第118話
「……まじで?」
「ホントにいいの……?」
「ああ、もう智にはゲームのプリペイドカード三万円分渡してきたから気にしなくていいぞ。五十万までなら何でもいいから、好きな楽器持って来い。周辺機器も必要なら買ってやる」
食事を終え、奢ってくれた翼に全員でお礼を言ってから、くるみたちは新宿東口にある楽器店までやってきていた。
その入り口で翼に呼び止められた慎とくるみは、『ありすの面倒を見てくれたお礼』と称したプレゼントを買ってもらうことを翼から提案され、目を丸くする。
「他の子たちには内緒な」
「う、うん、わかった」
「ありがとう……」
「よし、決まったらこっそり呼べ。チャットで連絡くれたら店員さん連れてくから」
ひそひそ声でそう言うと、翼はさっと店の中に入ってしまう。
「……なんか、かえって悪いなあ。寝かしつけや沐浴したり、おむつまで替えたお前と違って、俺なんか何回かミルクあげただけなのに」
「でも、遠慮するのもなんだよね。いいよ、思い切って欲しいの買ってもらっちゃおうよ」
「そうだな……じゃあ俺、せっかくだから5弦ベース探そっと」
「わたし、エレキギター買ってもらおうかな。みんなの見てたら弾きたくなっちゃった」
兄と妹は、うきうきと伯父を追いかけて店内に足を向けた。
「あれ? 慎先輩、くるみちゃんは一緒じゃないんですか?」
当然、興津もいるベース売り場に一緒に来るものだと思っていた祐華が首をかしげる。
「ああ、なんかエレキギター見たいって言って、ギターの売り場行ったよ」
そう言ってエレベーターホールを見遣りながら、慎は祐華とその隣にいた興津の後ろに立つ。
「ふうん……先生について来ないなんて珍しいですね」
「藤枝、誤解を招くような言い方はやめてくれ。私は君たちの引率であって、別に牧之原だけのお守りをしてるわけじゃないんだから」
少々困惑しつつも、ほんのりと寂しそうに興津が答える。
「……でも、いいんですか、先生? くるみ、今日結構気合い入れてお洒落してますから、ひとりでほっといたら多分ナンパされますよ?」
慎が半分本気で、半分は面白がるように興津を促す。
「!……いやいや、それはさすがに欲目が過ぎるよ。……」
そう言われて、オーバーサイズで襟ぐりの広いフリルTシャツを重ねたピンクのタンクトップと、その下からちらりと見えた――今日に限って黒い下着の肩ひも、そして華奢な腰回りを強調するスキニーなダメージデニムの腿から覗いた白い肌を思い出し、彼は不安に駆られる。
「……いや、でも、そろそろ張り替えないといけないから、先にエレアコの弦でも見てくるか……牧之原、藤枝のことは任せたよ」
「ご心配なく」
結局、すぐ慎の揺さぶりに耐えられなくなった興津は不安が現実にならないうちに、もっともらしい理由をつけてその場を離れた。
(うああ、種類が多すぎて何がいいのかさっぱりわかんない……!)
