15 聖女の証言
——やや時は遡る。
王宮正殿から奥に続く廊下を早足で駆け抜けたユークは、突き当りの豪奢な扉の前で声を張った。
「兄さん、ユークです!」
短い名乗りに、扉を守っていた衛兵たちが制止をためらっている内、扉の中から声が聞こえた。
「入れ」
ユークが両手で扉を押し開くと、ユークの兄である国王レナードは執務机で文官相手に書類を捌いているところだった。
レナードはつかつかと入ってくるユークに怪訝な視線を向けた。
「お前には国内の巡察を命じていたはずだが……、いつ王都に戻った?」
机の真正面に立ったユークはその問いには答えず、端的に要求を告げた。
「お願いします、今すぐ法廷にいらしてください」
「何の話だ」
「神殿の訴えを、ご存知ありませんか」
すっ、とレナードの目が細められた。
「オルニアで起こる全ての事がすぐに俺の耳に入るわけではない。……が、神殿の訴訟とあれば王たる俺にとっても些事とは言えぬな。——話せ」
ユークは事のあらましを説明した。ミルデアの大雨に対し神殿から神託が届かなかったこと。カリナが過去の記録から山崩れを予測し民を避難させ、被害を最小限に抑えたこと。しかし後から乗り込んできたバフジャールがカリナに神託を盗んだと濡れ衣を着せ、今まさに法廷で死罪を求刑しようとしていること……。
ユークが語り終えるまで黙っていたレナードは、沈黙の後に苦々しく呟いた。
「——バフジャールか」
「カリナは冤罪です。でも死罪が確定してしまえば、バフジャールはすぐにでも処刑台へカリナを連れて行きかねない。法廷じゃ無理だ。誰も神殿の権威に抗おうとしない。でも兄さんだったら、神殿も無理を押し通すことはできない」
だが、ユークの訴えを聞きつつも、レナードはただユークの目を見据えるのみだった。じれたように執務机に手を置き、迫るユークに対し、レナードは言い放った。
「王たる俺に、一方の立場に肩入れしろというのか」
「え?」
「カリナとやら——お前の『麗しの君』だな——その娘を王権によって一方的に無罪にせよと? ユーク、先程からの言葉遣いといい少しは成長したかと思ったが、身勝手な考え方はまだ改まっていないらしいな。ただ頭を下げて頼めば、自分の都合のいいように俺が動くとでも思ったか」
言われ、ユークは奥歯を噛み締めた。
兄の言葉は冷淡だが、この厚く固い壁は突き崩さねばならない。
「……無罪にして、とは言ってない」
ユークはごくりと息を呑んだ。
一言一言、この場で言うべき正しい言葉を頭の中で選びながら、喉から声を絞り出す。
「僕たちは正しい審理を求めている。僕は巡察使としてミルデアを訪れ、あの大雨の災害に立ち会った。神殿からの神託が届かず領主たるミルデア伯が右往左往する中、カリナは危険地域を言い当て民の避難を促した。カリナの言葉がなければ、数百人が集落ごと土砂に飲まれていた可能性がある」
ユークを見つめるレナードの眼光は鋭い。ユークはずいとまた身を乗り出した。
「ミルデアの民を救ったのは誰? ってことだよ。カリナのその功績は認めてほしい。その上で、正当な判決を下してほしい。——それが出来るのは兄さんだけなんだ」
しばし、沈黙が流れた。
その間、ユークはレナードの瞳に映る自分を見ていた。
レナードはやがて立ち上がり、ため息交じりに呟いた。
「——俺にしかできん、と政においてそのような状況であるのは、王たる立場にとって恥ずべきことだな」
見つめるユークに視線を合わせず、レナードは室外に向かって声を張った。
「これより法廷に向かう。先触れを出せ!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「国王陛下のお越しにございます!」
法廷内のざわめきは一瞬でぴたりとやみ、正面の扉が勢いよく開かれた。
レナード王はその扉から堂々と大股で入ってくると、すぐに席から立ち上がった裁判官を手で払い、その椅子にどかりと座り込んだ。
「審理の内容について詳細は聞いている。あとは国王たる俺自身が裁こう」
その席に国王が座した以上、バフジャールは同列である隣席にはいられない。
口元を歪めて壇上から降り、カリナの横に並ぶこととなった。
「さて、両名」
レナードのその声に、法廷内に緊張が走った。
傍聴人たちもおしゃべりをやめ、姿勢を正し王の姿に注目している。
レナードの表情は固く、カリナとバフジャール、両名に等しく厳しい視線を投げつけていた。
「神託を盗んだ、あるいは、盗んでいない。それに対し決定的な証拠になるものはどちらにもない」
