第119話
新宿駅の東口の地下出口の階段を下り、人の邪魔にならないように少し避けた場所で、
「伯父さん、今日はありがとうございました」
「みんなの分までご飯奢ってくれてありがとね」
くるみと慎は翼に頭を下げる。
「本当にお忙しいところ、お付き合いいただいてありがとうございます。お昼もご馳走様でした、どうかご家族の方にもよろしくお伝えください」
興津もそれに続いて頭を下げると、部員たちも口々にありがとうございました、と言って身体を折り曲げる。
「いえいえ、どういたしまして。みんなこの後、ライブ楽しんできてください。文化祭も定期演奏会も、受験生は受験も頑張ってね」
翼の言葉にはい、と辺りに返事が響き、何人か通行人が振り返る。
その時、くるみはあることを思いつき、後ろに並んでいた凛子に声をかける。
「そうだ、凛子ちゃん、伯父さんにサインもらう?」
「えっ、い、いや、今日はプライベートでいらしてらっしゃいますし……」
くるみの提案に凛子は酷く惜しそうな顔をしつつ、口では遠慮する。
「いいっていいって、むしろなんで黙ってたの」
「なんだ、君、僕のファンだったのか。そういうこと早く言ってよ」
慎と翼に笑われながら、くるみに手を引かれて凛子は前に躍り出る。
「誰かペン持ってる? なにか書くものも」
「ああ、私がお貸しします」
「凛子ちゃん、さっき楽譜買ってたよな。早く出しなよ」
翼の呼びかけに興津がペンを出し、政宗が凛子に楽器屋で買ったアニメソングのギター譜集を渡すように促す。
「えーと……じゃあ、ここでいいかな。名前は?」
「えっ、あ、はい、り、りんこです」
「りんこちゃんね、ちょっと待ってて」
楽譜を渡した凛子が勢いのままにうなずくと、翼は裏表紙を開いたところに『りんこちゃんへ』と記した後にさらさらと自分のサインを書き、『文化祭頑張れ!』と一言メッセージを添える。
「はい。頑張るって言っても、無理はしないで楽しくね」
「……ありがとうございます……!」
返された楽譜を胸に抱き、感激で目の縁に涙を溜めた凛子に、翼は右手を差し出す。
彼女は思わず左手を出そうとしてはっと気が付き、右手の汗をポケットから出したハンカチでごしごしと拭ってから握手を交わし、懸命に言葉を絞り出す。
「あっ、あの、『冴えない一般事務職OLから異世界転生したけど、最弱装備と最強の回復魔法だけで女帝にのし上がれとか本気で言ってます!?』のサボテンマン役、毎週見てましたけど最高でした!!! 特に主人公とのアドリブ漫才が大好きです!!!」
「あははは、よくタイトル噛まないで言えるね、ありがとう。『青藍のエルテナリア』も観てくれてたら嬉しいな。君が生まれる前の作品だけど、僕の初主演だから」
「は、はい、もちろんです! もう一回全編視聴して、感想を手紙で送らせていただきます……!」
泣き笑いしながら凛子が答えると、心底嬉しそうに翼は微笑んだ。
「それじゃ、僕はここでお暇します。慎、くるみ、気を付けてな」
「伯父さんも気を付けてね、仕事頑張って」
「ありすちゃんと頼子さんによろしくね、また遊びに来てよ!」
「ああ。じゃあ、またな」
翼は改札を通ってから手を振ると、踵を返して新宿駅の奥へと歩いていく。
それ以上彼を目で追いかけるのは悪い気がして、彼らは改札に背を向けて出口の階段へと歩き始めた。
「……行っちゃったね」
もうしばらくありすに会えないのだと思うと、やはり気落ちしてしまうくるみの肩を慎が叩く。
「きっとそのうちまた遊びに来るよ、なんなら画像とか動画送ってもらえ」
「うん」
「ほら、気持ちを切り替えな。紘輝のライブに行くのに、そんなしょぼくれてたら悪いだろ」
「……うん」
ようやく諦めがついたくるみは仕方無しに小さく笑うと、先を歩く興津に追いつこうと足を早めた。
