第92話
「あ、まーくん! 久しぶりー!」
土曜日の部活動の後、自分の稽古に島田道場を訪れた大井を、太陽の双子の姉の瑠菜が駐車場で呼び止める。
「おう、瑠菜。……なんかこの前より、さらに派手になってんな、お前」
「そっかな?」
白い肌に映えるすみれ色のカラーコンタクトに、全体をキャラメル色に染め、ストロベリーピンクのインナーカラーとクリームブルーのメッシュを差し色にした長い髪を、虹色のビーズがきらめくヘアゴムで結わえ、通信制で制服などないというのに、わざわざ母親が高校生の頃の制服を借りて、いわゆる『平成ギャル』スタイルの服をまとうY2Kファッションの瑠菜に、大井は中学生の頃の地味な黒髪のおさげだった彼女が、この頃ほとんど思い出せなくなっていた。
「今から稽古?」
「まあな。お前は学校終わったとこか」
「うん、バイトだから着替えに帰ってきた」
「そうか。……お前、今年受験だな。どこ受けるんだ?」
「国立の心理学科があるとこ。夏から塾行くから、そこで一回バイトは辞めちゃうけどね」
他愛もない会話を交わしながら、二人は道場への玉砂利と飛び石が敷かれた道を歩く。
「太陽、今日から剣道部にいるんでしょ?」
「ああ、総体の県予選で落ちた後に辞めた奴がいたから、九州遠征の助っ人に入ってもらうこんにした。あいつ、体育大の推薦受けたいって言ってたし、実績作りになるだろう」
「そっかあ。あの子、段持ちだから、いい戦力になるでしょ?」
「まあな。ただ、困ったことに、主将やってるやつより太陽の方がやっぱ強いんだよ、おかげで主将がへそ曲げちゃいそうでヒヤヒヤするっけ」
「それはしょんないって、なんたってうちの跡取りだもん」
二人は互いに顔を見合わせ、くくっと笑う。
そしてふと、瑠菜は何かを思い出したように話題を変えた。
「あ、ねえねえ、まーくん。聖漣ってスマホ、オールオッケーなの?」
「え? いや、使っていいのは放課後だけだな。それも連絡ツールとしてという限定条件があるから、それ以外の用途は許可がなければ使用禁止だ。……なんでそんなこと聞く?」
「あー……じゃ、今バズってる動画、やっぱ盗撮ってことか」
瑠菜の言葉に大井は足を止め、厳しい目で彼女を見る。
「何か出回ってるのか、うちの生徒の動画」
「うん。ショート動画サイトでめちゃくちゃバズってるよ、……軽音楽部の子っちの動画」
大井は返事のかわりに舌打ちする。
「見せろ」
瑠菜は真面目な顔でスマートフォンをポケットから取り出すと、動画サイトのアプリを開き、ブックマークを開いて再生してから大井に渡した。
「……遠目だからってモザイクかけてないのか、くそっ……」
そこにあったのは、今月頭に行われた中庭ライブを撮影した動画だった。
かろうじて部員たちの目鼻立ちが確認できる程度の距離であることから、最後尾あたりにいた生徒の仕業だろうということはわかるが、全くぼかしのない映像に白抜きのゴシック体で、『うちの軽音楽部のクオリティ高すぎて草』という煽り文句が踊るそれに、大井は一瞬で腸が煮えくり返った。
「このサイズだったら拡大してもわかんないと思うから、顔バレは大丈夫だとは思うけど、もう拡散されちゃってるから全部消すのは難しいんじゃないかな。ただ、制服も聖漣だってわかるし、くるみんやみるちーの声聴いたことある人だったら、たぶん一発でバレると思う」
怒りを抑えきれない大井に瑠菜は冷静にそう言うと、スマートフォンを受け取った。
「……瑠菜、教えてくれてありがとう。これは大問題だ」
「聖漣の子、みんな素直に言うこと聞いて、こういうサイト使ってない子の方が多いと思うけど、うちらの間ではケッコー流行ってるでさ、まだいるかも知れんで、気をつけてね」
「ああ。……とりあえず稽古の前に学校に連絡だ。安倍先生、まだいればいいんだが……」
「まーくん、落ち着いてね」
「わかってる。……大丈夫、お前はバイトに行け。こっからは俺っち教員の仕事だ」
彼の言葉にうなずくと、瑠菜は自宅につながる玉砂利の道に向かって急ぎ足で歩いていく。
(あんだけ注意したのに、このクソガキ……!)
