持たざる者
8月某日。
とはいえ現在の話ではない。
彼が入学する以前の出来事である。
その日、関東魔法学園にて一般入試が行われた。
通常、当学園の生徒は事前調査により将来性が高いと
判断された者のみが入学できることになっているが、
大人の事情で一般入試枠も設けられている。
その一般入試だが、正直受からせる気は無い。
合格者が出てはまずいのだ。
というのも当学園は冒険者を養成する機関であり、
魔物と戦う才能が乏しい者に来られても困る。
やる気だけあっても生き残れない業界なのだ。
そのため試験内容は非常に難易度が高い……
というか、突破不可能なレベルに設定されている。
生身の人間が道具の補助を借りずに、
500kgの鉄塊を持ち上げられるわけがない。
とまあ、そんな理不尽な内容の試験なので、
これまで一般入試の合格者は1人しか出ていない。
試験会場には300名以上の受験者が集まっており、
その理不尽な試験の開始を今や遅しと待ち侘びる。
彼らは試験の内容を知らないはずだが
現場には妙に筋骨隆々な者たちの姿が多く、
本来は機密事項扱いされている試験内容についての
情報が出回っているであろうことは明らかだった。
由々しき事態ではあるが、控え室の試験官たちは
モニターを眺めながら呆れ笑いするだけである。
「まあ、長年やってきた試験ですからね
落ちた連中の弟や妹、後輩なんかに話が伝わって
力自慢の奴らが年々増えていったんでしょうな」
「去年は少しヒヤッとさせられましたね〜
力自慢+自己強化+魔法効果増幅のコンボで
あの鉄塊が10cmくらい浮きましたもん
まあ、その後の30秒キープで脱落しましたが」
「2人目の合格者が出ないように、と
追加したルールに助けられた結果ですね
まあ10cmの彼は間違いなく素質あったんで、
不合格にするのはもったいなかったですけどね」
「魔法学園には入れなかっただけの話ですよ
別の冒険者養成機関に行ったかもしれないし、
野良冒険者としてデビューしたかもしれない
あるいは冒険者の道を諦めたかもしれない……
まあ、あれこれ考えても仕方ありませんね
10cmの彼は元気にやってると思いましょう」
「なんだか下ネタトークしてる気になってきました」
時計の針が午前10時を指し、会場に試験官が現れると
受験者たちは姿勢を正して言葉を待った。
「え〜、ご来場の皆さん
これよりバスで移動いたしますので、
速やかに搭乗してください
ちなみに1台につき定員は50名、
出せるバスは2台までとします」
「あれ? ここが試験会場じゃないのか?」
「うちの兄貴はそんなこと言ってなかったぞ」
「とりあえず50人のグループ作れってことかな?」
「300人くらいいるから3往復はする計算だな」
と、ざわめく受験者の中から突然、
駐車場の方へと駆け出す男子が1人。
「なんだあいつ、漏れそうだったのか?」
「先にトイレくらい済ませとけよな〜」
「あっちに便所なんてあったっけ?」
「今更ビビって逃げ出したんじゃねーの?」
と勝手な想像をして笑い合う受験者たち。
だが、すぐに笑っていられない状況になる。
この場にはやる気ある者が309名集まっていたが、
試験官から追加の情報を与えられる前に
正しい選択をできたのは件の男子1名だけだった。
「バスが出発するのは10時10分として、
残念ながら搭乗できなかった者は
その時点で不合格とします
もう一度説明しますが1台につき定員は50名、
出せるバスは2台までとさせていただきます
尚、当学園と次の会場との往復はいたしません
もし定員に達していない場合でも、
10時10分になった時点で出発いたします
以上です」
「えっと……どういうことだ?」
「もう3分過ぎてんじゃん、急いで並ばなきゃな」
「いや、そうじゃない気がする……」
「出せるバスは2台まで…………ハッ!」
つまり、バスに乗れるのは100人までということだ。
そして乗れなかった209人、あるいは209人以上は
10時10分になった時点で篩い落とされることになる。
「速やかに搭乗してください」
試験はもう始まっていたのだ。
抜け駆けした1名は既に座席を確保できたとして、
残りの99席を巡り、受験者同士で争えということだ。
魔法学園式椅子取りゲームである。
「うおおおお!! どけえええ!!」
「押すんじゃねえええ!!」
「引っ張るのもやめろおおお!!」
「こんな試験だなんて聞いてねえぞおおお!!」
当然だ。
言っていないのだから。
500kgの鉄塊を持ち上げるという試験は廃止し、
今年からは別の内容で行くことにしたのである。
学園側は1人も合格者を出したくないのだから、
もちろんこの椅子取りゲームで終わりではない。
これは始まりに過ぎないのだ。
308名の受験者たちが駐車場で乱闘した結果、
無事バスに乗ることができたのは97名であった。
出発予定時刻の時点で1号車はちょうど50名だったが
2号車は52名乗っており、余分な2名を排除しようと
入り口付近でゴチャゴチャとやっているところを
不機嫌な運転手がまとめて車内から放り出し、
本来は乗れていたはずの3名が道連れにされたのだ。
バスでの移動中、恐る恐る挙手する女子が1人。
彼女は酷く青褪めており、全身をガタガタと震わせて
試験官に対して不満を漏らした。
「あ、あの……
冷房効きすぎじゃありませんか!?