「のんびり食事して楽器眺めてたら、あっという間に四時半過ぎね」
「ホントだね、時間がすぎるのって早いなあ」
「とりあえず翔琉くんが迷子にならなくてよかった。……この後も気をつけてよ? 勝手にライブハウス出ちゃ駄目だからね?」
「ひどいなあ松崎さん、さすがに気をつけるって。……あれ、あっちゃん? 元気ないけど大丈夫?」
紗雪とソフィアと言葉を交わしていた翔琉が、ひとり浮かない顔をした敦哉に気がつく。
「え、ああ……うん、大丈夫」
そう答える敦哉の表情がどことなく憂鬱そうに見えた翔琉とソフィアは首を傾げ、何を思っているのかわかっている紗雪がそっと彼に寄り添い、さり気なく彼の手を取る。
「お兄さんとお姉さん、久しぶりに会うんだよね」
「あ……うん。そうだね。特に姉さんとは三年ぶりに会うからさ、緊張して……」
「アハハ、きょうだいなんだから大丈夫だよ、別にケンカなんてしてないんでしょ?」
「うん……」
翔琉の言葉にもソフィアの励ましにも曖昧な笑顔を返し、敦哉は紗雪の手を強く握った。
(……似てないって思われるんだろうな、きっと)
目鼻立ちが完全に違う兄と姉の顔を思い出し、そこから余計な詮索をされまいかと不安になり、彼は奥歯をぐっと噛みしめる。
「あっくん」
小さく呼びかける声とともに、紗雪の手の指が絡むように繋ぎ直される。
「……」
彼女の優しさにすがるような気持ちになってしまった自分の不甲斐なさにうつむくと、
「あっちゃん」
今度は隆玄に背中をぽんぽんと優しく叩かれ、敦哉はようやく肩の力を少しだけ抜く。
(……大丈夫、僕にはさゆがいる。たっちゃんだっている。それに、みんなそんなことで俺に何かを言うような人じゃない。気にすんな)
敦哉はうつむいていた心と顔を前に向けて、夏の夕暮れ間近な歌舞伎町一番街の門を見遣る。
「大輔さんといずみさんに会ったら、いろいろ話しなよ」
「ライブもみんなで一緒に楽しみましょ」
「うん。……ありがと、たっちゃん、さゆ」
まるで本当の兄妹のように自分を支えてくれる二人にそう答えると、敦哉は待ち合わせ場所のアルタ前に目線を移し、兄と姉の姿を探した。
「あ、……あれがそうかな?」
懐かしさに思わず声を上げたその先に佇む見覚えのあるシルエットに加え、体格の良い男性がもう一人、兄の隣に見える。
(あの人が多分、兄さんの恋人……)
初めて会うその人の存在に呼び戻された緊張に、少しだけまた身を固くしながら、敦哉は皆と一緒に信号が青に変わるのを待った。
交差点を渡る人波の中にそれらしい一団を見つけ、
「ああ、あれかな?」
涼し気な目元の端正な顔立ちをした青年が声を上げると、あとの二人もそちらを見る。
「あはは、やっぱりそうだ。おーい、敦哉、こっちこっち」
彼が声をかけると、まだあどけなさの残る柔らかい面差しの少年が、照れたように笑いながら手を振り、友人たちと一緒に近づいてくる。
「ほら、背が伸びただろ、あの子」
「ホントですね、大きくなってる」
兄の言葉に、ひときわ豊かな胸と、綺麗なアーモンド型の大きな吊り目にふっくらと厚い唇が印象的な、南国の花のような美しさを感じさせる女性が笑顔ではしゃぐ。
「あれが敦哉くんか、……俺、なんて挨拶すればいいかな?」
筋肉質な体つきの男性が、彫りの深い目元で少し困ったように傍らの青年を見やる。
「大丈夫、モトさんのことは僕から話してあるから、他の子には『友達』で通しちゃいなよ」
「わかった」
彼はうなずくと、恋人から半歩だけ距離を取った。
「兄さん、姉さん!」
「敦哉、元気そうでよかった」
「ひさしぶりね、お疲れ様」
黒いTシャツにブルーのデニムという平凡を絵に描いたような姿の少年を、兄と姉は嬉しそうに出迎える。
「ふふっ、大きくなったわね。わたしよりも背、伸びた?」