大井は爆発しそうな心を鎮めるために一度だけ大きく深呼吸をすると、ジャージのポケットからスマートフォンを出し、職員専用ダイヤルのショートカットキーを押した。
「……わかりました、まずはちょっといろいろ検索しますね」
大井からの連絡を受けた瀬戸の話を聞き、安倍は慣れた様子でさっと自分のノートパソコンを開くと、凄まじい速さでキーボードを叩き始める。
「その動画の撮影位置から、何年何組の生徒か割り出せますか?」
画面から目を離さず、安倍は瀬戸に尋ねる。
「調べよう。当日の配置図、まだ残ってるだら。みんなも頼む」
夕暮れの職員室は、にわかに慌ただしくなる。そこに、
「お疲れ様です」
ギグバッグを背負った興津が、くるみから預かった部室の鍵を持って戻ってくる。
「ああ、興津くん。大変なことになった」
その声に振り向いた瀬戸の切羽詰まった表情に、興津は眉根を寄せた。
「大変なこと?」
「軽音楽部の個人情報が漏洩した。部員全員、身辺をしばらく警戒するように、部長に連絡してくれ」
「えっ!?」
彼は一瞬戸惑ったが、すぐに我に返ると、
「教えてください、何がどう漏洩したんですか?」
ギグバッグをスタンドに立ててから、対応を始めた教員たちの中に混じっていった。
星々をぶちまけたような夜景を足元に広げ、その隙間からいくつもの高層ビルが立ち並ぶ窓ガラスのその内側で、オーダーメイドのダブルのスーツを羽織った背中が震えている。
「……これは……」
動画サイトの検索窓に『聖漣高校 軽音楽部』と打ち込んだその下、開かれたショート動画を一時停止して、そこに映る一人の女子生徒を画面いっぱいに拡大する。
「ミチル君……!」
荒れた画素の中の見慣れた目鼻立ちを見紛うはずもない。
品のない形に髪を結わえ、平凡なデザインの制服に身を包み、ピアノではない鍵盤楽器を弾きながら、俗っぽい歌を実に楽しそうな、――自分には見せたこともないような、輝くような表情で歌うその少女は間違いなく、一昨年亡くなった祖父が自分の婚約者だと、あくまで口約束ではあったが、いつもそう言ってくれていた従妹その人だった。
一般社員からの噂をとある部署の部長が聞き、そこからあれよあれよという間に自分の手元に届いたその情報を、最初は信じる気はなかった。
しかし、まさかあのミチルが、大人しくて何も出来ない、非力で可憐で、自分が強気に出れば何もしてこなかった人形のような少女が、自分との婚約を拒否しただけではなく、東京から出て行っただけでも屈辱的だったというのに、彼女の親との約束をこうも簡単に破って破廉恥な高校生活を送っているということがわかったのは、ひどく許しがたいことだった。
(今夜は白須建設の重役との会食がある、今すぐには向かえない。だが、明日以降だ。なんとしてもミチル君を東京に連れ戻す。……所詮、義祖母様など庶民の、しかも労働者の出だ、そんな女の故郷にひとりで行くことなど、力づくでも許すべきではなかった)
ミチルをこんな品のない地方の高校にやらずに、むしろ中学校を出た時点で、十八になるまで無理矢理にでも監視下に置き、さっさと自分が娶ってしまえば何も問題は起きなかったのだ。
菊川財閥の総帥・菊川好親はそう思って、ぎりぎりと怒りに歯を食いしばった。




