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麦茶を飲みつつ、僕は母親――冬月御幸と話をする。
「それで、おじいちゃんの具合ってどんなもんなん?」
「そうねぇ……。末期の胃癌とは言うけど、本人は静かに寝とるで。曰く『最期ぐらいは自宅で終えたい』って言っとって、藤崎医院から往診してもらっとるみたいやで」
「なるほど。――どこで寝とるんや?」
「ホンマなら自分の部屋で寝るのが正しいんやけど、少しでも看病が楽になるように、1階の部屋で寝かしとるみたいやで?」
「分かった。――行ってもええか?」
「ええで。多分、定雄さんも喜ぶと思うで?」
そういう訳で、僕は大部屋へと向かった。
空調の効いた大部屋には、確かに冬月定雄が布団で寝ていた。
僕は、定雄さんに話しかける。
「おじいちゃん、帰ってきたで。絢華や」
僕の声を聞いたのか、定雄さんは目を開いて――僕に話しかけてきた。
「おお、絢華か。よう戻ってきたな。――知っての通り、儂はもう長くない。いつ死んでもええんや。思い残したこともない」
「そうは言うけど、色々あって孫の顔を5年間も見ていなかったことについては後悔しとるんちゃうん?」
「してへん。どうせ小説家としての仕事が忙しいと思っとったし。儂は絢華の新作小説を毎回楽しみにしとったんや。――儂が呆けずに歳を取ったのも、本の虫やったからやと思う」
「せやろか? まあ、おじいちゃんがそう言うんやったらそうなんやろな」
色々と会話をしているうちに、御幸もやってきた。
「定雄さん、絢華の顔を見られて良かったと思うで。多分、真衣は帰って来れんと思うし」
「そうかのぅ……。儂の目には、真衣の姿が浮かぶんやけど」
定雄さんがそう言うので、僕は――正論を述べた。
「おじいちゃん、それは――走馬灯というヤツやと思うで」
「走馬灯かぁ。――儂、もうすぐあの世へ行くんかいな」
「それはどやろか? 正直言って、分からへん」
「せやな。――人間が死ぬのを決めるのは、神様であって、儂らには分からへんねんな」
*
夕方になったところで、父親――冬月康介も仕事から帰ってきた。
「ああ、絢華か。戻ってきたんやな」
「当たり前や。おじいちゃんが死にそうやからな」
「そうやって戻って来るだけでも、親孝行やと思うで? 多分、真衣は戻って来ぇへんやろし」
「せやろか? 僕は戻ってくると思うけどな」
僕と康介の会話をよそに、キッチンでは、御幸が何かを作っている。古びた家ではあるが、数十年に一回はリフォームを行っているので、使いやすさは常日頃からアップデートされている。
「出来たでー」
御幸が作っていたのは、冷やし中華だった。野菜が盛り沢山で、ハムと海老も乗っている。一番上にはミニトマトが乗っていて、見栄えも良い。
冷やし中華を食べつつ、僕は話をした。
「そういえば、海外出張の件って何やったん?」
「ああ、それか。実は――冬月商事、本社を豊岡から神戸に移転させるという話があって。僕としては『飽くまでも本社機能は豊岡に置きたい』という拘りがあるんやけど、矢っ張り豊岡って兵庫県でも割と辺鄙な方にある訳や」
「それで、少しでも大阪に近い方――神戸に本社機能を移転させようと思っとる訳やな」
「せやせや。ただ、問題もあるんやな」
「それに関しては、言わなくても分かるで。今の豊岡という場所は――僕がバイク越しで見る限り、とても衰退している。シャッター街を通り越してゴーストタウンと化した駅通り。スナックだったモノが看板を外して普通の住居と化している花街。多分、幹線道路はそれなりに賑わっとると思うけど、僕からしてみれば――豊岡という街は、限界を迎えようとしとるんや。せやから、豊岡から冬月商事が消えると――考えただけで恐ろしい」
「その通りや。今年度の『豊岡就活フェア』でも、矢っ張り冬月商事は一番人気というか、就職希望者が殺到しとった。本来なら喜ぶべき話なんやけど、僕としてみれば――正直複雑でもあるんやな」
あまりにも陰気臭い話をしていたので、御幸は――テレビのチャンネルを衛星放送にした。
「――ビクトリア神戸先制! 大武選手のゴールです!」
どうやら、大武勇紀選手がゴールを決めたらしい。僕にはそんな事どうでもいいのだけれど。
