは10秒後に標的を見失った。
標的は体育館を出た瞬間にダッシュで校舎へ向かい、
いとも簡単そうに2階の窓にジャンプインしたのだ。
そこから先はほぼ追跡不能である。
魔力を持たない者の痕跡を辿るのは困難を極める。
ダンジョン入り口で待機していた隼斗は、
約束を果たしに来た甲斐晃と合流する。
尚、山田が勝手に取り付けた約束である。
「君の話は山田君から聞いているし、
こちらも自己紹介は省かせてもらう
さっさと済ませよう」
「ええ、よろしくお願いします」
「安全のために確認しておくが、
大上君はソロでどこまで進める強さなんだ?」
「コボルトの群れを無傷で撃破できる程度で、
第2層から先へは行ったことがありません」
「把握した
準備も出来ているようだし、
それでは早速行ってみようか
今日もゼロ災でいこう、」
「「 ヨシ! 」」
第1層は全ての魔物を無視して通過し、
第2層では道中でコボルトと一戦交えて
隼斗の実力を証明する。
トレインを利用した攻撃リズムの調整、
からのポリリズム防御、的確なカウンター、
最小限の動きによる回避、100%成功する拳パリィ、
そして教科書には載っていない掴み戦術……。
「さすがは山田君を参考にしているだけあって、
テクニカルな戦い方が得意なようだな
君ならあの技を使いこなせるだろう
練習台を連れてくるから待っててくれ」
「あの技……?」
ほどなくして甲斐晃は戻ってきた。
お土産はコボルト2匹。
両脇に1匹ずつ、剛腕で首を絞めながらの登場である。
「少しきついとは思うが、
1匹押さえながら見学してほしい」
「あ、はい
できます」
隼斗は両手でコボルトの右腕を掴み、
下半身に力を込めて敵の行動を停止させた。
甲斐晃は……それを左手だけで実行している。
この時点で桁違いの怪力であることが証明され、
隼斗は背筋に薄ら寒いものを感じた。
「今から教える技はカウンターの応用だ
敵の攻撃が一番乗る瞬間、
胴体を押すと同時に腕を引っ張る
すると……」
ブチィッと音を立て、コボルトの右腕がちぎれる。
なんとも恐ろしい光景である。
ただグロテスクという意味だけでなく
隼斗が新発見だと思い込んでいた掴み戦術は、
目の前の怪力男が既に可能性を見出していたばかりか
想像以上の進化を遂げさせていたのだった。
「これでこのコボルトは攻撃手段を失い、
気兼ねなく使い捨てられる剣を入手できた
そしてこの技はコボルト以外の魔物にも有効で、
石人形シリーズやメタル系にも同じことが可能だ
パワーよりもタイミングが重要な技術だし、
君ならば少し練習すればモノにできるだろう」
「でき……ますかね?」
隼斗は言われた通り、敵の攻撃が一番乗る瞬間に
押す動作と引く動作を同時に行なってみた。
が、失敗。
タイミングも位置取りも完璧なはずだが、
甲斐晃とは圧倒的なパワーの違いがあるのだ。
2回、3回、5回……と挑戦し、
ちょうど10回目でコボルトの肩に亀裂が入る。
だがそれはこれまでの蓄積ダメージのおかげであり、
この難易度の高い新技を一発で成功させるには、
筋力の強化が必須であると思い知る隼斗であった。
第3層の魔物は当然全て無視だ。
魔力を持たない2人による進軍は実にスムーズで、
隠密性能の高さを存分に有効活用できた。
第4層に到着した彼らはストーンナイトを発見し、
甲斐晃は先程の発言が嘘ではないことを証明するため
手ぶらの状態で敵の方へと進み出る。
「ちなみに武器を持っていない魔物のパーツを
引きちぎるという芸当も可能ではあるが、
遠心力が弱いぶん、こちらの負担が大きくなる
まあ、そういう敵に対しては部位破壊を狙うよりも
素直にダメージを与えて処理した方がいいな」
そう言いながら甲斐晃はさも当然のように、
まるで発泡スチロールを分解するような感覚で
ストーンナイトの右腕をバキンと破壊するのだった。
その戦利品を適当なロープに括り付ければ、
あっという間に即席のフレイルの完成だ。
「鉤縄はいろんな場面で役に立つからおすすめだ
フック付きロープと呼んだ方がわかりやすいか
厄介な地形を安全に移動する目的以外にも
こんなふうに魔物のパーツを武器に出来るし、
なんなら敵を縛り上げて動きを封じることも可能だ
それに鉤の部分が遠近両用の攻撃手段にもなる」
この辺から隼斗はもう何を言えばいいのかわからず、
極端に口数が少なくなっていた。
「おっと、ゴーレムがいるな
第2層では見かけなかったから、
これでようやく君に証明できる」
証明……例の代表的な武勇伝の件だろう。
素手でゴーレムを粉砕できるとかいう、
にわかには信じられないアレだ。
だが、隼斗はもうほとんど疑っていなかった。
この男ならばそれが可能であると信じていた。
コペルニクス的転回である。
そして、甲斐晃は素手でゴーレムを粉砕したのだ。
巨大な岩の塊を、たった一撃で破壊したのである。
「拳骨や貫手で叩くのはやめておいた方がいい
掌底を使うのが安全だし、俺も最初はそうだった」
(えっ、なんだこの人……
俺が真似すると思っているのか……?