ゆったりしたエスニックな柄のチュニックに黒いスキニーデニムとスニーカーを穿き、菫色のインナーカラーが目立つ長い髪をざっくりと首元で編んだいずみが、手のひらを水平にして弟の背丈を測る。
「うん、173まで伸びたよ」
「あはは、すごい。三年前はわたしの肩くらいだったのに……」
そう言ってふと後ろを見たいずみは、
「きゃあ、やだ! もしかして隆玄くん!?」
後ろについてきたグレーのスタンドカラーのシャツに黒いデニムを身に着けた、シャープな居住まいの幼馴染に、口元を真っ白な両手で押さえて驚愕する。
「あはは、ご無沙汰っす」
今日だけ眼鏡を外し、コンタクトにした大きな猫目で、隆玄が照れ笑いする。
「おお……たっちゃん、俺よりデカくなってるなあ、何があったんだ?」
最後に顔を見た四年前とのあまりの違いに、さすがの大輔も唖然とする。
「中三から高二の春までに25センチ伸びたんすよ。でも体重変わんないからこーんなガリガリになっちゃって、制服も作り直しました」
「嘘でしょ、あの丸っこくてちっちゃかった隆玄くんが……」
まだ信じられない様子のいずみに、隆玄は自慢気に胸を張る。
「えへへ、今度こそ惚れました?」
「やだ、もう。お姉ちゃんをからかわないの。……でも、カッコよくなったね。なんだかすごく大人っぽくなったよ」
「……ありがと。嬉しいなぁ」
いずみに褒められ、三年越しの何かが成就したような表情で、隆玄は満足そうに微笑んだ。
「ていうか、紗雪ちゃんは髪どうしたの? 敦哉とケンカでもした?」
「ち、違います、ちょっと心境の変化が……ヘアドネーションもしようと思ったもんで……」
にこにこと微笑みながら敦哉と隆玄の間で眼前の光景を眺めていた紗雪は、大輔から小さな子供の相手をするようにからかわれ、慌てて自分の首筋を撫でる。
「兄さん、変なこと言わないでよ。さゆが困ってる」
「あはは、ごめんって。短いのもよく似合ってるよ、紗雪ちゃん」
「……そうですか? ありがとうございます」
兄と同じくコンタクトの目元をほころばせ、紗雪は素直に大輔の褒め言葉を受け取った。
「で、たっちゃんの友達が、そちらのみなさんだね」
「はい」
大輔に問われ、笑顔で隆玄は答えると、
「あ、ちなみにあのサングラスかけた、筋者みたいな人が顧問の先生っす」
狙い通りとはいえ、それを聞いた当人が思わず吹き出すほどのあまりにも直球すぎる表現で、興津の紹介をした。
「祐華ちゃんのこと、紘輝くんからよくお話を聞くわ。とてもしっかりしてるって」
隣同士で一番街の人混みを歩きながら、いずみと祐華は言葉を交わす。
「いっ、いえ、そんなことないです、お兄ちゃんがだらしないだけですから」
「あはは、そうかも。ギター以外のことになるとほんと無頓着な人ね」
「でしょう? ほっとくとご飯も食べないでギター弾いてるんです、困っちゃう」
紘輝に対する印象が全く同じなことが可笑しくて、二人は同時にころころと笑い出す。
「なんだか、いずみさんにいつもご迷惑おかけしてるみたいで、ほんとにすみません」
「ううん、迷惑だなんて思ってないから……わたしこそ、びっくりさせちゃってごめんなさいね。ご両親にはまだお話も出来てなくて……」
「いえ、お父さんたちにはまだ内緒にしといたほうがいいです。いずみさんこそ、ご両親にはお話されなくて大丈夫ですか?」
祐華の問いに、いずみは一瞬だけ言葉に詰まると、すぐに首を横に振って微笑む。
「……大丈夫。うちは結婚しても黙ってていいくらいだから」
「あ……そ、そうなんですか……」
何かを隠している風のいずみに祐華は淡い疑念を抱きつつも、とりあえずは素直にうなずく。
(……何か事情があるのかな、お兄ちゃんに聞けそうなら聞いておこう。でも、いい人みたいで良かった。隆玄先輩の言ってた通り、綺麗でかわいい人。もっと仲良くなれるといいな)
