第93話
「困ったことになったっすね……」
「まったくだ」
日曜日、隆玄からの連絡を受けた軽音楽部員と興津は、緊急事態ということで休日を返上し、島田剣道場の客間に全員制服姿で集まっていた。
動画を無断で撮影してアップロードした生徒は、安倍の読み通りに学校名と本名そのままのアカウントを複数のSNSで運用していることがわかり、昨夜のうちに身元は特定され、今日理事会に両親ともに呼び出され、相応の処分が下されることになっている。
しかし、警察と学校付きの弁護士に相談してはみたものの、大元は削除できても、やはり拡散された動画を完全になくすことは不可能だという回答しか得られなかった。
くっきりと見えないまでも素顔が世界中に拡散されてしまったことに、とりわけ女子の部員たちはひどく怯えた。
特に、くるみとミチルは自分たちの生活が壊されてしまうかもしれない恐怖で、ここに集まってから一言も発することが出来ずに、ただ黙ってこの先のことを案じていた。
話を終えると、口髭の下に手をやりながら、興津は部員全員を見渡した。
「男女関係なく、夏休みの終わりまでは必ず、学校の行き帰りは送ってもらえそうなら必ず送ってもらいなさい。難しかったら、出来る限り同じ方向に行き帰りする者同士で行動すること。今、学校から動画サイトに働きかけて、確認できたものに関しては全て『盗撮』として削除申請をしてもらっているから、動画の母数さえなくなれば少しは落ち着くはずだ。でも、向こう半年は警戒したほうがいいだろう」
彼の言葉に部員たちは神妙な面持ちで頷く。
「……やだな……一番怖いのは、伯父さんのアンチに顔バレすることなんだよね……紐づいてないから平気だって思いたいけど、うちの住所はもうネットに出ちゃってるし、伯父さんもファンが多い分、アンチからの誹謗中傷もすごいから、もしも待ち伏せなんてされたら……」
半分泣きそうな顔でそう言ったくるみに目を遣り、
「しばらく髪型や眼鏡で容姿をごまかすくらいしか、手立てはなさそうだな……学校側でしてあげられることがあれば、できる限り協力するから、思いついたらなんでも言いなさい」
興津はそう声をかけて、ぽんぽんと肩を叩く。
すっかり怯えたくるみが彼にひたりと寄り添うことを、この場の誰一人として咎めなかった。
(どうしよう、……東京の義伯父様や伯母様に、このことが伝わっていたら……)
ミチルは昨夜の連絡から一睡もできないまま、憔悴しきった表情でうつむく。
(一番怖いのは、好親さんがこのことに気が付くこと……きっとあの人の事だから、ウイーンにいるお父様とお母様にも、すぐに連絡を入れるはずだわ。そして間違いなく、無理矢理わたしを東京に連れ戻しに来る……)
この街にやってくる前に、しつこく「女に学は不要、高校など通わずに花嫁修業でもして跡継ぎを産め」と祖父そのままの文言を吐いたその人を思い出し、ミチルは鳥肌が立つ。
(あんな下品で強引な人、二度と会いたくない……!)
正座した膝の上で握られた拳が、おぞましさに震える。
(いまの家の住所は知られている。訪ねてくるのは時間の問題だわ。……一人で立ち向かうのは無理……うちで働いてくれてる人たちも、好親さんには逆らえないわ……)
考えれば考えただけ絶望しかない結末に、頭がずきずきと痛くなる。
(どこかに逃げなきゃ。でも、どこへ? ホテル? ううん、お父様とお母様に知れたら、カードだって使えなくなるかもしれない。それとも寮に空きがあれば……)
必死に一人で考えを巡らせていたその時、
「失礼しまーす」
冷たい緑茶の入ったデキャンタとグラスが乗った大きな盆を持って、キャミソールワンピースにエプロンをかけた瑠菜が入ってきた。
「お茶どうぞ、冷たいの持ってきました」
「ああ、ありがとう、場所まで貸していただいて申し訳ないね」
「いいですって、こういう時のためのでっかい家なんですから」
礼を言う興津に、あはは、と笑って瑠菜はデキャンタから次々に緑茶をグラスに注いでいく。
そしてふと、
「ちるみー、なんか困ったことある? 顔に出てるよ」
「えっ!?」
全く何の気なしといった様子で、彼女はミチルに訊いた。
「……」
一瞬、話してよいものかどうか迷ったが、
