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第127話 ―第七幕プロローグ―

「それじゃあ、うちのクラスの出し物、『ハニハニダンス』でいい人、挙手してー」

 夏休み明けの残暑厳しい午後、文化祭のクラス展示と出し物を決めるホームルームで、クラス委員長の冨浬(ふうり)絹玖(しるく)が多数決を取る。

 ぱらぱらと周りが手を上げるのに合わせ、くるみも祐華もミチルも、何の気なしに賛成する。

(『ハニハニダンス』って、今ショート動画サイトで流行ってるっぽいあれかあ。たしかに、時々『踊ってみた』動画見かけるなあ)

 原点はどうやら二十年以上前の『Honey』という、ミリタリーコートにチュールスカートという格好で可愛らしいダンスを踊る台湾のアイドルの動画らしいのだが、それが今年、インフルエンサーの手によって再び踊られたことにより、中高生を中心に夏休みに入ってから爆発的に流行しているのだという。

 素直に校則を守って、というよりは自分が夏休み前に被害を被ったことで、ショート動画サイトと距離を置いているくるみには、今ひとつ実感のない話ではあったが、このクラスの委員長である絹玖のような、いわゆる『陽キャ』にとっては、まさに今乗らねばいつ乗る、という程の大きな波らしく、彼女と仲の良いクラスメイトたちの賛成票もあって、あっさりと多数決は可決された。

「先生、ということでうちは『ハニハニダンス』に決まりました」

「わかった。それじゃあ、次の実行委員会で報告して」

 教室の隅で話し合いを聞いていた興津がうなずくと、絹玖は再び前を向いてクラスメイトを見渡す。

 その時ふと彼女と目が合い、その顔がうっすらと意地の悪い笑みを浮かべたような気がして、心臓が嫌な音を立てたことに、くるみの身体は冷たくこわばる。

(……なに?)

 あまり普段から業務連絡以外に会話のない絹玖の意図の読めない笑みは、澄んだ水の中に一滴の墨汁を垂らしたように薄暗く心を濁した。


「じゃあ、これから誰が踊るかを決めようと思います。誰か立候補いますか?」

 賛成はしたものの、自分が踊るなどということは誰も考えていないのだろう、ひとりも手を挙げる者はいない。

「……いませんね。では推薦で決めましょう。誰か意見のある人」

「はい」

 絹玖といつも一緒にいるグループの女子の一人が手を挙げる。

「小山(こやま)さんがいいと思います」

「え……」

 名前を出された小山桜子(さくらこ)が、ぎょっとした顔で声の主を見た。

「背ちっちゃくて可愛いからバエるんじゃない、小山さん」

「あ、あの、わたし困ります……! 運動止められてるし、茶道部の方もあるのに……」

 一際小柄で小学生のような身体を椅子から起こし、桜子は精一杯に抗議する。

「部活なんかどーでもいいじゃん、クラス行事なんだから協力しろっつーの……ねー絹玖ー、とりあえず名前書いてさあ、後で多数決とろ。何人いるんだっけ?」

「七人。とりあえず一人目、小山さんね。書いといて」

「ちょっと……!」

 桜子の抗議を無視して、やはり絹玖の周りによくいる副委員長の男子生徒が、にやにやと笑いながら彼女の名を黒板に書く。

「ちょっと待った、冨浬」

「なんです?」

 流石に強引がすぎると感じた興津が割り込むと、絹玖はあからさまに嫌そうな顔で彼の方を見る。

「そのダンス、振り付けが難しいとか動きが激しいとか、そういうことはないか?」

「ないですよ。そこまで飛んだりはねたりしないし、片手ずっと腰に当てたままです。アイドルダンスなんですからちょっと練習すれば誰でも踊れますよ。……なんか問題ありますか?」

「まあな。……だそうだが、小山、無理なら断ってもいいぞ」

 そう呼びかけた興津に、別の女子生徒たちが噛みつく。

「先生、勝手にそういう事言うのやめてもらえます? うちらが決めることなんで口出さないでください」

「それとも、小山さんだけひいきするんですか? ずるくないですかそういうの」

「ひいきじゃない、ただ……」

「あーもう、いいじゃないですか。大丈夫ですって、ダメだったらあたしが代わりに踊りますよ。それでいいでしょう? いちいち細かいこと気にしてたら先に進みませんって」

 興津の言葉を遮り、絹玖は面倒くさそうに答える。

「……そうか。言質は取ったぞ。じゃあ小山が無理なら冨浬、君が必ず代わりに踊りなさい」

「はーい、わっかりましたー」

 絹玖は全くそんなつもりがなさそうな口調でそう言うと、再び前を向いた。

「……とにかく先に名前出して、やる人間決めよ。他に推薦いるー?」

「はいはーい、小山さん、相良(さがら)さん一緒だったら別によくね? 俺、相良さんも混ぜた方がいいと思いまーす」

 やはり絹玖のグループの男子生徒が、へらへらと笑いながら肩の高さに手を上げて発言する。

「へっ? あたし?」

 教室の真ん中に座っていた、ぼさぼさのポニーテールにそばかすのある素朴な少女が声を上げる。

「そうだね、いつも小山さんのこと保健室まで迎えに行ってるし」

「そーそー、仲のいい子がいれば問題ないっしょ?」

「いやいやいや、あたし人前で踊るなんて……ちょ、待って……」

 幾人かの生徒の声に抗うも、彼女の名前も桜子の隣に「相良新菜(にいな)」とチョークで白く書き込まれてしまう。

「はい、とりま二人決まり。次、誰かいる?」

 何か企みがうまく行っているのか、面白くてたまらない様子でいじめっ子の顔をして教室を眺める絹玖に、自由に決めろと言った手前、強く口出しできず歯噛みしている興津の姿が見えて、くるみは全く同じ気持ちでため息をつく。