私、冷え性なんです!!
少し温度上げてもらえないですか!?」
震えている受験者は彼女だけではない。
むしろ全員が肩を縮こまらせて両腕を摩っており、
対する試験官と運転手は防寒具に身を包んでいる。
きっとこれも試験なのだろう。
どれだけ過酷な環境に耐えられるかという内容の。
だが、意外にも試験官の答えは予想とは違っていた。
「ああ、やっぱり寒すぎるよね
他に温度を上げたい人がいたら手を挙げて〜
それで脱落させたりはしないから安心してね
ただ、次の試験のために体を慣らしているだけさ」
「え、体を慣らす……?」
「うん、次の会場は寒い所だからね
先に試験内容を伝えておくと、“我慢大会”だよ
室温を低く設定した会場に君たちを放り込んで、
制限時間を耐え抜いた者が次のステップへと進める
その試験を突破したいのなら、少しでも低温環境に
慣れておいた方が有利だとは思うけどね
まあ、温度を上げるかどうかは君たちの自由だ」
受験者たちがキョロキョロと周りの反応を窺う。
どうするべきか、自分だけでは決められないのだ。
現在の冷房ガンガンな状況もすごく嫌だが、
今よりも寒いであろう次の会場のことを考えると
試験官の言う通り体を慣らしておく方がよさそうだ。
そんな中、迷いなく発言する男子がいた。
それは真っ先に1号車へ搭乗した彼であり、
まあぶっちゃけ大上隼斗である。
「俺は温度を上げるべきだと思う
このままじゃ低体温症になりそうだ
次の会場まであとどれくらいかかるのか、
その場所の室温は何度に設定してあるのか、
制限時間は何分……何時間かもしれないけど、
とにかく具体的な数字が何一つ出てこない
しかも試験官は『有利だとは思う』と、
自分の感想を述べただけに過ぎない
そんな不確定な情報に振り回されるよりも、
今は快適な環境で体力を温存しておいた方が
次の試験を突破するのに有利だとは思う」
その意見を聞き、どっちつかずだった者たちが
5人、10人と次々に挙手して賛同の意を告げ、
最終的にバスの冷房は15度上げられることになった。
3時間後、受験者たちは次の会場に到着した。
そこには倉庫があり、おそらく冷凍庫なのだろう。
緊張する彼らが周りを見渡すと違和感に気づく。
なんだかさっきより人数が減っている気がするのだ。
それもそのはず。
1号車からは1名も脱落者は出なかったものの、
2号車からは42名が途中で下車したので、
残りの受験者は55名となっていた。
「温度上げといて正解だったな……」
「2台目の奴ら、唇が真っ青だぜ……」
「この先耐えられるのかしら……」
そんな他人の心配をする彼らに試験官が告げる。
新たなルールの追加だ。
「え〜、これより私語は厳禁といたします
『熱っ!』とか『寒っ!』とかの
つい反射的に出てしまう言葉は大目に見ますが、
明らかに他の受験者と会話をしていたり、
長々と独り言を呟いた者は不合格とします」
謎なルールだ。
なぜ最初からそうしなかったのだろう?
