62.姉弟
「ラウト!」
森を抜けすぐに耳に飛び込んできた上ずった声。
「姉ちゃん……」
テントの方から走ってくるお姉ちゃんを見て、ラウト君が気まずそうに足を止めた。
こちらをちらりと見上げてきたラウト君に私は大丈夫だよ、と目で微笑む。
すると彼は思い切るようにしてもう一度お姉ちゃんの方を見た。
「ごめんなさい! 僕……っ!」
でも最後まで言い終える前に、ラウト君はライゼちゃんに抱きしめられていた。
驚いた顔のラウト君を強く抱きしめ、ライゼちゃんは涙を流していた。
「良かった、無事で。……本当に、良かった」
そう途切れ途切れに言うお姉ちゃんの声を聞いて、ラウト君も一気に安堵したのだろう。
みるみるその顔が崩れていき、とうとう、うわーんと大きな声で泣き始めてしまった。
気丈そうに見えても、まだ10歳程の男の子だ。
この数時間のうちにあったことは、ラウト君にとってかなりショックの大きい出来事だったに違いない。
しかも怒られるものとずっと心配していたのだから尚更、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
ヴィルトさんもいつの間にかそんなふたりの傍らに立ち、目を細め愛しげにラウト君の頭を撫でていた。
そんな皆を見ていて、ついまた涙腺が緩みそうになってしまったけれど、ライゼちゃんの潤んだ瞳がこちらを向いて私は気を引き締めた。
「カノンさん、皆さん、本当にありがとうございました」
「ううん、私、謝らなくちゃ。ラウト君がいなくなったらライゼちゃん達が心配するのは当たり前なのに、考えなしに行動しちゃって……」
「違うんだ!」
私の言葉を遮るように声を上げたのはラウト君だ。
乱暴に涙を拭い、お姉ちゃんをしっかりと見上げて彼は続けた。
「お姉さんは何も悪くないんだ。全部僕が悪いんだよ。……ごめんなさい。僕、ずっとお父さんと姉ちゃんとの約束破ってた。ずっと……嘘、ついてたんだ」
そう告白した弟をライゼちゃんは驚きもせず、ただ静かに見守っていた。
「僕ね、ベレーベントの村に友達がいるんだ。クラールっていう。時々遊びに行ってたんだ、ひとりで。危ないってわかってたけど、でも、僕……」
そこで続けられなくなってしまったのか、ラウト君は俯いて黙ってしまった。
ずっと嘘をついていたことを告白し、今度こそ怒られる、そう思っているのかもしれない。
でも、その後ライゼちゃんの口から出た言葉は意外なものだった。
「知っていたわ」
「え?」
ラウト君が呆けた顔でお姉ちゃんを見上げる。
「気付いていたのよ、ラウトがよく村へ行っていたこと。知っていて、私も父さんも止めなかった。――村へ行った日のラウトは本当に嬉しそうだったから。心配ではあったけれど、あのブライトも気付いていないくらいだから、そんなに危ないことはしていないと信じて黙っていたの」
ラウト君は口をポカンと開けてそんなお姉ちゃんの話を聞いていた。
「ラウトは男の子だもの。こんな狭いところに閉じこもっていないで、本当はもっとたくさんのお友達を作って、もっと色んな場所に行ってみたいわよね。……こんな時代じゃなかったら……。だから、父さんも私も止めなかった」
まだ戸惑った様子でお姉ちゃんとお父さんを交互に見上げたあと、ラウト君は鼻を啜りながらもう一度、ごめんなさいと謝った。
そんな弟を、ライゼちゃんはもう一度強く抱きしめていた。
――こんな時代じゃなかったら――
そう言ったライゼちゃんの表情は優しくて、そして酷く切なげだった。
もっと色んな場所に……それは、もしかしたら彼女こそが一番に望んでいることなのかもしれない。
彼女の、神導術士の運命を考えたらそう思えた。
「そうですか、そんなことが……。カルダのことは私もブライトから聞いています。まさかあの男がカノンさんに……」
村での出来事を話すと、ライゼちゃんは辛そうに目を伏せた。そして。
「カノンさん、今すぐにこの国を出てください」
「え!?」
その顔は、いつの間にか神導術士のものになっていた。
「カノンさんにはもう十分過ぎる程のことをしていただきました。心から感謝しています。しかし、これ以上この国にいていただけば、カノンさんを更に危険な目に遭わせてしまうことになるでしょう」
「そんな!」
彼女のその気迫に負けないよう、私は精一杯真剣に言う。
「私はまだ帰るつもりなんてないよ、ライゼちゃん。だって、村の人には歌のこと誤解されたままだし、あのカルダって男が村の人に酷いことするかもしれないのに自分だけ逃げるなんて出来ないよ」
「ですが……」
彼女の、神導術士の顔が揺らぐ。
あともう一息だと、私は続けた。
「ね、せめて村の人たちが大丈夫だってわかるまではここにいさせて? もし何かあったとき人数は多い方がいいでしょ?」
最後は笑顔で言うと、ライゼちゃんの顔が一瞬泣き出しそうに歪んだ。
そしてそれを隠すように彼女は深く頭を下げた。
「本当に、本当に、ありがとうございます。カノンさん……っ」
そのか細い声は威厳も何もない、ひとりの少女のものだった。
そのことに安堵した私は、後ろにいるラグとセリーンを振り返った。
セリーンはそれに気が付くとすぐに目を細め頷いてくれた。
ラグは案の定眉間にたくさんの皺を寄せていたけれど、視線を外しふんっと鼻を鳴らしただけで、何も言わなかった。
……勝手にしろ、ということだろうと私は勝手に解釈することにした。




