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本好き少女は大図書館に埋もれたい。そのためなら王子と聖女の婚約破棄も請け負います  作者: 宵川トリス
第一章

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2 偽の愛人

「わっ! わっ! わぁ!」

 

 突き飛ばされた勢いで、カリナはつんのめるように前に出た。室内の視線が一気に突き刺さってくる。


 そんなカリナにユークが素早く駆け寄った。手を取って、そのままではみっともなく床に転んでしまっただろうカリナを軽々と抱き寄せた。

 

「大丈夫? 僕の——『麗しの君』」

 

 そして、まだあわあわと慌てているカリナに対し、愛しくてたまらないとでも言いたげに、取った手の指に軽く口づけすらした。——したように見せて、寸前で止めていたが。

 

 ——怖(こわ)。

 カリナは心の内でたじろいだ。


 ユークの『恋人に対する』仕草はあまりにも堂に入っており、達者な演技っぷりにはうすら寒さすら感じた。


 言葉を失っていると、ユークが周囲に気づかれぬよう、カリナの腰に回した手を動かして合図をしてくる。

 

 ——演技、演技。

 

 カリナは慌てて、レナードに向けてぎこちない笑顔を作った。


「兄さん、この人だよ。僕はこの女性と結婚しようと思ってるんだ」

 

 レナードに向かってそう言いながら、ユークはカリナに、甘く熱い視線を横から送った。

 

 王子の『愛人』。

 それがどんな女なのか、田舎育ちのカリナには想像するしかなかったが、唇に引いた真っ赤な紅が目立つように、大げさに口の端を吊り上げてみた。

 

 レナードはじっとそんなカリナを見据えている。威圧感のある視線に射すくめられ、背中の汗がまたじっとりとにじみ、無理矢理作った笑顔は目尻がふるふると震えだした。王の視線はカリナの頭の天辺からつま先まで、そしてまた頭の天辺へ動いていく。その鋭さたるや、まるで剣の切っ先を突きつけられているかのようだ。


 着せられた仰々しいドレスが、似合っていない、と思われているだろう。化粧が派手すぎて下品だ、とも、女にしては貧相な体で、しかも背が高すぎる、とも。


 ユーク王子が聖女との婚約を破棄してまで夢中になるような——そんな女ではない。レナードの訝しむ視線はそう語るに雄弁すぎる。


 ——やっぱり、無理では。


 そう思うのだが、ユークが抱き寄せる風に見せかけ、カリナの腰をしっかり捕まえているので逃げられない。


「……宮中では見ない顔だな。どこの者だ?」


 レナードにそう問われたが、カリナは喉の奥が緊張で乾いて、声が出てこない。

 代わってユークがあらかじめ作っていた設定を話し出した。


「酒場で知り合ったんだ。彼女は旅芸人の一座で生まれ育って、流れ流れて、少し前にここオルニア王都に来たと」


 先程から事の推移を見守っていた、お茶会に招待されていた近臣たちがざわめき出した。下賤の女か、と、カリナに向ける視線がより刺々しくなった。

 

 ユークは続ける。


「そんな流浪の旅をしていた彼女と、僕が出会えたのは本当に奇跡だよ。——ねえ?」


 言いながらユークは陶酔しきった瞳でカリナを見つめ、顔を近づけてくる。衆目がなければ、いや、あったとしても気にせず、そのまま熱っぽい口づけをするかのような振る舞いだ。

 恋に溺れて周囲が見えない男の演技。

 その愛くるしい顔立ちも相まって、王族などに生まれなければ、それこそ旅芸人の男優としてあまたの女性を虜にできそうな役者ぶりだ。


 その瞳と見つめ合いつつ、カリナは精一杯の妖しい微笑を浮かべようとした。しかし引きつった口元はさらに歪むばかりで、「ひ、ひ……」と奇妙な声すら漏れてしまう。


 ユークの熱い視線は受け止めるには濃過ぎ、また王を始めとする周囲からの視線は針のように鋭く厳しい。どこに目を向ければいいのかと、カリナの瞳の先は室内のあちらこちらに彷徨いだす。


