25 断罪
「いや……、本当に大変でしたよ。この塔、実は外壁が二重になっていましてね。ご存知でしたか?」
「外からも内側からも全くわからないですよね。外に向けた窓がほぼ無いというのもこの作りを上手く隠してて……」
「で、その壁と壁の間を這い上がって来たんですよ。建造時の名残でしょう、内壁に足をかけられる横向きの鉄棒が埋め込まれていまして。それをはしご代わりにして」
「で、ようよう這い上がった先の、また内側の通風孔から出たら、螺旋階段の中程でして」
「そこからは簡単と思いきや、もう足が鉛のように重くて……、本当に、這ってしか進めなくてですね……」
息を整えながらも、この最上階までたどり着いた興奮にか、カリナとエリュシオンの口が止まらない。
その間にレナードは無言で、ユークに薙ぎ払われて床に落ちていた剣を拾い上げている。
ローサを庇ったままのユークが、あっ、と声を上げた。その剣の切っ先は這いつくばる、まずレナードから距離の近かったカリナの頭頂に向けられていた。
「どうやって、とは聞いたが、そこまで詳しく説明しろとは言ってない」
「兄さん……!」
「エリュシオン。そして、カリナ・トマシュ。二人で俺の前に飛び出てくるのはこれで二度目だが、今度は何だ。前回はユークの婚約破棄を企み、今度はローサの処刑を阻みに来た——とでも?」
頭頂の切っ先に怯えたように視線を合わせながら、しかし、カリナは顔を上げてレナードを見つめ返した。
「は、はい——そうです!」
カリナの真っ直ぐな視線をレナードは冷たく受け止めた。
が、レナードはやがて剣を下ろし腰の鞘に納めた。カリナを見下ろしたまま、重く言い放つ。
「言いたいことがあるなら、聞くだけは聞いてやろう。従う振りをしておきながらいきなり後ろから剣を払ってくる弟より、真正面から飛び込んでくるお前らのほうがまだマシだ」
「あ、ありがとうございます……!」
「これは温情あるお言葉。では、遠慮なく」
カリナはゴクリとつばを飲み込み、エリュシオンは不敵に微笑みながら、両手を床についた格好のまま、二人はローサの伝承歌の価値について語った。
だが、レナードの表情はぴくりとも動かない。石でできた仮面のように、眼前の熱弁を撥ねつけている。
「——それはすでに、ローサ本人から聞いた」
返答も、また取り付く島がない。
「俺の考えは変わらない。ローサの持つ伝承歌の価値が高ければ高いほど、バフジャールのように悪用するものは必ず出てくる。益があったとしても害の方が多ければ、それはあってはならぬものだ」
ぐっ、とカリナが口を結ぶ。
レナードの背後から、ユークが声を上げて割り込んだ。
「でも、だからといって、ローサの命を奪うなんて、そんな簡単に——」
その瞬間、ぐるりとレナードは身を翻し、ユークの襟首を掴み上げた。
「簡単に?」
「……に、兄さん」
襟で喉を締め上げられ、ユークは呻く。その苦悶の表情を見下ろすレナードの目に、冷たい熱が見て取れる。
「俺の一番の不幸は、唯一の弟であるお前がとことん愚か者であることだ。なぜ、分からん。なぜ、私情でしかものが言えん。王弟でありながら、その愚かさが、なぜ許されると思っている!」
あまりのきつい締め上げに、ユークの口元がだらりと開いた。ローサが必死に二人の間に割って入った。
「陛下、おやめくださいませ。それ以上は……!」
「……ふん」
レナードの激昂は、しかしその瞬間に内側に収められたようだった。
レナードはユークの襟から手を離す。そのまま身体を支えられず床に転がったユークは、ようやく息が吸えたとばかりに、噎せて何度も咳込んだ。
その姿を見るレナードの視線はひどく冷たく、しかし、寂しげなものも感じられた。
エリュシオンがゆっくりと立ち上がり、レナードの前に進み出た。
「国王陛下。お聞かせ願えますでしょうか」
「……なんだ」
「ローサ様の此度の処遇を、いかようにしてお決めになられたのかを」
ちらりと、レナードがエリュシオンを横目で見た。
「俺が決めた。それだけだ」
