26 夢は語るところから
王宮内の目立たぬ位置にある静かな部屋で、ローサはここ数日を過ごしていた。
神殿の解体と、聖女を始めとする神官たちの位の剥奪はレナードの命として正式に発布され、王宮東端にある神殿——白亜の宮殿は、即時に王の兵たちによって封鎖された。
表に出された神官、女神官たちが嘆く中、巨大な槌を掲げた兵士たちの手によって、神殿は破壊し尽くされていく。白大理石で造られた建屋は土煙の中で無惨に瓦礫と化し、白の花々のみ植えられていた庭園は土ごとひっくり返され、すでに見る影もなくなった。
その破壊音は、数日たった今もまだローサの部屋まで聞こえてくる。
神官、女神官たちは位を剥奪されたものの、彼らは罪に問われることはなかった。
希望するものはそのまま王宮で文官として勤め続けることも許され、望まぬものは、王宮を去る際にそれなりの慰労金が支払われた。
彼らの誰一人として、ローサと再び会うことは叶わなかった。
この居所も宮廷内では極秘とされ、レナード王の許可がないものは訪れることも許されない。
そんな中でローサは静かに、数日後に控えた国外退去の準備を整えていた。
小さなノックの音にローサは返事をする。
「どなた?」
「……僕です」
どうぞ、と、ためらいのないローサの声に、外から扉を開けたのはユークだった。
室内に入ってきたものの、ユークは神妙な顔で立ち尽くしている。
ローサは僅かな微笑みを見せて、手にしていた本を閉じて目の前の卓の上に置くと、ユークをその卓の正面の椅子のところまで促した。
「本、読んでたの? どんなの?」
卓に置かれた本を目にしながら、ユークが椅子に腰掛けつつ尋ねた。
「ええ。エルダニア国についての案内本……というところかしらね。カリナさんが持ってきてくれたの。風土や歴史、それから帝都の地図や、簡単なエルダニア語の言葉や挨拶なんかも載っているわ」
ほら、と本を再度手に取り、数ページをパラパラと開いてユークに見せてくれる。そうしながらも、ローサはほうとため息をついた。
「エルダニア語はなかなか難しいわね。全くできないところからだから、カリナさんにはご迷惑をかけそう」
「カリナはでも、ローサが学ぼうとする限り、もう喜んで何でも教えてくれるよ。多分、ちょっと待って、って言っちゃうくらいね」
ユークの断言に、ローサはふふと微笑んだ。そして部屋の隅にまとめてある、旅立ち用の旅行鞄を指さした。その鞄の上には、カリナが持ち込んだらしいエルダニアとエルダニア帝都大学についての書物、そしてエルダニア語の辞書が何冊も積まれている。
「カリナさんが選んでくれたけど、——旅の間も、ずっと読んでいることになりそう」
そう言いつつも、ローサの笑顔は穏やかだった。目ははつらつと輝き、エルダニアへの旅路を待ち焦がれていることが窺える。
そんなローサにむけたユークの笑みが、やや、硬さを見せた。
「ローサ」
ユークは息を溜めてから、ゆっくり口を開いた。
「旅立つ前に、言っておきたかったんだ。あの——エリュシオンの家の前で、火事に紛れて、言えなかったこと」
ユークの表情を見て、ローサも写し取ったように真顔になった。開いていた本を再び閉じて、ユークに向き直る。
ユークはローサの顔をまっすぐに見つめながら、熱い吐息とともに言った。
「僕は、君が好きなんだ。十歳の時から、ずっと。だから、命令で、君と結婚するのが嫌だった。王命だから、君にうなずかせていると思うだけで、辛くて。それで、こんな騒動を、起こしました……」
最後は消え入るような声で、徐々に俯いていったユークだったが、それを見つめるローサの目は温かいままだ。
ローサは静かに、ゆっくりと頷いた。
「そう……。そうだったのね」
「…………ごめんなさい」
「私も、ごめんなさい、と言わなければならないわ。あなたのその思いには、応えられないから」
ローサのその言葉に、ユークは下げた頭がさらに鉛の塊を乗せられたかのように、一気に重く感じられた。
が、歯を食いしばってこらえて、息を整え、俯いたまま目を瞬かせる。せめてこれ以上、みっともない格好を見せないように、と。
「うん……」
そして勢いを付けて顔を上げた。笑え、と自分に命じながら。
「ははっ、きっぱり言ってくれてありがとう。——振られちゃったなあ……」
