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本好き少女は大図書館に埋もれたい。そのためなら王子と聖女の婚約破棄も請け負います  作者: 宵川トリス
第一章

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7 蒼星石のネックレス

「——見た? 聖女様のあのお顔。こう言っちゃなんだけど——いい気味って感じよね」


 その言葉に、女性の笑い声が重なった。低く粘り気のある、悪意のある笑い声だ。

 思わず身を隠すために壁に張り付いたカリナの耳に、続く会話が聞こえてくる。

 

「婚約者が堂々と愛人連れ歩いてるってのに、平気なふりしちゃってさあ。でも動揺してるの丸わかりだって」

「可愛げがないのよね。あれじゃユーク王子も嫌になるわよ。ただでさえ四つも年上なのに」

「神託を受けるのがお役目だかなんだか知らないけど、偉ぶっちゃって」

「だいたい神託なんて……。ほんとかどうかも分からないじゃない」

「うちの父も、今どき聖女からの助言なんて必要あるのかって言ってるわ。レナード王もそう考えられてる……って」

 

 聖女の立場を改めて聞かされて、カリナは言葉を失った。

 

 と、俯くカリナに、影が被さる。

 それに気づいて顔を上げた時、さらに驚くべき光景が目の前で繰り広げられていた。

 

「——ほう、ご令嬢のお父上は、聖女の神託制度に疑問を持っておられるのですか。それは興味深い。お父上のお名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 

 突然の闖入者に、令嬢たちは揃って息を飲んだ。

 

 カリナは慌ててその闖入者——エリュシオンの襟を掴む。しかし時遅く、引きずられるようにしてカリナもまた令嬢たちの前に姿を見せることとなった。

 

 自分の発言に食いつかれ、令嬢の一人が青ざめる。政治体制への批判と取られ、咎められるのかと怯えているようだ。

 エリュシオンはにこやかにその令嬢との距離を詰める。が、他の令嬢たちが庇うように身で隠し、背後からカリナがエリュシオンを抑えているのも功を奏して、令嬢たちはみなそのまま奥へ逃げ延びていった。


「ああ、お待ち下さい。他意はないのですが……。行ってしまいましたね」

 

 残念そうに肩を竦めるエリュシオンに、カリナは問いかける。

 

「な、何を聞いてるんですか、エリュシオンさん!」

「何って……面白い話だと思いませんでしたか? 聖女からの助言を必要とする神託制度は周辺国にはないオルニア独自のものですが、オルニア国民すべてが受け入れているわけではない。ましてやレナード王も懐疑的でいらっしゃるという事実。その話の出処を確かめ、正確に、より詳細に記録しておきたいじゃないですか」

「あ、まあ……おっしゃることは分かりますが」

 

 エリュシオンが片眼鏡の奥で目を輝かせている。なおも消えていった令嬢たちの気配を探っている様子に、カリナはため息をついてその体を真反対に向けさせた。

 

「あんな聞き方したら怯えて逃げるのは当然ですよ。政治的発言と取られて、咎められると思われたんですって」

「なんと。そのようなつもりは全く無いのですがねえ。そもそも無位無官の私にそんな権限はありませんし」

 

 気を取り直して、エリュシオンはカリナに向き直った。

 

「で、呼ばれたということでやって来ましたが、ユーク王子がどうされたのですか?」

「あ! そうです。ちょっと、お酒に酔われたみたいで……」

「なんと。飲まれたのですか。それは珍しい」

 

 エリュシオンを案内してきた給仕が側にいたので、カリナは一杯の水をようやく頼めた。




 


 泥酔したユークを、エリュシオンの手を借りなんとか馬車に押し込んだ。

 ユークは眠ってはいないものの、青白い顔で目を閉じている。どんなに背を正そうとしても隣のカリナの肩に頭を乗せてしまうので、途中で対面に座っていたエリュシオンとカリナは席を交換することにした。

 

 馬車はなるべく振動しない平坦な道を選んで、エリュシオンの屋敷へと帰路につく。

 

「やれやれ、重たいですよ。王子」

「……ごめーん……」


 エリュシオンならば、ユークは遠慮なくもたれかかることができるらしい。ふにゃふにゃになった体をエリュシオンの半身に預けて、力なくユークは呟いた。

 