「陛下! このような下賤のものの言い分など……!」
「バフジャール。今、お前に発言を許していない」
静かだが威厳のある声で抑え込まれ、バフジャールは頭を垂れた。
カリナとエリュシオン、バフジャール。そして裁判官、法廷の官吏たち、バルコニーの傍聴人たちも固唾をのんでレナードの次の言葉を待っていたが、国王のその口から出たのは意外な名前だった。
「聖女ローサ! この場にいるだろう」
ふたたび場がざわめいた。
——ローサ様? 王に名を呼ばれた聖女の姿を、みなが左右を見渡し探そうとする。
やがてバルコニーの端、白装束の女性が控える、白い薄幕が下がった一角に視線が集まった。
白装束の女性は何やら薄幕の向こうと合図をし合っていたようだが、注目の中、ゆっくりと幕が左右に開けられた。
その奥には聖女ローサの姿があった。
ローサは椅子から立ち上がると、その場の床に膝をつくとレナードに頭を下げた。
「……王のご出座にも関わらず、ご無礼お許しを。ただいまそちらに参ります」
「その場で構わん。礼もいい。立て」
レナードが片手を上げると、ローサはゆっくりと立ち上がった。
「聖女ローサ、どちらの主張も聞いておったな」
「……はい」
「では問う。この娘が神託を盗んだと、そなたも主張するか」
静まり返った法廷の全ての視線が、ローサに集中していた。
バフジャール一人がいきり立ったように、しかし発言を許されていないため無言で体を揺すっている。ローサはそんなバフジャールに視線をやり、そのままカリナも見つめた。
そして鈴の音のような透き通る声で言った。
「私は神より神託を授かるだけの者。神殿のことは全て神殿長たるバフジャールに委ねております」
レナードも表情を変えず、ローサを見つめている。
しばらく何か考えるようにローサは口を閉ざし、そして薔薇色の唇を開いた。
「ただ……此度の神託に『雲』という言葉はございませんでした」
——カリナは「雲」で雨の危険性を判断したというが。とあれば、それは神託とは無関係だ。
その意を、この場の誰もが理解した。
場の視線が一斉にレナードに向けられた。レナードは重々しく頷くと、はっきりと宣言した。
「カリナ・トマシュ。お前が神託を盗み読み、それにより災害を予知したとは、断言できる状況にない。証拠不十分により、無罪とする」
「へ、陛下!」
バフジャールが金切り声を上げ、その場に怒りに任せて幾度も跳ねた。レナードが一顧だにせず足早に立ち去ると、今度は隣のカリナを睨みつける。ぎょろりと目を見開き血走らせて、口の端からは唾の泡が溢れていた。
カリナはその狂気の様相に足もすくみそうだったが、エリュシオンがさり気なく手を引いて法廷から連れ出した。
バフジャールの怒号が、いつまでもカリナたちの背に追いすがってきた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
——法廷を出てからカリナはもちろん牢獄に戻されることなく、エリュシオンに導かれ馬車に乗せられた。
そして王都の外れ、エリュシオンの屋敷の図書館にカリナたちが戻ってきたのは、西に日が沈みあたりが赤く染まる頃合いだった。
扉を開けた時の懐かしい少し乾いた書物の匂いを嗅いで、カリナは思わずその場に座り込んだ。全身から力が抜けて、上半身も床に崩れ落ちてしまう。
屋敷で待っていたユークが慌てて駆け寄る。
床に伏せた頭をなかなか上げられないカリナに、ユークは優しく声をかけた。
「ごめん。本当に、ごめんね。辛い想いをさせたね」
伏せたまま、カリナは小さく頭を振った。カリナの左右にユークとエリュシオンが膝をついているのが分かる。何かを言わねば、とカリナは思ったが、疲労と脱力感に声を出すことも出来ず、うう、と小さく呻くだけだった。
カリナのそんな様子をしばらく見つめた後に、ユークはカリナに囁いた。
「ねえ、カリナ。もういいんだ。——今までありがとう」
——え?
聞いて、カリナはのそりと起き上がった。
顔には床に突っ伏した跡が皺のようについている。表情を作る力も出ず呆けたままだ。
ユークはカリナの手を両手で握りしめた。
「エルダニア帝都大学への紹介状、路銀と学費。すぐに用意するよ」
「え……?」
「こんな目に遭わせて、本当にごめん。もう愛人役なんてやらなくていい。明日にでも、エルダニアに旅立てるよう手配するね」
ユークの寂しげな微笑みと、それに追従するエリュシオンの頷きを見ても、まだカリナに声を出す力は湧いてこなかった。