まあ、急遽取り入れられた大上隼斗対策である。
試験官たちはこの会場へ辿り着くまでに
もっと多くの脱落者が出ると踏んでいたのだが、
その予定が狂ってしまい焦っていた。
それというのもファインプレーを続けるあの男、
大上隼斗が原因だろう。
このままでは10人、20人と多くの受験者が
一般入試を突破してしまう恐れがある。
その事態だけはどうしても避けねばならない。
事前に聞いていた通り倉庫の中はひんやりしており、
壁にある温度計はちょうど0度を指し示している。
もう寒いなんてもんじゃない。冷凍庫だ。
バスの中の温度が10度だったとすると、
それよりも遥かに低い室温なのだ。
やはり体を慣らしておくべきだったか……?
と何名かの受験者が大上隼斗を睨みつけるが、
その考えはすぐに払拭されることになる。
「ギブ……ギブアップ!!」
「もう無理です!! 帰らせてください!!」
「もう寒いのは嫌だ!! 死んじゃうよ!!」
「今は8月だろおおお!? おかしいよおおお!!」
「誰がこんな思いしてまで冒険者になるか!!」
我慢大会が開始される直前で5名が脱落した。
彼らは全員2号車に乗っていた者たちだ。
根性を振り絞って3時間のドライブを耐えたものの、
温度計の数字を見てしまったことで何かが壊れて、
もうどうでもよくなってしまったのである。
かくして次なる試験が始まった。
0度設定の倉庫内で1時間耐えろとの無茶振りが。
受験者たちは皆、半袖であった。
今は8月。夏真っ盛りなのだから当然の服装だ。
彼らは防寒具無しで、この過酷な環境に
打ち勝たなければならないのである……!
「寒っ!」
「寒いなあ!」
「冷たっ!」
私語厳禁ルールの下、彼らは必要最低限の言葉で
なんとか他の受験者との意思疎通を図る。
だが伝わるはずがない。
せいぜい伝わるのは寒いとか冷たいとか、
そんなわかりきった体感温度の情報だけである。
そんな無益な行動をする者たちばかりの中、
大上隼斗が歩き出したので試験官は目を光らせる。
彼はまた何か攻略のヒントを発見したのだろうか?
運動禁止のルールも追加しておくべきだったろうか?
いや、それを縛ったらさすがに生命の危機だろう。
試験官たちは、これはどうしたものかと悩みつつ
静かに成り行きを見守ることにした。
大上隼斗は出入り口付近の壁まで来ると立ち止まり、
室内温度計を凝視しながら考え込んでいるようだ。
それはデジタルではなく、昔ながらの赤いメーターで
現在の室温を測るタイプの物であった。
そして大上隼斗は「ハア〜」と温かい息を吹きかけ、
メーターに変化があるかどうかを確かめた。
まずい。
それはダミーなのだ。
実際の室温はバスでの設定と同じ10度なのだが、
受験者たちに『さっきより寒い』と思わせるために
敢えて目立つ場所に0度と表示された偽物を
配置しておいたに過ぎない。
人間の思い込みというものはすごい。
たとえ虚偽の情報を与えられたとしても、
それが真実であると錯覚している限りは
肉体が虚偽の環境に適応するようになる。
プラシーボ効果というやつだ。
受験者たちは今、室温が0度だと錯覚しているが、
その前提が覆ってしまったら終わりだ。
室温10度の環境で3時間耐え抜いた者が5人いたのだ。
快適なバス移動で体力を温存していた彼らならば、
きっとそれ以上の人数が突破できてしまうだろう。
ここでまた大上隼斗が歩き回るものだから、
試験官たちの気が休まる暇は無い。
まさか、誰かに真実を伝えようとしているのか?
だが私語は禁止してある。言葉は使えない。
しかし相手は大上隼斗だ。何をするかわからない。
大上隼斗は他の受験者……冷え性の女子の前に立ち、
両手を擦り合わせるジェスチャーを見せつける。
これは……なんだ?
と試験官たちは首を傾げたものの、
すぐにその意図を理解して青褪めた。
そして同じく意図を理解した冷え性の女子は
大上隼斗の胸に飛び込み、全身を擦りつけたのだ。
人肌で温め合おうという作戦である。
彼がわざわざ女子を選んだのは、
まあそういうことなのだろう。
「はいっ、皆さん!!
ここで新ルールを追加します!!
他の受験者との身体的接触は一切禁止します!!
一切禁止です!!