 対面に座るカリナが尋ねる。

 

「ユーク様は、お酒はあまり召し上がらないのですか?」

「ええ、全然」

 

 答えたのはエリュシオンだ。


「飲んだらこうなることはご自身でもお分かりでしょうに」

「いやあ……だってねえ」

 

 そう言うが、ユークの言葉はそれから続かない。エリュシオンはカリナに視線をやるが、カリナも言っていいことかどうか判断つきかねている。だが、やがてユークの口から言葉が漏れた。

 

「…………ローサに会ったんだ」

 

 ほう、とエリュシオンは一言頷いた。しかし反応は冷たい。

 

「それは会うでしょう。そもそもそういう狙いもあっての夜会通いだったのですから」

「……分かってたんだけどねえ。いや、会うだけなら……僕も覚悟してたんだけどさぁ」

 

 不意に、ユークは閉じていた瞼を開けた。琥珀色の瞳が中空を見つめる。馬車の窓から、王都の夜が覗いて見えた。深い藍色の夜空に小さな星が瞬いている。

 

「…………あのネックレス……」

 

 そしてまた、瞼は落ちた。ガタゴトという車輪の音だけが、馬車の中に響いている。

 ユークは今度こそ本当に意識を眠りの底に沈めたのか、沈黙の後に小さな寝息を立て始めた。

 

「——あの、ネックレス? なんのことです、王子」

 

 エリュシオンはまだ話の途中だと言わんばかりに、眠ったユークを揺り動かして起こそうとする。

 目を覚まさないまでも、うっと苦しげに喉を鳴らすユークを見かねて、カリナのほうが切り出した。

 

「青い石の、ネックレスです。多分、蒼星石だと思うんですけど」

「蒼星石……、あーあ、なるほど。これくらいのですね?」

 

 そう言って自分の親指の爪を指すので、カリナは頷いた。

 

「ご存知ですか」

「はい。知ってますよ。それはご婚約前に、ユーク王子がローサ嬢にお贈りしたものです」

「え……」

「確か、ローサ嬢の十九か二十歳の誕生祝でしたかねえ。石を選ぶために、ご自身で鉱山ふもとの街までわざわざ出向いて。私もつきあわされたのでよく覚えています」

 

 ユークからの贈り物。そう聞いて、カリナはどきりとした。

 愛人を作り、婚約破棄を望んでいることを知りながら、その男から贈られたものを身につけている。

 

「……きっと、動揺されたんですね。王子」

 

 カリナの呟きに、しかしエリュシオンはピンときていない様子だ。

 

「そうとはいえ、飲めない酒を飲むものではありませんよ。しっかりしてください、王子」

「ん……」

「あ、駄目ですよ、そんなに揺すっちゃ!」

「う……ぐぅ」

「おやおや、この態勢で吐かないでくださいね。ほらもう、着きますから。いい加減起きて」

「ちょ、ちょっとエリュシオンさん!」

 

 ちょうどエリュシオン宅の門に到着した時だった。半分覚醒したユークが口元を押さえ、転がるように降りていく。

 よろけつつも水場に向かう王子の背に、エリュシオンは呆れたように嘆息しながらも、介抱のためそのままゆっくりと後を追った。




 


 使われていない二階の寝室にユークを寝かせると、エリュシオンとカリナの二人はまた当然のように図書室に戻ってきた。

 

 いそいそと机につき、エリュシオンは今夜の読書を始めようとしている。その背を見ながら、カリナもまた室内の隅、毛布を敷いた己の陣地に腰を落ち着けた。

 

 図書室の北側の壁には高いところに窓があり、カリナは四角く切り取られた夜空を見上げる。

 

 手元の本は二日前から読み始めている「ガルド旅次日抄」。数百年前の王族がオルニア各地を巡った際の旅行記で、当時の風俗や気候が詳細に記されている。もうほぼ読み終わっているこの本を、カリナは今夜も反芻するように読むつもりでいた。膝の上に広げ、頁をめくる。

 しかし、カリナはそのまま本を閉じた。そして立ち上がって元の棚に戻すと、他の書棚の背表紙を一つ一つ目で追い始めた。

 

