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第125話


「どうもー! まいどおなじみ、『エリクサーポーション』でーす!」

 先ほどまでの重苦しい演奏とは打って変わって、親しみやすく聞き覚えのあるゲームの謎解きジングルに合わせて飛び出してきた若者たちに、

「あれ?」

 すぐにくるみは違和感を抱く。

 思わず隣の興津と顔を見合わせると、彼も同じものを感じたことがわかる顔をしている。

「……楽器、持ってないですね」

「ああ」

 手ぶらで出てきた彼らをバンドと言うには妙な感じがして、二人は揃って首を傾げる。

「……実機で音出して演奏する人たち、動画サイトで見たことあるけど、それと同じかな?」

「いや、セッティング中からずっと、実機も何も見当たらんぞ?」

「キーボードもないね、どうやって演奏するんだろう?」

 謎の解けない太陽と隆玄に、慎も同じ疑問を抱いて腕組みをする。

「先生の着てるシャツのバンドっすよね、名前からしてゲーム音楽のコピバン?」

 凛子が目を輝かせ、水を得た魚のようにステージを見つめる。

「でも、演奏するのはドラムだけみたいよ?」

「さっき紘輝先輩のバンドにいたリズムギターの人、元はこのバンドにいたって言ってたよね。……ギターもベースもないってことは、他の楽器は生演奏じゃないのかな?」

 紗雪と敦哉は若干眉をひそめて、凛子と同じ方向を見遣る。

「え、それっていいの……?」

 ステージの上で軽快に歩き回りながらのMCを聞きつつ、ソフィアがぎょっとする。

「どうなんだろう? でも、この人たちをバンドって呼ぶのは、ちょっとオレ、疑問かもな。バンドってさ、楽器を演奏してこそだろ? 何もしないんじゃただのカラオケだよ。それで上手けりゃまだいいけど、これで万が一、歌がヘナチョコだったら、何聴きに来たんだかわかんなくなっちゃうよ」

 ギターがいない時点で興味を無くした翔琉が、大きなため息を吐く。


 そうこうしているうちに、彼らは各々マイクだけを持ち、そのうちの一人がステージの上に置かれた一台のノートパソコンを操作し始める。

「今回から俺たち、オリジナルの打ち込みで皆と一緒に歌って盛り上がりたいと思いまーす! 生演奏だとどうしてもクオリティが低くなっちゃうよねー、だからいつでもどこでも同じ音で、変わらない音楽をやりたいとおもってまーす! じゃ、まずは一曲目、いっくよー!」

 MCが終わり、パソコンに置かれた腕がエンターキーを押すような動作が見えた。


 そうしてスピーカーから流れてきた音源を聴いたとき、

「……これはアウトだ」

 政宗が厳しい顔でそう言い放った。

「え? どこが良くないんですか?」

 それを聞きとがめた祐華が彼に問うと、政宗は首を横に振る。

「これ、公式のカラオケ音源そのままだ。俺はこの曲を耳コピしようとして、タコ出来るほど聴いたからわかる。完全丸パクリだ。シンセやシンバルの音も、ギターのリフもエフェクトも、完璧に一致してる」

「えっ!? じゃあ、公式音源を、さも自分たちで打ち込んだように……」

 とんでもない発言にミチルが息を呑む。

「まさかここにDTMやってるやつがいると思ってないんだろうな、この衆ら、客を舐めてるよ。ドラムも見てみな、多分叩いてるふりだ。……あのギターの人、辞めた原因はこれかもしれん。こんなことするなら、翔琉君が言ったみたいにカラオケ大会にでも出ればいい。せめてシンセで実演するくらいはしないと、バンドとしての格好がつかないだろうに……何より、自作発言までしてるのがたち悪いな。どうせバレないと思ってるんだろうけど、動画撮られて拡散でもされたら炎上するぞ」

 政宗は不愉快そうにそう言うと、聴く価値などないと言いたげにステージから顔をそらした。


(……『エリポ』、生演奏、完全にやめたか……よくこんなのでブッキングできたな)

 壁にもたれて三杯目のドリンクに口をつけながら、実夢は冷ややかな目でステージを見る。

(ギターのコーイチが辞めたって動画見た時点で嫌な予感はしたけど、全部打ち込みなら生でやる必要なんてないじゃん。ライブなら楽器演奏しろよ、ドラムも椅子に座ったきりで手拍子しかしてない……つっまんねえ)

