第123話
「……つまり、俺たちしか出来る人間がいない、ってことですか」
二階の楽屋に上がる階段の手前で、『AMYNAHS』のメンバーは、マスターから吹っ掛けられた無理難題を、各々逡巡していた。
「そうなんだよ。チェックで見たから知ってると思うけど、今回のブッキング、ここと『針と百舌鳥』以外はみんな同期音源使ってるだろ? だからこういうのに対応できるバンドがいなくてさ。それに、たぶん無理だろうなとは思ったけど、一応先にそっちに話持ってったら、世界観がどうのこうのって断られちゃって。やっぱり頼めるのは裕たちの方だなって思ってね」
「はー、めんどくさいバンドだな、『ハリモズ』……」
「彬、そういうこと言わない。……で、演ったらなんか、俺たちにメリットあります?」
ライブ直後で気が立っているのか、辛辣な物言いをした彬に釘を刺し、裕は話の続きを促す。
「今日のチケットバック、倍にしてやる。打ち上げ代の足しになるだろう?」
「……悪くないな。みんなはどう?」
裕は眼鏡のブリッジを押さえながら、そう言って全員の顔を見た。
「俺は……寧々ちゃんさえよければ、それでいいさー。寧々ちゃん、どうするー?」
澄人が傍らの寧々を見遣ると、彼女はこくりと了承の仕草をとり、
「いいよ、ぜんぜん。タンブリンとかあったら隅っこでそれ叩いてるから、気にしないで」
完全に潰れてしまった声でそう答えた。
「その声じゃコーラスも無理だな……しっかり喉、労わっときなよ」
紘輝の言葉に、彼女はまた素直にうなずく。そして、
「俺もいいですよ、やります」
二つ返事で引き受けた紘輝の隣で、晄一も首を縦に振る。
「僕、昔その曲練習したことあるんで、ギターパート頭に入ってます。それに、『エリポ』の後ってことは、僕たちがトリになるんですよね? だったらなおのこと、やらいでかですよ」
そう言って微笑んだ晄一の笑顔に、古巣で受けた仕打ちに対する恨みが透けて見えて、他のメンバーは怖気が走る。
「あはは、なんか根深いものを感じるな……じゃあ俺、サックスとトランペットのとこ、ギターでやろうか。……彬もやるだろ?」
「当然っしょ。引き受けない理由がない」
向こう正面に立つ紘輝から贈られた視線と言葉に、腕組みをして頼もしい笑みを浮かべ、彬もうなずいた。
「じゃあ決まりだな。よろしく、マリアちゃん」
「いえ、わたしこそ……みんな、ありがとう。よろしくお願いします」
裕の声に、いずみと一緒に壁際で話を聞いていたマリアが前に進み出て、頭を下げた。
「お待たせしましたー」
楽屋に続く廊下の扉を開け、着替えを済ませた紘輝がラウンジに現れる。
「おお、藤枝! お疲れ様!」
「先生! お忙しいところ、わざわざありがとうございます!」
紘輝は真っ先に興津に駆け寄り、頭を下げて握手を交わす。
「素晴らしかったよ、腕を上げたな」
「いえいえ、まだ全然。今日はノールックで弾けるとこが、あんまりなかったですから」
彼はそう言って恐縮しながら、隣に立っている大輔と幹にも挨拶をする。
「大輔さん、モトさん、今回も来てくださってありがとうございます」
「ふふ、お疲れ様。今日も楽しかったよ。この前の紘輝くんのボーカルもよかったけど、これがこのバンドの本来の姿なんだって思うと、また新鮮だった」
既に酔いが回り始めた様子の大輔が上機嫌で答える。
「今回はだいぶ派手に動いたね、なんかそういう気分だったの?」
大輔から空になったカクテルの空き瓶を受け取りつつ、幹が紘輝に訊く。
「いえ、ちょっと……ネットで見た感想に、『プレイスタイルの行儀が良すぎる』ってあったんで、今日はそこそこ飛んだり跳ねたりしてみようかなーと……」
「あはは、そういうのあまり真に受けない方がいいよ、キリがなくなる」
幹は人目を気にせずに寄り添う大輔に苦笑しつつ、話を続けた。
「リズムギター、間違いなく今の子の方が、演奏にバチっとハマるね。やっぱり音楽は人格が出るな、MCもそうだけど、音を聴いてると真面目な子だってよくわかったよ」
「そうですか……うん、実際真面目でいいやつなんです。ただ、飲むと泣き出して、話が長くなるのが困るんですよね」
晄一の酒癖を思い出し、紘輝は頭を掻く。
「ははは、どっかの誰かさんみたいだ」
そう言って隣を見た幹に、
「うん? 僕のこと? やだなあ、僕はそんなことないだろ、モトさんが聞き上手なだけだよ」
くったりと寄りかかって完全に甘え始めた大輔にひやひやしつつ、紘輝は興津に視線を送る。
その深いコーヒー色の目が『大丈夫、わかってる』と言っているのを確認して、彼はほっと息を吐いた。
「……ねえ、くるみちゃん」
「ああ、うん、言いたいことわかるよ、祐華ちゃん」
遠目から大輔と幹の距離と言動を見て、祐華とくるみはそれとなく彼らの関係を察する。
「……仲良さそうで、いいね」
肩を寄せ合い、手を繋いだ二人を見て、くるみは温かい気持ちになる。
「そうね、わたしたちの街だと、やっぱりどうしても、あそこまで堂々とは出来ないものね」
並んでフロアに戻っていった背中の睦まじさに、祐華も笑みをこぼす。
「大輔さんたちは、東京で暮らすのがきっと向いてるんだ。それでも大変だろうけど……」
「……幸せでいて欲しいわね、ずっと」
「うん」
祐華の言葉に返事をしながら、
(いいな、デートも出来て、手もつなげて……)
くるみは一瞬だけ、二人が羨ましくなる。しかし、
(……ううん、羨ましがっちゃだめだ。わたしたちはそもそもの問題の根っこが違うんだから、一緒にしたら失礼でしょ、くるみ)
ごちゃ混ぜになりそうだった頭の中をどうにか整理して、くるみはサイダーのおかげで甘さを増した、シンデレラの残りを飲み干した。
(……ああ、決めた、アタシ卒業したら、絶対に東京に来よう……!)
