第107話
「おおおおお!『torimune』の新曲キタ――――――!!」
その日も気に入りのアニメを聞き流しながら練習する前に、日課になっている動画サイトの登録チャンネル巡りをしていた凛子は、新着動画のサムネイルに目を輝かせた。
「ふーん、このボカロは初めて使うな、この人……」
いつも使っている、発音がくっきりした愛らしい声のボーカロイドではなく、甘く掠れて憂いを感じさせる音声ライブラリが特徴のボーカロイドの名前が、タイトルの後ろについた「feat.」の文字に続いている。
「……『鏡のエデン』……なんかこれまでと毛色の違うタイトルだな……」
いつも曲名を古典や短歌から持ってきていた『torimune』がカタカナを引っ張ってきたことに少しの不安と違和感を覚えつつ、凛子はヘッドフォンをしっかりと耳にかけてサムネイルをクリックする。
一秒おいて、吹き荒れるように舞い散るピアノの激しい音がなだれ込んできたと思うと、ファズのかかったギターに歪んだベースとドラムが滑りこみ、高速のBPMと不安定なコード進行の中、やはりどこか不安定なメロディを、ハスキーなボーカロイドの声が紡ぎ出す。
キネティック・タイポグラフィと影絵の中で歌われるその言葉は、一つの物語を創り上げていた。
自分が化け物であることを隠して生きてきた青年が、美しい人間の少女に恋をする。
二人は親しくなるが、鏡に映る彼の姿が化け物であることに気付いた人々が、彼を見世物にしようと捕まえる算段を始める。
それを気取った青年は彼女に別れを告げるが、彼女はそれを受け入れない。
彼女の前で自分を鏡に映し、ついに正体を明かしても逃げ出さない彼女を青年は腕に抱き、二人はその夜のうちに遠い西の街へ逃げる約束をするが――
物語はそこで終わり、結末は描かれてはいなかった。
凛子は聴き終えると、机に肘をついて息を吐く。
「……こう来たかー……こういう曲、この人作るんだな……」
化け物であることを隠している青年はおそらく『torimune』自身のメタファーなのだろう、それまであえて避けるように使われなかった一人称の『ぼく』という単語に、凛子は不思議と違和感を覚えなかった。
俗に『丸サ進行』と呼ばれるサビのコード使いも決していやらしく狙った感じはせず、これまでのどこか理論だけで創られたような雰囲気の曲とは違い、何か『torimune』自身の包み隠さない感情のようなものが、無機質なはずのボーカロイドの歌声の中に見え隠れした。
「……いや、待って」
その生々しさにふと思うところがあって、凛子はもう一度頭から曲を聴き直す。
「あ……!」
うっすらとではあるが、人の声が入っていることに気付き、凛子の心拍数は一気に加速した。
「やっぱり……これ、ボカロじゃない、生声だ……! てことは『torimune』の声……!」
機械的なビブラートの入っていない真っ直ぐな男声が、ボーカロイドの後ろで綺麗にハーモナイズされて、不安定なメロディを支えている。
「うわ、ちょ、やば……」
ばくばくと音を立て続ける心臓を押さえて、大きく息を吸う。
「……男の人だったんだ、……そっか……」
今までもやがかかって正体のはっきりしなかったものの姿が不意に形を取ったことで、凛子の意識は急に地に足がついたような感覚で満たされる。
「いや、……わかんないままでもよかったけど、なんかほっとしちゃったっけ……」
自分の推している人間がちゃんとこの世に実在するというだけで、不思議と安心してしまう。
そして同時に、この歌はきっと『torimune』自身がどうしても自分の声で歌わなければいけなかった理由があるはずだ、と考え始める。
「ああ……見事に罠に落ちたなあ、考察が捗りますぞ……」
凛子は完全に自分が『torimune』の術中にはまったことを幸せに思いながら、しばらくの間練習もせずに『鏡のエデン』の歌詞とメロディを反芻していた。