 心のなかで悪態をつきつつ、ミルクティーの底に沈んだタピオカを吸い上げて咀嚼する。

(さりとてこのバンド、歌も上手いわけじゃないんだよね。いつも曲の力に頼ってばっかで、ちゃんとトレーニングしてなかったんだろうな。それを今までカバーしてくれてたのが生演奏だったのに、こいつらは自分達が楽をしたくて、それを切り捨てたんだ。……ほら、誰も付いてこない。ファンも戸惑ってるし、コーイチが先輩たちのバンドに移籍した理由を察して、ざわざわしてる)

 グルーヴの感じられない音源に合わせ、勢いだけのボーカルでフロアを沸かせようとして、思い通りに行かないことに腐心しているのを、実夢はそれ見たことか、と心のなかで嘲る。

(バカだなあ、誰でも知ってるゲームの名曲やアレンジのコピーしたおかげで人気出ただけなのに、自分っちがすごいって勘違いして、完全に天狗になってる。すごいのは元の曲を作った人たちやそれをアレンジした人たちであって、こいつらにはそういう先人に対する敬意がもう、ひとつも感じられない……終わったかもなあ、このバンド)

 せめて自分たちの手で演奏して、自分達なりの解釈でそのメロディの美しさや楽しさを、楽器というフィルターを通して聴かせてくれれば、まだ救いはあったかも知れないと思うと、実夢は今の彼らのステージを見るのは時間の無駄に思えた。

(いや……もう『エリクサーポーション』はバンドじゃない。今日を持ってこのグループは、ただの勘違い下手くそカラオケ野郎集団だ)

 それでも後で批評するには最後まで聴くしかない、と腹をくくり、彼女はうんざりしつつ、もう一口ミルクティーを飲んで、何も期待の持てないステージを眺めた。


「やっぱ、盛り上がらないっすね。元は有名な曲ばっかなのに、リスペクトが感じられないというか」

 すでに三曲目まで『演奏』が終わったというのに、どこかおとなしい空気の中、凛子がすっかり冷めた表情で、空回りし始めたMCの響くフロアを見る。

「生演奏じゃないのが大きいと思うわ。さっきのパンクバンド、ベースは同期だったけど、ドラムやギターの演奏があったから、ボーカルのテンションが上りきって、めちゃくちゃになるほどフロアが盛り上がったでしょう?……ライブってそういうものだと思うの。中庭ライブだって、みんなが目の前で実演した、あの空気がないと、あそこまで楽しくはないと思うわ」

 祐華が渋い顔でステージを見遣りながら、残念そうにため息を吐く。

「生演奏だからこそリズムが走ったり、ミスがあってもその後カバーしたり、歌詞を間違えてもそれはそれで受け入れられたり……その日、その時しか出来ない、一度きりしか聴けない音楽に出会える、っていうのが、ライブの魅力なんだろうな。まあ、それがわかっただけでも、今日この人らの『演奏』を聴いた意味はあったんじゃないのかなぁ? 勉強になったって思っとこうよ」

 隆玄が肩をすくめながらそう言うと、部員たちはその言葉をそれぞれに噛み砕いてうなずく。

「政宗くん、文化祭は同期だけじゃなくてシンセでも演る、ってこだわってたのは、そこなんだね」

 太陽が政宗を見遣って微笑むと、彼は苦笑して首を横に振る。

「いや、正直、俺も軽音楽部に入るまでは生演奏のこと、そこまでいいと思わなかった部分はある。その日によって出来が違うなんてどうなんだ、ってさ。……でも、どこ行っても同じ味のファストフードばかり食ってるとつまらんし、そのうち病気になるだろ? 生演奏は、同じ米でも毎日炊き加減が違うのと一緒だ、って考えたら、機械的で血肉の通ってない音楽ばかり摂ってたんじゃ、心に良くないって思って。……みんなの演奏を聴いてたら、そう思うようになったんだ」

「そっか。政宗くんにとって、音楽は食事と一緒か。いや、なんかわかる気がするよ」

 独特な例えにくすくすと笑った太陽に、政宗は苦笑する。


(全部聴いたことある曲……お父さんが遊んでたレトロゲームに、有名なアクションゲームのアレンジと、智が遊んでるゲームの主題歌……でも、全部上滑りしてる。この人たちの歌はいらないから、原曲が聴きたいって思う。当たり前だ、何もかもこの人たちは、ちゃんと自分たちで組み立ててないんだ。自分たちの音楽でもないものを、楽して自分たちを良く見せるための道具にしてる……バレないと思って、盗んだものを、自分が作ったって嘘ついて……)