腿の上に乗せていた手が、無意識にズボンの布地の下にあるポケットの中身に触れた。小さい石の硬質な感触。それはローサに返されてから、ずっとユークのポケットの中に入れられている蒼星石のネックレスだ。
その感触は、肌に触れると突き刺さるようで、いまだ痛みを伴う。
だが、その痛みはユークの思いそのものだ。
いつかまたこれを、ポケットから取り出して——。
いや、と内心でユークは首を横に振った。
そんな先の事は、まだ、今は考えないでおこう、と。
一度ぐっと手を握りしめてから、ユークは明るく声音を変えた。
「——エルダニア、楽しみだね」
いささかわざとらしい話題の切り替え方だったが、ローサはユークの内心をおもんばかってくれたのか、ふっとまた優しく微笑んだ。卓上に置いていたエルダニアの案内本をまたぱらぱらと捲り、エルダニア帝都大学の頁を開く。
「大学、という組織を、初めて知ったわ。見て、エルダニア語の単語だけど、『大きく』『学ぶ』『ための』『場所』って書いてある。カリナさんが教えてくれたの。学ぶための場所。学ぶだけじゃなく、学問を守り、伝えていく場所でもある。——思ったのだけど、神殿も、最初はこういったことを目的として作られたのではないかしら」
「神殿が?」
「ええ」
ローサは頷いた。
「元は、本当に歌の形で伝えていたのではないかしら。神殿は、伝承歌を歌い継げる聖女を守り育て、後世に残すために組織されたのでは。それが、権力を持ったことで変貌した。歌ではなく、より神秘を感じさせる神託という形に変えて、聖女を神格化して独占して、……バフジャールのような存在を生み出してしまった」
「そう……なのかな」
「私ね、この伝承歌をカリナさんと一緒に記録する傍ら、帝都大学で学んでみようと思うの。『大学』というもの自体を」
それを聞いて、ユークはまじまじとローサの顔を見た。ふふ、と照れたような、恥ずかしげな笑みを口の端にローサは浮かべた。
「記録に残した後の伝承歌を、損なうことなく、研究し、守り、後に伝えていく組織は、やはり必要なのよ。神殿が無くなってしまった今、それに代わる新しい組織が必要と思ってる。もっと健全に、バフジャールのような者を闇に飲み込ませないような新しい神殿——オルニアに『大学』を作れたらいいなと思ってるの」
「オルニアに……大学……」
呟きつつ、ユークはのけぞるような気持ちだった。
「……すごいね、ローサ」
「まだ、夢よ。でも、夢は語るところから始まるでしょう?」
「すごい。本当にすごいよ、ローサ」
そして苦い笑いを抑えきれなくなる。
「それに比べて、自分が情けなくなっちゃうな。ね、実はね。僕さっき『王弟』の地位を剥奪されたんだ……」
「えっ」
今度はローサが顔色を変える番だった。
「どうして」
「いや、裁きの塔でさ。兄さんに剣を向けたでしょう。——有耶無耶になったかなと思ったけど、やっぱり許されることではないって、兄さんが」
「あれは、私を庇ってくれてのことでしょう。私から国王陛下にお許しを乞うわ」
「ううん、いいよ」
はは、と力なくではあったが、ユークは笑った。
「どうしようもない弟だし、兄さんがもう見放すの、分かる。兄さんが一人で重責を担ってるのに、何の力にもなれないどころか、足を引っ張ることばかり……」
「ユーク」
真摯な目で、ローサはずいと身を乗り出した。
「でも、国王陛下は、あなたのことは弟としてとても愛してらっしゃるわ。ただ一人の弟と、何度も仰ってたでしょう」
「うん、ありがとう。——うん」
はあ、と大きく息を吐いたユークは、「というわけで」とまた強引に感情を切り替える。
「これから僕、どうしようかなって。『王弟』って、まあ特に何かお役目を貰ってたわけじゃないけど、他に僕に出来ることってなにかあるんだろうかって……」
心配げなローサの視線に、ユークは大丈夫、と視線を送る。
——と、コンコン、と控えめなノックが外から聞こえてきた。
ローサが誰何すると、応えが返ってくる。
カリナであった。
「あら、カリナさん。どうしたの?」
「……ユーク王子もご一緒でしたか。ちょうど良かったです」
「なあに? 僕が聞いてもいい話?」
やけにカリナの表情は重苦しい。その様子に、ローサとユークは顔を見合わせる。
招かれ、卓の近くに寄ったカリナは、二人に対し「ちょっとご相談が」と切り出した。