「ねえ、部活入ってない人から決めようよ」

「じゃあ下田さんは?」

「こっちで決めても文化祭当日も来なさそうじゃん、あの子? それじゃ意味なくない?」

「それじゃダメかー」

 実夢の名前が一瞬だけ上がるが、絹玖たちは今日も午後の授業を欠席して何処かに消えた彼女をターゲットにすることは諦めたようだった。

「ねー、あと部活入ってない人、ちょうど二人いるよね? 佐久間(さくま)さんと金谷(かなや)さん」

「「ええっ!?」」

 昼休みになると、いつもタオルを机に敷いて気持ちよさそうに眠り、放課後はいそいそと教室から姿を消す佐久間星來(せいら)が慌てふためくのとはまた別の席で、なぜ自分が呼ばれたのかという顔をして、金谷千爽(ちあき)が瓶底眼鏡の奥の目をしばたたかせている。

「佐久間さん昼休みいつも寝てるし、二人ともどうせ放課後暇でしょ、協力してよ」

「いや、寝てるのも理由があるって言うか、別に暇ってわけではないんだけど……」

「わたしも学校の後、やることあるから……」

 星來と千爽が困ったようにそう言うと、

「うっさいな、うちらみたいにコンクールの練習ないんだからいいじゃん」

「やることってどうせ塾かなんかでしょ、だったらうちらと同じじゃん。自分達だけ特別扱いしてもらおうなんて思うなっつーの」

 吹奏楽部員からきつい言葉が飛んできて、彼女たちは困り果てて顔を見合わせ、肩を落とす。


(……なんか、やだなあ、この空気。なんでうちのクラスって、毎回ホームルームはこんな空気になるんだろ……もう少しこう、言い方ってものがあるでしょ……)

 教卓の前でこの空気を楽しんでいるクラス委員長の冨浬絹玖という少女が、存外意地の悪い生徒だということに気がついたのは、興津が彼女を委員長に任命してしまった後だった。

 表向きには明るく人当たりの良い世渡り上手でおだてがうまく、率直に言ってしまえば悪知恵に長けた彼女を気に入っていた前の担任からの引き継ぎを鵜呑みにしてしまった彼が、久々にやらかした、と頭を抱えていたことを思い出し、くるみは彼の心中を慮る。

(先生、素直に人の言うこと信じちゃう癖があるからなあ……そこがいいとこでもあり、悪いとこでもあり……)

 ひどいお人好しの興津が、絹玖のようなこまっしゃくれた女子高生に、言い方は悪いが、手玉に取られていると思うと、決していい気持ちはしない。

 しかし興津もそこは教師で、彼女の言動の端々に滲む性根の悪いものの言い方や、素行や授業態度の悪さなどを細々と見つけては注意し続け、加えて彼女の『友人』――くるみの目から見れば、それは『取り巻き』と言ったほうが間違いないのだが――彼らのいじめに発展しかねないものの言い方を聞く都度咎め、まただらしない制服の着こなしであったり、気づかれないようにじわじわと脱色した髪の色や、女子生徒はスカート丈の長さやメイクやカラーコンタクトという校則違反を即座に見抜いたりと、なかなか手ごわい存在になり、夏休み前からは、どちらかといえば絹玖たちの方から一方的にではあったが、火花を散らすような関係になってしまっていたのだった。

(いやまあ、メイクのことはわたしも冨浬さんのこと言えないけども、それは置いといて、さっきから人選にすごい悪意を感じる……やってることが『いじめ』って言い切れないから、先生もしんどいだろうな……)

 ちらと彼の方に目をやると、彼は表向き平静を装って入るものの、内心では何か思うところがあるのだろう、考え事をするときの癖で、左手で口髭を撫でている。

(特に小山さんなんて、毎回体育の授業休んでるのは持病があるからなんだろうし……代わってあげたいけど、わたしも文化祭の練習があるからなあ……どうしよう……)

 強歩大会も球技大会も姿の見えなかった、校内で一番背の低い彼女の背中を見遣って、くるみは迷いに迷った末、心を決める。

(……よし、最後まで誰も名乗り出なかったら、わたしが代わろう)


「はい、これで四人決まり」

 絹玖はうきうきと事を進める。

「残りは三人か。じゃああたしから推薦」

 彼女のその言葉に、くるみはこの嫌な空気が早く終わることを期待して前を向く。

 そして、

「うちのクラスさ、軽音楽部の三人いるじゃん、ちょうどいいからまとめて推薦するわ。人前出るの慣れてるでしょ? 部活の練習なんてテキトーでいいからさ、出し物頑張ってよ」

 勝ち誇ったような絹玖の一言に、開いた口が塞がらなくなった。

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