12 裁きの使者
峻厳な頂きが、青い空に輝いていた。陽の光を反射し、ともすれば目を焼きかねないほどの鋭さである。窓越しに見上げたカリナも、思わず手で視界を覆わねばならぬほどだ。
一月あまり続いた大雨がようやく止み、高山特有の澄みきった青空が広がるようになって十日あまり。ここミルデア領内はこの大雨によってもたらされた幾箇所もの山崩れからの復旧に勤しんでいた。
もっとも被害が大きかったのは一番最初に壁面の崩落が起こったミルデアとサバ山脈をつなぐ街道で、隊商の一団がその土砂に巻き込まれていた。残念ながら六人の随員が命を落とし、運んでいた荷のほとんどは馬車ごと土石流の中に消えた。それでも隊の随員の半数ほどは幸運にも生きながらえ、麓の集落で保護されている。
他にも山崩れは幾箇所も起こったが、家屋や農地に被害が出たのは一つの集落にとどまった。その住民たちは指示に従いその前夜のうちに全員が避難しており、死傷者は出なかった。
他に崩れたところは人里のない森林や崖地であり、別の集落の古老いわく「あそこは崩れやすい」と代々伝えられ、人が住むことは忌避されていた土地なのだという。
「そういうことって、住んでいる人にはちゃんと伝わっているんだねえ」
領館の一室で、ユークがしみじみとそう呟く。空の眩しさに目を細めて、手元に視線を戻したカリナが頷いた。
「系統だって整理されていないだけで、そんな伝承は、きっと星の数ほどあるんでしょうね……」
そう言いながら唇を一文字に結ぶ。
カリナは部屋の机についていた。机上には多量の書付けの紙が広がっている。
今回の被災、そしてその復興にあたり、現場を走り回っている領館の官吏たちが集めた情報をとりいそぎ書きつけたもので、その整理と清書をカリナたちが買って出たのだ。
量は膨大で、ユークなどは積み上げられた紙の高さを見てはのけぞっているが、カリナとエリュシオンは、それこそ何かにとり憑かれたように、嬉々として目を血走らせて読み込み、ペンを滑らせていた。
集められた被災情報に混ざる、領民たちに口伝でのみ伝わる知識、土地の知恵。それらをもっと知りたい。取りこぼしたくない。——表情にそんな思いがにじみ出ていた。
ノックの音がした。一人の男が入ってきて、まず王弟であるユークに恭しく頭を下げる。領主ミルデア伯の近臣の一人だ。
「このたび被災した集落の民の移住地について、カリナ嬢にご教示いただきたいことがございまして。よろしゅうございますか?」
王弟ユークが寵愛するご婦人に声をかけていいか、と許可を乞うている。「麗しの君」と呼ばれるのみだったカリナだが、この騒動の中で、「カリナ」という名は自然と周囲に知られてしまっていた。
近臣たちの口調や名指しの呼びかけに、この領館に到着した頃にあったカリナを「愛人」と見下す空気はもうない。ユークがにこやかに頷く。
「は、はいっ」
カリナも慌てて立ち上がった。見せられた地形図などの資料を間に置いて、言葉はどもりがちになりつつも、近臣に対し一対一で対等に会話を交わしている。近臣はカリナの意見に納得すると、礼を言って退出していった。残されたカリナは少し呆けたような表情で、胸の前で両手を握り合わせた。
ユークたちの視線に気づき、はっとなる。
「あっ、よ、良かったのでしょうか。私が、こんな大事なことに意見を述べて」
山崩れによって家屋や農地を失った、百人ほどの領民の新たな集落になる土地についての相談だった。カリナの意見によって、百人のこれからの生活と将来が形作られる。
「良くないんだったら、彼らも聞いてこないよ。カリナの知識で助けられたから——必要としてるから、カリナ嬢に、って名指ししてくるんだって」
くすくすとユークが笑うと、カリナはさっと頬を赤らめた。
「お……お役に立ってますか、私……」
「今回の最大の功労者が、何を言ってるんだか!」
カリナは頬をぺちぺちと両手で叩く。ユークから視線をそらし、うつむき、落ち着かぬように口をぱくぱくとさせた。どうしたの、と笑いながら問われても、この揺れ動く感情をうまく言葉にできない。
「……なんだか、実感が湧かないと言うか。そう言われて嬉しい、って、誇らしい気持ちもあるんですけど……、は、恥ずかしさと、今更ですけど、怖いような気持ちもあって……」
「怖い、かあ」
ふっと、ユークも己を顧みるように、空を見あげた。