ちょっとでも触れ合ったら即アウトです!!」
その唐突なルール追加に受験者たちは戸惑い、
いかにも不公平感の滲み出る視線で試験官を睨んだ。
心なしか大上隼斗は残念そうな表情をしており、
女子と触れ合える機会を潰されて不服なのだろう。
いい気味だ。
その後、10分程度は平和だった。
受験者たちはガチガチと歯を鳴らしながら
自分自身の腕や脚をガシガシと摩りまくり、
その場で足踏みなどをして寒さと戦っている。
地獄のような光景だが、悪意あってのものではない。
学園からスカウトされていない者たちを弾くのが
試験官の仕事であり、それは受験者のためでもある。
冒険者という職業が命懸けの肉体労働であるという
事実を忘れてはならない。
世の中に必要な職業ではあるが、他の道へ進めるなら
そちらを選んだ方が安全に暮らせるのである。
まあ受験者たちもその辺は覚悟しているだろうし、
この中にも将来性の高い者が紛れているのだろうが、
彼らはスカウトの目に止まらなかった存在なのだ。
機会が無かったのだと割り切るしかない。
と、ここで大上隼斗が怪しい動きを見せる。
彼は倉庫内の階段を上がり、踊り場で立ち止まって
手すりをカンカンと鳴らして注目を集めたのだ。
そして受験者たちの注意が自分に集中しているのを
確認すると、スッと両拳を頭の高さまで上げ、
少し溜めた後にワン、ツー、スリー、と
空中で上下左右の曲線を描き出したではないか。
その怪しい動きは実に規則的であり、かと思えば急に
どこか一点を指差してダイナミックに振るわせたり、
逆にコンパクトな小刻みに変化したりと、
まるでオーケストラの指揮者のようであった。
実際、彼は頭の中で音楽を流していたのだ。
「おやおや、ベートーヴェンの第九とは……」
「いえ、ショパンのピアノソナタでしょうな」
などと試験官がそれっぽく言ってみるが、
正解はヴィヴァルディの四季『夏』第三楽章である。
ひと仕事終えた彼は観客に向かってお辞儀をし、
拍手喝采を浴びながら階段を下りてゆく。
何を演奏していたか当てられた者はいないにしろ、
大上隼斗の行動は受験者たちの心に響いていた。
なぜかはわからないが、なんだか熱くなれたのだ。
そして事実、大上隼斗は額に汗を掻いていた。
音楽への情熱なのか、激しく動いたせいなのか、
注目を浴びて恥ずかしかっただけなのかもしれない。
なんにせよ、彼の心が熱かったのは間違いない。
しばらくして、真似をする者がちらほらと現れる。
とはいえ注目を集めて指揮を執ったわけではなく、
各々が頭の中でホットな音楽を流しながら
全身でリズムを取り、エアギターを演奏したりして
心と体の両方を温め始めたのである。
所変わり、学園長室では試験の様子を確認しようと
学園長がPCの画面を切り替えたところだった。
するとそこには無音の倉庫内で激しくヘドバンしたり
全身をくねらせて歩き回る受験者の姿が映し出され、
これには学園長も困惑せざるを得ない。
「あいつらクスリでもやってんのか……?」
──室温0度の倉庫内での我慢大会は終わった。
まあ実際には10度だったが、その事実は伏せたまま
無事に制限時間を迎えることができたのである。
残念ながら全員が突破できたわけではない。
どんなに心を温めても体に限界が来てしまい、
リタイアを申し出た者が27名。
23名の受験者が残った。
「さて、倉庫から出る前に
次の試験について説明しておきます
皆さんには、この扉を開けた瞬間から3分以内に
外に用意してあるお風呂に浸かってもらいます
バスの時と同じく、試験開始時点で所定の位置に
着いていない場合は即不合格となります
お風呂の数は10個なので最低でも13名は入れません
また受験者同士で枠を奪い合う形ですね」
風呂と聞いて受験者たちの顔が明るくなる。
当然だ。寒い中、1時間も半袖で過ごしたのだ。
体の芯まで温めたいと思うのは自然な欲求である。
「やった、風呂だあああ!!」
「冷え切った体にはありがたいぜ!!」
「いや、待てよ……」
「そのお風呂ってのは、まさか……」
試験官は冷酷に告げる。
「はい、そこの4名は失格です
私語厳禁ルールはまだ生きてますよ
……ちなみにただのお風呂ではありません
お察しの通り、“熱湯風呂”です」
椅子取りゲームと我慢大会のコラボレーションだ。
残った19名の受験者たちは、冷たい倉庫の中で
体を震わせながら配布された水着へと着替える。
残念ながら全員男だ。
女子は全滅してしまった。残念。
そして私語厳禁なので会話こそしなかったものの、
彼らの中では暗黙の了解が取り交わされていた。
大上隼斗の枠には手を出さない、という誓いだ。
なんというか、彼はヒーローだった。
もし次の試験で自分たちが脱落したとしても、
大上隼斗には勝ってほしいという願いがあったのだ。
そこで大上隼斗を除く18名は9組のペアを作り、
枠を奪い合うにしても1対1の構図になるように
あらかじめ仕組んでおいたのである。
そして──倉庫の扉が開けられた!
