3 作戦続行
「馬車の用意は?」
「万端ですよ」
カリナを担いだまま、ユークとエリュシオンは宮殿内の廊下を駆けていた。途中すれ違う女官に何事かと見つめられ、衛兵には誰何されそうにもなったが、王弟としての特権か、あるいはユークの愛くるしい笑顔のおかげか、怪訝な顔をされつつも引き止められることはなかった。
奥の通用口から宮殿の外に出ると、一台の馬車が待っていた。
ユークがカリナを中に放り込み、そのまま二人とも乗り込んでくる。エリュシオンが馭者に小銭の入った小袋を渡すと、それで雇われたのであろう馭者が馬車を走らせ始めた。
「ふー、ひとまず、成功って感じだね!」
「えっ……成功……?」
カリナは泣きそうな顔でユークを見返した。エリュシオンがゆっくりと頷く。
「概ね、初回の目的は達しましたね」
「も、目的……?」
どういうことなのか。カリナは混乱する。
「で、でも、婚約破棄は——」
この芝居の本来の目的は、ユークと聖女との婚約破棄だと言われていた。カリナはそのために慣れぬ演技をして、そして自らそれを台無しにして、国王の怒りを買っただけに終わったようなのだが——。
が、ユークとエリュシオンは揃って首を横に振る。
「いいんだよ! この一回であの兄さんを説得できるなんて思ってないし」
「えっ」
ぽかんと口を開けたカリナを前に、ユークは陽気に笑い出した。
「今頃王宮は大騒ぎだろうね」
「あの場に居合わせた方々は、口さがなくピーチクパーチクと広めてくれますよ。よりにもよって聖女との婚約中に、得体のしれぬ愛人にのめり込んだ、ユーク王子のご乱行を」
「はははっ、エリュシオンもひどい言い方をする。——そして、聖女を擁する『神殿』側にまで伝われば……そんな男、聖女の婿にふさわしからず!」
急にユークの声が鋭く放たれる。びくりと背を震わせたカリナに気づき、ユークはまた笑顔を向ける。
「……って、向こうからこんな婚約、帳消しにしてくれる」
「我々の最終目標は、それです」
「あっ、そ、そうなんですか……」
「ごめんごめん、そこまで説明してなかったよね。エリュシオンが君を連れてくるのがギリギリだったから」
カリナはおずおずと尋ねた。
「じゃあ……、今日のお茶会の芝居は、成功……? あれで良かったんですか?」
「うん! えーっと、君のお名前……まだちゃんと聞いていなかった気が」
「カリナです」
「そう、カリナ。本当にありがとう。君の存在感、すごかったよ。みんな呆気にとられちゃって! あんなの、もう誰かに話さずにはいられないって」
ユークは満面の笑みでカリナの両手を握りしめ、ぶんぶんと上下に振った。カリナは戸惑いつつも大きく吐息した。
「では、もう私のお役目はこれで……いいですよね? じゃあ、あの、お約束の、留学の——」
援助を、と言いかけたところで、エリュシオンが目を細める。
「——まだです」
「え……?」
「いやあ、もっともっと、この騒ぎを広げたいんだよね。だから君はこれから僕と宮中の社交界を渡り歩いて、僕と仲むつまじい姿を見せびらかしてもらおうと思ってる」
「えええ……! ま、まだやるんですか?」
カリナは青ざめる。ユークは逆に、目をきらきらと輝かせていた。
「当然!」
「む、無理です! やっぱり、私には……」
しかしその拒絶を予想していたかのように、エリュシオンがカリナの右肩、ユークが左肩に手をかける。そして耳に口を近づけ、囁く。
「……成功の暁には『帝都留学』ですよ」
「……王子の僕が紹介状を書いてあげるんだ。これ以上の身元保証人はないよ?」
ぎくりとカリナは肩をこわばらせた。
しかし、抗えない。帝都留学——それはなんと甘美な餌であることか。
「お願いできる? カリナ」
「引き受けていただけますよね? カリナさん」
王子の愛くるしい瞳に見つめられ、肩に置かれたエリュシオンの手の重さを感じながら、カリナは——ただ頷くしかなかった。
「……ところで、この馬車は何処に向かってるんですか?」
ようやく多少落ち着きを取り戻したカリナは、馬車の車窓の風景に気づいてそう問いかけた。
王宮を脱出した後はしばらく貴族たちの邸宅街を走っていたようだったが、そのうちに往来が賑やかになり、平民たちの多く暮らす下町にと景色は移っていた。道行く者が増えたことで馬車も速度を緩め、がたつきのある石畳の細い道を、どんどんと奥にと入っていく。
「私の家です」
「エリュシオンさんの?」
「ええ。——婚約破棄に向けての次の手です。『愛の巣』作戦、発動いたしましょう。これからお二人には、私の屋敷で暮らしていただきます」
静かな宣言に、カリナは一瞬理解が遅れた。
「あ、『愛の巣』?」
はい、とエリュシオンは頷いた。
「古来よりよくある話ではありませんか。身分のある者が愛人を囲う際、妻に知られぬよう隠れ蓑として家臣の家に住まわせる、と。前例のあるわかりやすい筋書きのほうが、人の口に上りやすいですからね。今からお連れする私の屋敷は、いわばお二人の『愛の巣』です。ぜひともそこで秘密裏に——しかし盛大に噂が立つよう、愛を育んでいただきたい」
面食らったように黙るカリナの横で、ユークが笑い出した。
「ははっ、それいい! じゃあ出入りも目立つようにしなきゃね」
「移動はすべて王宮仕立てのこの馬車で。こんな豪華な客車の馬車、衆目を引くでしょうね」
「バルコニーで寄り添う姿も外に見せびらかそうか」