「——なにかお探しですか?」

 

 気配に気づいたらしいエリュシオンが、本から顔をあげてカリナを見ていた。

 

「ああ、ええと、そうですね。古代神話とか……いえ、詩集とか、ありませんか?」

「神話? 詩集?」

「できたら抒情詩……、その、恋の詩、とか」

 

 知りたいことがあれば、常にカリナは本を開いてきた。

 そこに書かれているのは過去から脈々と受け継がれてきた人間の叡智だ。

 その中にはきっと、今のユークと同じ思いを、書き残した詩人がいるかもしれない。

 


 

 エリュシオンに示された本棚の一角から、カリナは十冊ほどの書物を取り出した。

 

 神々の愛憎劇を書いた神話集。男女の恋愛を主題にした戯曲と、そのモチーフとなった説話集など、多種多様な時代と言語で愛と恋について記された文章を、しばしカリナは読みふけった。

 

 そんなカリナの様子に知識欲を刺激されたのか、気づけばエリュシオンも側でカリナが積んだ本をめくっている。しばらくのちに、エリュシオンはとある歌集の一頁をカリナに見せた。

 

「いつの時代にも、ユーク王子のような方がいるものです」

 

 言い寄る女性をあしらい、まだ一人の女性に縛られたくないと嘯く男の詩。

 見せられたカリナだが、少し考えた後に首を横に振る。そして自分が手にしていた本の頁を反対に差し出した。

 

「ユーク王子は、こちらの方じゃないですか?」

 

 女性に想いを告げられず、自暴自棄になって神を冒涜し、怒りの雷に打たれた男の説話だ。


 エリュシオンはカリナを見て、口の端に苦笑を浮かべた。

 

「お気づきでしたか」

「ユーク様、ローサ様のことがお好きなんでしょう?」

「ええ。ほんの子供の頃から、ずっとあの方の後を追いかけ回していました。どんなに疎ましがられても、くじけずに」

「疎ましがられて?」

「ローサ嬢は四つも年上ですからね。しっとりと落ち着いた未来の聖女さまに対し、ユーク王子は兄上であるレナード王も手を焼く悪童で。花や恋文を贈っても、なにかの悪戯ではないかと訝しがられる年月のほうがずっと長かったです」

 

 その悪童の片棒を担いでいたであろうエリュシオンだが、他人事のように淡々と言い放つ。

 

「ローサ嬢がまともに相手をしてくださるようになったのは、ほんの二、三年前からですよ。蒼星石のネックレスも受け取っていただけました。あれは王子のかなりの決意の表れでしたが、お受け取りになったということは、ローサ嬢もそれと分かっていらっしゃったかと」

「じゃあ、その時に、ご婚約されたってことですか」

 

 しかしエリュシオンは首をふった。

 

「いえ。違います。婚約はレナード王のご下命です」

「王の……」

「半年ほど前でしょうか。王と神殿長の間でまとまったお話だとお伺いしました。ユーク王子は何もご存知なかったそうで、それはそれは驚かれていらっしゃいましたが——内心はお喜びだったかと」

「それが、なんで、こんな騒動を起こしてまで、婚約破棄しようなんて話になったんですか?」

 

 カリナの問いに、エリュシオンはカリナの目を見返した。カリナはさっと自分の頬が染まるのが分かって、慌てて付け足した。

 

「す、すみません。出過ぎた質問で」

 

 自分は帝都留学と引き換えに引き受けた、ただの偽「愛人」役。そう自分に言い聞かせるが、ふつふつと内側から湧く欲には抗えない。理解できないことがらを知りたい、という欲だ。

 

「……出過ぎているのは承知していますが、なぜですか? ただ、知りたいだけなんですけど——」

 

 が、そう言いつつも戸惑いも感じる。知りたいだけ、そうだろうか? この本に書かれた愛憎の心の震え。ユークの中にも存在するそれの具体的な形。それをただ「知りたい」だけか?


 その迷いに続く言葉を探していると、別の方向からもう一つの声が聞こえた。

 

「二人で、なーんか恥ずかしいこと話し合ってるね?」

 

 開いた図書室の扉から、ユークが顔をのぞかせていた。

 


 

 

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