「それは分かる気がする。僕もさあ、あんなふうに誰かに命令を下したって、初めてだったから」
決断できぬ領主のミルデア伯爵に代わり、王弟として責任を負うとユークは宣言し、皆に命を下した。
「思い出すと、僕もちょっと震える。僕の一言で、あれだけの人を動かせてしまうんだって——」
窓から見上げる空よりも、さらに遠くを見つめたユークだったが、やがて照れ隠しのように頭をがしがしと掻いて、カリナとの会話の間、ずっと側にいたが一言も発していない己の乳兄弟に矛先を向けた。
「——エリュシオンは、さっきから何やってんのさ」
机にかじりつくように、書物に夢中になっていたエリュシオンは、ユークの声に反応しつつも顔も視線も上げずに、一心不乱にペンを滑らせている。
「何って、筆写ですよ。あの論文の。カリナさんのお父上の」
カリカリカリカリ、と音が響く。集中しすぎか、エリュシオンは論文の紙に顔をくっつけんばかりの前のめりになっていて、書き写しながら、時折熱っぽい吐息やうわ言めいた言葉を吐いていた。
「なるほど……そうか……素晴らしい」
と思うといきなりバッと顔を上げて、ユークとカリナをギラギラとした目で見つめた。
「これは大変素晴らしい論文ですよ。論ずる、とはこういうことかと、改めて思わざるを得ません。明確な問いと論理構成、深い洞察と強固な根拠を示したうえでの解決策。さらには未来への提言も含まれていて、大変、大変、大変、勉強になります」
「へえ……そうなんだ」
その勢いに押されがちで、言っていることが理解できなくとも、ユークはエリュシオンの言葉には一度は頷くことにしているらしい。エリュシオンもユークの同意を素直に受け取り、何度もこくこくと頷いた。
そのままエリュシオンがまた集中の渦に没頭してしまったのを見て、ユークは空気を変えるように背伸びをした。
「——もう少ししたら、王都からの調査団も来るってさ」
レナード王への報告はミルデア伯爵が纏め、すでに王都に送っている。その返事と、現地での調査のための一団が明日にでも到着するとのことだ。
「はい、聞きました。それまでにこちらでの資料も、もう少し形にしておきます」
カリナがそう言って自分の机につく。書付けの束を纏め、捲り、とんとんと角を合わせてまた清書に入ると、ユークは一人手持ち無沙汰に立ち上がった。
領館の外は人の出入りも激しくざわめいていた。避難した領民への手当や食料配布が行われたり、土砂をかたづけるための作業の人員や馬がひっきりなしに往復している。
「僕も……外で何か手伝ってくるよ。もしかしたら帰りが遅くなるかも。崩れた現地、見ておきたいから」
手元の資料から顔を上げぬまま、エリュシオンが応えた。
「私ももう少しで写し終わりますので、そうしたらちょっと出てきます。この部分、古老たちの話と照合したいところがあって……」
カリナがそんな二人を見て、自分の手元をもう一度見る。
「では、私はここでこの報告書を仕上げてますね。いってらっしゃいませ」
ユークは頷き、室外に出ていった。ややあって、エリュシオンもまたペンを置き、領館の外へ赴いた。二人とも、「夜には帰る」と言いおいて。
室内で一人となったカリナは、また静かに資料をまとめ始めた。
午後の陽光が、やや赤みを帯び始めた頃合いだった。
なにやら、部屋の壁越しに館内のざわめきが聞こえてくる。領館に仕える者たちが右に左に早足で移動する足音、急に数が増えたような人の気配。
——こんな早くに。
——明日と聞いていたのに。
カリナが耳を澄ますと、そんな声が漏れ聞こえてくる。
カリナたちがしばらく滞在していたこの部屋は、王弟を迎えるために用意された貴賓室であり、領館のもっとも奥まった区画に位置している。奥から人が出払ったのだろう、一瞬辺りは静まり返った。おそらく、領館の正面玄関の方に皆移動したように思われた。
ユークが帰ってきた、その出迎えだろうか。
にしては仰々しい。初日に迎えられた時はものものしい出迎えがあったものの、それ以降はユークもそんな扱いは望まなかったし、被災後はみな右往左往、今もそれどころではない、という状況である。
しかしこの静けさは、やはり誰かの訪れがあったようだ。
カリナは、ああ、と思い当たった。ユークが明日と言っていた、王都からの調査団が到着したのだ。理由は分からぬが早まったのだろう。
