第九十三話 山登り
村を出発した流凪は、目の前に伸びる坂道を見上げた。かなりの密度で木々が立ち並び、落ち葉に覆われた地面はいかにも踏み出した足を飲み込んで進行を妨げてきそうだ。傾斜はそこまで急ではないようなのでそこだけは幸いだが、果たして流凪の足でこの山を探索することが可能なのだろうか。山頂に向かって真っ直ぐ進むだけでもギリギリ行けるか行けないか微妙なところだと感じられた。ましてやこの山の全てを探索するなど間違いなく不可能だ。
「うーん、まあいっか。どうにかなるよねー」
しかしそんな山を目の前にして、流凪は特に深く考えることなく踏み込んだ。集合時間になった際、最悪でも自分が気配を感じ取れる範囲には何もいなかったということは分かるはずだ。もし探索が完了出来なかったとしても、それだけでも多少の成果ということで帰還することは出来る。広範囲の気配を感じ取ることが出来る流凪ならではの作戦により、楽観的思考で山に入ることにした。
とりあえず山頂を目指すことにした流凪は、ひたすら真っ直ぐ進む。この山に何か手がかりがあったとして、それを見つけられる可能性が最も高いのはやはり山頂だ。その後に山全体を探索するのかそのまま下山するのかは、山頂に辿り着いた時の体力と時間に相談することにして、まずは山頂のみを目標とした。流凪だって自分の体力が全然ないことは理解している。最初から山全体をしらみつぶしになど探索出来る訳がない。これは怠惰からではなく、合理的思考から立案された作戦だった。
「ふぅ、ふぅ……」
案の定、段々と息が上がってきた流凪だが、しかし思ったよりも楽に足を進められていると感じていた。その理由は恐らく、地面の落ち葉が踏み固められているからだろう。明らかに木から落ちたそのままの状態ではなく、それなりに多数の存在が、何度も何度もこの場所を通って落ち葉を踏みつけている。少し進行方向を変えてみると、落ち葉の踏まれ方が少しだけ軽くなったように感じられた。この山全体が何かの住処になっていて、どこでも程度の違いはあれど落ち葉が踏まれている。しかしその中でも、山頂と村を結ぶ線上は特に多く踏まれているように思えた。
落ち葉のせいで足跡は分からないので、ここを通ったのが一体どんな存在なのかは分からない。が、それはそれとして、何かがいるということだけは間違いないのだろう。
「ふぅ……さて、どうしようかな」
山に足を踏み入れてしばらく。道程の中ほどまで来た辺りで、流凪は一度足を止めた。そしてキョロキョロと周囲を見回す。周囲の景色には何の変化もなく、ただ木が立ち並ぶ坂が続くのみだ。しかし流凪には分かっていた。
何かが自分を監視している。
それはついさっき気が付いたとかそういうことではなく、実は山に入った瞬間から何かに見られていることに流凪は気が付いていた。ただその気配が、襲ってくるのではなくあくまで監視しているという様子だったので放置していたのだ。別に見られて困るような行動はしていないし、この監視している何者かが接触してくるならそれはそれで良いと思っていた。会話に応じる気があるなら情報収集が出来る。今の目的は確かに探索だが、情報が集まるなら無理に探索する必要はない。流凪としては、むしろ接触してきて欲しいとすら思っていた。
が、それが段々変わってきていた。流凪が山を登っていくにつれて、監視の目が増えてきているのだ。最初は一つだったのが二つ三つと増えていき、今では十以上の相手から監視されている。気配的に人間ではなさそうだし、そこまで大きな力も持っていない。一斉に襲ってきたとしても対処は可能だと思われる。しかし、それもあくまで『現状は』だ。このまま登山を続けて更に相手が増えた時、その中に強い力を持った者がいないとは限らない。このまま放置し続けるのは果たして正解なのか。