テレビからビクトリア神戸の試合が流れている中で、僕は――母親に根掘り葉掘り聞かれた。
「そういえば、新作小説は読ませてもらったで? なんというか、原点回帰って感じでおもろかったわ。最近は難しい話が続いとったしな。探偵として色々と事件を解決する中で、矢っ張り刺激は受け取るんちゃうんかな?」
「せやで。ただ、先日の日本刀連続殺人事件は少々厄介やったけどな」
「ああ、京都で発生したっていうアレね。犯人は銃砲刀剣類登録証を持っとったからああいう凶行に走ったんやろうけど、私がそういう危険物に関する登録証を持っとっても、実際に人を殺すことは――お門違いやと思うで」
「その通りやな」
なんだか生々しい話をしつつも、僕は久方振りの実家をエンジョイしていた。
――もっとも、おじいちゃんが危篤という状況が重く伸し掛かっているのだけれど。
*
翌日。――おじいちゃんが天に昇った。
主治医で沙織の父親――藤崎典弘――は、午前2時の段階で「御臨終です」と伝えたらしい。その頃の僕は自分の部屋で眠っていたので、おじいちゃんが天に昇る瞬間には立ち会えなかった。
冬月家の宗派は、言うまでもなくカトリックである。隠れキリシタンだったから当然だろう。なので、葬儀はいわゆる「洋式」で行われることになる。
無数の人間がおじいちゃんを白い花で弔う。冬月定雄という人物自体がその人脈と人柄の良さで多くの人から慕われていたので、献花は豊岡の政財界から多数寄せられることになった。
やがて、おじいちゃんが出棺されたところで――僕はなんとも言えない表情を浮かべていた。ちなみに、仏教なら死んだ人間は火葬されるが、カトリックは土葬されることが多い。なので、おじいちゃんだったモノは――土葬されるのだ。
教会の墓地に、棺桶が埋められる。それは言うまでもなくおじいちゃんだったモノであり、周りの人間は泣いていた。僕も――少しだけ泣いた。でも、他の人間ほど泣くことは出来なかった。
それから、葬儀が終わったところで――ちょっとした食事会になった。矢張り、こういう状況じゃないと人間は集まらないと思った。僕はそれがつまらなく感じたので――宴会の席でずっと俯いていた。
*
すべての行事が終わったところで、僕は――空を見上げていた。その日の空はとても青く感じたのだが、矢張り夏の終わりということもあって、空気は少し冷たく感じた。
――おじいちゃんも、今頃天国にいるのだろうか。
昔、「人間は死んだ後に裁きにあって天国行きか地獄行きが決まる」なんてお伽噺話を聞いたことある。確か、生前の行いによって天国行きか地獄行きが決まるとかそんな話だっただろうか。僕は真面目に生きてきたので、多分――地獄へと送られることはないだろう。けれども、矢張り――日頃の行いが良いかどうかを決めるのは自分じゃなくて神様である。だから、「地獄に落ちないように生きていこう」と日々思っている。
そんな事を思っている時だった。遠くで誰かの声がした。
「絢華、後片付け手伝ってやー」
これは、御幸の声か。御幸に呼ばれた僕は、葬儀の後片付けを手伝うことにした。
片付けを手伝いつつ、御幸は僕に話す。
「それで、今後の予定ってどうなっとるん?」
「ああ、予定は未定や」
「それはそうやな。――たまには、友人の顔とか見たらどうや?」
「そうは言うけど、僕はずっと引きこもりやったから――そんな友人はおらん」
「でも、高校時代の友人はおるわけやないの」
「せやろか?」
正直言って、中学生の時の内申点が壊滅的だった僕は――進学校はおろか、普通の高校にすらに通えなかった。辛うじて通えた高校も、お世辞にも「良い」とは言えない高校であり、他校の生徒から通称「バカ高校」と呼ばれていたぐらいだ。
そんな「バカ高校」に通わざるを得なくなった僕は、必死で勉強して――立志舘大学への切符を掴み取った。曰く「学園創立以来初となる立志舘大学進学者」ということでスポットライトを浴びることになったが、それは高校での勉強だけでは足りないから自宅で勉強していただけであって、実力で勝ち取った訳ではない。
そういえば、第一中学校から「バカ高校」へと進学したのは僕だけじゃなかったな。確か、名前は――宇垣菜月だったか。彼女は僕から見て典型的なバカだったので、進学校に進学出来ないのは致し方ない。
いや、宇垣菜月以外にもいたな。名前は――誰だ?