 政宗の話を聞いて怒りで震えるくるみの背中を、興津の大きな手が撫でる。

「何も言うんじゃない。こんなもの、すぐにぼろが出る」

「……はい」

 今日最後に聴く音楽がこんなつまらないものになるのかと思うと、くるみは居たたまれない気持ちになった。

「……さっきのバンドの時に帰ればよかったですね、そうしたら、まだ重苦しい気持ちではあったけど、心に残るものはあったのに」

 ぽつりと彼女が漏らすと、彼は首を横に振った。

「……牧之原、演奏が終わったのに、藤枝がここに来ない理由、なんだと思う?」

「え……それは、……撤収があるからですよね?」

「それもそうだけど、……まあ、最後まで聴いて行こう。時間はまだある」

 意味深な興津の言葉に首をかしげつつ、くるみはステージを見ながら彼の肩に頭をもたせた。


 最後に「いつものアレ」という触れ込みで同人ゲームのアレンジボーカルを彼らは『演奏』し、それなりにフロアは盛り上がって、今日すべてのバンドの出演が終わった。

「……結局最後までずっと、盗んだ同期音源だけで通したな」

「この元歌を歌ってる人っち、ちゃんとライブで生演奏するのに、そこはコピーしないんすね。最悪っすよ」

 しれっとメンバー紹介を始めるステージの上の人物たちを見遣り、翔琉が死んだ魚のような目でつぶやく隣で、凛子がひどく苛立った様相で腕を組む。

「……さて、かなり微妙な気分だけど、紘輝先輩に挨拶して帰るか」

 隆玄が大きなため息を吐いて壁から身体を離す。と、

「いや、ちょっと待て、伊東」

 興津が静かにそれを制した。

「え? だって、さすがにもう片付けだって終わったでしょう、フロアのどっかにいずみさんたちといるんじゃないすか?」

「隆玄くん、わたしはさっきから、ずっとこっちにいるわよ」

「へっ?」

 突然思いもよらない方角からいずみの声が飛んできて、隆玄は焦る。

「あはは、おどかしちゃったかなー?」

「大輔、もうほんとにお前、これ以上飲むなよ……」

 同じ方向から完全にへべれけの大輔が、弱り果てた幹に肩を借りながら部員たちに手を振る。

「なんだ、それならそれで声かけてくださいよ。……で、紘輝先輩は? 一緒なんでしょ?」

 肩を落としつつ紘輝の姿を探す隆玄に、いずみはくつくつと笑って歩み寄る。

「もうちょっと待ってて、すぐに会えるから」

 その言葉と同時にステージの上がブルー暗転し、真っ白なスポットライトがセンターに落ちる。

 そこに、金色に染めた髪をソフトモヒカンにした、バーテンダー姿の中年男性が現れ、マイクのスイッチを入れて話し始めた。


「皆さん、本日は『MIFE』の夏休み企画『今夜はコピバンで盛り上がれ! vol.13』にお越しいただき、誠にありがとうございます。えー、本来でしたら、今演奏していただいた『エリクサーポーション』がトリになるはずなんですが、本日、なんとスペシャルゲストが飛び入りで参加してくれることになりまして、急遽この後、一曲だけ皆さんにお聴かせできることになりました! もしもお時間が許すようであれば、ぜひお付き合いください!」

 半分冷めかけていたフロアがにわかにざわつき、帰ろうとしていた仕草の人々は足を止める。


「なお、バックバンドは本日一発目に演奏してくれた、『AMYNAHS』が務めることになりました。急な話にもかかわらず、快く引き受けてくれた彼らにも、盛大な拍手をお願いします!」


「「えええええ!!!?」」


 壁際に立っていた軽音楽部員たちは残らず大声を上げ、大急ぎでそこから離れ、フロアの前へと半分走るような速さで移動する。

「先生!」

 声をかけるまでもなく延べられた興津の手に導かれ、くるみはフロアの中ほどの、ステージのセンターがよく見える箇所に陣取り、後ろから彼に守られるように抱きかかえられる。