背の高いいずみのエキゾチックな横顔を見ながら、祐華は安堵の息を吐いた。
学生たちのしんがりを守るように歩く成人男性三人は、それぞれ挨拶をするとすぐに打ち解けた。
「そうですか、公立小学校の先生を……」
「はい。世間で言われている通り大変ですけど、子供たちが成長していく手助けをすることは、僕にとってなにものにも代えがたい喜びなんです。薄給だろうが激務だろうが、ずっと続けていきたいと思ってます。まあ、給料が上がるに越したことはないですけどね」
大輔の『友人』である、早川幹はそう言って興津に微笑む。
「興津さんも大変でしょう、高校生は小学生と接し方も違うでしょうから」
「ええ、そうですね。もう半分大人ですし、三年生になれば法律上成人になる子が殆どですから、子ども扱いはしないようにしてますけれど……やっぱりどこか危なっかしくって、ついつい余計な口出しや手出しをして、鬱陶しがられてばかりです。うちは校則も厳しいですから、服装やメイクを細かくチェックするんですが、それだけで反感も買いますしね」
教室にいる何人かの生徒の顔――そこにくるみも含めながら、興津は軽くため息を吐く。
「そうそう、聖漣は校則さえ守ってればなんも言われんけれど、その校則が厳しいおかげで反発もすごくって、荒れる子はすごく荒れるんだって僕らの間でも有名でしたよ」
幹の隣を歩いていた大輔の話に、興津も大きくうなずく。
「私が学生の頃もそうでしたね。たぶん今の理事長先生の前の代の方がそうだったんだと思いますが、とにかく厳しいっていうんで、やれメイクをしてきたら停学になっただとか、アルバイトがバレて退学になったとか、生徒同士で付き合うと別れさせられるだとか……そんな噂もあって、私は早々に志望校から外しましたよ」
「あはは、それは厳しいなあ。恋愛禁止なんて今じゃ考えられないですね」
「まあ、入ったところで付き合う相手もいなかったでしょうけどね」
興津の自虐的な冗談に、大輔と連れ立った幹は愛想よく、いやいや、と言って受け笑いを返した。
「ところで、弟から聞きましたが、先生もベースを弾かれるそうですね」
「ああ、ええまあ、一応……所詮素人の横好きだもんで、そんなにたいしたことは……」
話題を変えた大輔の問いに、興津は力いっぱい謙遜して答える。
「いや、弟がずっと言ってますよ、プロみたいだって。文化祭の練習も今、ほとんど付きっ切りで教えてくださってるみたいで……あんなに楽しそうな弟を見るのは久しぶりです。ありがとうございます」
自分たちの数歩前を、紗雪と肩を並べながら一年生と歩く弟の姿を見て、大輔は心底嬉しそうに微笑む。
そしてふと真面目な顔になって、
「……先生はご存じでしょう、うちの家の事情」
流麗な目でサングラス越しに興津のコーヒー色の瞳をまっすぐに見てから、言葉を続けた。
「……敦哉はそういうの、あまり表に出さない子なんですが、うちは親父も今の奥さんも本当にどうしようもなくて、特に母親はずっと親父の言いなりで、実の息子なのに親父の暴言からあの子を護ろうともしないんです。おまけに、僕やいずみが下手にちょっと名の知れた大学に入っちゃったもんで、だいぶ家で肩身の狭い思いをしてると思います。だから、こうして自分らしくいられて、感情を発散できる場があることは、あの子にとって本当にいいことです。……先生、弟に居場所を作ってくださって、ありがとうございます」
刹那、立ち止まって頭を下げた大輔に、興津は首を横に振ってそれを止め、サングラスを外してから、心優しい兄である彼こそが敦哉の父親のつもりで話をする。