「……どなたにも、ご相談なさらず?」
「そうだ。王たる俺にはそれだけの権限がある。それだけに責務もある。どんなことも、最後には王たる俺が決めねばならん」
カリナはそれを聞き、意を決したようにエリュシオンの隣に立った。
「陛下、……それは、大変恐ろしいことでございますね」
「国として? そうだな。俺が一つ間違えただけで、この国の存亡が問われる事態を招きかねん。だが、王とはそういう存在だ。それゆえ常に公明正大でなくてはならない。——私情で、愚か者になるわけにいかぬ」
ユークはそのレナードの足元で、未だに苦しげに息を継いでいた。ローサがその背を撫でてやるが、ユークははっはと短い呼吸を繰り返している。
カリナはしかし、首を振った。
「そうではなく……、陛下自身は、恐ろしくはございませんか」
「なんだと?」
ぎろりと睨まれる。が、カリナはもう怯まなかった。
「私は、恐ろしかったです。——ミルデアで、山が崩れると口にした時。早く集落を逃がせと言った時。土砂に埋もれて家と畑を無くした民へ、次に住む場所の相談に答えた時」
ずいとカリナは一歩前に出た。レナードから視線を逸らさず、その冷たい瞳を真っ向から見返す。
「でも、私はその時に支えてくれる味方がおりました」
「味方? エリュシオンか? ユークではあるまい」
「エリュシオンさんも、ユーク王子も、そうです。でも最も私を支えてくれたのは、過去の大雨の記録」
父の論文を手にした時の感動と震えが、カリナの身体の内に蘇る。
「過去から連綿と紡がれてきた山崩れの記録が、私の決断と発言の後押しをしてくれました。この雲は雨が止まない。ここの土は脆い。この集落は土砂に飲まれやすい。記録は確かに、私にそう告げてくれました。そうでなければ、私はこの目で見ただけの雲と雨の様子から、崩れるのではないかと思っていても、逃げろとまでは言えなかったと思います」
「——分かるよ、僕も……」
ユークがのそりと起き上がった。口元を手の甲で拭いながら、掠れた声で、カリナに続いた。
「最終的に、僕が王弟として命令を下した。民を避難させろって……。あの瞬間に、皆が一斉に動いた。山崩れの話をしている時だったからかもしれないけど……その様子が、僕が起点となって何かが決壊し、急流となって流れていったように見えた。その勢いに、僕自身も流されてしまいそうだった。人に命じるというのはこういうことかって……怖くなった。ミルデア伯爵が神託が届かないからと、避難を命じようとしない気持ちが、少し分かった。そして——兄さんは王として、いつもこんなことをしているのかって……」
レナードは、しかし固い表情のまま、カリナとユーク、交互に見つめた。
長身から見下ろす目に、揺らぎはない。
「それが、どうした」
声は静かに、しかし朗々と響く。
「お前たちは王ではない。別に、決断や命令を恐れてもかまわん。民の一人一人からそれを引き受けるのが、王だ。味方など、甘えたことは言わぬ。一人で決めて、一人で、全てを引き受ける。それが王たる存在だ」
「悲しいほど……王とは孤独な存在でございますね」
そっと、そう呟いたのはローサだった。
レナードは一度、忌々しげに熱のこもった息を吐いた。苛立ちがその口元を歪ませる。
だが、カリナは首をもう一度横に振った。
「王は、一人ではありません」
「なんだと? 次は何を言い出す気だ」
レナードは眉根をしかめる。カリナはさらに首を振った。
「陛下以前に、ここオルニアに多くの王が在りました。オルニアだけではない、諸外国にはもっとたくさん。その多くは治世の中、レナード陛下と同じように悩み、苦しみ、そして決断を下してきました」
言葉の間に漏れるカリナの吐息も、熱い。
「陛下は、王たる者は最後は一人で決断すべきだ——そうおっしゃいましたが、では過去の『王』に対してならば、問うことができるのでは。なぜその決断を下したか、その結果どうなったか……」
エリュシオンもその後に続いた。
「いわば、残された記録は、過去の王たちと対話するための術」