「もしかして、知ってたんですか? ずるいですよ、黙ってるなんて……」

「藤枝に口止めされてたんだよ、サプライズだからって」

 頭の上で楽しそうに笑う興津の声がして、くるみも顔がほころぶ。

「ただ、一つだけ藤枝から忠告を受けた。君は少しショックを受けるかもしれない、とね」

「ショック?」

「さっきの僕と一緒だ、……上には上がいるってことを、思い知るだろうって」

「……」

 不安をあおる言葉に、自分を抱く腕にすがるくるみの指先に力が入った。


 紘輝たちが袖から姿を現すと、満場の拍手が沸き起こり、口笛が飛ぶ。

「すご……最後のバンドより、盛り上がってる……」

「紘輝たちの演奏がそれだけ良かったってことだよ、……やるな、あいつ」

 祐華の肩を抱いて頭を額に寄せながら、慎がステージの上でシールドにエフェクターを繋いでいる紘輝を見つめる。

「同期音源使ってないの、紘輝先輩のとこと、あの和装の暗ーいバンドだけでしたもんね」

「やっぱりこういうとこが、生演奏できるバンドの強みっすよねぇ。あっちのバンドの雰囲気だとこういうの難しそうだし、無茶振りは先生のおかげで慣れっこっすもんね、俺たち」

 太陽と隆玄が慎にそう言うと、全員が顔を見合わせて微笑む。

「でも、スペシャルゲストって、どんな方なんでしょう? 有名な方でしょうか?」

 イヤーマフをしながらミチルが首をかしげると、その隣にいたいずみが、茶目っ気たっぷりにウインクして彼女に答える。

「出てきたらわかるわ。まだ無名だけど、間違いなく『スペシャル』よ」


 紘輝たちが手早くスタンバイを終えると、それを待っていたかのように、赤く長い髪をライトに透けさせ、白いシャツとデニムの細いシルエットがひらりと軽やかにステージに躍り出る。

 マイクを持ってお辞儀をし、正面を見たその人の青い目に、

(いずみさんのお友達の……たしか、マリアさん?)

 くるみは思わず吸い込まれそうになるほど魅了された。


 いつの間にかステージから下りて上手側にいた、先ほどの金髪のバーテンダーが再びマイク越しにしゃべる。

「本日の飛び入りゲスト、ボーカリストの『Stella(ステラ)』です! それでは、時間も押してますから早速行きましょう! 曲は『フライディ・チャイナタウン』です! 皆さん拍手を!」

 期待と不安の入り混じる声と拍手が止むと、『Stella』――マリアは後ろを振り返り、全員と目を合わせる。

 ハイハットとスネアから始まった洒落たビートに、シックなベースとリバーブの効いたリズムギターが乗り、ターコイズのワンピースを脱いでピンクのシャツとデニム姿になった少女が手にしたカウベルが、小気味よくその間に挟まる。

 紘輝は原曲でトランペットとアルトサックスが奏でていたメロディを、邪魔にならない程度の歪みを効かせた直挿しのギターでなぞって華を添え、その上をピアノの上品なグリッサンドが走る。

 そして歌い始めたマリアの声に、フロアの誰もが息を呑んだ。


(上手い……伴奏の音量に負けないくらい声が出てるし、ビブラートもきれい……)

 瞬きも手拍子も忘れて、くるみは彼女の声に聴き入る。

(今日聴いた歌はどれも楽器の音に声が飲まれて、どう聴いたらいいのか、何を歌ってるのかわからなかった。でも、この人は違う。この人の歌は何もかもが伝わってくる……!)

 ステージで歌うことに全身が喜びで満ち溢れていることがわかる表情と、口元からマイクを離せば離すほどフロアに響くような、のびやかで麗しく、そしてしっとりと大人の色気をまとった声に、くるみの心臓はばくばくと大きな音を立てて速度を上げる。

(マイクの位置、あんなに離してもちゃんと声が通る……わたしもべったりくっつけたりはしないけれど、あそこまで離して同じように歌えるかって言われたら、きっと無理……)

 それ以上に、見たことのない真夜中の中華街の風景が鮮やかに目の前に広がるような表現力と、その想像を聴く側に持たせる余裕のある歌い方に、底なしの透明な水面を覗くような恐怖さえ感じて、全身が震え、鳥肌が立つ。

(ああ、これはもう、本当に才能だ。この人は歌うために生まれてきた人だ……お父さんが言ってた、『本物の天才』って、こういう人のことを言うんだ……!)