壁一面に展示されているエレキギターの前で、くるみは途方に暮れていた。
(と、とりあえず……左利き用じゃないとだめだから、店員さんに「レフティありますか」って聞かないと……でも、試奏が出来るほどなにか弾けるわけじゃないし、どうしたら……)
同じフロアの少し離れたところでエレアコを見てはしゃいでいる一年生を見て、
(代わりに凛子ちゃんか翔琉くんに弾いてもらうっていうのも……でも、伯父さんに買ってもらうことがバレないように、出来れば他の子には何も言わないようにしたい……)
そう逡巡して考えを取り下げると、彼女はもう一度壁に目線を戻そうとした。
「牧之原」
慣れた声に振り向くと、いつもよりもやや悪い大人の空気をまとった興津がそこにいて、彼女はほっと息を吐き、次いでくすくすと笑う。
「……やっぱり何回見ても、今日の先生、変な迫力ありますね」
ぱっと見が完全に『その筋の人間』にしか見えない今日の彼の服装に、いつもの爽やかな白いシャツとのギャップが激しすぎて、彼女はときめきつつも笑いを堪えられずにいる。
「危険な場所に行くんだから、ちょっと怖い格好しといたほうが舐められないかと思ったんだよ。歌舞伎町は君たちくらいの子が法に触れるレベルで危ないことをしてる場所だから、何かあっちゃ困る」
「でも、敦哉くんのお兄さんやお友達も来るって言ってましたから、そこまでしなくてもよかったと思いますよ。逆におまわりさんに怪しまれたりしないですか?」
「その時は免許証と職員身分証を見せればいいよ。別に疚しいことはしてないんだから」
集合場所で全員に微妙な反応をされたおかげか、逆に開き直った様子で興津はそう答えると、
「……それで、アコギ、エレアコと来たからには、やっぱりエレキも欲しくなったのかな?」
いつもの優しい笑顔と声でくるみに寄り添う。
「はい。……あの、先生、……ちょっと耳貸してください」
その気配に感じた安らぎと、彼ならきっと黙っていてくれるだろうという確信の下、くるみは興津にだけは経緯を説明しようと思い、屈んだ彼の耳元に唇を寄せた。
「なるほどね。じゃあ試奏は私がするから、それを参考にして好きなものを選ぶといいよ」
「ありがとうございます」
興津の優しさにすっかり甘え、くるみは通りがかった店員とようやく目を合わせる。
「でも、最終的には自分で一度弾いてみるようにね。使うのは君なんだから」
「はい」
彼の言葉にうなずいてから、お伺いしましょうか、と近づいてきた店員に、くるみは自分の希望を伝える。
店員はざっと壁を見渡し、いくつかのギターをフックから外してスタンドに立てる。
「レフトハンドモデルですと、今現品で取り扱いがあるのはこれだけになりますね。あとは取り寄せになります」
「うああ、やっぱ少ない……」
結局四本しかない左利き用のエレキギターを眺め、くるみは肩を落とす。
「いや、多いほうだよ。ありがとうございます、試し弾きさせて頂いてもよろしいですか?」
「どうぞ。今ご用意しますね」
店員はにこやかにそう言って、手にしたギターにシールドを挿し込み、アンプのスイッチを入れてボリュームを軽く上げた。
「……『蝋人形の館』だ。音色クリーンに近いけど、迫力あるね」
「あはは、誰かさんにカッコいいとこ見せたくって、気合い入っちゃったのかなぁ?」
店の奥で、特に高額なレスポールの棚を眺めていた太陽と隆玄が、覚えのあるイントロのリフにそちらを見遣って顔を見合わせながら笑うと、隣にいたソフィアが驚いてエレキギターコーナーを振り向き、
「先生!?……ウソ、聖飢魔Ⅱ? てか、ギター、こんなに弾けるんですか!?」
それを弾いている人物を見て啞然とする。
「弾けるんだよ、しかもかなり上手いんだ。おまけにたぶんちゃんと歌えるぞ、これ」
「あはは、試奏にしては随分派手だなぁ、紘輝先輩といい勝負だねぇ」
ライバルを見る目で興津の背中を眺める太陽の隣で、けらけらと楽しそうに隆玄が笑う。
「……なんで学校の先生なんかやってるんですか、ホント……」
「何でだろうねぇ。まあ、自分のこと何にも話してくれないから、永遠の謎だよ」
「……」
一本目の試奏を終えた興津をうっとりと眺めるくるみの顔が見え、ソフィアはただひたすら自分に勝ち目のない恋の痛みに耐えていた。