 ——部屋は広く、内装も豪奢だった。


 庭園に面した大きな窓から陽の光が差し込み、お茶会の最中だったということで、テーブルには趣向を凝らした軽食や菓子が並び、茶を入れたポットからはまだ芳醇な香りが漂っている。


 壁には王家の紋章を刺繍した壁掛けが下がり、他に絵画も数点飾られ、彩りを添えている。白亜の大理石に彫刻を刻んだ柱に、北方の山脈地帯で織られる高価な絨毯。飾り棚には彫像、花瓶。


 そして、金糸で装飾された本が数冊——。

 

 ユークの熱弁は続いている。大げさに身振り手振りを交え、レナードに向けて己の恋心を切々と語る。


「出会った瞬間、僕は運命を感じたよ。僕はなんのために生まれたのか。それが分かった。彼女と出会い、愛を育むためだって」


 そしてぐいとカリナの腰をまた引き寄せる。


「ねえ、『麗しの君』。僕は言ったよね。君のためなら王族の地位を捨てたっていい……そしたら君は——」

「あ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」


 カリナは反射的に近づいていたユークの顔を強引に押しのけた。引き寄せられたことで視界が塞がれたことによる、無意識の動作だった。作り込んだ表情で熱演中だったユークは、顔を歪められて我に返る。


「——え? なに?」

「ちょ、ちょ、ちょ……! ちょっと、あれは……!」


 カリナは腰に回されたユークの手を振り払い、窓際の壁に駆け寄った。


 レナード王や近臣たちの存在も意識から消えて、壁際にある飾り棚に飛びつく。

 腰高の背の低いもので、棚は上下二段に分かれている。その上段には金糸で装飾された背表紙の本が数冊立てかけられており、一冊が倒れて、表紙が上向いていた。


 金で箔押しされた表題の文字をカリナは小声で読み上げた。


「あ、ああ……『天鳳宮史』……? うそ、こんなところに……!?」


 慌ててユークが追ってきた。


「どうしたのカリ——じゃない、う、『麗しの君』? その本? 本がどうかしたの?」

「これ! 古代語で書かれたかつての——前王朝の歴史書です! しかもただの歴史書じゃない。主に前王朝の都市や宮殿の建築に関わった、天才建築家サジェに焦点を当てた、大変珍しい建築史の本でもあります! ああ、しかももしかして原本? 写本なら見たことはありましたが欠けているページも多くて……! も、もしそうなら、こんな貴重な本が、こんな無造作に置かれて……!」


 両手で顔を覆って、感極まったようにカリナは声を震わせた。


「なんですと!」


 さらに男の声が背後から聞こえる。ぎょっとして振り返ったのはユークだ。あまりにも至近距離まで近づいていたその男は、ユークとがつんと頭同士をぶつけ、片眼鏡を大きく顔からずらした。しかし衝撃にうずくまったのはユークだけで、男——隣室から飛び込んできたエリュシオンは、片眼鏡だけを整えると、頭突きの痛みなど感じぬようにカリナの隣からその本を覗き込んだ。


「まさしく! 『天鳳宮史』、ああ、この表題。信じがたいが……! そして表紙のこの刺繍の紋は眼光するどい鷹の目の意匠。地上に居ながら、まるで鳥のように上から見た設計図を描けたというサジェの紋章です。今も王宮のあちこちに残る……!」

「ひ、開いてもいいものでしょうか」

「待ってください! 手の脂で傷みます。手袋を今……」


 一冊の本を囲み、カリナとエリュシオンは甲高い声をかけあっている。その輪から弾き出された格好となったユークが一歩引いた位置で呆然としていると、しばらくして、ずかずかと大股で近寄ってきたのはレナードだった。


「この本がどうした?」


 二人の間から手を伸ばしてその本を乱暴に持ち上げる。


「ひゃあ!」

「ぎゃああ!」


 取り繕いもせず、本能からの叫びがカリナとエリュシオンの口から飛び出した。その声にレナード王が困惑の顔を浮かべると、王に対峙しているという状況も忘れたように、二人の声がさらに高くなった。