「家が建て込んでいる下町ですから、道行く者が見上げますよ。みなが聞き惚れるような愛の歌を歌ってください」
笑い合う乳兄弟の二人はどこまで本気なのか、ついていけずに呆然とするカリナに、しかしユークが振り返った。
「あっ、安心してね、カリナ。一緒に暮らすって言っても何もしないから。僕、けっこう身持ちは固い方」
「寝室はカリナさんお一人でお使いください」
「……え! あ!」
そこまで言われ、世間一般で言われている『愛の巣』の様相をようやく想像できたカリナは、一足遅れて赤面した。
エリュシオンが付け加える。
「それに貴女、もう住む所がないと仰っていたではないですか。ちょうどいいかと思いまして」
「ええ、そうなの? カリナ」
ユークに覗き込まれて、カリナはぎこちなく頷いた。
「は、はい。食堂に住み込みで置いてもらっていたんですけど……辞めたので」
うつむくと、今日の服装が自然と目に入る。
『愛人』役として着飾らされた装飾品、そしてドレス。こんな派手で豪奢な服装は、昨日までの自分にはとても考えられないものだった。
カリナは王都の片隅にある庶民向けの食堂で働く女給だった。朝から晩まで料理を運び、配膳をし、食器を洗っていた。不器用かつ客あしらいも下手で、食堂の主である女将にはいつも怒られていたが、寝床と三食の賄いがあるだけありがたかった。
——あの時、食堂の客だったエリュシオンに声をかけられなかったら。
今も古びたお仕着せに前掛けをつけて、シチューや煮込みの皿とパンを客のテーブルに運んでいただろうか。
カリナは時折、店の中でも帝都留学の夢を漏らしていた。その度に女将や他の常連客に笑われていたのだが、料理の皿を運んだ席に座っていたエリュシオンが、にこやかに、こう囁いたのだ。
『貴女、エルダニアの大学に行きたいのですか? ——それはなんと素晴らしい崇高な夢でしょう。よかったらお手伝いいたしましょうか』
エリュシオンのその一言に、カリナは一も二もなく頷いた。
最初に嘲笑い、そして呆れ、最後は騙されてるんじゃないかと心配してくれた女将を振り切って店を飛び出し、エリュシオンに連れて行かれた先が——まさかの王宮。
そのまま着飾らされ、今まさに王とその一家と近臣がお茶会を開こうとする部屋に連れて行かれるなど、想像もしていなかったのだが……。
「さあて、着きましたよ」
がくんと馬車が停止し、カリナは我に返った。石造りの民家がひしめき合う道で馬車から降りると、小さな屋敷が目の前にあった。二階建ての建屋の周りは瀟洒な飾り柵が取り囲み、門構えも一応は堂々としたものであるが、屋敷そのものは周囲の民家より一回りか二回り大きいという程度だ。
夕刻。屋敷前に人通りは多い。仕事帰りの町民たちが家路に急ぎ、ほうぼうの家から夕餉の支度らしい香りが漂ってくる。子どもたちの騒ぎ声に、母親たちの叱咤の声。賑やかな下町の黄昏時。
「どうぞ」
重い音を立ててエリュシオンが扉を開けると、家の中はしんと静まり返っている。が、空き家ではなく人が住んでいるぬくもりは感じられた。エリュシオンはカリナに辺りを軽く見せて回った。一階は台所と暖炉のある小さな居間。雑多に物を詰め込んでいる倉庫も扉を開けて中を見せてくれる。
「お独りでお住まいなんですか?」
「はい。私は四男で、冷や飯食らいというやつですね。宮廷ではお役ももらえず、婿入り先も見つけられず、さすがに外聞が悪いと思ったのでしょう。二年ほど前に父が買ってくれました。この屋敷をやるから出ていけ、ということですね」
「そ、そうなんですか。というか、お役目……就かれてないんですか?」
無位無官の身、と王の前でも言っていたが、王子の乳兄弟ともなれば家柄は貴族でも上位の方だろう。黙っていても文官であれば書記官、武官であれば騎士程度の役職がもらえそうなものだが。
「ええ。どうにも……宮廷勤めが向いておりませんようで」
ユークが付け足す。
「今のエリュシオンの立場は、僕の側付き、かつ相談役、ってところかな」
「内実は何も無い、王子の遊び相手ですよ」
ははは、とユークとエリュシオンはまた二人で笑いを重ね、カリナは反応に困らされた。
エリュシオンは玄関すぐの階段を指さした。
「二階には寝室が一室のみ。カリナさんが使ってください」
「え、じゃあお二人はどちらでお休みに?」
「大丈夫、僕らはこっちがあるから」
「こっち?」
「ご覧になります?」
エリュシオンはふふっと怪しく微笑んだ。
階段の後方にある、もう一枚の扉にカリナを促す。カリナがためらいつつその戸を押し開けると——。
「わぁ……!」
カリナは思わず、感嘆の声を漏らした。
そこはこの屋敷の敷地の大半を占めるような広大な一室だったが——四方の壁がすべて天井まで続く本棚に設えられ、部屋のあちこちにも間仕切り代わりに腰高の棚がある。その棚全てに隙間なく、多種多様な書籍が収められていた。
ざっと見ても数百冊はくだらない。
さらには床にも本棚に入り切らぬ書物が積み上げられている。
「と、図書室……!? い、いえ」
ここまで広いと、屋敷の図書室というよりは、この屋敷が「図書館」そのものと言ったほうがいいだろう。
開け放した扉の前で立ち尽くすカリナの傍らから、エリュシオンは滑り込むように先に入る。
そして自慢げに、ゆっくりと振り返った。
「カリナさん。見てやってください。何年もかけて収集した、私の愛蔵書です。どうぞ、よしなに」