(いままでこんな大事なことを、一年以上、黙っていたのが良くなかったのよ。……それに、もしかしたら、お別れしないといけなくなるかもしれないんだから、今ここで全部話しておかないと、却って、みなさんの……太陽先輩の、ご迷惑になる……)
ミチルは意を決して、自分の置かれた状況をとつとつと語り始めた。
「……なるほど」
話を聞き終えると、興津はひときわ渋い顔をして、口髭の下に手をやってため息をつく。
「今まで黙っていて、本当に申し訳ありませんでした。……両親が次に帰国するのは、わたしが卒業する年の三月ですので、その間であればきっとわからないだろうと思って……」
ミチルはそう言うと、しぼんだ風船のように小さくなってうつむく。
「……その従兄って人、申し訳ないけどわたしも好きになれないわ。女の人をなんだと思っているのかしら、ミチルちゃんが嫌だって言ってるのにそんなこん言うなんて、最低よ」
珍しく祐華が嫌悪感をあらわにして、好親に対する感想を吐き捨てる。
「その従兄が家に来て、東京に連れてかれちゃったら、ミチルちゃんはもう絶対に学校には来れないってこと……?」
「保護者の許可がなければ、未成年者略取や誘拐罪に当たるけど……ちるみーのパパママが、どこまで事態を把握してるかによるなあ……」
くるみの疑問に、極めて真剣な表情の瑠菜が答える。
「あーもう、次から次へと……盗撮したバカがいなかったら平和だったのに……」
またしても訪れたトラブルに、隆玄が頭を抱えて呻く。
「とりあえず、先輩の居場所をどうにかしないといけないっすよね。そんな乱暴なこという奴に、おめおめ引き渡せないっすよ」
憤慨した凛子が声を上げる。
「順番にみんなの家に泊まってもらう……って思ったけど、難しいよね、さすがに」
「うち、お客さんの部屋、猫部屋にしちゃったから、泊まれるところがないわ……」
敦哉が自分で自分の提案を取り下げる横で、紗雪が困り顔でうつむく。
「うちも無理だなあ、すでに家の中パツパツだもん、寝るとこないよ」
ソフィアがあぐらをかき、腕組みしながらため息をつく。
「寮もたぶん空き部屋はないと思うよ。女子の方は今、完全にサッカーとテニスの子っちで埋まってるって話だから」
翔琉がそう言って、汗をかいたグラスの中身をぐいと飲み干す。
「一番厄介なのは、学校に乗り込んできそうな気配があるってこんだな。……先生、保護者が菊川さんを、無理矢理退学にさせたりなんてこと、ありませんよね?」
政宗が興津に問うと、彼は厳しい顔を崩さずに答えた。
「それはない。法律でも定められているが、保護者の一存のみで生徒を退学させることは出来ないし、その同意書も生徒全員の保護者に入学が決まった時点で、一筆書いてもらっている。それに、うちの学校の第一理念は『生徒の意思の尊重』だ。だから、菊川自身がイエスと言わなければ学校をやめさせられることはないし、そもそもそんな滅茶苦茶なことは理事長先生が許さないだろう。部活も一緒だ、菊川に続けたいという意志がある限り、こちらが無理矢理退部なんちゅうこんを許す筋合いはない」
その言葉に、部員たちと瑠菜は胸をなでおろして顔を見合わせる。
「……ただ、今までご両親に本当のことを言わずにいたのはまずかったな。約束の不履行があったのは心証が悪いし、君にとってやっぱり不利になる。そこをどう説き伏せて説得できるかは、いざとなったら君自身で頑張るしかないよ、菊川」
「……はい……」
優しい口調ではあるが手厳しい文言に、ミチルは再びうつむいた。
「……太陽、お前なんか言うこんないのかよ」
先ほどから、ミチルの隣でずっと押し黙っている切れ長の目の少年を隆玄がつつく。
「……」
話し合いが始まってから今になってようやく、彼は傍らのミチルと顔を合わせた。
(ミチルがいなくなるかもしれない……)
自分に助けを請う目で見る、真昼の逆光を背負った愛らしい顔に、太陽の心は軋む。
(でも、俺の考えは当たってた。ミチルは籠から飛び出してきたんだ、決められたレールの上を歩かされて、人の道具として扱われる人生から、自分の力で本当の人生を生きるために。……俺は、その手助けをしてやらなきゃならない)
彼はわずかな間だけ目を伏せ、彼女をまっすぐに見て、ためらいなく口を開いた。
「ミチル、うちに来い。全部解決するまで、ここで暮らしたらいい。絶対俺が守ってやる」
ざわつく外野を尻目に、彼女の顔は一瞬でトマトのように燃え上がった。