「正直に言わせていただければ、入学したての頃は、聖漣に一般で入れただけでも優秀だという証明になるのに、どうしても自分でそれを認められない様子ではありました。でも、最近の敦哉くんはとても堂々としている。彼の歌声は変幻自在で、どんな曲にも違和感なくなじんでしまう不思議な魅力があります。それに、きっと耳がいいんでしょう、アカペラでも音を外さないし、外国語の発音もほぼネイティブだ。だからベースボーカルを勧めたんです。私自身も苦労しましたが、ベースボーカルは本当に難しい。でも、敦哉くんはそれを毎日努力して身に付けてくれました。きっと、自分にだけ出来ることが増えて、自信が付いてきたんだと思います。もしも私にその手伝いが少しだけでも出来たのであれば、教師冥利に尽きますよ」
興津の話を聞いて、まさに父親の表情で大輔は微笑んでから、隣の幹と顔を見合わせる。
「心強いね。興津先生が側にいてくれるんなら、敦哉くん、なんとか受験が終わるまでやり過ごせそうだな」
「うん……大学行くお金くらいは僕が出すから、無事にこっちに出てこれるといいなあ」
そう言いながら、ほっとしたように笑い合った二人の、互いを見つめ合う眼差しが、なぜかくるみと自分のそれに近い気がして一瞬興津は戸惑うが、
(……ああ、そうか……ただの『友人』がこんなに距離が近いわけないか……)
何人もそういう生徒を見てきた自分の勘に従って、彼らの『本当の仲』を察したことでそれが腑に落ち、その睦まじさに笑みを浮かべながら、掛け直したサングラスの奥で目を細めた。
「あ、いた! マリアちゃん、いちごちゃん!」
ライブハウス『MIFE』の入っている雑居ビルの入り口に立つ二つの人影に、客引きから守られるようにして集団の真ん中を歩いていたいずみが呼び掛ける。
「あ、いずみちゃん!」
紗雪と同じくらいの背丈の、生まれついてのものだとわかる色味の赤毛に青い瞳の華奢な少女が、オーバーサイズの白いTシャツの腕をぶんぶんと振る。
そして同時にその隣に立っていた、厚底ブーツにボーダーのニーソックスを履き、レギンスの上から黒いレザースカートにシルバーのチェーンやブローチがじゃらじゃらと付いた黒いシャツを着た、ショッキングピンクのモヒカンヘアの小柄な少女もいずみに応えて笑顔で手を振り返し、くるみたちの度肝を抜く。
「え、あの二人が姉さんの友達?」
「うん、そうよ」
こともなげに答えた姉にぽかんとする敦哉を置いて、いずみは二人に駆け寄る。
「お疲れ様、どう? お客さんだったら大丈夫そう?」
「はい。マスターが『マリアちゃんだけだったら許す』って言ってました」
モヒカンの少女がいかついメイクの顔をほころばせ、楽しそうに笑う。
「よかった、もしもお客さんとしても出入りできなかったら、どうしようかと思ったわ……」
「ホント、マスターには頭が上がらないなあ、いろんな意味で」
赤毛の少女はそう言って肩をすくめると、いずみがやってきた方角を見遣る。
「あっち、紘輝くんの部活の人?」
「うん。後ろにいるのはわたしの兄さんとお友達と、……あのサングラスの人が顧問の先生」
そう言いながらくつくつと笑い始めたいずみにつられて、他の二人も興津の姿を見て吹き出す。
「やだ、わたし本物の人が付いてきたのかと思った……!」
「トー横になじみすぎですよ! よく職質されませんでしたね……! あははは……」
「そうなの、ここに来るまで、一度も客引きにもスカウトにも遭わなかったの! やっぱそう思うわよね……!」
三人は仲良く、かしましい笑い声をあたりに響かせる。
(……なんだか、姉さんも変わったな。僕の覚えてる姉さんとは違う。すごく明るくなった)
東京というあらゆる混沌を飲み込んでしまえる街と、側で彼女を必要とし、支えている紘輝のおかげなのだろう、地元にいた頃のどこか窮屈そうで陰のある雰囲気が薄れ、ただ素直で愛情深い姉の本質がよく見えるようになったことがひどく喜ばしくて、敦哉は泣いてしまいたくなるほどの喜びが胸に満ちるのを感じた。