(……よし、もう後は野となれ山となれだ、合宿が終わるまでサイトは開かない)
三十分ほど前にアップロードした『鏡のエデン』のサムネイルをもう一度見つめると、政宗はブラウザのタブを閉じた。
(理論だけで考えて、綺麗に作ろうとしてるだけじゃ駄目だ。それじゃ何も伝わってこない。音楽は生き物なんだ。血が通っていないものを、生気のないものを、人は食べようと思わない)
いままで作ってきた曲が無味無臭のサプリメントのようなものだとすれば、味や盛り付けはさておいて、やっと自らの感情を糧にして作った料理を人前に出せたような気がして、彼は自分の音楽にとって大切なことをやり遂げることができた感覚に、大きな満足のため息を吐く。
(人間の持ってる醜さや浅ましさも、温かさや強さも、心の底から湧き上がる喜びも……俺の曲にはそういうものがなかったんだ。みんなの演奏を聴いて、やっとわかった)
練習中に興奮すると早くなるリズムや、時折聞こえるミスタッチの人間らしさ、あるいは感情が高ぶって泣いてしまうことさえあった、その時ただ一度しかできない合奏――『ライブ』の空気は、独りぼっちで音楽を作り続けていたら、きっと知ることはなかっただろう。
(俺、軽音楽部に入ってよかった。……最初は、凛子ちゃんと話がしたかっただけだった。でも、そのおかげで、俺の中で同じくらい、大事なものが見つかった手ごたえがある)
DTMの技術は独学でいくらでも学べるが、彼らと共に過ごし、その音に触れ、言葉を交わすことで、自分の音楽に足りていなかった『魂』をようやく掴むことが出来たのだ、と政宗は清々しい気持ちで、今までにない達成感に軽くなった胸を押さえる。
(もっと素直に自分の感情を乗せていいんだ、俺の音楽なんだから。誰かに褒められようなんて、もう考えない。恥ずかしがらずに正直に伝えようと思えば、誰かがきっと気持ちを汲んでくれる。曲に込めた想いを、わかってくれる人が必ずいる……それがただの一滴で終わるのか、大きな波紋になるのか、それはもう結果でしかない……)
やっと音楽を作ることを心から『楽しい』と思えた気がして、彼は小さく笑ってから椅子の上で伸びをすると、そのまま天井を仰ぐ。
白く丸いLEDのライトが目に入り、眩しくて目を瞑る。
その瞼の中の暗闇に、ふと凛子の顔が浮かんだ。
(美人なのにあんなド直球なオタクだとは思わなかったよ。実在するんだな、ああいう子)
社務所で巫女装束に身を包んでいた清楚な姿とはかけ離れた、オーバーリアクションで擬音まみれの言動や奇天烈な身体の動きを見せ、好きなことをしゃべり始めるとやたら早口になる凛子を、なぜか政宗はどうしても嫌いになれないばかりか、妙な愛着がわいてしまい、なにか変わった生き物を愛でるような気持ちで接していた。
(……でも、俺と話すときだけ、そんな素振りは見せないんだよな。不思議だ……ギター弾いてるときも、しゃきっとしてて綺麗だし、見てて飽きないっけ)
練習中、興津からの指摘にはっきりと大きな声で「はい」と返事をする彼女は、名前に違わず凛として美しく、自分を見上げて微笑むときの愛らしさは、思わず抱きしめてしまいたくなるほど鮮烈な印象で彼の心を捉えていた。
(凛子ちゃん、聴いてくれてるかな。新しい曲)
閉じていた瞼を開けると、政宗はパソコンをスリープさせ、ベッドの上にあおむけになる。
(……俺が化け物でも、君は俺のこと、好きになってくれるかな)
小学生の頃「頭が良すぎて気持ち悪い、人間じゃない」と担任の教師に言われたその日から、自分が醜い化け物のような気がして鏡を見るのが嫌いになった心情をそのまま投影した歌詞が、今さら恥ずかしくなって頬が熱くなる。
(この曲が再生数、万越えしたら、……俺と付き合ってもらえないか、訊いてみようか……)
合宿の後の身の振り方を決めると、彼は襲い来る眠気に抗えず、そのまま電気を消した。