その後も店内には『Smells Like Teen Spirit』『ルビーの指輪』『いとしのレイラ』と、興津の手による名曲の演奏が続き、周囲にいた外国人の客と店員の視線は完全に彼に釘付けになる。
「……で、どれにするか決めた?」
四本目を店員に返した興津に訊かれたくるみは、
「どれもカッコよかったです……ほんと、ステキ……」
赤く染まった頬に手を当てて見当違いの答えを返す。そこに、
「先生、すごいですね。どれも聴いたことある曲ばっかりだ。特に『ルビーの指輪』なんて久しぶりに聴きましたよ、懐かしいです」
すっかりただのファンの表情で、くるみに呼ばれた翼がエレベーターホールから拍手を贈る。
「え、ああ……いや、お恥ずかしい。弾き始めたら楽しくなったもんで、つい……」
店内の注目が自分に集まっていることに今さら気が付いて、興津は体をすくめる。
「伯父さん、先生すごいでしょ。でも、ベース弾いたらもっとカッコいいんだから」
「こら、牧之原……そういうことは言わんでよろしい」
くるみに褒められて嬉しさに上気する頬をごまかそうと、興津は咳払いをして口髭の下に手をやりながら明後日の方を見る。
「なんかちょっとしたリサイタル聴いた気分ですよ。ありがとうございます」
「いや、本当にすみません……ほら、早く選んで、牧之原」
「あ、くるみ……内緒だって言っただろ」
興津の言葉にくるみが彼に何を話したかを察し、翼は彼女の頭を指で小突く。
「あー……あはは、ごめんなさい、でもほら、生徒じゃないからセーフ」
「試し弾きくらい自分でしろよ、まったく。ほら、早くどれにするか決めな」
「うん、ありがとう、伯父さん」
くるみは大急ぎで、自分もせめて開放弦で音を出すだけは出そうとギターに手を伸ばした。
厳選の結果、アコースティックな音色も感じられる、セミホロウ・ボディのガンメタルブルーのギター――グレッチのレフティモデルを選び、ついでにエフェクターのフロアで選んだディストーションエフェクターとシールド二本、店員におすすめされたスピーカーアンプも合わせて翼に会計してもらう間、階下の中古ギターコーナーに下りてきたくるみは、慎の姿を見つけて近寄り、声を潜めて話しかける。
「……いいの見つかった? お兄ちゃん」
「おう、自分じゃ絶対買わない値段のを思い切って選んでみた」
「やるう。……祐華ちゃんには教えたんでしょ?」
「まあな、どうせそのうち共有するから。お前もさっきの様子じゃ、先生に話したんだろ?」
「うん、ちょっと怒られちゃった」
「俺も」
二人は肩をすくめて苦笑いしながら、宅配便の伝票に住所を書き込む翼の背中を眺める。
その時、ふとあるものを買い忘れていたことを思い出し、くるみははっとした。
「うああ、ピック! ピック買ってなかった……」
「そのくらい自分で買えよ、そんなに高いもんじゃないんだし」
「うん、まあ、それはそう……」
兄に釘を刺され、くるみは苦笑しながら、ピックの入ったプラスチックのケースがずらりと並ぶ売り場に足を向ける。
その後ろから、
「どうした、何か買い忘れか?」
すたすたと興津が近づいて、隣に立った。
「あ……ピック買うの忘れてたんです。ほら、エレアコのだと薄いから、別にしようと思って……」
「そうだね。グレッチ弾くんじゃ、厚手のピックの方がいいな」
彼女の言葉に、ふむ、と興津は息を吐いてから、
「……僕が買ってあげるから、好きなのを選びなさい。みんなには内緒だよ」
二人にしか聞こえない大きさの声で囁いて、半歩だけ彼女に寄り添った。
「え……」
不意に降り注いだ甘い声に見上げた彼は、教師ではなく恋人の顔をしてそこに立っている。
(……ほんと、こういうとこ、ずるい……心臓に悪いよ……)
どきどきと駆け足を始めた心臓をどうにか落ち着けながら、くるみはもう一度ピックのケースに目を落とす。
そして、ふいにその光景に蘇った今年の元旦の社務所の光景を思い出し、彼に一つ提案をしてみる。
「……じゃあ、わたしも先生に、ピック買ってあげます。いつも指弾きでスラップばっかりしてるけど、時々は使うでしょ?」
「……」
彼女の言葉にすっかり照れた彼は、年頃の少年のような目をしてから、嬉しそうにうなずいた。