ミルデア伯爵が出迎えるだろうが、ユークを呼び戻すべきだろうか。いや、自分が言わずとも、伯爵やその近臣たちが知らせを走らせているかも知れない。カリナは、自分はどうすべきか、と迷って室内でウロウロとしていると、なにやらまた騒々しさが近づいてくる。
先程の静かなざわめきとは違う、荒々しい足音、遠慮のない大きい声。その気配に暴力的な匂いを感じ取って、カリナは不安に震えた。
「な……何?」
ダンダンダン! という複数の足音は明らかに今いるこの部屋に近づいてくる。
足がすくんでいると、目の前の扉が荒々しく、打ち壊さんばかりの勢いで開かれた。兵士が二人、その場に立ち尽くしたカリナに、構えた長棒の先を向けた。
「えっ……」
それ以上の声が出なかった。二人の兵士の後ろにも、数人、武装した兵の姿がある。
そのさらに後ろには、ミルデア伯爵にその近臣たち。先程この部屋に入るために礼儀正しくノックをし、恭しくユークに許可をとってからカリナに話しかけたその近臣は、うってかわって、カリナを睨みつけ、汚らわしい醜悪なものでも見るかのように、ひどく顔をしかめていた。カリナに意見を求め、真摯に話を聞き、去る際も礼を忘れなかったあの紳士然とした態度は何処にもない。
理由もわからぬ恐怖にカリナは震えた。そこにいる全員の視線が、カリナを刺し貫こうかというような敵意と悪意に満ちている。王子を誑かした、ふしだらな愛人を演じていた時よりも、いっそう強く。
その時、兵士たちの合間から一人の人物がカリナの前に進み出た。
背の低い、白いトーガ姿の男性だ。禿げ上がった頭に金の飾りを巻き、ぎょろりとした目でカリナを睨みつける。
「そう……! この女よ、この売女よ! ユーク王子を誑かし、王家と神殿の聖婚を汚そうとする淫売!」
甲高い声を上げ、カリナを悪しざまに罵るこの男はカリナも対面したことがあった。王都での夜会の折、同じ台詞でカリナを罵った、神殿長バフジャールだ。
なぜここに、とカリナが疑問に思う時間も与えられなかった。バフジャールが一歩進み出ると兵士たちはカリナに襲いかかった。とっさのことに腰を抜かしてへたり込むと、背を棒で抑えこまれる。
床に這いつくばらされた格好になったカリナに、バフジャールはにたにたと笑いながら近づくと、かがみ込んで顎を掴み上げた。皺だらけの指を容赦なく肌に食い込ませようとする感触に、カリナは声にならぬ悲鳴を上げた。
「白状せよ。お前は聖女の神託がこの地に届く前に、盗んだのであろう?」
カリナの顔を覗き込んだバフジャールの目は、赤黒く濁っている。何を言われているのか、カリナには何も理解できなかった。
——聖女の神託? それは、なかったのでないか?
——盗んだ? 私が?
カリナは反射的に首を横に激しく振ったが、バフジャールに頬をしたたかに叩かれた。
「さもなくばお前のような卑しき売女が、この地の山崩れをどうして予知できようか!」
カリナの頭の中は真っ白になった。バフジャールの叫び声が耳の奥を突き破ったかのように、しばらく他に何も聞こえなくなった。
——どうして予知が?
それは、過去の記録があったからだ。父の論文と、手持ちの書籍。後は己が今まで蓄えた知識。
カリナは訴えるように、バフジャールの背後に立つミルデア伯とその近臣たちに視線をやった。が、あの時カリナの主張を聞いてくれたはずのみなは、バフジャールの主張に、納得したように頷いている。
自分のような「卑しき売女」が山崩れを予測できたことは、彼らにとってはやはり信じがたいことだったのだろう。論文や文献を見せて理路整然と主張したつもりだったが、盗んだ神託をさも自分の発案のように言うための、でっち上げだと思われたのだろうか。
カリナは呼吸が止まりそうになった。自分の知識——役立たずと嘲笑われてたこれまでの自分を、ようやく認めてもらえたと思っていた。が、それは自分の独りよがりだった。
バフジャールはカリナの前髪を掴み、顔を上げさせた。悦に入った笑いを浮かべ、その声はむしろ陽気にも聞こえる。
「王都にて裁きにかけよう。我らが聖女ローサを愚弄し、神託を汚したその罪、その生命一つで贖えるとも思えんが……」
ひっひっひ、と笑みは狂気に満ち、カリナが見開いた眼から一筋涙を流したのを、心底嬉しそうに、愉悦の表情で見つめている。
「捕縛せよ!」
バフジャールの命に、兵士たちはカリナの手と胴を即座に縄で縛り上げた。
引きずられるように連行され、領館の外に付けられた馬車にカリナは押し込まれた。




