8.魔導術
「グゥルル……」
そんな低い音が聞こえた気がした。
前を行っていたラグが足を止める。
「やっぱり、今何か聞こえたよね」
「しっ」
ラグが私を制し、険しい表情で辺りを見回す。
――緊張が走る。
いつの間にか、鳥の囀りが止んでいることに気付いた。
(なんだろう。もしかして、昨日の兵士……?)
私もキョロキョロと近くを見回した。と言っても鬱蒼と木々の生える山の中、昼間とは言え視界は悪い。
嫌な汗が出てきた。
「ちっ、テリトリーに入っちまったか?」
ラグが小さく呟いた。
彼も汗をかいているように見える。
(テリトリーって、動物? ……まさか狼とか?)
この世界に狼がいるかどうかわからないが、何にしてもマズイ状況だろう。
ラグが懐からナイフを取り出すのを見て確信する。
私は小走りでラグに近寄った。
「グゥルルル……」
次は確かに聞こえた。
さっきより確実に近づいている。やはり何かの唸り声に間違いない。
ごくりと唾を呑みこんだその時、葉擦れの音と共にそいつが飛び掛ってきた。
「!!」
思わず身体を縮こませ目を瞑る。
「ぎゃん!!」
正体も分からぬままに上がった叫び声。
目を開けてまず見えたのは血の付いたナイフ。
そしてその向こう。
前足から血を流しこちらをぎらぎら光る瞳で睨み上げているモノ。
背格好は狼や犬に似ていたが、違う。
見たことのない生き物。地球上には絶対にいない動物。
身体は真っ黒い毛で覆われ、足は6本。尻尾が蛇のようにとぐろを巻き、顔は狼よりも猿に近い。
だらしなく開いた口からダラダラと涎を垂らしたその姿からは、否応なしに“モンスター”という言葉が連想できた。
(兵士の次はモンスター!?)
想像以上にグロテスクなモンスターの姿、そしてこの現状から出来ることなら今すぐ目を背けたい。
ラグの後ろで小さく震えていると背後でパキと乾いた音がした。
恐る恐る振り向き愕然とする。
「ラ、ラグ!」
思わず彼の服を引っ張る。
「わかってる」
イラついた声。
「ここはコイツらのテリトリーだ」
その声が合図だったかのように次々と姿を現す異形な生き物。
(狼の方が良かった~!)
確認出来ただけで6匹。――私たちは完全に取り囲まれていた。
「カノン、そのままオレに触れてろよ」
「え? あ、はいっ」
意図はわからなかったけれど、掴んだままだった彼の服を両手で強く握り直す。
「わっ」
身を屈めたラグに引っ張られるようにして私もその場にしゃがみ込む。
そして彼はそこら中に張り巡らされた木の根に手を触れた。
「すまない。少し力を貸してくれ」
こんな声も出せたんだと思うくらいに、優しい声音。
根に向かって言っているようにしか見えないが……きっとその通りなのだろう。
(もしかして、魔導術?)
と、こちらが体制を低くしたのを観念したと見たのか、モンスターたちが一斉に飛び掛ってきた。
「――っ!」
ぎゅっと目を瞑ると同時、鋭い声が響いた。
「水を此処に!!」
その直後。
――ザァァアアア!!
そんな水音に驚き開いた目に飛び込んできたのは、私達を取り巻くようにして立った高波のような水柱。
その巨波は木のてっぺんをも超え、みるみる空に向かって聳えていく。
私はそれを見上げ唖然とする。
すでに何匹かのモンスターはその波に飲み込まれるように空へと放り出されていった。
視線を落とすと出遅れたモンスターたちが悔しげに後ずさりしていくのが水壁の向こうに歪んで見えた。
更にはその水柱が徐々に放射状に広がり残ったモンスターたちを襲っていく。そして。
ザッパアァーン!!
そんな轟音とともにモンスターたちは一匹残らず掻き消えてしまった。
口をあんぐりと開けた私の前には、まるで嵐の後のようにびしょ濡れになった山肌が広がっていた。
頭上の木の葉からは小雨のようにぽつぽつと雫が降ってくる。
と、ラグがゆっくりと立ち上がった。
でも服を掴んだままだった私は少し腕を持ち上げられただけだった。
「ちっ、またこの姿か……」
毒づくラグ。
そう、魔導術を使った彼は再び子供の姿に変化してしまっていたのだ。
その後、ラグは近くにあった木の幹に触れ「ありがとう。助かった」 とお礼を言っていた。
今の小さな姿でそれはとても微笑ましい光景だ。
でも本人はやはり不満なようで、その木から離れた途端盛大に溜息を吐いた。
「これで元の姿に戻るまで、もう術は使えないからな」
言いながら早速進み始めるラグ。
追いかけようとして私はぬかるんだ地面に足を取られてしまった。
どうにかバランスを取り転ばずに済んだが、お陰で学校からずっと履きっぱなしだった上履きが中までぐっしょりと濡れてしまった。
気持ち悪いことこの上ないが、あのモンスターの餌食になることを考えたらこの足でスキップしたいくらいだ。
「どのくらいで元に戻れるの?」
「今のだと大分かかっちまうかもな」
「今のって、やっぱり術の大きさに関係するの?」
「みたいだな」
みたいだな、と言うことは呪いがかかったのは結構最近のことなのかもしれない。
「でもすごいね、今の魔導術!」
「……そうか?」
(およ?)
まんざらでもなさそうな声音に、私は更に続けてみる。
「うん。すごいカッコ良かった! あれって木の水分を借りたってこと?」
「あぁ。良くわかったな」
どうやら魔導術の話になると機嫌が良くなるらしい。
表情は確認できないが、耳の後ろが心なしか赤くなっているように見える。
(ちょっと可愛いかも)
思わず顔がにやけてしまった。
やっぱり断然、子供の姿の方が接しやすい。
「いいなぁ、この世界の人って皆そんな力持ってるの?」
「皆が皆持ってるわけねーだろ」
「あ、そうなの? じゃあラグって凄いんだ」
「……お前の『歌』の方が稀な力だ。次もしまたモンスターに会っちまったら頼むぞ」
「え!? あ、うん」
急に「頼む」と言われて私は驚く。
(そっか。しばらく魔導術は使えないんだもんね)
今思い返すと昨夜空を飛べたのはマグレみたいなものだ。
(折角こんな力があるんだから、使えそうな歌考えておかなきゃ)
私は歩きながら、モンスターに遭遇したときに役に立ちそうな詞とメロディーを思い浮かべていった。