 父が仕事の中で出逢った幾人かの俳優や歌手を指して、そう語っていたのと肩を並べるであろう人間を目の当たりにし、くるみはまるで歴史上の人物を生で見たような感動で、ずっと自分を抱きとめている興津の腕に噛みついてしまいそうなくらい興奮してしまった。

(うああ、わたし、すごい人の歌聴いちゃった! どうしよう、世界中に言いふらしたい、ここにこんなすごい人がいるよって、みんなに教えたい!)

 聴けば聴くほどテンポを速める心拍数につられ、呼吸が浅く早くなる。

 それを気取った興津が、

「くるみ、落ち着いて。過呼吸になるよ」

 耳元でそう優しく囁いたのが聞こえ、彼女は手放してしまいそうだった意識と正気を慌てて取り戻し、大きく深呼吸をして、今日最後のまばゆいステージを見つめた。


 ほんの三分ほどの短い演奏が終わり、『Stella』ことマリアは、ありがとうございました、と短い挨拶をしてステージから去って行く。

 その背中に惜しみない拍手を贈りながら、くるみは興津の胸元で大きなため息を吐いた。

(……わたしには、きっとマリアさんと同じ歌い方は出来ない。だけど、もしも今みたいに、聴いた人の心に何かを呼び起こせるような、……本当に感動させられるような、そんな歌が歌えたら、それはとても素敵なこと……)

 自分が楽しめれば満足、というところで止まってしまっていた意識の壁を、彼女の歌声を聴いたことで、思わずその勢いに任せて真正面からぶち抜いてしまったような感覚がして、くるみはそれが可笑しくなり、小さく笑いだす。

「……大丈夫か、牧之原?」

 何かよからぬ心配をしたニュアンスで興津が尋ねるが、彼女は笑いながら首を横に振る。

「あはは、ほんとですね、上には上がいるって。……わたしには無理です、あんな歌い方」

 あっけらかんとしながら答える彼女にますます不安になったのか、

「いや、本当に大丈夫なんだよな?……な?」

 彼は眉根を寄せ、労わるように髪を優しく撫でる。

「はい。今の歌聴いてわかりました。わたしにはわたしの歌い方があるって。だから大丈夫」

 ライブの終了のアナウンスと共にステージの明かりが落ち、入れ替わりにふわりと明るくなったフロアで、ラウンジへと出て行く人の流れの中、くるみはいつもの距離を取って興津の隣に立つ。

「先生、わたしやっぱり、幼稚園の先生がいちばん向いてると思います」

「うん? なんで急に」

「『餅は餅屋』って思っただけです」

 その言葉に、興津は彼女の心がしなやかに先ほどの歌声を受け止め、また一つ強くなったことを感じて、やっと胸をなでおろす。

「そうか。……文化祭、楽しんで歌いなさい」

「はい」

 二人はラウンジに繋がる扉のあたりで手招きするいずみの方に足を向けつつ、睦まじく笑いながら言葉を交わす。


 その並んだ背中を横目に見つつ、

(はー、相変わらず牧之原さんの男の趣味がわかんないなあ、なんであんなおじさんが好きなんだろ。確かに髭さえなきゃ洋風顔のイケメンだけど、年齢ダブルスコアだよ? 同じ先生なら、大井先生の方がまだ若いし、顔もきれいなのにさ。媚び売ってもひいきしてくれないのに、何が楽しくて仲良くしてるんだろ、マジで意味不明)

 実夢は心の中で、進級してから興津に片想いしていることを隠さなくなったくるみに舌を出しつつ、出来るだけ軽音楽部員たちと距離を取りながらラウンジにこそこそと抜け、大急ぎでこの場を離れるためにロッカーに預けた荷物を取りに向かう。

(……さっきの『ステラ』って子、この間ここでやったライブのトリでコスプレダンスしてたグループの子だ。こないだあのグループ炎上してたし、解散するのかな?)

 先々週のライブで、群がる変態をものともせずにアニメソングを熱唱していた歌声と寸分たがわぬそれに、実夢は首を傾げる。

(まあ、名前変えてるってことはなんか事情があるんだろうな。……こないだも思ったけど、やっぱ、あの人上手いわ。牧之原さんより上。ああいう人がプロになるんだろうな)

 今日書く記事の最後のアーティストが思いがけずいいものになったことに満足し、彼女はロッカーから物販のアイテムが入った袋を取り出した。


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