「置いて、置いてください! そっと! そっと!」

「そんな持ち方! 糸がもう弱っているのですよ、ばらばらになってしまうから!」


 ぎゃあぎゃあと海鳥の鳴き声のような二人の声に圧されて、レナードは一度本を置き直した。

 カリナは安堵に胸を手で押さえる。エリュシオンも乱れた呼吸が収まっていく。


 沈黙が、室内を包んでいた。先程までの王弟の婚約破棄宣言の衝撃とは違う。カリナとエリュシオンという闖入者二人の予想外の振る舞いに、周囲を取り囲む者たちがあっけにとられ、言葉を失っているがゆえの静けさだ。

 

 ようやく、カリナもその気配に気づいた。はっとなってまずユークを振り返り、そして室内の右から左に視線を這わせる。

 ユークはやや肩をすくめ、口元には力のない笑みが浮かんでいた。カリナの血の気がすうっと引いた。

 

 ——ああ……。やってしまったかも。ま(・)た(・)……。

 

 自分は何のためにここに来たのか。

 ユーク王子の『愛人』役。

 無垢な王子を誑かした、妖艶な女を演じなければならなかったのに——失敗してしまった。

 

 足元が崩れ落ちる感覚だった。失敗——つまり、留学はできない? 旅費と学費、そして一番肝心な身元保証用の紹介状を手に入れる、唯一の機会かもしれなかったのに……!

 

 しかしそんな絶望のカリナをよそに、しんと静まり返った室内に響いたのはレナード王の声だった。

 

「やはりお前か。こんな茶番を仕組んだのは。——エリュシオン」

 

 打ち沈むカリナを無視して、レナードはその傍らの片眼鏡の男に目を向けている。呆れ気味な、しかし怒気を含ませた声だった。そんな王を前に、エリュシオンは怯んだ様子もなく涼しい顔で一礼した。

 

「お許しなく御前をお騒がせいたしましたこと、幾重にもお詫び申し上げます。……はて、茶番とは?」

 

 レナードは鼻息荒く言い放つ。

 

「とぼけるな。お前たちは子供の頃から揃って悪さばかり。今回のことも、なんだ? ただの退屈しのぎか何かだろう? まったく、お前のような乳兄弟を持ったことがユークの不幸に他ならん。出来るのならばお前の身分や役職を取り上げてやりたいところだが……!」

 

 憤懣やる方ない、といった風に肩を怒らせる王に対し、エリュシオンは微笑んだ。

 

「あいにくと、国王陛下にお返しできる身分もお役もない、無位無官の身でございまして」

「ああ! もういい! お前の相手をすると調子が狂う!」

 

 レナードは苛立ちながら手を軽く振った。それを合図に、またエリュシオンは頭を下げて数歩退く。

 

「ユーク!」

「……はーい」

 

 ユークはしおらしく、しかしいたずらっぽく口をとがらせながら返事をした。

 

「こんな児戯めいた悪戯に、いつまでも俺が相手をしてやると思うな! 何が運命の恋だ、『麗しの君』だ! そんな女を連れ込んでまで、ふざけるのは大概にしろ!」

 

 目の前に雷が落ちてきたような衝撃に、カリナは目がくらむ。

 

 ——ああ、もう完全に失敗だ。留学どころか、王の命令でこのまま投獄されてもおかしくない……。

 

 カリナの目の前はもう真っ暗だった。膝の力が抜け、そのまま床にへたり込みそうになる。が、その瞬間。ふわりと体が軽くなった。ユークの手によって抱きかかえられ、そのまま室外へ続く扉の方に連れ去られる。傍らにはエリュシオンも一緒だ。

 

「ふざけてなんていませんよ!」

 

 レナードの前を走り去りながら、ユークが爽やかに宣言した。

 

「ともかく、ローサ嬢との婚約は破棄します! よろしく、兄さん!」

「まだ言うか!」

「言うよ! 僕、本気だから!」

 

 と言いつつ、ユークは笑い声混じりである。抱えられたままのカリナでさえ「『本気』?」と訝しむほどに。

 

「じゃあね! しばらく王宮には帰りません!」

 

 ユークはそう言い捨て、そのままカリナとエリュシオンを伴い室外に走り去った。

 

 残されたレナード王は憤怒の顔で、ユークたちが去った扉の向こうをいつまでも睨みつけていた。





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