他の人間にも可能だと思っているのか……?)
山田の苦労が少しわかった気がする隼斗であった。
第6層ではドラゴンの対処法を学んだ。
「見ての通りドラゴンの体長は60cmほどしかなく、
体重は100kgにも満たない
だというのに攻撃力はバルログの倍以上ときた
物理的にはあり得ないことなんだが、
『魔物だから仕方ない』という風潮のせいで
長い間見過ごされてきた問題だ
だが……」
甲斐晃は片手でドラゴンを持ち上げて説明を続ける。
「こいつが攻撃する時には、
いつも尻尾が地面に着いている
この尻尾こそが無茶苦茶な攻撃力の源なんだ
そして尻尾さえ接地していなければ、
その攻撃力はバルログと同程度にまで低下する」
「それでも充分脅威なんですが……
とりあえず尻尾を斬り落とすことができれば
強引に攻撃デバフの効果を与えられる、と」
「いや、それも1つの手ではあるが、
こうやってただ持ち上げているだけで
無害な存在へと成り果てる
時間稼ぎの手段になるから覚えておくといい」
「無害な存在……?」
首根っこを掴まれたドラゴンは空中でジタバタ暴れ、
甲斐晃に向かって鋭い牙をガチガチ鳴らしている。
少しでも腕の力を緩めれば確実に噛み付かれるが、
この男に限ってそんなミスは犯さないだろう。
「尻尾を掴んで振り回すのはおすすめしない
隙あらば噛みつこうとしてくるからな」
「安心してください
俺にはできませんので」
帰り道の第5層と第2層にて、
甲斐晃は通路の奥から飛んできたローパーの触手を
反射的にキャッチし、その怪力で引きちぎったり、
ローパーの本体を振り回して武器にしたりと、
常人には再現できない戦法を教えてくれた。
隼斗はもう驚かなくなっていた。
あまりにも現実離れした現実と直面し続けたせいか、
現実感が薄れてしまったせいだろう。
「アキラさん
オークの壁ってありますよね?
人間が素手で倒せる限界だとか……
アキラさんの限界はどこなんですかね?」
「君と同じだ
第3層に生息しているジェリーやジャックなど、
いわゆる精霊系と呼ばれる魔物は倒せない
素の状態では物理攻撃が通用しない以上、
魔法を使える味方の協力が必須となる」
「では、それ以外の……物理攻撃が通用する魔物で
仕留め損ねた相手とかいますか?」
「今まさに南極で仕留めようとしている標的だな
テラノヴァダンジョンのラスボス、
通称“モビーディック”──
体長100mを超える空飛ぶ白鯨だ
各国の精鋭が連携すれば討伐は可能なんだろうが、
政治的な意思が介入して足を引っ張り合っている
……っと、1対1で戦う前提の魔物ではないな」
「戦いのスケールが違いすぎる」
無事帰還した隼斗が時計を見ると、
出発からわずか1時間しか経過していなかった。
第2層から先は未知の領域……まあ予習はしていたが、
初めて足を踏み入れる場所であったにもかかわらず、
つい「案外楽勝だった」という錯覚に陥ってしまう。
この感覚に慣れてはいけない。
人類最強の戦士が同行していたのだ。
楽しいピクニックで済んだのはそのおかげだ。
しかしまあ、なんと濃密な1時間だったろうか。
山田の狙い通り、常識の殻は粉々に破壊された。
あとで甲斐晃の記録を見直す必要がある。
今度は余計な偏見は捨て去り、真実を見るのだ。
だが決して真似はしない。参考にするだけだ。
というか、あの超人の真似なんてできやしない。
相変わらず“第2の甲斐晃”になるつもりなんてない。
“オークの壁”には少しだけ興味が湧いていたが、
今となってはもうどうでもいい。
それは単なるテレビの企画だ。
冒険者の使命は魔物の脅威から人々を守ることであり
その手段にこだわるべきではないのだ。
使える物はなんでも使う。
隼斗の方向性が定まる瞬間であった。




