13 裁判がはじまる
囚人専用でこそなかったが、厳しい鉄枠で外装を囲み、内部はただ板を貼っただけの、乗り心地など何も考えられていない馬車に乗せられること、三日。
王都に到着したカリナはそのまま王宮北東の——通称、裁きの塔と呼ばれる塔に連れ込まれた。
カリナは両手首を縄に繋がれ、その塔の長い螺旋階段を上らされた。上った段数もわからなくなった頃に、小さな一室に押し込められた。
大きな音をたてて鉄の扉が閉められる。
一体何が起こったのか、いまだカリナは理解できないでいる。
聖女の神託を盗んだ罪と言われても、何もかも心当たりのないことだ。なのに反論も聞いてもらえず、ユークやエリュシオンの不在の間に引っ立てられ、彼らに連絡を取ることも許されない。
石の壁はひどく冷たく、その夜はとても眠れたものではなかった。早朝に無言で硬いパンと冷えきったスープが一皿差し入れられたが、食欲はなく、ほとんど手を付けられなかった。
ガチャリと重い扉が開くと、入ってきたのは看守だった。黒頭巾で顔を隠し、言葉少なにカリナの両手首をまた縛った。出ろ、と縄を引かれ、カリナは前につんのめりそうになりながら、そのまま昨日上らされた螺旋階段を下っていった。
足音だけが響く中、一階までたどり着くと大きな扉が開いており、その中がカリナのための法廷場であった。
がらんとした広間で、壁は天鵞絨の布が張り巡らされている。正面には数段高くなったところに、黒いトーガ姿の男が豪奢な椅子に座っている。この国の裁判官の証である、銀のメダルを首から下げていた。
その目の前に腰高の小さな卓があった。椅子はなく、カリナはその卓の前に立たされた。
あたりを見回すものの、他に何があるか、誰がいるか、目には入ってもうまく認識できないでいた。
人影はいくつもある。裁判官の左右に数人。自分の後ろで縄の端を握りしめた看守。部屋の壁際にも何人か。
天井近くには壁から室内に向けてバルコニーがあり、そこにも幾人かが座っているようにも見える。その全員が自分に刃を向けているように思えた。
「——被告人。汝、カリナ・トマシュに相違ないか?」
正面の裁判官に問われていることに気づいて、カリナははっとなって、乾いた唇を震わせた。
「は、はい……」
「年齢」
「じゅ、じゅうはち……」
「生まれは」
「オ、オルニア西北部トマシュ領……で、です」
「父、母の名は」
「……父は、ダ、ダグラス……、ダグラス・ザム・ディアル。母はサルビア・トマシュ……」
問われたことに反射的に答えると、裁判官は重々しく頷いた。
「そなたの罪状は、ミルデアでの大雨災害に対する聖女の神託に対し、その伝達を妨害し、さらには手中に収め、誰にも知らせることなく我が物にせしこと。日夜国民のために祈り国政を助くる聖女に対し、大変不遜なる行いである」
そう述べた後に裁判官は隣席に目を向けた。その視線の先の男の姿が、ようやくカリナの目にもはっきりと映った。
白いトーガにゴテゴテとした金のサッシュを肩から垂らし、頭髪のない頭には金の糸で編んだ丸帽子を被っている。場違いなほどに飾り立て、ふんぞり返っている神殿長バフジャールだった。
「訴え、これに相違ございませんか、神殿長バフジャール様」
「相違ない!」
目をかっと開き、つばを飛ばしながらバフジャールは叫んだ。
「まこと神をも恐れぬ不遜きわまりなき行い! 神殿はこの者に、即刻の死罪を要求する!」
更には席を立ち、手にした錫杖を振りかざす。
殴られる! とカリナは目を閉じ身を守ろうと体をよじった。おそるおそる目を開けるとバフジャールは控えていた他の裁判官たちに手で制されていた。中央の、椅子に座った裁判官がいちど大きく咳払いをする。
「神殿長様。席から立ち上がらぬよう、お願いいたします」
バフジャールは制されたのが気に入らぬようで、顔を歪めて手を振り払ったが、しぶしぶながらも大人しく席に戻った。
半ば腰を抜かしていたカリナだったが、手首の縄を引っ張られるようにして、再び卓の前にまっすぐ立たされた。
「カリナ・トマシュ。申開きがあらば述べよ」
——申開き?