そんな事を思っていると、メッセージが入ってきたのか、スマホが短く鳴った。メッセージの送信元は、藤崎沙織だった。
――冬ちゃんのおじいちゃん、亡くなったんだってね。お父さんから聞いたわよ?
――それはそうと、冬ちゃんに会いたがってる人がいるみたい。
――ほら、第一中学校から小山商科学園に進学した吉岡美里。覚えてない?
ああ、そのメッセージで思い出した。名前は吉岡美里だ。僕と同じで「頭は良いのに諸事情で小山商科学園に進学した子」だったか。理由は忘れたが、彼女と会ううちに思い出すだろう。
僕は、藤崎沙織のメッセージに対して返信した。
――ああ、吉岡美里か。なんとなく覚えている。
――それにしても、彼女が僕に何の用事だ?
――詳しく教えてくれ。
彼女は、意外なメッセージを送ってきた。
――なんだろう? 美里ちゃん、どういうわけか私に「冬月さんに連絡してほしい」って送ってきたのよね。
――理由は分かんないけど、とりあえず会ってみたらどう? 集合場所はこちらでセッティングしとくからさ。
そこで彼女のメッセージは終わっていた。――余程、急を要するのか。
数分後、どうやら集合場所のセッティングが終わったのか――再び彼女からのメッセージが送られてきた。
――「幹線道路沿いのコメダに集まるように」って美里ちゃんに言ったら、彼女は納得してくれた。
――今すぐ向かえそうかな?
そう言うのなら、ここは藤崎沙織の要求を飲むか。そう思った僕は、バイクに跨って――ギアを入れた。
向かう先は、言うまでもなく幹線道路沿いのコメダなのだが――今の幹線道路に、そんなモノがあるのだろうか?
半信半疑で幹線道路に向かうと、確かにコメダの看板があった。僕は駐輪場にバイクを停めて、店内へと入った。
店内へ入ったところで、とりあえず店員さんに「吉岡美里という人物は来ていないか」と聞くことにした。
当然だけど、僕の質問に対する答えはすぐに返ってきた。
「あっ、おられますよ? むしろ『冬月絢華さんはまだ来ていませんか?』って聞かれましたからね。こちらのテーブル席に座っていますので、すぐ案内いたします」
僕は、店員さんから――吉岡美里が座っている席へと案内された。
切り揃えられた茶色い髪に、赤縁の眼鏡。リンゴ柄のスマホを触りつつ、コーヒーを飲んでいる。それこそが――十数年ぶりに会った吉岡美里という人物の姿だった。
*
吉岡美里は、僕の姿を見るなり話しかけてきた。
「あら、冬月さん。本当に来てくれたのね」
僕の答えは、分かっていた。
「ああ、藤崎沙織から依頼が入ってきたから。――でも、僕は探偵じゃない」
「それは分かってるわよ。でも、なんとなく――冬月さんの力を借りたいと思って」
「というと、事件か何か?」
しかし、吉岡美里の答えは――意外なものだった。
「えーっと、事件ってほどの事件じゃないんだけど――最近、困ったことがあって」
「詳しく教えてくれ」
「私、知っての通り――元水泳選手なのよ。ああ、そんな世界選手権やオリンピックに出るほどの実力はなかったんだけど。それで、現役を引退した今は長らく拠点を置いていた西宮に別れを告げて地元へと戻ったのよ。今ではスイミングスクールの手伝いをやっているんだけど――私宛に脅迫状が送られてきたのよ」
「脅迫状か。――内容はどうなっている」
「えーっと、『吉岡美里、お前は私を知りすぎた。命を奪われたくなければ100万円を用意しろ。さもなくは命を奪う』……こんな感じね。スマホに入ってきたんだけど、送り主は不明よ」
「なるほど。――分かった。とりあえず、スイミングスクールに行けばいいんだろ?」
「そうよ。スイミングスクールは第一中学校のプールを間借りして行ってるから――多分、懐かしい気持ちにはなれると思う」
吉岡美里はそう言うが、僕は――黙り込んでしまった。
「……」
「あら、気分を悪くしてしまったかしら?」
「いや、なんでもない。ただ――昔のトラウマを思い出しただけだ」
「大丈夫よ? 私は冬月さんをいじめたことはなかったし」
「――そうか。なら、今すぐにでも行くしかないな」
そう言って、僕と吉岡美里は第一中学校へと向かうことになった。正直言って、僕としてはあまり近寄りたくなかったのだが――友人の依頼なら、仕方がない。第一中学校のOGとしてではなく、探偵として行けばいいだけの話なのだ。