くるみたちとはまた別の少し離れた場所から、指を絡ませ手を繋ぎ去って行く大輔と幹を見て、ソフィアは自分の未来を確実に射抜いた。
(あの街じゃアタシは暮らしていけない。ここならきっと仲間がたくさんいる。誰かに話も出来るかもしれないし、くるみ先輩よりも好きになれる人に、巡り会えるかもしれない……)
紘輝たちが最後に演奏した『群青日和』の歌詞とボーカルの悲痛な歌声に打ちのめされていた心に、まるで朝陽が射すように光が満ちた気がして、彼女は鳥肌が立った。
(このもやもやした気持ちを誰かと共有できる確率は、この街の方がずっと高い。ブラジル人のハーフだからって、差別されたり蔑まれることも、きっと今までよりも少ない。背が高い女の子もたくさんいる。もっともっと自由に、自分らしくいられるんだ! 大学行く行かないはそれから決めるでも遅くない、とにかく高校出たら東京だ!)
先ほどからまるでジェットコースターのように感情が上がり下がりして、自分でもどうにもならなくなってきた彼女は、ひとまず落ち着こうと震える手でドリンクを飲む。
「……ソフィアちゃん、それ、美味しそうね。何頼んだの?」
ずっと一人でいる自分に気を遣ってくれたのだろう、紗雪が隣に寄って話しかける。
「これ?……知りたい?」
母と一緒に観た映画に出てきたカクテルをやけくそでオーダーしたものの、カジノチップの色で未成年であることを見抜かれて、しっかりアルコール抜きで出てきたその名前を、純情を絵に描いたような紗雪にソフィアはしたり顔で告げる。
「『セーフ・セックス・オン・ザ・ビーチ』だよ」
「!!!」
ぼん、と音がしそうなほどの勢いで紗雪の顔が真っ赤になったことに満足し、
「アハハ、紗雪ちゃんも敦哉くんとするときは気を付けなよー」
ようやくいつもの調子を取り戻したソフィアは、けらけらと笑って紗雪の額をつつく。
「し、しないもんっ! もう、ソフィアちゃんひどいっ!」
「ゴメンゴメン、ジョークだってば、本気にしないでよ」
涙目で抗議する紗雪を軽くいなして立ち去ろうとすると、どこからともなくぬっと隆玄が現れ、道をふさぐ。
「おい、聞こえたぞ、下ネタ女子。うちの妹に何教えてんだ」
「やだなあ部長、誰でも通る道ですよ」
彼女はそう言ってから、いつも通りに笑って肩をすくめると、舌を出してごまかした。
「あ、そうだ、みんなこの後、最後まで見ていくんですよね?」
三々五々会話を交わしているうちに、次のバンドの演奏が始まる頃合いになり、部員全員と大輔たちがまたフロアに戻って、すっかり人気の減ったラウンジに響いた紘輝の声に、興津はうなずく。
「もちろんだよ。今夜は菊川の実家に泊めてもらうから、渋谷まで電車で行って、そこから歩きで十一時に間に合えばいい。なんだ、時間かなり押すのか?」
「いえ、そこまでじゃないですけども……あの、先生、ちょっと耳貸してもらっていいですか? マスターにはサプライズだって言われてるんですけど、話しといた方がいいと思うんで」
興津は首をかしげつつも、紘輝に言われるまま身体を傾ける。
そして、
「……なるほど。あの子がこの間、君の言ってた子だったのか……」
彼の話を聞き、腕組みをして考え始めた。
「はい。……正直、くるみちゃんにはショック与えちゃうかもしれないんですけれど……でも、絶対聴かなきゃ駄目だと思います。大会に出るんなら、なおのこと……」
「……」
「先生の判断で、やめた方がいいと思うなら、最後のバンドの演奏中に引き上げてください」
紘輝の言葉に、興津は首を横に振って微笑む。
「いや。……いいよ、聴いていく。それで牧之原の心が折れたらそれまでだ。どのみち、あの子はプロになるつもりは一切ないと言ってるからね、だったら、いいものはきちんと聴くべきだよ。それに、せっかく君がトリで演奏するんだから、観ないで帰るわけにはいかないだろう?」
その言葉に紘輝はぱっと顔を輝かせ、強気な笑みを浮かべる。