ならばこちらから仕掛けてみるか、とも考えたが、それも正解とは思えなかった。何故なら、この相手はただ見ているだけだからだ。この領域の主かも分からないし、現状では何も危害を加えてきていない。先制攻撃をして、そのせいで敵対してしまったら。最初から話し合いをしていれば円満解決出来たのに、という結果になる可能性だってあるのだ。
「うーん、とりあえず、良いかなー」
つらつらと思考を巡らせ、最終的に流凪が出した結論は先延ばしだった。様子を見て状況に合わせて動くと言えば聞こえは良いが、要するに面倒だからとりあえず考えないようにしようということである。考えながら休憩したことによって多少は回復した流凪は、監視の目を引き連れたまま再び山登りを始めた。
そのまま真っ直ぐ山頂を目指して進むことしばらく。もう少しで山頂だ、という所で足を止めた流凪は、まるで何かをつつくようにして目の前の空間を指でちょんちょんと。そうしている間に、更に増えた監視たちが集まって何かを話し合っている気配を感じ取った流凪は、その方向に向かって振り返り口を開いた。
「この結界、壊しちゃっても良いの?」
その流凪の言葉に、動揺したように慌ただしく動き始める気配たち。そう、流凪の目の前には現在、目には見えない結界が張られているのだ。何も知らないままこの結界に突っ込むと、前に進んでいるつもりでいつの間にか引き返しているという状況に陥る。つまり、空間のねじれを生み出しているということだ。恐らく山頂に近付いて欲しくないのだろう。
だが、山頂に近付けたくないというのなら最初から攻撃して追い払おうとすれば良いのにそれをしなかった。監視たちはきっと温厚な性格だと考えられる。今だって、恐らくは流凪が結界に阻まれて引き返していれば何もせずにそれを見送ったのだろう。ただ残念なことに流凪はこの程度の結界で進行を阻むことが出来る存在ではない。このまま監視たちが何もしないのなら、流凪は結界を破壊して進んでしまう。
流凪としても無駄な戦闘は避けたい。勝手に結界を破壊して敵認定されるのは嫌なので、監視に声をかけることにした訳だが、監視がバレていることすら予想していなかったそれらは慌てて対応を検討することになった。やがて流凪への対応が決定したのか、監視の中から一つ、気配が近付いてくる。木の陰から姿を現したそれは、
タヌキの姿をしていた。
茶色のふわふわした体毛。丸型の体。目の周囲が黒くなっており、頭の上には小さな丸い耳が生えている。黒くて短い四本足に、これまた短い尻尾。どこからどう見てもタヌキだ。しかも見た目だけならタヌキの妖怪とかでもなく、ただのタヌキである。
「お、おいお前! えっと、結界を壊すのは止めろ!」
そんなタヌキが、人間の言葉で話しかけてきた。口調は威圧的だが、声が幼い女の子のようなそれでしかなく、姿も相まってただ可愛らしい印象しか与えられない。
「うん、じゃあとりあえず壊さないけど」
「よ、よし、それで良い。そのまま帰れ!」
「うーん、それはちょっと難しいなー。この山を探索しないといけないからね」
「な、何だと! お、お、お前、良いのか! ここには、いっぱいタヌキがいるんだぞ! お前なんか、みんなでかかればイチコロなんだぞ!」
どうやら予想はしていたことだが、この結界を破壊して先に進むとタヌキたちと敵対してしまうらしい。どうにも悪い存在ではなさそうな雰囲気だし、あまり攻撃はしたくない。ここは話し合いによる解決を目指したいところだ。
「じゃあ君たちのこと、教えてー」
「お前に教えることなんかないぞ! さっさと帰れ!」
「むー」
目の前のタヌキは強い口調で流凪を追い返そうとしているが、その割にあまり近付いてこない。恐らく人間が怖いのだろう。ずっと監視するだけで何もしてこなかったのも同じ理由だと考えられる。どうにかして警戒を解いてやらなければ、まともな話し合いにはならない。
だが当然ながら、流凪にはそんな優れたコミュニケーション能力はない。むしろ一般人よりない。はてさてどうしたものか。
そんな悩んでいる流凪に助け船を出すように、結界の中から声が聞こえてきた。
「良いよ。そこな少女、お入りなさい」