38度の炎天下、19名の戦士たちが一斉に走り出す。
一番手前の風呂は大上隼斗の独占状態であり、
残りの9箇所にはそれぞれ2人ずつが張り付いた。
その示し合わせていた動きに試験官は驚かされるも、
さすがにこの試験は突破できまいと余裕の笑みだ。
「熱っつううう!!」
「なんだこりゃ!?」
「マジかよ!?」
そんな叫び声が聞こえてくる。
まあ私語ではない。大目に見よう。
受験者たちはすぐには風呂に飛び込まず、
まずはどれくらい熱いのか確かめようと
少し指を入れただけでこのザマだ。
50度。
自宅の風呂をそこまで熱くする人間は稀だろう。
そして、先程まで10度の空間で過ごしていた彼らには
あまりにも過酷な温度差による暴力であった。
さすがの大上隼斗でも、これにはお手上げのはずだ。
大上隼斗はアクリルケースを斜めに傾け、
中身の熱湯を捨てている!
「あっ……
いやいやいや、駄目だよそれは!!
反則!! 失格!! 不合格!!」
と非情な宣告がなされ、受験者たちは混乱する。
我らがヒーローが脱落してしまったのだ。
それは絶望的な不測の事態であった。
しかし、希望は残されていた。
「待ってください!!
『お湯を捨ててはいけない』
なんてルールは無かったはずです!!」
先に脱落した受験者たちによる援護射撃だ。
「そうだそうだ!!
『風呂の底から尻を離してはいけない』
っていうルールだったはずだろ!?
お湯に関しては何も言ってなかったぞ!!
注意事項があるなら先に言え!!」
思わぬ反撃を受けた試験官はたじろぎ、
それでも正義はこちらにあると信じて反論する。
「なっ……う、うるさい!!
そんなのわざわざ言うまでもない常識だろ!?
屁理屈を捏ねたって通用しないぞ!!」
「熱湯風呂が常識なわけないじゃん!!
むしろ入れないほど熱いお湯なんて、
捨てちゃった方がよっぽど常識的だよねえ!?」
「じゃあこれならどうだ!?
『お湯を捨ててはいけない』
というルールを追加する!!」
「それは今追加したんでしょう!?
大上君はその前に捨てたから無効ですぅー!!」
「有効ですぅー!!
試験官が有効だと言えば有効なんですぅー!!」
だが更に反撃を受ける。
しかもそれは脱落者からではなく、
試験官よりも上の立場の人間からのものであった。
「田所さん、電話です」
「今はそれどころじゃ──」
「学園長からです」
「えっ……?」
恐る恐る電話を受け取った田所試験官は
しばらく学園長と話し込み、最初は強気だったものの
段々と雲行きが怪しくなってゆき、冷や汗を垂らして
電話越しにペコペコと頭を下げまくる。
彼は1人も合格者を出してはならないという使命感で
少し暴走してしまい、本来予定していたはずの
試験内容よりも厳しい条件を受験者に課していた。
バスでの移動は1時間で済むところを
無駄に遠回りするルートを選んで3時間かけ、
倉庫での我慢大会は30分で終わらせるはずだった。
そして今回の熱湯風呂は45度を予定していたのだ。
『田所さん
死人が出たらどうするんですか?
もしそうなった場合、責任を取るのは俺ですよ?