「その記録が——私の中にございます」
ローサが、己の胸に手を当てた。
「代々の聖女が伝えてきた、歴代オルニア王の功罪の数々。数千の詩篇に、全ての王の息吹が刻まれております」
カリナはさらに、ずいとレナードに詰め寄った。
「陛下。過去の王が苦悩し導き出した回答、それは今を治める王の味方に、他ありません。ローサ様の中の伝承歌は、陛下の治世にとってどれだけの益をもたらすか。——いえ、陛下のみならず、これは未来の王のためにも残さねばならぬ宝」
そこで初めて、ぴくりとレナードの表情が動いた。
「兄さん……」
ユークが小さく声を上げた。
「兄さんは強い人だ。そんなものがなくても俺は平気だって、そう言いそうだけど……兄さんの子どもたちは、そうじゃないかもしれない。まだ小さい、あの可愛い僕の甥や姪たちが、いずれ兄さんの後を継いでこの国の王となる。その時にあの子達が、兄さんと同じように強くいられるだろうか?」
「血を分けた我が子とは言え、ご気性をそのまま受け継がれるわけではありませんからね。ユーク王子が良い例です。同じ父君、母君を持ちながら、レナード陛下と比べてこの軟弱ぶり……」
エリュシオンの言葉に、ユークはやや口をとがらせた。
「ちょっとエリュシオン、それ、ひどくない?」
「おっと、失礼いたしました」
くすっと、乳兄弟どうしが互いに笑い合う。そのさまにレナードは視線を合わせた。
「……未来の王のためか」
その小さな呟きに、カリナが食いつく。エリュシオンが視線を向ける。ユークが顔を上げる。ローサが頷く。
「そうです。陛下のお子様方、そしてお孫様。それからさらに続く未来の王のために」
「記録を残し、伝えていくのは、同じ過ちを繰り返さないため。過去の記録から、諫言を得るのです」
「やって良かった、良いことがあったってことも、ちゃんと伝えてさ」
「それは今の民だけではなく、未来の民のためにもなりましょう」
一人ひとりの言葉を聞いた後に、レナードは、相変わらずの冷たい表情のまま、重々しく口を開いた。
「——お前たちは、その責任を負うと決めたのだな」
レナードは片手で額の前髪をかき分けて、目を一度伏せた。そしてローサに向き合った。
「一つ聞く。聖女は神託を得る際、神殿の地下に降りていた。伝承歌とやらに、それは意味があるのか」
急な問いに、ローサは慌てつつも首を横に振る。
「いいえ。地下祭壇は、より歌声が響きやすく、聞き取りやすいというだけの——」
「そうか、ならば、神殿ごと破壊し、そのまま地下深くに埋める」
皆が顔を見合わせる中、エリュシオンと、そして遅れてカリナがその意を悟ったようだった。
「なるほど。聖女の神託はその地下祭壇でしか受けとることができぬ——我々オルニアの民はそう信じておりますゆえ。それがなくなれば、聖女であってももはや神託を受けることができぬ、と」
「……神託を受けられない聖女様に、もう誰も神託を聞くことができない。……独占しようと思っても、できないってことですね」
ぱっと二人の顔が華やいだ。次にローサが安堵と喜色を表情に浮かべ、最後にユークが何度か瞬きをして、ようやく意味を理解したようだ。
レナードは改めてローサを立たせた。真正面からその姿を見下ろし、一つ息を吐いて、言い放った。
「神殿は組織として解体する。聖女、神殿長、神官、女神官の位はこれを廃止。神殿の建物は地下に至るまで徹底的に破壊する。そして聖女ローサ」
「はい……」
「廃止したとして、そなた自身がまだ象徴として残っては意味がない。よって——聖女ローサには国外追放を申し付ける」
ローサは手を震わせて、口元を押さえた。
カリナたちは目を見開き、レナードを凝視した。
レナードは憮然とした表情で、付け加えた。
「エルダニアにでもどこにでも、好きなところに行くが良い」
そして踵を返し、牢を出たレナードは一人螺旋階段を降りていく。
断罪はこれで終わり。
晴れて、ローサは聖女の位を解かれ、ただ一人のオルニアの民となった。