「わかりました。じゃあ、もう一回だけ、今日は本気出しますんで、見といてください」
「ああ、楽しみにしてるよ。でも無理はするな、ちゃんとエネルギー補給してからだよ」
「もちろんですよ。今からそこのコンビニで、飯買ってきます」
紘輝はそう言って興津に頭を下げると、自分の視線の先にいずみの姿を探す。
「あれ? いずみ、どこ行ったんだ? 廊下では一緒にいたのに……」
「うん? 舞阪のお姉さんなら、さっきからずっと見てないぞ?」
「……まさか、また変な奴に何かされて……」
覚えのある出来事に紘輝が肝を冷やしたその時、
「紘輝くん」
ラウンジから入口ホールに繋がる階段を、寧々と一緒にいずみが下りてくる。
「いずみ! どこ行ってたんだよ」
心からの安堵の表情を浮かべながら、紘輝は慌てていずみたちに駆け寄る。
「お腹空いたかなって思って、寧々ちゃんと一緒にご飯買ってきたの。紘輝くん、ツナマヨおにぎりとハバネロチキンでいいでしょ?」
「あ……そっか、ありがとう。……よかったあ、俺、また変な奴に絡まれたんじゃないかって、すげー焦っちゃったっけ……」
いずみの細い両肩を大きな手で掴んで、紘輝は大きなため息を吐く。
「ふふっ、心配しすぎだよ。……あ、ちょっと待ってて」
彼女は紘輝が差し出した手に、ありがとう、と言って中身の詰まったコンビニのレジ袋を渡してから、興津に歩み寄って頭を下げる。
「先生、弟がいつもお世話になってます」
「いえいえ、こちらこそ。彼はいつも頑張ってますよ。素直で覚えもいいから私も教え甲斐があります。……なんだか、ベースを始めた頃の自分を見ているようで、懐かしいです」
自分の中の鬱屈した感情や衝動を人や物にぶつけてしまわないように、音楽という形に昇華させているような弾き方と歌い方の敦哉を見るたびに沸き起こる感情を興津が正直に伝えると、いずみは嬉しそうに微笑み、そしてすぐにまた心配そうな顔をする。
「そうですか……あの、……何もしてあげてないわたしが言うのもなんですけど、弟のこと、よろしくお願いします。もしも学校に来ないようなことがあったら、真っ先にわたしか紘輝くんに連絡をください。たぶん、うちに避難してきてますから」
「え、ああ、……大丈夫でしょうけれど、一応、心得ておきます」
まるで母親のような言葉に、敦哉の家庭環境の悲惨さが余計に浮き彫りになるような気がして、興津は心苦しくなる。しかし、
「どうぞ、安心してください。きっとそんなことにはなりませんよ。卒業するまでちゃんとバックアップしますから。我々もプロです。何かあったら、必ず彼の力になります」
そう言って励ますと、ようやくいずみは年相応のあどけない表情になった。
「ありがとうございます、とても心強いです……」
あまりのやりきれなさに、興津は胸の中で舌打ちする。
今、敦哉の置かれている状況の孤独さはどれだけのものかと考えると、自分はまだ愛情深く育ててくれた祖父母がいただけ救われていたことに思い至り、それと同時に敦哉の心が壊れてしまわないか、他人事のようには思えなくなる。
両親の愛情が得られずとも敦哉が真っ直ぐに育ったのは、やはりこの兄と姉のおかげなのだろうが、しかし彼らでさえ、決して無条件に親から愛されては来なかったことが、紘輝の話や二人の言動から伺い知れて、興津はひどく哀しくなった。
フロアから次のバンドのジングルのくぐもった音がラウンジに響く。
「あ、……それでは、この辺で。また帰りにお声がけしますね」
「はい。藤枝のこと、よろしくお願いします」
「おまかせください」
いずみは楽屋入り口のドアで待つ紘輝たちのところまで駆けて行くと、もう一度頭を下げる。
それに倣って頭を下げた寧々と、笑顔で手を振って扉の中に消えていった紘輝に、自分も同じ動作を返してから、興津はもう一度ポケットから耳栓を出しつつ、フロアに戻って行った。




