64.神導術士の宿命
テントの中に彼女はいなくて、私たちはすぐに外へ飛び出した。
辺りはまだ暗かったけれど空はうっすらと白み始めていた。
「あそこだ」
セリーンが指差した先、森への入口付近に人影を見つけすぐさま走り出す。
嫌な予感に心臓がドクドクと不快な音を立てていた。
そして再び聞こえてきたライゼちゃんの悲鳴。
「ブライト! ブライト!?」
ライゼちゃんの背後について私は息を呑む。
地面に膝を付き狂ったように叫ぶ彼女の前には、目を覆いたくなるほど無惨な姿となったブライト君が倒れていた。
「ブライト! 目を開けてブライト!」
腫れあがった頬を両手で覆いライゼちゃんが何度も呼びかけるが、彼は一向に目を開かない。
顔だけじゃない。体中に暴行を受けた痕、そしてまだ乾ききっていない血の跡が残っていた。
そのあまりな姿に私は言葉が出なかった。
と、セリーンがライゼちゃんの向かいに膝をついた。
「酷いな……。だが気絶しているだけのようだ。おそらくここにたどり着くために力を使い果たしたのだろう」
こういったことに慣れているのだろう、傭兵であるセリーンの冷静な声を聞いて私は少しだけ安心した。
「……森の、いつもとは違うざわめきが聞こえたのです」
ライゼちゃんもセリーンの言葉に少し落ち着きを取り戻したのか、ブライト君からゆっくり手を離しそのまだ震える手を抱くようにして言った。
「それで外に出たら、ブライトがここに……っ」
でも途中で声を詰まらせ顔を覆ってしまった。
心配していた幼馴染がこんな姿で戻ってきたのだ。動揺しないほうがおかしい。
私はライゼちゃんの傍らにしゃがみ込んで彼女の小さく震える肩に手を置いた。
「ここまで歩いて来られたんだもん。大丈夫だよ、ライゼちゃん」
そう言ったときだ。
ライゼちゃんの名前に反応するようにブライト君の眉がぴくりと動いた。
「ライ、ゼ……様」
「ブライト!」
青紫に腫れ上がった瞼が薄く開き、その瞳がすぐに彼女を見つけた。
「ライゼ、様、カルダが――ッ、げほっごほっ!」
でも喋り出した途端、ブライト君は苦しげに体を折り曲げ咳き込みながら大量の鮮血を吐き出した。
「ブライト!」
「ブライト君!?」
「いかん! 内臓をやられているのか!」
セリーンの言葉を聞いて瞬時に頭に浮かんだのは元いた世界のことだった。
向こうの世界……日本にいたならすぐに救急車を呼んで病院で治療が出来る。
でもこの世界に救急車なんてあるわけがない。
このあたりのお医者さんはこのブライト君だけだと言っていた。他にいたとしても治療できる技術が今のこの国にあるとは思えない。
絶望感に頭が真っ白になりかけたときだった。
ライゼちゃんがそんなブライト君の身体に手を伸ばした。
「今癒します!」
その言葉に私は驚く。癒しの術は内臓の傷まで治すことが出来るのだろうか。
私たちが息を呑んで見守る中、ライゼちゃんはブライト君の胸に両手を当て集中するように目を瞑った。
でも、その細い腕をブライト君の手が弱々しく掴んだ。
驚いたようにライゼちゃんが目を開く。
「いけませんっ、ライゼ様、……こ、んなことに、力を使って、は」
息も絶え絶えに言うブライト君を見て、しかしライゼちゃんはそんな彼を怒鳴りつけた。
「何を言うの!」
「しか、し、貴女の命が……」
「命?」
思わず声に出してしまっていた。
セリーンがそれに続くように言う。
「まさか、神導術士は術に己の命を使うのか?」
「……はい」
「そんな!」
「母も戦争で多くの力を使いました。しかしそれが神導術士の定め。私も、」
「いけません、わ、私、などのために、貴女を――っげほっげほ! っ聞いて、ください、カルダ、が、」
咳き込み血を吐きながらもライゼちゃんに必死で何かを伝えようと続けるブライト君。
そんな彼の腕を優しく取り、ライゼちゃんは再び彼の身体に手を触れた。
「ブライト、もう喋らないで。私が」
「退け」
突然、ライゼちゃんの両腕を払いのけるようにして別の手がブライト君の身体に触れた。
「癒しを此処に……」
「ラグ!」
私は思わず歓声を上げていた。
彼は驚くライゼちゃんのすぐ傍らに膝を着き集中するように目を閉じた。
以前私の足を治してくれたときと違い、何かを探るようにその眉間にはいつも以上に深い皺が寄る。
ライゼちゃんはそんな彼を呆けたように見つめていた。
「うっ、あ、熱い……っ」
ブライト君がそう小さく呻くのが聞こえた。
ラグが前に言っていた。癒しの術は、その者が持っている治癒力を高めるものだと。
おそらく今、急速に彼の傷が治ろうとしているのだ。
一分ほどそうしていただろうか。小さく息をつきラグが彼から手を離した。
「もう治ったはずだ。他のとこは自分でなんとかできるだろう」
「あ、ありが――っ!?」
自分の身体に手を触れ戸惑うようにお礼を言いかけたブライト君。
でもラグを見上げた途端、その口があんぐりと開かれた。
……無理もない。人間がみるみる小さくなっていく様を目の当たりにしてしまったのだから。
ライゼちゃんもその赤い瞳を大きく見開いて、自分よりも小さくなった少年を見下ろした。
「え? 誰?」
後ろを振り向くとラウト君とヴィルトさんが立っていた。そしてその視線はやはり小さくなったラグに向けられている。
ラグはそんな皆の視線に耐えられなくなったのか、俯いたまますくと立ち上がると背を向けその場を去ろうとした。
が、彼女がそれを見逃すはずはなく。
「――いっ、愛しの子おおおおぉぉーー!!」
「ぎゃああああっ! 忘れてたああぁぁーー!!」
セリーンがすぐさまその小さな後姿に飛びついた。
ラグはそんな彼女に罵詈雑言を浴びせながら、その腕から逃れようとジタバタもがいている。
久し振りに見るその光景に、ブライト君が助かったことへの安心感も相まって急に笑いがこみ上げてきた。
でもそんなふたりをポカンと眺めているライゼちゃんたちに気付いて私は慌てる。
「え、えっとね。ラグって術を使うと身体が小さくなっちゃうんだ。それで、セリーンはその小さな姿が大好きでね。は、ははは」
苦笑しながら説明すると、ラウト君がふたりのやり取りを見つめたままぼそっと呟いた。
「楽しそう」
「あぁ~っ! もう、可愛すぎるぞこいつぅ~~っ」
「離しやがれっ! こっの変態女ぁああああーー!」
……ラグの絶叫は、結局彼自身が諦めるまで続いたのだった。