カリナは混乱する。そもそもが理由のわからぬ事態である。混乱と緊張で歯の根が合わぬなか、震えるように声を絞り出した。
「……ぬ、盗んで、なんて……いません……」
喉の奥が乾ききって、痛みすら感じた。
裁判官がじっとカリナを見つめている。訴えるように、カリナは何度も何度も首を横に振った。
「……聖女様の、し、神託なんて、ぞ、存じません……。どうして、私が盗んだなんて……」
「しらばっくれるでない!」
再びバフジャールが立ち上がった。
真正面からの憎悪の表情に、カリナはひっと小さな悲鳴を上げた。
恐ろしい、ただ、カリナは恐ろしかった。
意味がわからず糾弾されていること、いきり立ったバフジャールが荒々しく足を踏み鳴らしていること。自分が置かれている立場も、何を持って断罪されようとしているのかも、カリナには全く理解ができなかった。
そんな状態の彼女に、バフジャールは死罪を要求しているという。死罪——なにゆえ死ねと言われねばならないのか。「理解できない」ことがカリナをもっとも恐怖に陥れていた。
バフジャールはカリナが青い顔で震えているのを見て、怒りの奥に愉悦の笑みをにじませていた。今度は誰も制さなかったことをいいことに、壇上から一歩一歩、時間をかけてカリナに近づいた。
「ならば儂が聞こう。——そなた、ミルデアでの大雨で山が崩れることを言い当てたそうよの。なにゆえ崩れると分かった? そなたのような下賤の者が神意を解したとでも申す気か? 聖女の神託を盗み見たのでなければ説明できまい!」
「そ、それは、き、記録が、あっ」
痙攣のような、浅い呼吸が自分の発言の邪魔をする。
バフジャールの濁った目に見つめられるたび、死への恐怖が足元から地の底に彼女を引きずり込むような錯覚を覚えた。
言わなければ。きちんと、説明して——。
焦るほどに、見えない手に首をしめられていく。
必死に息を吸い、吐く。言葉を絞り出す。
「む、昔の大雨の、記録があって……それで、『雲』を見ました。危ない雲だと、これはおそらく崩れると——」
「記録ぅ?」
バフジャールの視線がいびつに歪んだ。いつしかカリナと額を突き合わせるような至近距離まで近づいていて、荒い鼻息も肌に感じられるほどだ。
バフジャールはそのまま無言でただカリナを凝視し続けたが、急に大声で嘲笑いはじめた。
「笑止! 笑止! そんな過去の記録など、『今』に何の役に立とう! そんなことはただの言い逃れ! そなたはミルデアの山が崩れるという聖女の神託をあらかじめ手に入れておった! その罪を隠し、神託を我がものとするため、さも意味があるかのような、埃を被った昔の記録など持ち出したのであろう!」
「そんな——!」
カリナは唇を噛んだ。
耳障りなバフジャールの甲高い笑い声に、カリナの怒りと憤りが燃え上がった。
この狂ったように笑う男はなんと言った?
——過去の記録が、『今』に何の役に立とう?
あまりのことにカリナはバフジャールを超えて、壇上の裁判官を仰ぎ見た。バフジャールの発言は許しがたい。注意や制止があるべきではないか。だが、裁判官は無表情で、煩わしそうにカリナの視線から目を逸らすだけだった。
ざわついた空気にカリナは気づいた。視線だけで辺りを見渡す。
壁際の室内に向けてせり出したバルコニーに座る人たちは、着飾った身なりからして、みな貴族階級の人間らしい。裁判官の衣装を着ていないので、純粋に傍聴しに来ているだけだろう。
時折聞こえる忍び笑いから、この裁判を見世物として楽しんでいるのが伝わってきた。
誰も、バフジャールの発言に異議を唱えようとしない。
その意味すらも、誰も理解しようとはしていない。
狂人のような神殿長が下賤な小娘を一人虐げるさまを、暇つぶし代わりに楽しんでいる。——そんな空気を感じて、カリナは圧倒的な孤独に打ち震えた。
——冷や飯ぐらいもいいところだよ、あの娘は。
唐突に、故郷の叔母の言葉が蘇った。
領主の一家に嫁いでも、農作業や機織りなどの力仕事に率先して動いていた働き者の叔母は、カリナのいないところではそんな愚痴を周囲にいつも漏らしていた。
——『本にはこう書いてある』っていつもブツブツ言ってるけど、だからなんだってんだい。そんなことより麦の束を一つでも多く運んでくれないかねえ。
周囲の女たちが同調してどっと笑いが起こる。物陰から偶然聞いてしまって、しかし本当のことだと情けなく打ちひしがれたことは、一度や二度ではなかった。
——理解されない。
本からいくら知識を得ても、故郷ではいつも鼻で笑われ、相手にされなかった。
知識を役立てようと必死に頭を絞っても、他者の神託を『盗んだ』とされた。
バフジャールの狂気というべき主張を誰も咎めないのは、もしやバフジャールのほうが正しく、間違っているのは己なのか——。
裁判官の退屈そうな声が耳に届く。
「カリナ・トマシュ。罪を認めるか」
裁判官の視線は、時折ちらりちらりとバフジャールに向けられる。猿のように飛び跳ねてカリナを糾弾するバフジャールへ、いくぶんかの忌々しさもこもっているような視線だった。こんな無駄な裁判はさっさと終わらせたい——そんな投げやりな気配を隠そうともしない。
足元に開いた絶望の穴に、カリナはそのまま吸い込まれそうになった。力なく、頷きかけた——その時。
「——お待ちください」
カリナの背後の扉がギイと重い音をたてて開いた。
つかつかと、足早に近寄ってくる足音が響く。
「被告に弁護人がついていないのはいかなることでしょうか? オルニアの法律では、いかなる裁判、いかなる被告に対しても、代弁者たる第三者に弁護させることは保障されているはず」
その早口に、カリナは聞き覚えがあった。
「——弁護人が不在とあらば、私、エリュシオン・ジルドが、今この時よりカリナ・トマシュ嬢の弁護人を務めさせていただきましょう」
カリナより一歩前に出たエリュシオンは、一度ゆっくりとカリナを振り返った。
「遅くなりました。カリナさん。一人にして申し訳ありませんでした」
エリュシオンの片眼鏡が、カリナの潤んだ瞳を映し出していた。