長年試験官を務めてきたあなただからこそ、
一般入試について名案があるという言葉を信じて
全ての段取りを任せたわけですが……』
「あ、それは、はい……
その、申し訳ございません……」
その後1時間ほど現場の試験官たちで話し合い、
それが終わると電話で学園長の確認を取り、
ようやく中断していた試験が再開する運びとなった。
「え〜……
厳正なる協議の結果、今後行われる予定でした
試験内容を大幅に省略することといたしまして、
次回をもって最後の試験とさせていただきます」
最終試験……受験者たちが息を呑む。
過酷な試験はまだ大量に用意されていたようだが、
まあ、それがすっ飛ばせたのだから喜ぶべきだろう。
……いや、喜ぶのはまだ早い。
それは確実に今までで最も難しい試験なのだ。
我らが大上隼斗が脱落してしまった今、
残された受験者たちだけで突破できるのだろうか?
「え〜、それから大上隼斗君についてですが……
先程は不合格の烙印を押してしまいましたが、
学園長から『不正は無かった』との指摘を受け、
厳正に協議いたしましたところ……」
受験者たちが息を呑む。
……早く結果を言ってしまえばいいものを、
なぜもったいつけて話す必要があるのだろうか?
非常にイラつく。
「不合格を撤回することが決定されました
彼にも最終試験に参加する権利があります
……大上君、どうしますか?」
大上隼斗は黙って頷き、参加する意志を示した。
当然だ。
受験者たちは皆、そのために集まったのだから。
そして彼らはヒーローの復活に歓喜し、
黙ったままガッツポーズを取ったりして
その感情の丈を全身で表現するのだった。
「あ、私語厳禁ルールも撤回いたしますので、
もう喋っても大丈夫ですよ」
「それを先に言え!!」
「接触ルールは!?」
「女の子に触ってもいいですか!?」
「肌と肌を擦り合わせてもいいんですか!?」
「ええ、接触禁止ルールも撤回いたします
……ですが擦る前に相手の許可を取りましょうね
私は昔それで……あ、いや、忘れてください」
田所試験官の闇は深い。
受験者たちは最終試験会場へと──向かわなかった。
というか、今いるこの場所が会場なのである。
「試験内容は……熱湯風呂です!」
「えっ」
「同じ?」
「なんで?」
一同は困惑する。
それはてっきり中止になったのかと思われていたが、
どうやら続行されるようだ。しかも……
「50度の設定はさすがにやりすぎたので、
本来の予定通り風呂の温度は45度とします
とはいえ、それはただ元の設定に戻しただけなので
皆さんの納得を得ることはできないでしょう
そこで、せめて枠の奪い合いが発生しないように
人数分の風呂を用意するということで
ご容赦いただきたいと存じます」
「おお、45度なら全然余裕じゃん!」
「制限時間次第だけどな……」
「なんにせよ全員に挑戦権が回ってよかったな!」
「尚、制限時間は10分とさせていただきます」
「10分!?」
「短っ!!」
「いける……いけるよ!!」
45度の風呂に10分浸かる……
もはや熱湯ですらない、少し熱い程度の風呂を
10分だけ我慢すれば合格となるそうだ。
なんたる大サービスだろうか。
きっと学園側は今までの非礼を詫びるつもりなのだ。
残った受験者19名を全員合格させるつもりなのだ。
……と、彼らは楽観視していた。
急遽用意された追加のアクリルケースに湯が注がれ、
その周囲に仕切りが設置されてゆく。
それはお互いの様子を確認させない目的ではなく、
どうやらデジタル時計を取り付けるための
壁が必要だったための措置らしかった。
時計なんて大きいのが1つあればよいものを、
なぜ19人分の個別ブース全てに設置したのだろうか?
……という疑問を持った受験者は1人だけであった。
「それでは──試験開始!!」
試験官の合図で最終試験が始まった。
45度。まあ熱いといえば熱いが、先程のように
冷え切った体との急激な温度差があるわけではない。
大人たちがゴチャゴチャと揉めている間に、
彼らの体温はすっかり回復していたのである。
「ふぃ〜〜〜、極楽極楽っと!」
「これならなんとかなりそうだな!」
「一時はどうなるかと思ったぜ!」
そして更なるサービスが行き届く。
「え、マジ!?」
「扇風機が来た!!」
「メッチャありがたいぜ!!」
もう受かってくださいと言わんばかりの待遇である。
しかも倉庫の扉が開放され、ひんやりとした空気が
扇風機を伝って受験者たちに運ばれるのだ。
それにより、心なしか水温も下がるような気がして
彼らは大喜びであった。
「しかもドリンク付きなの!?」
「アイスも運ばれてきたぞ!?」
「いっただきま〜〜〜っす!!」
至れり尽くせりである。
受験者たちは次々と運ばれてくる飲食物を手に取り、
なんの疑いも持たずにそれらを口にする。
「ちょ、ちょっとみんな!!
