第九十一話 森探索
「さて……」
森へと足を踏み入れた玲は、周囲に合わせる必要がなくなったことでその身体能力を遺憾なく発揮することにした。軽く跳び上がって木の枝に足をかけ、そこからカタパルト射出されているかのような勢いで枝から枝へと跳び移っていく。いくら玲でも、かなりの密度で木が生えているからこそ可能な芸当だ。常人ならば周囲に何があるのかも分からないまま木に激突するしかない速度だが、玲の動体視力はそんな速度の中でも完璧に周囲を観察し、的確に枝を蹴って移動する。
森の中はただひたすら木が立ち並び、地面は背の高い草が覆い尽くしているのみ。景色に一切の変化がなく、本当に移動しているのかすら不安になるほどだ。もしかして同じところをグルグル回っているだけなのではないか。玲ですらそう思ってしまうほど何もない森がひたすら続く。一切の光源がない森はかなりの暗さで、月明りすら葉が遮ってしまい届き辛い中では木々の一本一本の差異まで把握するのは困難を極める。
(これでは、この森の探索を完了出来たかどうかの判別も難しいかもしれませんね……)
流凪なら気配で周囲を探ることも可能なので、もしかしたら人選を間違えたかもしれない。山の探索などという体力が必要そうな役割を流凪に任せるのはどうだろうかと、最初から頭の片隅で考えていた玲としては、やはりこちらを流凪に任せるべきだったかもしれないと早くも後悔し始めていた。
その時、ガサガサと草を掻き分けるような音が玲の耳に届いてきた。
何か動物でもいるのだろうと思い、その音を無視して更に前進する玲。しかし、それから数瞬の後、ハッと気が付いて慌てて木の枝の上で停止した。
その場で止まったまま、じっと周囲の音に耳を澄ます。しかし何の音も聞こえてこない。玲は少しの間でも先ほどの音を無視してしまったことを猛烈に後悔していた。
この領域に入ってから、動物など一度も見ていない。周囲は自然ばかりでいくらでも動物がいそうなものだというのに、鹿やイノシシ等の獣はおろか、虫すら一度も見ていないのだ。そんな状況で聞こえてきた草を掻き分ける音。間違いなく手がかりになる存在のはずだった。それを、こんな森なら動物の一匹や二匹生息しているのが当たり前だろうと無意識に考えて無視してしまった。
しばらくその場で待ってみても、もう何の音も聞こえてこない。
「はぁ……」
ため息を一つ吐き、また移動を開始する。
トントンと軽やかに枝を蹴って移動する玲だが、やはり景色に変化はない。何の音も聞こえてこない。何故先ほどの音を無視したのか、あまりにも進展がない探索で段々イライラしてきて、無意識に枝を蹴る足に力が入っていく。
そして、足元から枝を蹴り折ったバキィッ! という音が響いた。
「おっと」「きゅっ!?」
「ん?」
枝を折ってしまい足が止まった玲の耳に、何かの鳴き声のような音が入ってきた。まるで玲が枝を蹴り折ったことに驚いた、とでもいうようなタイミングでの鳴き声。
その音に反応した玲の首がグルンと回って、音源へと目を向ける。
「きゅーっ!!?」
恐怖するように再び鳴き声を上げた何かが、ガサガサと草を掻き分けて逃げていく。その姿は暗い中で草に隠れてしまっていて玲の目には見えなかったが、何かがいることは間違いない。逃走方向も音で分かる。
「逃がしません」
ストレスから無意識に玲が発した底冷えするようなその声は、逃走する何かの恐怖を更に掻き立てる。その恐怖のせいか慌てて逃走する何かは、音を消す余裕もないのか更に大きな音で草を掻き分けている。玲の耳がそれを聞き逃すはずもなく、玲と何かの距離はみるみる縮まっていき、
そして、逃走するそれは何の前触れもなくフッと消えてしまった。
「え……?」
困惑に玲の足が止まる。枝から地面に降りて周囲を見渡してみるも、見つからない。背の高い草に覆われた地面では目的の物を見つけることは確かに困難だが、逆にそんな状態だからこそ草を掻き分ける音が鳴るはずだ。玲の耳がそれを聞き逃すなどあり得ない。近くで先ほどの何かが逃走しているなら、間違いなく音が聞こえるはず。実際にその音を目指して追跡してきたのだから、それだけは間違いないというのに。
だが、そんな異常事態に際して、玲は冷静だった。先ほどまで草を掻き分ける音が鳴っていたのだから、相手は幽霊のような実体のない類ではない。ならば一瞬の内にこの場から存在が消失したなどということはあり得ない訳で、だというのに逃走する音が聞こえないというのなら、残った可能性は一つしかない。
「隠れましたか」
そう、どこかに隠れたのだ。周囲には草と木しかないが、相手がこの背の高い草よりも小さい存在ならばいくらでも隠れる場所はある。ただその場で立ち止まるだけでも発見は困難を極めるだろう。流凪ならば気配で一発だが、残念ながら玲にその方法は使えない。地道に探すしかない。
「まあ良いです。逃げ出せば音ですぐに分かる。逃げないならこの周辺を探せば必ずどこかにはいる。それだけのことですから」
玲が草を踏みつけながら周囲の捜索を始めた。踏みつけた草は素直に地面に倒れ、玲の後ろには道が出来ていく。これなら最悪の場合でも、周囲の草を残らず踏みつけて倒してしまえば必ず見つけることが可能だ。紙の端から塗りつぶすような感覚で、一定の範囲を往復しながら草を倒していく玲。何かが逃走していた時の音の聞こえ方的には間違いなくこの範囲のどこかに隠れているはずだ。
そのはずなのだが……。
「おかしいですね……?」
しばらくして、その範囲のどこかにいるはず、という領域の草を全て倒し終えたにも関わらず、何も見つけられなかった。玲が草を倒している間は確かに草の音が鳴っていたが、だからといって玲の耳がその音に紛れて再び逃走していく音を聞き逃すとも考えにくい。まだこの周辺に隠れているのは間違いないはずだが、しかし草を全て倒してしまった今、隠れられる場所など存在しない。
念のため、草を倒した領域の中にある木を一本一本ダッシュして確認してみたが、見つからない。逃走していた際の様子から、探している何かは玲より足が遅いことは間違いない。そのため、玲から見て木の裏に隠れているという可能性もこれで排除出来たはずだ。
「ふむ……擬態系、ですかね」
カメレオンのように色を変えて隠れているとか、もしくは相手は怪異の類なのだから、人を化かすような能力で隠れているという可能性もあるだろう。とにかくそういったように、この場には存在しているが玲の目には見えていないという可能性が考えられるという結論に至った。
こうなると、玲が一人でこの相手を発見するのはかなり難しい。一応全速力で走り回って偶然その相手にぶつかることを狙うという運に頼る方法がなくはないが、流石に効率が悪すぎるだろうか。それに、この相手がどんな怪異か分からないというのも怖い部分だ。確かにこの相手は玲から逃走していたが、そういう性格だというだけで弱い証拠にはならない。もし玲と相性が悪い相手だった場合、見えもしないのにぶつかるというのは少々危険に思える。
一応、探索の成果は得られた。この領域は人間を閉じ込める結界のような役割を果たしている。その事実と探索結果を合わせて考えれば、恐らく相手は人を化かすような存在である可能性が高い。
「成果というには少々弱い気もしますが……仕方がありません。一応時間まで探索は続けて、戻るとしましょう」