それ食べても大丈夫なのかな!?
お腹痛くなった人とかいるぅ!?」
まあ中には少しだけ賢い者もいたようだが、
その不安はすぐに解消されることになる。
試験官は提供しているのと同じアイスを頬張り、
ドリンクをゴクゴク飲みながら説明したのだ。
「その点はご安心ください
下剤だのなんだの混ぜたら大問題ですからね
私たちはそのような危害を加えたりはしません
ただ、あくまで受かってほしくないだけですよ」
最後の一言が少し引っ掛かるが、
少しだけ賢い彼は概ね安心してアイスを受け取った。
それから時計の数字はあっという間に進んでゆき、
9分50秒と表示されると受験者たちや脱落者たち、
更には試験官たちまでもが同時に「10!」と叫び、
まるで事前に打ち合わせていたかのように
カウントダウンの大合唱が始まった。
「9!
8!
7!
6!
5!
4!
3!
2!
1!」
次の瞬間、ザパァーンと水飛沫の音が上がり、
続いて若者たちが大はしゃぎする声が聞こえ、
過酷?な戦いを勝ち抜いた仲間たちは
お互いの健闘ぶりを褒め称え合っていた。
「やったな、俺たち合格だぜ!!」
「これで冒険者になれるんだな!!」
「お前ら、これからよろしくな!!」
「みんな、おめでとう!!」
「落ちた僕たちの分まで頑張ってくれよ!!」
最高の瞬間であった。
「はい、君たち全員不合格ね」
……。
「え?」「は?」「今なんて?」「合格だろ?」
「きっと言い間違えたんだ」「それか聞き間違い」
「10分浸かってたよな?」「ああ」「なんでだよ?」
脱落者たちは困惑しつつ、試験官に注目する。
「もう一度言いますね
残念ながら君たちは全員不合格です」
聞き間違いではなかった。
どういうわけか彼らは不合格になってしまったのだ。
「いやいやいや……おかしいだろ!!!」
「なんで俺たちが不合格なんだよ!!!」
「ちゃんと10分浸かってただろお!!!」
熱湯風呂に10分浸かる。
そのミッションはクリアしたはずだ。
だというのに、この仕打ちはいかがなものか。
絶対におかしい。絶対に許さない。
と、ここでネタばらし。
「いや〜、実はこの時計ね
実際の時間より少し早く進むようになってまして、
本当はまだ30秒くらい残ってるんですよ〜
皆さん見事に引っ掛かってくれて安心しました
まったく残念でしたね、ハハハ」
脱落者たちはポカーンと口を開けたまま固まる。
せっかくここまで来たのに、合格したと思ったのに、
最後の最後で油断してしまったせいで
今までの苦労が水の泡となった。
思い返せばあの好待遇はあまりにも不自然すぎた。
試験官は『受かってほしくない』と言っていた。
その言葉にもっと疑問を持つべきだったのだ。
今年の一般入試も全員不合格──
……ではなかった。
「ほら、大上君
君も早く風呂から上がりなさい」
「なぜです?」
「なぜって、そりゃ……え?」
「あと10秒……8、7、6──」
「ちょ、え、あれ……???」
19名残った受験者たちの中でただ1人、
大上隼斗だけは正しい時間を把握していた。
彼は試験開始からずっと目を瞑った状態であり、
もしどこかに別の時計があったとしても、
それを見ることは不可能である。
何か時計に代わる物を隠し持っていたわけでもなく、
誰かがイヤホンを通して……というのも無理だ。
大上隼斗は、自らの体内時計を信じていたのである。
「「 3!! 」」
脱落者たちによるカウントダウン!
「「 2!! 」」
「いや待っt──」
焦る試験官たち!
「「 1!! 」」
「やめてえええええ!!!」
勝利は目前……!!
「「「 ゼロオオオオオ!!! 」」」
「いやあああああぁぁぁ!!!」
最終試験、これにて終了──!!!
関東魔法学園の一般入試にて、
史上2人目の合格者が現れてしまった。
その名は大上隼斗。
奇しくも彼は史上1人目の合格者と同じく、
魔力を持たずに生まれた普通の少年である。




